三億円事件
時は流れて昭和四十二年になり、建国記念日が定められた。
そもそも日本では建国日が明確でなかったらしく、これまでは棚上げとなっていた。
だが今回は紀元節を復活させようという動きが高まり、建国を記念するための祝日を設けることになった。
すなわち日本神話の登場人物で、古事記や日本書紀でも有名な初代朝廷が即位した日である。
その際に、旧暦から新暦に月日を修正する必要があるが、何はともあれ建国記念はこうして閣議決定されたのだった。
自宅の居間のちゃぶ台の前に座り、ポテチを小さな口に放り込んでモグモグしている私は、IHKニュースを見ながら愚痴を漏らす。
「二月十一日が建国記念日になったけど。今回は正直かなり危なかったなぁ」
最初は私がこちらに来た日、または江戸幕府を開いた日を建国記念日にしようと、日本国民全体がワッショイワッショイと大賑わいだったのだ。
だがしかし私は今でこそ日本の最高統治者をやってるが、中身は一般庶民だ。
公務にしても成り行きで仕方なくしているだけだし、別に国を興そうとしたわけではない。
場当たり的に動いていたら、いつの間にか稲荷神としての信仰がガチガチに固まって、もはや破壊不可能となってしまったのだ。
それでもいつかは神皇を退位して、普通の女の子に戻るのが夢であり、とにかく政治や権力とは無縁な地位になって平穏に暮らしたい。
だからこそ私は、たった一人であろうと大反対をした。
建国記念日が稲荷神が国を興した日になれば、退位がますます遠のくのは想像に難くないからだ。
だが日本国民もなかなか手強く、神皇の権限や命令を行使せざるを得なくなってしまった。
それでも何とか堂々とした態度を保ち、自分は朝廷の代理で日本を統治しているだけですと、例え思いつきのその場しのぎだろうと、それなりに信憑性のある説得を行ったおかげで、どうにかこうにか初代朝廷即位の二月十一日へと軌道修正できたのであった。
だがしかし稲荷神が顕現した日を、祝日として定める動きまでは阻止できなかった。
こっちの命令に従わせたのだからこれぐらいはと、私は最初寛大な心で仕方ないかと妥協案を受け入れた。
本来の歴史ではあり得ない祝日が一つだけ追加されるだけだしと、最初はそう思っていたのだ。
しかし稲荷神顕現の日になると、各家庭の玄関口には日の丸ではなく稲荷大社の旗が立てられて、さらに今まで何処に隠し持っていたのかと思うほどの大量の狐グッズが街に溢れた。
日課の早朝マラソンを行う私は、何処もかしこも狐一色に染まって驚き、心の中に複雑な感情を浮かべたまま、それでも何とか一周を走り切る。
その後、私は特設スタジオに入ることもなく、公務をすっぽかして無言で我が家に直行した。
さらにスマートフォンを手に取り、来年から稲荷神顕現の日は公務を全てお休みにしますと、政府関係者に電話連絡した。
いつの間にやらチベットスナギツネの表情から変わらなくなったり、もう精神状態が色々不味いことになっているので、まだ早朝にも関わらず、ご飯を食べたら即布団に潜り込んでふて寝をする。
そして、早く祝日が終わりますようにと願いながら、夢の世界に旅立つのだった。
世界では公害病が猛威を振るっているようだが、日本は江戸幕府の頃から実に四百年以上も環境保護に力を入れてきた。なので特にこれといった病気にはかかっていない。
とは言え。お隣から黄砂が飛んできたり漂流物が海流に乗って流れ着くので、全くの無関係とは言えない。
だがしかし、公害病が発生していないだけでも、かつての自分が育った未来と比べれば断然マシであった。
それに他国にも日本の技術を売り込んだり支援を行うことで、環境保護の大切さを広めているのだ。
流石に某ロボットアニメのように、地球に人が住めなくなったからと、宇宙に引っ越して百年の休息を与えるのは絶対に嫌なので、何とか早めに汚染を除去したいものだ。
時は流れて昭和四十三年の年末になり、世間を騒がす大事件が起こった。
それがどのようなものかを説明すると、現金輸送車に積まれた三億円が奪われた事件である。
なお事の起こりや事件の概要まで話すと、偽の白バイ隊員の泥棒が主役の長編ドラマが始まってしまうので省略する。
重要なのは犯人が入念に準備を行い、暴力に訴えず計略だけで強奪に成功するだけでなく、東京都全域に緊急配備が敷かれる中で、まんまと包囲網をすり抜けて逃げおおせたことだ。
おかげで話題性は抜群で、正体不明ながらも一躍時の人になったのだった。
一方私は、テレビのニュースで三億円事件が発生した当日、何処か他人事のように眺めていた。
だがしかし、残念ながら夜が明けて朝になると不測の事態が起こり、急ぎ大本営発表を行うハメになってしまうのであった。
事件発生の次の日、早朝ジョギングを終えた私はいつも通り自宅に引き篭もって、炊事洗濯掃除という日課を一通り終えて、縁側に腰を下ろして一服していた。
すると近衛とお世話係がお供え物を配達してくれたようで、すぐに玄関先のボックスに向かい、開閉して中から宅配のダンボールをゴソゴソと取り出す。
彼らは帰り際に燃えるゴミや資源ゴミを回収していってくれるので、至れり尽くせりである。
とまあそれはさて置き、今日はやけに荷物が多いなと思いながら中身を拝見すると、普段通りのお供え物の中に、札束が詰め込まれたダンボールが、いくつも混じっていることに気づいたのだった。
このような経緯もあり、私は稲荷大社の特設スタジオに入ることとなった。
