断罪と失言
そして、物語は終焉を迎える。
三月。王立学院の卒業式の日がやって来た。
「金色の恋と夢を」では、王立学院三年目の卒業式がラストイベント…つまり、エンディングを迎える。攻略対象に対して、この日までに積み上げた好感度で、ヒロインは誰と結ばれるのか決まるのだ。
そして、それとは関係なくグローリア公爵家の第二子、レオナルドが中等科を卒業する日でもあった。四月には予定通り、高等科への進学も決まっている。
夫とウィリアムは、すでに王立学院へ向かうため馬車の中でアメリアを待っていた。男性は礼服を着るだけなので準備も早い。
男どもはさっさと準備できていいわね、とアメリアは内心、少し羨ましく思う。
卒業式の準備で先に向かったレオナルドを除いた三人を乗せた馬車は、卒業式会場へ向けて動き出した。
「ウィリアム、フィールズ伯爵家とは卒業式の後で合流することになっているが、食事処の店名は伝え忘れていないな?」
「はい、父上。問題ありません」
日を同じくして、リリーディアの生家、フィールズ伯爵家でも兄のアーサー・フィールズ伯爵令息が高等科を卒業する。その後は、最高学府となる王立学院のアカデミーに進学するという。
良くも悪くも引きこもりのフィールズ伯爵家が全員王都に揃うとのことで、それならば是非にと食事会をグローリア公爵家から提案したのだ。
リリーディアの両親と会うのは、王家主催の新年のパーティ以来だ。その時、初めて会話を交わしたフィールズ伯爵は……何というか、食えない人物だった。
背が高く瘦型で、緑色の目は鋭い。自ら領地の製紙業に携わっているのだろう、握手したその手には小さな傷跡やマメが出来ていた。
「この度は、娘に良い縁を頂きましてありがとうございます」
「いえ。私共もご令嬢と会えるのが楽しみですよ。良ければ明日、フィールズ伯爵とご夫人も一緒に我が家で食事などはいかがです?」
新年のパーティ会場で挨拶を交わした後、夫がそう提案したが、フィールズ伯爵は横に振った。
「恐れ多いのですが、王家から婚約した事実を隠すよう言われている以上、余り目立つことはできません。長く領地を空けるわけにも行きませんので、明日には王都を発つ予定です」
「それは……随分と早いですな」
「おそらく、明日は私の代わりに息子がそちらに共に伺うでしょう。息子は新年の間、王都に残るそうなので」
「……ああ、なるほど」
納得して頷く夫の隣でアメリアがそっと目だけで辺りを見回すと、チラチラと視線を向ける者が何名かいた。今まで交流のなかったグローリア公爵家とフィールズ伯爵家が共にいることが気になるのだろう。
奴らは、嗅ぎつけるのだけは早い。
「では、またの機会にということで。手紙を書きましょう」
「感謝いたします。そして……娘をよろしくお願いします」
言葉少なく、フィールズ伯爵は後ろに立つ夫人を連れて去って行った。
「流石、貴族であっても王家御用達の卸業者。余計なことは話さない、か」
夫が呟き、近くに控えていた給仕に飲み物を頼んだ。
「君も飲むだろう?」
「ええ。ありがとう」
受け取ったグラスに注がれていたのは、辛口の白ワインだった。
「リリーディア嬢がどんな娘さんなのか楽しみだね」
「そうね……」
アメリアはフィールズ伯爵の後ろでこちらを見ていた、飴色のドレスを着た夫人を思い出す。
あの夫人のじっとりした目。貴族女性の茶会でよく見かける目つきに似ている。どうにかして、相手より自分が優位に立てるところを探す時の目だ。口を開かなかったのは、格上の公爵家に盾突くつもりはないということなのか、それとも……。
そういえば、ウィリアムがフィールズ伯爵家を訪ねた時、夫人は不在だったという。
読めないフィールズ伯爵家にアメリアは一抹の不安を感じたが、翌日、兄と一緒にグローリア公爵家を訪ねてきたリリーディアに会ってそれは消え去った。
公式からスチルを用意されず「影薄令嬢」と呼ばれた「リリー」だが、実際はとても可愛かった。
「リリーディア・フィールズと申します。本日からよろしくお願いします」
