金色の恋と夢を
「やっと、全部片付いたわ」
自室で一人、彼女はつぶやいた。
この国で建国当初からの貴族である、グローリア公爵家の屋敷。
その屋敷を采配している公爵夫人、アメリアは自室で一人、ワイングラスを見つめながら勝利の祝杯を挙げていた。
ワイングラスに注がれている濃紫色の液体は、国で最も高級と言われるワインだ。アメリアはうっとりと濃紫色を見つめた後、それを一息で飲み干した。
「二十三年……長かった」
だけど、やっと終わらせることができた。
この乙女ゲームの世界から脱却できた。
きっと、ようやく。
◇◇◇
アメリアには、前世の記憶があった。
思い出したのは、一番目の息子を生んだ夜。
夕方に生まれた可愛い我が子に初乳をやっている最中に、突然前世の記憶が蘇ったのだ。
その衝撃の中でも、腕の中にいた息子を落とさなかったことは、今でも自分を褒めたいことの一つだ。
アメリアは前世、日本という国で生まれた。
大学を卒業し、小さな会社の事務員となった彼女の趣味は動画サイトで配信動画を見ることだった。
ある日、お気に入りの動画配信者が「最近乙女ゲーム始めてみました」と動画に乗せたのが、「金色の恋と夢を」というスマホでプレイできる乙女ゲームだった。
キャラクターデザインを有名漫画家が手掛けたそのゲームに、前世の彼女はみるみるハマった。仕事で疲れ切った心にキャラクターたちが見せる純愛が突き刺さったのだ。
周回プレイを繰り返し、攻略対象と言われる男性キャラ全てのスチルを集め切った後、彼女は死んだ。寝不足のまま道を歩いていて転んだのだ。打ちどころが悪かったのだろう、そのまま彼女は死んだ。
他者を巻き込まなかったことだけは、マシだったと思っている。
そんな彼女は、息子に初乳を与えている時に前世を思い出した。正確には、前世で自分がプレイした乙女ゲームの世界に転生しているということを自覚した。
「あああ……どうしましょう」
「奥さま!?どうされましたか!!」
アメリアが真っ青な顔で息子を抱いていると、年嵩のメイドが飛んできた。
「おくさま……そう、わたし、奥様なのよね……夫の名前は……キース・グローリア……グローリア!?」
そこで、前世と現世、すべての記憶と知識がつながった。
「金色の恋と夢を」は、平民であるヒロインがとある出来事から貴族が通う学院で三年間過ごすことになり、そこで出会った四人の攻略対象と恋をするストーリーだ。
攻略対象として用意されたのは、一途・俺さま担当の第二王子、真面目・脳筋担当の伯爵の息子、寂しがり・チャラ男担当・侯爵の息子、そして腹黒・ショタ担当の公爵の息子。
腹黒・ショタ担当である公爵の息子には、年の離れた優秀な兄がいる。自分よりも優秀な兄と周囲から比べられ、やさぐれていたショタ担当は、ヒロインの優しさに自分を取り戻す、といった内容なのだが、
その優秀な兄って!!!
今、私が抱っこしているこの子じゃないか!!!
つまり私は、ショタ担当の親!?
ちょっと待て。ちょっと待てよ。
ショタ担当のラストは何だった……?
優秀な兄を公爵家から追い出して、婚約者とは婚約破棄、そして平民のヒロインとの結婚ルートじゃなかったかなぁ!?
……やばい。本気でヤバイ。
ゲームだからそんなものかと思っていたけど、優秀な兄を追い出すって何!?
兄弟でデスゲームでもするの? やめてくれ!!!
それに平民が公爵夫人!?
無理、無理、無理。
どう考えても無理。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
その時、ピコン! と、突然アメリアの頭に考えが思いついた。
もうこれしかないのでは……? いや、公爵家を守るため、この腕の中にいる可愛い息子を守るためには仕方ない。
わたしは、ショタ担当を(ある意味)生まない!!!
