千日デパート火災
日本がアメリカを援助して世界経済を何とか安定させようと頑張っているうちに、年が明けて昭和四十七年になった。
その二月三日に、札幌でオリンピックが開催された。
冬季オリンピックはアジアでは初めてらしく、またもや日本の名前が歴史に刻まれた。
ちなみに参加は三十五国であり、金メダルの数はロシア連邦が一位だった。
流石としか言いようがなく開催国の日本は十一位だったので、次回の活躍に期待である。
私はと言うと開催終了後の選手たちの気落ちが酷かった。
「一つ取れただけでも私は十分に嬉しいです。痛みに耐えてよく頑張りましたね。感動しました」
そう、何処かの総理大臣の台詞を引用して励ました。
ついでに踏み台に乗って日本人選手の頭を順番にヨシヨシすると、感極まったらしく泣き崩れる者が続出した。
日本国民をシュンとした子供に見立てて励ましたつもりだったのだが、あまりのオーバーリアクションに少し恥ずかしくなった。
それでも取りあえずは元気になってくれたようで、ホッと一安心したのだった。
共産主義の赤軍が人質をとって浅間山荘に立て籠もることもなく、他国の空港で銃を乱射した事件も起きずに、平穏な時が流れて行った。
それでもリニアモーターカーの路線が、東京、名古屋、大阪を越えて岡山にまで開通した。
使う機会は滅多にないが何にせよめでたいことだ。駅長の格好をして開通式にも出席したので、よく覚えている。
そんなこんなで同年の五月十三日になると、私は何となく気が向いたので、お忍びで大阪旅行に出かけていた。
新たに開通した路線にリニアモーターカーを走らせて、日本の最高統治者視点で乗り心地を調べるのが、表向きの理由だ。
なお本当は、大阪名物の食べ歩きがしたかったのである。
極一部の関係者は私の目的を知っているが、一般国民には何も知らされていない。
だからこそのお忍び旅行で、作り物の狐耳パーカーをかぶったりサングラスをかけて、変装もバッチリだ。
そして大阪の町に繰り出すのであった。
ちなみに今日は東京の稲荷大社には戻らず、大阪のホテルに予約を取っている。
つまりは早朝ジョギングをも中止で、昼過ぎまで寝ていられる。
だからこそ開放的な気分になって、夜遊びという名の飲食店巡りを楽しんでいたのだ。
なお、見た目はお子様でも中身は四百歳を越えている私は飲酒が可能だ。
しかし保護者同伴での観光という設定なので、ソフトドリンクをチビチビ飲みつつ、イカタコホタテといった揚げ物をメインで楽しんでいた。
そんなこんなで時刻は夜の十時を過ぎた頃、人通りも多くて賑やかな繁華街を、あっちにフラフラこっちにフラフラと適当にぶらついていた。
しかし大阪市の千日デパートの前を通りかかったときに、私は違和感を覚えて足をピタリと止めた。
「焦げ臭いですね」
「先程から揚げ物を多く食されているからでは?」
すぐさまツッコミを入れる近衛の言う通り、私は揚げ物や火を使った料理をドカ食いしていた。
さらに今日はお忍びなので、いつもの匂いや汚れを弾く謎の巫女服ではなく、狐耳がついたパーカーの上下だ。
メイドインジャパンだが、焦げた匂いが移るのはある意味仕方ない。
「確かにそうなのですが。……ええと」
百聞は一見にしかずだ。私は夜の十時を過ぎて閉店の札がかかった千日デパートに、ただ真っ直ぐに悠々と歩いて行く。
そして、鍵のかかったシャッター扉を小さな手に持ち、次の瞬間には強引に上に引っ張って開ける。
とんでもない力技にあちこち折れ曲がり、上げ下げが出来なくなったが、取りあえずは人が通るだけのスペースが空いたので、とにかくヨシだ。
「よろしいのですか?」
「緊急事態です。大目に見てもらいましょう」
「了解致しました」
近衛とお世話係は、まだ焦げた臭いはわからないようだが、私のただならぬ様子に警戒を強める。
そしてすぐに自前のスマートフォンを手に取ってボタンを押して、関係機関と連絡を取り始める。
一方私はと言うと、鍵のかかったシャッターを強引に引き上げて捻じ曲げただけでなく、奥のガラス扉も右ストレートで粉砕して、ダイナミック入店していた。
ここは繁華街のど真ん中であり、夜の十時を過ぎても人通りは途切れることはない。
当然滅茶苦茶注目を集めてしまうが、今はそんな些細なことを気にしている余裕はなかった。
「火の元は上ですね」
取りあえず近衛とお世話係は臨機応変に対処してもらうとして、私はスマートフォンをパーカーのポケットから取り出して、彼らに向けて投げ渡す。
「後のことは、よろしくお願いします」
近衛とお世話係に声をかけたあと、正面の階段に顔を向け、疾風のように駆け出した。
狐っ娘の嗅覚を頼りにして、一直線に火元を目指すのだった。
エスカレーターが動いてなくても何のそので、あっという間に三階に到着すると、辺りは火の海だった。
この階が火元なのは間違いなさそうだが、一体何処から出火したのかまではわからないし重要なことではなかった。
(とにかく、防火シャッターを閉めないと!)