ハニーブロンドのさらりとした長い髪に、淡い緑色の丸い目と小さな鼻。薄く色づいた唇はぷるんとした桜色で、薄くメイクはしているが、成長途中のあどけなさを残す顔。
まさに庇護欲を掻き立てるような、守ってあげたいタイプの妹系だった。
アメリアは挨拶するリリーディアを観察しながら、内心「なるほど」と思った。
元婚約者の侯爵令嬢はどちらかと言えば派手めで華やかな顔立ちの美少女だった。対してリリーディアは、控えめだが可憐な美しさを持っている。
ウィリアムはこういう子が好みだったのね…。
例えるなら、元婚約者は大輪の薔薇。リリーディアはコスモスと言った感じか。
見た目は可憐で弱そうに見えるが、強風や大雨で倒れてもその後、再び頭をもたげて力強く花を咲かせる姿と似ていると思う。
グローリア公爵邸を一緒に訪れた兄のアーサーは、リリーディアとよく似た顔立ちの、どこか大人びた少年だった。
リリーディアより濃いハニーブラウンの髪に、淡い緑色の目。整った顔立ちをしているものの、何故か、群衆に紛れると見失ってしまいそうにも思える。
ドレスの採寸をするためにアメリアがリリーディアを衣装室に連れ出した後、アーサーと二人きりで話した夫は彼を利発な青年だと褒めていた。
夫は一見、人当たりがよく、物腰も柔らかだ。しかし内側で鋭く人間を見極めており、他者を褒めることは少ない。そんな夫が利発だと言うリリーディアの兄は、なかなかに見込みがあるのだろう。
そしてアメリアもまた、リリーディアを気に入っていた。
それは公爵家に滞在して二日目のこと。緊張でぷるぷるとウサギのように震えながらも、リリーディアはアメリアに「ウィリアムの妻として必要なもの、学ぶべきことは何か」を尋ねて来たのだ。
これまでウィリアムの新たな婚約者になろうとした令嬢は何人もいた。ウィリアムと結婚すれば、公爵夫人になり、王家に次ぐ地位と資産が手に入る。
そう、結婚してしまえば。
だからと言って、何もかも、好きに振る舞えるわけじゃない。地位にはそれに見合った責任が伴う。
けれど、それはウィリアムが爵位を継承した後の話。一外交官の妻でいる間は、求められることは普通の貴族夫人としてのスキルだ。
それをリリーディアは知らないのかもしれない。けれど、遠くない将来のために「何が必要なのかを知ろうとする」心をアメリアは気に入った。
そしてアメリアの助言通りに、語学を深めると言う、できることから始めようとする素直な姿勢にも。
アメリアは俄然やる気を出した。こんな可愛い子、逃したら息子は一生独身だ。
さっさと社交界へグローリア公爵家とフィールズ伯爵家の婚約を広め、邪魔立てできないようにしなければ。
そのためには第二王子のやらかし、つまりゲームのエンディングを見届ける必要がある。
王立学院高等科の卒業式の会場に着いたアメリアは、慎重に辺りを見回した。今年は、第二王子が卒業することもあり、関係者や護衛と思われる騎士や兵士も多い。
警備の都合もあってか、会場の家族席は爵位ごとに決められていた。ウィリアムがじっと見つめている一角に視線を向けると、薄い緑色のドレスを着たリリーディアの姿が見えた。
重いなあ…うちの息子。
アメリアは扇を取り出して、バレないようにため息をついた。
すでにエドウィン・ローレンスと婚約を解消しているリリーディアに何か起こるとは考えにくいけれど、その時はウィリアムが守るだろう。
ウィリアムとリリーディアの婚約を発表する準備は、陰で着々と進んでいた。
思ったよりフィールズ伯爵家も協力的で、流石は国一番の製紙産業を取り扱っている家だ。王家で使われる高級紙と同じか、それ以上の品質の紙を生産し、さらにグローリア公爵家とフィールズ伯爵家の家紋を透かし模様として入れるという神業までやってのけた。
あとは、二人の婚約パーティの日取りを記入して貴族たちへ送り付けるだけだった。
ただ、この日取りが卒業式が終わらないと決まらないのも確かだった。
