救護院 その二
「まったくもう、コハクったら。きっとまた夜更かしをしたんだわ……! こんな暑い日に寝不足なんて、体調が悪くなるに決まってるじゃない。今日からコハクが寝るまで見張ってようかしら」
ひとり応接間で長椅子に座りながら待っているニッカは憤慨していた。
コハク本人が聞いていれば「幼児じゃないんだぞ」と反論するだろうが、自制ができずに体調を崩す大人など、子供扱いをされても仕方ないだろう。
コクヨウと一緒に見張って、しっかり寝かしつけてやらなくちゃ、と決意したニッカである。
ちなみに、コクヨウほどではないにせよ、職業柄毒耐性が一般人よりも高めであるナハトは院外にて待機中だ。
新たな決意を固めたニッカのいつ応接間へ、コハクの処置を終えた院長のカリーナが戻ってきた。
「たいへんお待たせいたしました、ニッカさん」
「いえ。コハクの様子はどうでしたか?」
「ニッカさんの応急処置も的確でしたから、休めば良くなるでしょう。その後も経過観察は必要になると思いますが」
「ありがとうございました」
とりあえず無事で良かった、とニッカは出された茶を飲んだ。すっきりと甘い、冷えた茶だった。絶対に寝かしつけてやる。絶対にだ。
「コハクさんから説明されるはずだったと思うのですが、回復するまでまだしばらくは時間がかかると思いますので、いつもコハクさんとやりとりしている薬剤師から説明してもらいますね」
「お願いします」
コハクの分も籠を背負いつつ、カリーナのあとについて院の廊下を歩いていく。
石造りの建造物が多い王都おいては珍しく木造で、歩くたびに床板の軋む音が小さくなった。
この救護院は他にも王都様式と違うところがあり、そのひとつが衛生のための土足厳禁である。
戸も開き戸ではなく、ニッカの故郷でよく使われている引き戸が多く使われている。
通りすぎざまにちらりと覗いた病室のほとんどは簡素なベッドがところ狭しと並んでいて、患者たちが和気藹々と談笑していた。中庭にいる患者たちも同じくゆったりとすごしている様子だ。
裏庭に出るとカリーナが薬草園らしき畑で作業しているうちのひとりに呼びかけた。
「トマスさーん! ちょっとよろしいですかー!」
「はーい!」
作業を中断して周囲に頭を下げてまわり、頭の麦わら帽子を取りながらこちらに近付いてきたのは、がっしりとした体躯の健康そうに日焼けをした男だった。
「こちら薬剤師のトマス・エルモシージョさんです」
「どうも、はじめましてトマスといいます」
「トマスさん、こちらコハクさんのところの従業員で、手伝いにきてくださったニッカさんです」
「はじめまして、ニッカです」
朗らかに笑って挨拶をするトマスと握手を交わす。手の皮は分厚く固い。薬品で荒れたのであろうカサつきも感じられた。
故郷の師も同じような手だったと思い出して、“働き者の手”だわ、とニッカは懐かしさまじりにほのかに笑んだ。
同じ薬師として日々薬の調合をしていても、コクヨウの手厚い、手厚すぎる、過保護とも言える手入れのおかげで、ニッカもコハクも目に見える手荒れはない。
「トマスさん、お話しておいた通り、と言いたいのですが、コハクさんが休んでいるので、今日はあなたがニッカさんに薬や薬草の受け渡し作業を教えてあげてください。
それじゃ、私は戻りますけど、なにかあった時はどんな些細なことでもすぐに報告してくださいね」
「任せてください」
「お忙しいところをありがとうございました」
いえいえ、と戻っていくカリーナはこころなしか小走りで、やはり聞いていた通り人手が足りないのだろう。
貴重な時間を使わせてしまって申し訳ない、と思うと共に、毎日は無理でもどこかへお邪魔する前日だけは絶対にコハクの生活を管理しよう、と改めて決意するニッカである。
「まずは薬局に案内しますね。ああいや、その前に書類かな」
「ありがとうございます。作業中にすみません」
「いえいえ。ちょうど休憩をしなければと思っていたところですから。ちょうどよかったです」
ほら、とトマスが示した先には薬草園にいた人々が木陰に移動しているのが見えた。そんな彼らに手を降って、トマスは歩き出す。
こちらです、と先を行くトマスのあとに続くニッカを休憩中の人たちが手を振って見送ってくれた。
***
事務所で書類を書き終えたニッカは薬局に案内された。
コハクを待っていた応接室にほど近い場所にあった薬局の前には、薬が出来上がるのを待つ患者たちのためだろう長椅子が設置されている。
鍵を開けて入った薬局の中はなんともこぢんまりとしていて、カウンターで待機する職員たちと会釈を交わす。カウンターの向こうには先程見たばかりの長椅子が見える。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
今はちょうど誰もいないが、入院をせず薬をもらって帰る患者はここで調剤が終わるまで待つのだろう。
