公式が忘れた影薄令嬢
ウィリアムが婚約したいと切に願ったフィールズ伯爵令嬢、リリーディア。
アメリアは彼女を知っていた。
正確に言うと、ゲームの中の登場キャラクターの「リリー」として彼女を知っていた。
◇◇◇
「金色の恋と夢を」のゲームシステムは、特定の攻略対象を選ばずに進めていくマルチシナリオ方式だった。
プレイヤーが選ぶ選択肢によってストーリーが徐々に分岐していき、最終的にはキャラクターごとの好感度によってエンディングが決まる。そのエンディングも、攻略対象者ごとに複数用意されており、誰とも結ばれない友情エンドもあった。
周回プレイを繰り返し、逆ハーエンドを探した猛者も多かったようで、後に公式サイトに「複数の攻略対象と同時のエンディングはございません」と掲載されたほどだ。
そんな中、ゲームの展開として一番人気だったのは、攻略対象それぞれに関係がある女性キャラがプレイヤーの前に立ちはだかる、ライバル令嬢ルート。
公式サイトに「ライバル令嬢」と一括りに記載されていた女性キャラたちは、ゲーム内でしかその姿を見ることはできない。
けれど、流石は有名漫画家が手掛けたキャラクター。ライバル令嬢たちのイラストも美しく魅力的で、個人が制作した二次創作を投稿できるサイトでは、ライバル令嬢たちとの友情エンドや、攻略対象とライバル令嬢の恋物語が沢山投稿されていた。
しかし、その中で一人、プレイヤーたちから「公式が忘れたライバル令嬢」と言われたキャラクターがいる。
真面目・脳筋担当、エドウィン・ローレンスのイベントで登場するライバル令嬢。公式サイトで発表されているゲーム上の設定は「妹系幼馴染」。
しかし、何とこのライバル令嬢、ゲーム内でのセリフはたったの四つ。
『あなたがエドウィンさまの思い人なのですね』
『よろしくおねがいします』
『もうお帰りになるのですか?』
『あんな顔をされているエドウィンさまを初めて見ました…きっとあなたのことを心から大切に思われているのですね』
この「リリー」と呼ばれるライバル令嬢と会うためには、エドウィンの好感度を上げなければならないが、ある意味エドウィンの好感度がプレイヤーにとって最大の問題だった。
勝手にすぐ好感度が上がるのだ。
他のキャラクターの好感度を上げるために選んだ選択でも上がる。
そもそも、画面にエドウィンがいるだけで上がる。
ゲームの設定上、複数の攻略対象との同時エンディングは設定されていなかったため、卒業式の時にエドウィンと他の攻略対象の好感度が同一だった場合、強制的に「友情エンド」が選択されてしまう。
狙っていた攻略対象とのエンディングを迎えようとする直前に、エドウィンの好感度が同一になってしまい、友情エンドで涙を流したプレイヤーは数知れず。
そのあまりに簡単な攻略方法に、プレイヤーから「チョロウィン」と呼ばれたエドウィンだが、夏休みにエドウィンの故郷へ一緒に向かう選択をした場合、妹系幼馴染のライバル令嬢と出会うルートが発生する。
しかし、そのルートがまた、兎に角つまらないのだ。
エドウィンの故郷で起こるイベントは、馬に乗って一緒に領地を回る屋外デートのみ。
それならば、ライバル令嬢ルートをと意気込んでも、ライバルとなる「リリー」は四つのセリフを言って退場していくだけ。
手に入るスチルは、領地を一緒に回るエドウィンの笑顔と、去っていくリリーの後ろ姿。
顔は映らず、ハーフアップにした長い髪に、ピンク色のリボンを着けた後ろ姿だけ。
そんな影の薄いライバル令嬢「リリー」は、徐々にプレイヤー達から「公式が忘れた影薄令嬢」と呼ばれるようになっていた。
◇◇◇
「父上、母上。縁談を申込みたい女性がいるのです」
昨年の秋。
第一王子の命で、王立学院の交流パーティに参加したウィリアムは、帰宅後、開口一番にグローリア公爵とアメリアにそう言った。
アメリアと一緒に晩酌を楽しんでいた夫である公爵は、驚きのあまりウイスキーグラスを落としそうになっていた。
「アメリア。私は今、ウィリアムが女性に縁談を申込みたいと言ったように聞こえたのだが、気のせいかな?」