千日デパートは夜間で閉店してはいるが、まだ従業員やお客が残っているのか、エスカレーターの開口部や階段出入り口付近の防火シャッターは普通に開いていた。
だがここを封鎖すれば、上階への煙の到達や火災の拡大は、一時的だが止められるはずだ。
三階の火の回りが早いので消火は困難だからこそ、私は躊躇なく火の海に飛び込んだ。
そして階段とエスカレータを順番に周りながら、服や下着が燃えるのも構わずに、階段付近の防火シャッターを優れた視力で確認した後、手動で一つずつ下ろしていく。
(火の中に飛び込んでも熱くはないけど、何だかなぁ)
全裸で動くのが恥ずかしかったのは最初だけで、羞恥に悶えている時間はない。とにかく一つでも多くの防火シャッターを下ろすのが先決だと、自分に言い聞かせる。
千日デパートの三階を駆け回り、出入り口の全ての封鎖が完了したあとは、今度は急いで四階に向かう。
しかし階段を上りきった辺りで女性従業員が折り重なるように倒れているのを見つけて、慌てて駆け寄る。
(一酸化炭素中毒なのかな?)
酸欠になっても処置が早ければ助けられると聞くが、私は医者ではない。
家庭の医学程度の知識しか持ってないので、目の前に死にそうな人が居ても安全な場所に運ぶのがせいぜいだ。
(他にも倒れてる人が居そうだし。……戻ろう)
私は倒れている女性従業員をまとめて担いで、階段付近から煙を直接吸わない離れた場所まで手早く移動させる。
そして用が済んだら勢い良く階段を駆け下りて、再び三階まで戻ってきた。
火の勢いは防火シャッターで押し留められても、煙は通気ダクトやエレベータシャフトを通って上へ上へと登っていっているようだ。
有毒ガスを吸い込めば人間は簡単に死んでしまうため、もはや一刻の猶予もない。
(急いで消火しないと不味いんだけど、狐火で相殺できるかな?)
一体どうしてそんな結論に至ったのかと言うと、自分にできることはやはり脳筋ゴリ押しだからだ。
その中で唯一使える狐火なら、触っても熱くない温度にまで下げられる。
身にまとったりバーニアのように噴出したり、正体こそ謎のままだが現実に干渉することが可能なのだ。
(三階全てに広げて、炎を打ち消すイメージで!)
いつもとは違った狐火の出し方に、最初はなかなか上手くいかなかった。
それでも単純明快で三階の炎を打ち消すという一点は違えずに、凄まじい速度で広がっていき、燃え盛る赤い炎を食べて自らの力に変えていく。
フロアに広がっていく青白い炎は、時が経つごとに勢いを増していった。
(唯一使える異能だけど、やっぱり応用が効くね)
やがて、三階の炎をあらかた食べ終わったようで、その場で煙も出さずにユラユラと燃え続ける。
さらには低温の狐火により、室温もかなり下げられたことで、私はようやく肩の力を抜いて一息つく。
「……明暦の大火でも使えたらなぁ」
思わず後悔して呟いたものの、何となくだがあの頃にも炎を食べる狐火は使えても、江戸の町中に広げるのは不可能だった気がする。
だが所詮はたらればの話であり、もう過去には戻れないので、気に病むだけ無駄であった。
それから一分もしないうちに狐耳が人間の足音を拾ったので、そちらに視線を向ける。
すると、強化外骨格を装備した近衛と、最新の防火服を装着した消防隊が二階に続く階段から駆け上がってきた。
彼らは私と視線が合うと、皆一様に動きを止める。
「いっ、稲荷神様! その、お姿は!?」
「えっ? ああ! やっ、やむを得ない事情がありまして、服は燃えてしまいました。
なので、何か着るものをいただけると助かります」
最初は思いっきり戸惑ったが、すぐにあっけらかんとした口調に戻って言ってのける。
しかし、私の精神年齢は永遠の女子高生なので、実は物凄く恥ずかしい。
今すぐ大切な部分を両手で隠すか、人に見られない場所に逃げ出したいぐらいだ。
それでも神皇として情けない姿は見せられないので、人前ではたとえ全裸だろうと恥じることなく、威風堂々と立ち振る舞う。
「ええい! 見るな! 稲荷神様は我々が安全な場所までお連れする!」
「上階には逃げ遅れた人が大勢居るでしょうし、消防隊の皆さんは人命救助をよろしくお願いしますね」
内心で顔を真っ赤にしている私はペコリと頭を下げ、よろしくという言葉が終わる前に、近衛は自分を取り囲んで消防隊の視線から隠す。
見上げた忠誠心に感心したが、残念ながら服は持っていないようだ。
それでも耐火シートをそっとかけてくれたので、ホッと息を吐く。
相変わらず内心では羞恥に悶えているので、至急何処かで服を調達する必要がある。
「貧相な私の裸体など、いつまでも見ているのではなく、早く怪我人の救助と現場の処置に行ってください」
「「「はっ! 了解致しました!」」
この言葉を受けて消防隊は救助隊と急ぎ連絡を取り、慌ただしく動き出した。
そして私はあとはプロの仕事だと考えて、下の階へと向かう。
その際に外に出る前に、せめて下着でもあれば精神的に多少の余裕ができるのにと、そう思ったのだった。