アメリアの考えた作戦は、実にシンプルだった。
平民のヒロインと出会うのは、ヒロインが王立学院に入学した一年後。ショタ担当はヒロインより一歳年下なので、一番最後に出会う攻略対象となる。
それなら、そもそもヒロインと王立学院で出会わなければ良いのでは? と。
ヒロインと出会わせない方法は、他校に通わせる、留学させるなどいくつかあるが、一番確実なのは生まれてくる年をずらすことだ。
確か、ショタ担当は兄と五歳、年齢が離れていたはず。では、学院で出会わないようするには? ——最低二年、生まれてくる年をずらせばいい。
わたしはまだ十九歳。次は二十六で出産。キツイか? いや、イケる!!
その後、アメリアは夫であるグローリア公爵との夜の生活をうまく避けた。
正確には、ショタ担当を妊娠しそうな時期を避けたのだ。二年早く生まれるなら問題ない、二年遅く生まれるのも問題ない。しかし、ヒロインと同じ時期に学院へ入学しそうな年齢に生まれるのは大変困る。
強制力で出産するなら仕方ないが、そうでなければ避けたい。
ごめん、夫! 公爵家の未来がかかっているんだ、本当にごめん!!
八年後。アメリアの切なる願いが届いたのか、アメリアは第二子を妊娠した。久しぶりの第二子に、夫がそれはもう、狂喜乱舞した。
そして十月十日より少し早く、アメリアは第二子となる次男を生んだ。
名づけは夫に任せたが、最終的にレオナルドとつけたと聞き、やはり強制力はあるのだなと思った。
子育てにおいて、アメリアはできるだけ、兄と弟を一緒に育てた。
将来、弟が兄へのデスゲームを計画しないように、まずは兄弟仲良く、を狙ってだ。
想像していたより兄のウィリアムは面倒見がよく、レオナルドもそんな兄によくなついた。
さて、ここである事件が起きる。
夫が突然、ウィリアムの婚約者を決めてきたのだ。相手は夫の友人だった侯爵家の令嬢。
この時、長男はまだ十二歳。
顔合わせもなければ、事前の相談もなかったことに、アメリアは怒り狂った。
乙女ゲームでは終盤、レオナルドはヒロインのために婚約破棄をする。ゲームであれば、胸躍るイベントだが、実際に起こった場合は、醜聞以外の何物でもない。
次男が王立学院でヒロインと出会わないように画策しているものの、何が起きるかわからない状況で婚約者を決めるのは危険すぎる。
そのため、アメリアはヒロインが現れ、そして学院を卒業すると思われる頃まで、息子たちの婚約者を決めるつもりはなかった……それなのに。
アメリアの怒り具合を見た夫は必死に謝ってきたが、婚約してしまったものはもう仕方がない。理由もなく、一方的に破棄すれば、グローリア公爵家の方が非常識だ。
アメリアはレオナルドの婚約は勝手に決めないよう夫を諭し、ウィリアムの婚約を見守ることにした。
元々、ウィリアム自身がヒロインと関わることはゲーム上なかったはずなので、この婚約が大きな影響を与える可能性は低いはずだと考えて。
しかし、再び事件は起きた。
ウィリアムの婚約者が、子爵家の三男と駆け落ちしたのだ。お互いに王立学院を卒業し、あとは結婚式を待つだけだったというのに。
アメリアは再び怒り狂ったが、それよりもウィリアムの心身的な憔悴の方が深刻だった。
話すのがあまり得意ではなく、両親から見ても表情筋が半分動いていない長男は、それでも婚約者を大切にしていたから。
仕事だけは何とかこなしていたが、食欲もなければ、睡眠もしっかり取れていないであろうウィリアムは少しずつ痩せていった。
アメリアは見守るだけしかできないことに無力さを感じつつ、元婚約者の侯爵令嬢の動向を窺っていた。
あんな甘やかされた令嬢が、子爵家の三男と? 爵位を継ぐ長男ならまだしも、三男と? 鼻で笑いたくなった。