「いいえ、キース。わたしもそう聞こえたわ」
アメリアはワイングラスをしっかり握ってウィリアムに尋ねる。
「それはどこのご令嬢かしら?」
「フィールズ伯爵家のご令嬢です。出来れば、今すぐにでも申し込みたいのですが」
「待て待て待て待て」
やっと息子の言っていることを理解したのか、夫が焦ったように言った。
「フィールズ伯爵だって? 一体、どこからそんな名前が出てきたんだ」
「交流パーティで出会いました。令嬢の名前を尋ねるのを失念しておりましたが、家名は聞いておりますので、まず間違いないかと」
「いやいや、そうじゃなくてだな。何故フィールズ伯爵家なんだ? 特に付き合いもない家だろう」
「彼女が良いと思ったからです」
どうしたの、うちの息子。
アメリアはポカンとして自分の息子を見つめた。
元婚約者との婚約破棄からすでに五年。
我が息子ながら、ウィリアムは顔がいい。それに、王家の次に爵位が高い公爵家の嫡男でもある。
年頃の娘がいる貴族がそんな優良物件を見逃すわけがなく、何度も縁談の話を持ち掛けられていた。
しかし、ウィリアムはその縁談を全て突っぱね、断っていたのだ。
そんな息子に貴族界で付いたあだ名は「氷の王子」。ウィリアムの表情筋が他者に比べて半分死んでいるのも、そのあだ名に拍車をかけたのだろう。
どんな美女にも見向きもしない「氷の王子」、ウィリアム・グローリア公爵令息…。
貴族女性だけのお茶会でその話を聞いた時、アメリアは頭が痛くなった。
うわぁ……ダサい。ダサすぎる……どこの少女漫画だよ。あ、これ乙女ゲームだった、少女漫画と変わらんわ……。
ゲームをしている時は、気障なあだ名が付いたキャラクターに何も思わなかったが、いざ家族にそう言ったあだ名がつけられると痛いし、何よりダサい。
母親からすれば、そんなダサいあだ名を付けられてしまうほど女性を避けていた息子が、初めて会った女性にここまで入れ込むなんて。
「待て待て、相手の都合もあるだろう」
「ですが、早くしないと彼女が他の男に奪われてしまう」
「アメリア、ウィリアムがおかしくなった!!」
アメリアはグラスに入っていたワインを一気に飲み干した。
「わかったわ」
「アメリア!?」
「ウィリアムが、そんなに気に入ったのなら、公爵家から縁談を申込むことにしましょう。けれどまず、その女性のことを調べるわ。うちは曲がりなりにも公爵家。それに相応しい相手でなくてはならないの。わかるわね?」
「……はい」
ウィリアムは真剣な目をして頷いた。
「どうか、お願いします。私は彼女が良いのです……彼女以外には、考えられないのです」
ウィリアムの切なる願いによって、フィールズ伯爵令嬢への早急な調査が行われた。
金をつぎ込み調査員に急がせた結果、三日後にはフィールズ伯爵家とリリーディア嬢への調査結果が書面で届いた。
リリーディア・フィールズ伯爵令嬢。
フィールズ伯爵家の長女。クイーン・ジュリアナ女学院に通う高等科一年生。
父親は王宮でも使われている高級紙を含め、幅広く製紙業をメインに手掛けているフィールズ伯爵。母親は元侯爵令嬢。そして王立学院高等科に通う、二歳年上の兄がいる。
それ以外にも細かく調査結果が記載されていたが、アメリアが最も目を引かれたのは、
『エドウィン・ローレンス伯爵令息と婚約していたが、今年の七月に婚約を解消』
「エドウィン・ローレンスの元婚約者…?」
その瞬間、思い出したのは、満面の笑みを浮かべるエドウィンのスチル。そして、その隅に小さく描かれていた、背を向けて去っていく令嬢の後ろ姿。
公式が忘れた影薄令嬢、「リリー」がたった四つの台詞だけで退場した理由は。
夏休みにヒロインがエドウィンと領地に向かった時、すでに婚約を解消していたから…?
攻略対象のエドウィンと六年婚約していた少女。エドウィンより年下の、幼馴染。
きっと、「リリー」は愛称だったのだろう。じゃあ、彼女の本当の名前は、
——リリーディア。
「この子だったのね……」




