東アジア反日武装戦線
昭和四十九年になって、日本国内に不穏な気配が漂い始めた。
政府関係者からの情報では、東アジア反日武装戦線という謎の組織が国内で暗躍しているらしく、稲荷神様もお気をつけくださいということだ。
そうは言っても私は不死身なことから、周囲に気を配りはするものの、いつもと変わらない日々を過ごしていた。
早朝ジョギングをした後は、稲荷大社の特設スタジオに入って、番組が終わったら家に帰ってのんびり過ごす。
だが物々しい警備体制は嫌でも目に付き、我が家の庭先も強化外骨格や銃火器を持った近衛が配属されるようになり、縁側に腰を下ろしてワンコと戯れていても、どうにも落ち着かない。
厳重警備となってから数日後、稲荷大社の謁見の間に政府関係者を招集した私は、その原因となっている組織に関して、詳しい情報の提供を求めた。
「東アジア反日武装戦線とは、どのような組織なのですか?」
私は柿ピーをパリポリ齧りながら田中総理に質問すると、彼は温かなコーヒーを一口飲んでから、簡潔に教えてくれた。
「法政大学の大道寺の旗の下に集まった、凶悪なテロリストたちです」
物凄くわかりやすい。だがもう少し詳しい情報が知りたい私は、困った顔で別の政府関係者に目配せする。
「北海道に潜伏していた工作員が大道寺と接触し、彼を洗脳したのです。
元凶は処理しましたが、彼らの拠点に突入しても一歩遅く、取り逃がしてしまいました」
田中総理の足りないところを補完してくれて、とてもありがたかった。
私は三木さんにお礼を言って、たった今聞いたばかりの情報を頭の中で整理する。
まず、処理についてはR18Gなことをしてるのはほぼ確定で、私に気遣ってあえて説明しないのだと察する。
なのでこちらは気にせず思案すると、ふと疑問が生まれたのでさらに質問する。
「東アジア反日武装戦線の目的は何なのでしょうか?」
「日本政府の打倒です。我々が稲荷神様を利用して悪事を行っていると、そう吹き込まれたようです」
なるほどと頷く。日本はこんがり狐色に染まっている分、私に対する沸点は異常に低かった。
もし何らかの目的があって焚きつけようとするなら、稲荷神を利用するのは妥当な判断と言える。
「日本政府が私を利用していると言うのも、あながち間違いでもありませんね」
「「「稲荷神様!?」」」
「いつまで経っても、退位させてくれませんからね」
現状で無理なのは良くわかっているが、やっぱり辞められるなら今すぐ退位したい。
何百年も気楽な隠居生活を願っているが、それが叶ったことはない。
だがしかし、たとえ日本政府が私の退位を拒んでも、東アジア反日武装戦線を応援する気にはなれない。
何故なら稲荷神を解放したあとは民主主義を廃して、絶対君主制を復活させるからだ。
なのでこの先は、テロリストの思惑通りに表舞台に立ち、日本の最高統治者としてこれまで以上に体を張らなければいけないのは目に見えていた。
「まあ利用されているのは冗談です。しかし、いい加減退位したいのは本当です」
「そっ、そうですか。安心しました」
田中総理や他の政府関係者も、私の冗談発言にホッと息を吐く。
だが退位したいという言葉をあっさりスルーするのは、少しだけ不満であった。
今現在がそんな状況ではないのはわかる。
しかしほんのちょびっとぐらいは、真面目に検討してくれても良いと思うのだった。
まあそれはともかくとして、私はコホンと咳払いをして気を取り直す。
そして、田中総理に新たな質問をする。
「日本政府の対応は?」
「全国一斉捜査により、東アジア反日武装戦線を逮捕します」
確かにそれは理想だろうが、まだ捕まっていないのでこの先どうなるかは未知数だ。
ならばプランBも用意しておいて然るべきだが、大本営発表は使うわけにはいけない。
なぜなら、明らかにタイミングが良すぎる! 日本政府に利用されているのは間違いない! と、彼らに悪い方に受け取られかねないからだ。
説得が成功して素直に投降してくれる可能性もあるが、やはり状況が悪化して強硬手段に出られるのは怖い。
「逮捕はできそうですか?」
「現在は足取りを追っている状況です」
田中総理の発言から、これは逮捕は無理なやつだなと察することができた。
となると、事件が起きてから現行犯逮捕することになり、ある程度の被害が出るのは避けられない。
私はムムムと唸りながら、一生懸命考える。
時間にして数分ほどだったが、久しぶりに知恵熱が出そうになった。
それでも一つだけ突拍子もない作戦を思いついたので、はっきりと口に出す。
「映画を撮りましょう」
「「「えっ?」」」
私の突然の爆弾発言により、稲荷大社の謁見の間は驚きに包まれた。
なおこの場に居る皆が硬直から脱するまで、たっぷり数分もの時間を必要としたのだった。
東アジア反日武装戦線の対策会議から時は流れて、昭和四十九年の八月三十日になった。
場所は東京の丸の内二丁目に建てられたビルの屋上で、時刻は午前九時。
夏の太陽がジリジリと照りつけているが、狐っ娘の体は心頭滅却すれば火もまた涼しを地で行くため、無視しようと思えば暑さは感じずに、年中快適に過ごせる。
それでも人間だった頃の習慣から外れると、気分的に落ち着かなくなるため、冬はコタツに入るのは必須である。