侯爵家に生まれ、公爵令息の婚約者となり、ある意味、蝶よ花よと育てられた娘だ。子爵家の、それも三男の妻としての生活に馴染めるとは思わなかった。
アメリアはウィリアムの元婚約者だった令嬢を、好きでも嫌いでもなかった。自分に甘く、わがままな娘だとは思っていたけど、公爵家としては許容できる範囲だったし、何よりウィリアムが大切にしている令嬢だったのが大きかった。
しかし何分、家の格差というものはある。
生きるには、良いものを選ぶには、金とある程度の権力が必要なのだ。
アメリアの予測通り、元婚約者の令嬢は婚約破棄してから数ヶ月後、ウィリアムに会いにグローリア公爵家へやってきた。
「お義母さま! 庶民の生活って大変ですのね。面白い体験でしたわ。ところで、ウィリアムはどこ? もうすぐ王妃さま主催のお茶会が開かれるでしょう? 新しいドレスを用意してもらおうと思って」
一人、グローリア公爵家を訪れた元侯爵令嬢。
ウィリアムは王宮で仕事中だ。仕方なく客間へ案内し、アメリアが対応することにした。
例え、ウィリアムがいたとしても——会わせるつもりはない。
アメリアは扇越しに、出された紅茶を飲む元婚約者をじっと観察した。婚約していた時に比べ、パサついた髪、うっすらと荒れた肌。
元婚約者は庶民の生活と言ったが、子爵家は裕福な商人レベルの家だ。金を湯水のように使うことはできなくとも、それなりの生活はできるはず。
しかし、甘ったれた小娘にはそれでは足りなかったのだろう。
「ウィリアムは王宮で仕事よ。それより、あなた。子爵家の三男と婚姻したんじゃなかったのかしら?王妃殿下のお茶会には、伯爵家以上しか参加できないわよ」
「あら、婚姻はお父さまに頼んで白紙にしてもらいますわ。私にはやっぱりウィリアムが相応しいもの」
元侯爵令嬢の言葉にピクリとアメリアの眉が動く。
「何か勘違いしているようだけど」
パチリと扇を閉じる。
「あなたはもうウィリアムの婚約者じゃないの。だから我が家で、あなたのドレスを用意することはないわ」
「何で!? ウィリアムは私のことが好きなのよ、戻ってあげるって言ってるの!!」
「…自分で言ったことを覚えていないの? あなたが言ったのよ、『あんな立ってるだけの人形みたいにつまらない男じゃなくて、私を愛してくれる彼と結婚するの。これが真実の愛だわ』って」
記憶力が良いアメリアは、相手方の両親に無理やり連れてこられた元婚約者がウィリアムに言い放った言葉を一言一句覚えていた。
「あなたの言う真実の愛って、そんなに薄いものなのね」
アメリアが嘲るように言い返すと、元婚約者は真っ赤な顔になって「良いからウィリアムをさっさと呼んでよ!」と叫びだした。
アメリアはスッと表情を消すと、閉じた扇で元侯爵令嬢の背後の扉を差した。
「お迎えよ」
すでに開いていた扉から、使用人が子爵家の三男を連れて現れた。
「何で…!」
元侯爵令嬢は顔を青ざめさせた。
「公爵夫人、ご連絡をありがとうございます」
「ちゃんと見張っておくことね。次はないわ」
「…承知しております」
三男は深々とアメリアに頭を下げると、元侯爵令嬢の腕を掴んだ。
「帰るぞ」
「ちょっとやめて、痛い! 離してよ!!」
大声を上げながら客間を出ていく元侯爵令嬢を思い出して、アメリアはワイングラスを持ったまま、深いため息をついた。
元侯爵令嬢が屋敷に来たことはウィリアムには伝えていない。
使用人に箝口令を敷いたわけではないから、誰かから聞いたかもしれないが、息子が口に出すことはなかった。
空になったグラスに手酌で新たなワインを注ぎながら、アメリアの口元に満足気な笑みが浮かぶ。
あれからずっと仕事に打ち込んで、浮いた話一つなかったウィリアムが、自分から妻にしたい人を見つけてきた。
それは、とても意外な人物だったけれど。
「まさか、ウィリアムが好きになったのが、影薄令嬢なんてねぇ…」