「できあがった薬はこちらとあちらに置きます。薬草は全部あちらですね」
トマスの指し示した薬局の隅にはまた鍵のかかった扉があった。
「あちらは調剤室で、こちらよりも取り扱いの難しい薬を置いています。この国の薬剤師免許を持った者しか入ってはいけない決まりになっています」
「厳重なんですね」
「それはもちろん。人命がかかってますから」
それはそうか、と納得してニッカは背負っていた籠をおろす。
ニッカは薬師だが、それは故郷でのことで、この国の免許は持っていない。
「それじゃ、ちょっと待っていてください。すぐもどりますから」
籠を抱えて調剤室にトマスの姿が消えてしまうと職員たちが好奇心旺盛に話しかけてくる。愛想の良いおばちゃんたちはやはり故郷にもいて、よく井戸端で会話に混ぜてもらったものだった。
「今日はコハクさんじゃないのねぇ」
「ええ、もともと手伝いに来てたんですけど、店主は来る途中で体調を崩してしまって、院長先生に診察してもらって今は休んでます」
「あらあ、大丈夫だった? 今日は暑いものねぇ」
「でも先生に診てもらったなら安心だわ」
「そうよねぇ、ここは国立だし、ここにいる先生はみんな免許をちゃんと持ってるし」
「ときどきいるヤブなんかじゃ比べようもないくらい腕も性格も良いものねぇ」
薬待ちの患者がいなくて気が緩んでいるのだろう。職員たちは賑やかにおしゃべりを始めた。
『いいですか、ニッカさん。楽しそうにおしゃべりが始まったら聞き役に徹するです。そうすればおもしろい話が聞けることがありますからね』
メモを片手にそう語った小説家に習ってニッカも聞きの体制に入る。どうせ調剤室に入れなくて暇であることだし。
「テッサリンドみたいに医術が進んでいる国でもヤブ医者がいるんですね」
「いるわよぉ、いやよねぇ。腕が悪いだけなら行かなきゃいいじゃない?」
「腕が良くてもぼったくる医者とかいるのよねえ。そのうち役所から怒られたりして安くなるけど」
「物言いが横柄な医者とかねぇ、あれもいやよねぇ。あとやる気のない医者とかさぁ」
「でもさあ、やっぱり手に負えないのは免許のあるフリする偽医者よねえ」
「そうそう。もっともらしいこと言っちゃってさぁ、小麦粉を薬だって言って売りつけたり」
「私は砂糖だって聞いたわ」
「その辺に生えてる草を煎じてたって話も聞いたわねぇ」
「この前もねえ、その偽ヤブに引っかかったって人が重症になっちゃって、担ぎ込まれてきたのよお」
「院長先生がたいへんそうだったわねぇ。そういえば祈祷すれば良くなるってのもいるらしいわよぉ」
「病にかかって気弱になってる人につけこむなんて、ホント、悪辣よねえ」
「それは許せないですね」
「ねぇ〜!」
ニッカは激怒した。必ず彼の非道な偽ヤブをとっ捕まえてやろうと決意した。
ニッカにはこの国の医療事情はつぶさには分からぬ。だが、医療詐欺には人一倍敏感であった。医療詐欺、許すまじ。医療詐欺、滅ぶべし。下手をすれば死人が出るではないか。
「話し声がこちらにまで聞こえてたよ。おしゃべりするのはいいけど、ほどほどにね。
「すみませんでした……」
「はぁ〜い」
「でもねぇ、センセ。腹立たしいじゃないですかあ」
「そうそう、貧乏人相手に騙りなんてねぇ」
「なけなしの金をふんだくるなんてねえ」
「この前の患者さんのことなら、騎士団にも届けを出したし、すぐに捕まるよ」
ぶうぶう不満と文句を垂らす職員たちをトマスが困り眉でなだめる。
「お待たせしました、ニッカさん」
「いえ、それほどでも」
職員たちに挨拶をしてすぐ近くの事務室に再び戻ってきた。
「納品をしたあとは次回持ってきてもらうものを頼むんです。記入はこちらでしておいて、用紙を渡すときに間違いがないか口頭で確認してるんです。……ときどき、ものすごーく忙しいときなんかはそのまま受け渡しちゃったりしてるんですけど」
「あぁ〜……、コハクならやりそう……」
「ははは……」
用紙を読み上げていくトマスに時々質問をしながら確認を進めていき、特に問題もなく終わった。
「これで薬と薬草の納品と注文の手順は以上です。わからないところはありましたか?」
「今のところは大丈夫です。ありがとうございました。
トマスさんはこれから畑に行かれるんですか?」
「ええ。草取りと、生育の様子見たいですしね」
「わたくしにもお手伝いさせていただけませんか? コハクの迎えが来るまででいいので」
「それは構いませんが……というか、大歓迎ですが……」
ニッカの申し出に驚いた様子だったが、トマスはすぐに破顔し、快く受け入れてくれた。
その日、ニッカはコハクが起き出してくるまで元気に畑仕事に精を出していた。
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