とまあこういった事情は一旦置いておき、私はあらかじめ決めていた台詞を口に出した。
「白稲荷は完全に消滅する」
本日はいつもの紅白巫女ではなく、闇落ちしたかのような黒がメインの魔法少女風なヒラヒラドレスを身にまとっていた。
さらに綺麗なリボンで髪を留めた私は、自分の周りを囲む武装集団やテレビカメラに向かって、はっきりと言い放つ。
「それは本当なのですか?」
「無論だ。日が沈めば白稲荷は二度と目覚めなくなる」
田中総理が震えながら尋ねる。
一方私は台詞で噛みそうになっても、なるべく精神的な緊張を表に出さないように丁寧に返答する。
ちなみに今さら説明する必要はないが、このやり取りは真っ赤な嘘である。
全国に生放送をすることで、東アジア反日武装戦線を一本釣りしようという作戦だ。
その際の白と黒と言うのは稲荷神の表と裏で、日が沈めばこれまでの私は完全に消滅する。
防ぐには黒が代わりに消えることを選ぶか、闇落ち狐をボコボコにすることで、眠っている白の意識を目覚めさせるという、割と良くある設定だ。
けどまあ、今回の映画もどきを実際に撮影するまで、かなりの時間がかかってしまった。
しかしそれは必要だった手順で、もし何の下準備もせずに生放送をしたら世界中の軍隊が一斉発起し、それこそ黒稲荷を倒すための聖戦が始まるのは間違いはなかった。
なので東アジア反日武装戦線と繋がりのない重要人物には、この映像はフィクションであり、実際の人物や団体とは関係ありませんよといった裏事情をあらかじめ伝えておき、ステイステイとなだめなければいけなかったのだ。
それでも敵を騙すにはまず味方からは鉄則なので、一般市民には何も知らされていない。
彼らが大騒ぎすることで東アジア反日武装戦線を焚きつけて、いざ救出ミッションを実行したところを一斉検挙というのが、今回の映画撮影の目的なのだ。
「しかし、日本政府は国民に信用されていないようですね」
「ええ、まあ……そうとも言えますでしょうか」
田中総理は冷や汗をかきながら視線を横に向けると、そこにはスクラップになった無数の兵器。
さらに自衛隊員や警備員や格闘家や、果ては一般人や女子供までもが、全身青あざだらけでぐったりと伸びていた。
だがその割には、わが人生に一片の悔いなしの顔をしており、あらかじめ待機させておいた医者や看護師が、せっせと治療を行っていた。
戦車や航空機、またはミサイルを撃ち込んでこないだけでもマシだろうが、まだ撮影開始から一時間も経っていない。
関係各所に念入りに根回ししておいてコレである。
今回の件は日本政府が必ず解決に導くので、早まった行動は決して取らないようにと、テレビやラジオ、またはネットを通じて、国民に向けて何度も自制を呼びかけている。
だが現実には、開始一時間もせずに日本政府の指示を無視して、無謀にも突撃してくる者が多数出てしまった。
何かもう色々と呆れてものが言えないが、東アジア反日武装戦線が釣れればこっちの勝ちである。
(念の為にサクラを用意しておいたけど、使う必要はなかったね)
今回の作戦を振り返ると、やられ役として立候補した自衛隊員を使わなくて良かった。だが代わりに、その何倍もの人数を開始一時間で大怪我をさせないよう手加減しつつ、フルボッコにするハメになったので内心複雑だった。
ちなみに丸の内二丁目のビルだが、周辺には事情を知る者その道のプロしか居ない。
まさに、私を餌にした特注の牢獄とも言える。
「黒稲荷! 覚悟!」
「また来ましたね。うふふっ、返り討ちにしてあげます」
厳重な警備をかいくぐって乱入してきた、何処の誰か知らない屈強なおじさんが継ぎ接ぎの強化外骨格に身を包み、屋上のフェンスを乗り越えて真っ直ぐ飛びかかってくる。
私は悪堕ちした稲荷神っぽい演技をしながら、なるべく怪我をさせないように手加減して速攻でボコる。
一人辺りの戦闘時間は一分にも満たないが、最悪日暮れまでこれを続けるとなると、自分の立てた作戦だとしても気が重くなってくる。
なので、少しでも早く犯人グループが乗り込んでくるラストシーンに入って、エンディング曲を流して撮影終了から解散の流れになるのを、私は心待ちにするのだった。
なお後日談だが、東アジア反日武装戦線と見られる怪しい集団が、丸の内二丁目ビルに爆弾を設置していた所を、一般人に変装して巡回していた警察官に現行犯逮捕されることとなった。
それだけではなく、すぐさま各機関に連絡を入れて周辺区域を封鎖して、電波の逆探知やテロリストに尋問を行い、他のメンバーも一網打尽にすることに成功する。
だがまあ逮捕が上手く行ったから良かったものの、何処かの魔術師のようにビルごと爆破して倒そうとするのは止めてもらいたい。
別に魔術工房があるわけではないが、この日のために念入りな根回しや衣装や小道具、台詞や演技の練習等と私にしては結構頑張ったのだ。
何より、無関係な人を大勢巻き込んで、その命を軽々しく奪おうとするなど到底許されることではない。
事実を知ったのは犯人グループが逮捕された後だったので、未遂で終わったからまあ良いかという気はするが、もし実際にビルが爆破されれば一体どうなっていたことやらだ。
それでも終わりよければ全てよしと考え、映画撮影お疲れ様会を開いて、協力してくれた人たちを労うのだった。