ヒロインが積み上げたゲームの好感度によっては、第二王子は婚約者の公爵令嬢へ婚約破棄を告げてしまう。その直後に婚約披露パーティの招待状を送るのは、王家に対しての嫌味とも取られかねない。
卒業式の後のフィールズ伯爵家との会食は、この日付を決める相談会も兼ねているのだが…。
「バスター公爵令嬢、シンシア。お前との婚約をここで破棄する!」
卒業式終盤。壇上に駆け上がった第二王子の姿に、アメリアは頭を抱えたくなった。
あーあ、やっちゃった。
どうやら、ヒロインは第二王子を選んだらしい。
攻略対象であるチャラ男担当と脳筋担当のエドウィン・ローレンスも、ちゃっかり卒業式の壇上に上がっている。
第二王子は婚約者であるシンシア・バスター公爵令嬢を責め立てているが、何というか、その内容が。
薄い、薄すぎる。
ゲーム本編ではもっと具体的なものだった。物を壊す、隠す、あとはバスター公爵家の爵位を使って他人を脅しヒロインへの嫌がらせを強要するなどあったはず。
それを腹黒担当が物証を用意して…あ、それでか。
腹黒担当、うちの息子だった。
さっきまで胸張って、中等科の卒業証書をもらっていた可愛い息子だったわ。
中身スカスカのまま断罪をしようとして、普通にバスター公爵令嬢に打破されて……あ、国王陛下ブチ切れ。
国王は拳を振り上げると、第二王子をワンパンで会場の壁まで吹き飛ばした。
そう言えば、夫が前に国王陛下は筋トレが趣味って言っていたような……つまりは脳筋か。
「バスター公爵……」
「……何でしょう、陛下」
「すぐに別室を用意する……今少し、時間をくれないか」
「良いでしょう。ですが、娘と第二王子との婚約はここで破棄していただきたい」
「それは……」
バスター公爵の言葉に、どこかのタヌキロボットのように、国王陛下の顔が青ざめた。
「ここまで言われても、第二王子を婿として迎えろと?」
「いや……わかった。今、この時点で王家とバスター公爵家との婚約は破棄となった……」
「やったわ、お父さま!」
シンシア・バスター公爵令嬢が嬉しそうに公爵に飛びつく。
「お、お前……なんで、そんなに喜んで」
吹き飛ばされた第二王子が信じられないという顔をして、シンシア・バスター公爵令嬢を見ていた。
「先ほども言いましたでしょ? わたくしがジュード殿下を愛しているという事実もございません、と。どうして他の女に現を抜かすと分かっている男性を愛すると思うのです? あなたにそんな魅力があって?」
うわぁ、完璧なざまあ……と、聞いていたアメリアはシンシア・バスター公爵令嬢が言った次の言葉に目を見開いた。
「ジュード殿下がアンリさんを愛されたように、わたくしにも思いを寄せる方はいるんですよ? それを王家の婚約で断ち切られてしまっただけ。それなのに、どうして貴方を愛することができますでしょう」
やった!! やったわ!!!
これで、ウィリアムとリリーディアの婚約を邪魔するものがなくなった!!!
喜びで体を震わせるアメリアを、隣に座る夫は怪訝な顔で見ていたが、聞こえてきた国王陛下の叫び声に、首を壇上へ戻した。
「これ以上、見苦しいことをするな! 騎士団、第二王子を連れていけ。そこにいる供の者も、その女も一緒にだ。暴れるのであれば、拘束してもかまわん」
騎士たちが第二王子とヒロイン、そして攻略対象たちを連れていく。
会場を出る直前、シンシア・バスター公爵令嬢が足を止めて振り返る。探すように視線を向けたその先には……。
アメリアの予測通り、ウィリアムがいた。
当のウィリアムは、シンシアの視線に気づいた様子はなく、それよりも額に青筋を立てて第二王子を睨んでいた。恐らくはこの後、第一王子と自らの上司に、事態収拾の人員として呼び出される。それによって、リリーディアと会える時間が短くなることを悟ったのだろう。
どんまい、第一王子。うちのウィリアムは執念深いわよ。何てったって、私の息子で、腹黒担当の兄なのだから。
アメリアは小さく笑みを浮かべた。
さて。あとは母に任せなさい、もう二人の婚約を邪魔する障害はなくなったのだから。