時刻は三億円事件の次の日の十二月十一日の昼前、椅子に座って多数のカメラを前にして、堂々と発言する。
「世間は三億円事件の話題で持ちきりでしょうが、今日は私から皆さんにお願いがあります」
正直こんなことを頼むのは気が引けるし、どうにも投げやりな気分だ。
しかし図らずも当事者になってしまった以上、稲荷神として何らかの行動を起こす必要が出てきてしまう。
「三億円事件の犯人探しを止めて欲しいのです」
テレビカメラに囲まれながら、強奪犯を庇う発言をするのは、一般人どころか日本の最高統治者として正直如何なものかと思う。
しかし私は、この方針を変えるつもりはなかった。
「実は今朝のことなのですが、被害金額二億九千四百三十万、さらに七千五百円のお供えがありました」
どのような手段で紛れ込ませたのかはわからないが、厳重な警護と審査を潜り抜けて自宅まで運んできたのは、見事としか言いようがない。
そして現状で三億円事件の犯人候補は近衛とお世話係、あとは私となる。
「弁明させてもらいますが私は一切関わっていません。
そして、身近な者を疑いたくないのが正直な気持ちです」
一番恐れているのは、稲荷神が三億円を奪うように裏で指示を出していた。そう日本国民に疑われることである。
だからこそ大本営発表で犯人探しを止めろと発言し、警察にも捜査を打ち切るように頼み込んでいる。
「三億円事件は全額私が補填しますので、どうか身近な人物を疑いの目で見るのは止めてください」
そう言って私は最後に深々と頭を下げて、大本営発表を終了するのだった。
カメラが止まったことを確認した後、大きなため息を吐いて、体を傾けて天井を見上げる。
補填を行うために私がお金を出すと言ったが、今の時点では無一文である。
なのでこれから日本政府か稲荷大社に頭を下げて、何とか工面しなくてはいけない。
(どのぐらい借りられるかわからないけど。足りればいいなぁ)
もし警察の捜査が本日中に打ち切られれば、必要な金額はそこまで多くはならないだろう。
日本の法律や被害届次第で変動するが、取りあえずはこれまでやってきた公務のお給料を稲荷大社に請求して、多分それでも足りないから日本政府に借金しようかなと、私はぼんやり考えるのだった。
結果的に、稲荷様が許されたのだからと、国民はすんなり犯人探しを止めてくれた。
他人に一切怪我をさせずに三億円のみを盗み、全額神皇様にお供えしたことから、憎しみを向ける対象にならなかったのも大きく、訓練されたペロリストからは誠に天晴と絶賛されるほどだ。
また、日本政府と稲荷大社もこちらが請求する前に被害者や警察に補填を支払ったらしく、稲荷神様に身銭を切らせるなど、とんでもございません! と、大慌てであった。
正直良くわからない事件だったが、何とか丸く収まったので何だか知らんがとにかくヨシ! ホッと一安心するのだった。
同じく昭和四十三年のことだが、東京大学で登録医制の導入阻止や、附属病院の研修内容の改善などを掲げて、無期限ストライキが発生した。
未来の日本では学生が大きな声を上げることは殆どないので、基本的には大人しく従うか、先生の立場が弱く学級崩壊するかの二択となる。
なので犯罪スレスレの嫌がらせか無視、またはサボりに収まっていた。
だからなのか、昭和の学生が校舎を物理的破壊したり、学校関係者に暴力を振るうなどとは思ってもみなかった。
さらに困ったことに、東大に続けとばかりに日大でも学生運動が発生してしまう。
だが別にラグビー部の監督が悪質タックルを強制したことに、嫌気が差したからではない。
原因は昭和四十二年までの五年間で、合計二十億円の使途不明金があったことが発覚したからである。
それらの学生運動は東大紛争や日大紛争と呼称されて、あっという間に日本中に広がるほどの大きなうねりへと変わり、一連の動きは全共闘運動と名付けられることになったのも、ある意味では仕方のないことなのかも知れない。
ちなみに学生運動がどのようなものかと言うと、本館封鎖やバリケードによるストライキという、バリッバリの実力行使である。
しかも段々と過激になり、教官や職員の立ち入りを阻止するや、生徒を従わせるために互いに暴力を振るい出して、双方にかなりの数の怪我人が出る事態となっている。
そして若い学生たちが血気盛ん過ぎるため、対処も後手後手に回ってホトホト困り果てた学校関係者と日本政府は、いつものように私に泣きついてきた。
何とも面倒な事態に私は渋い顔になりながら重い腰を上げて、ここ最近は使う機会が増えた稲荷大社の特設スタジオに入る。
何度も撮影しているので慣れたのか、テレビカメラを前にしても緊張感しなくなったのは、数少ない良いことである。
そんな私は学校や政府からの頼まれ事を終わらせるために、開始と同時に思ったことを正直に発言する。
「私からすれば、学校も生徒もどっちもどっちです」
相変わらずキレッキレの本音であり、いくら大人に泣きつかれても完全な味方ではない。
常に第三者的と言うか、主観で物事をすすめる狐っ娘なのである。
「まず学生は容易に実力行使に出るのは止めて、学校側は同じ目線で話をしなさい」
このまま過激化すれば、怪我だけでは済まずに死者が出るかも知れない。
頭がカッとなった人間は、越えてはいけないラインを容易に踏み越えてしまうのものだ。最悪学生運動の延長として、殆ど関係ないところで若い世代が爆発するかも知れない。
それに教師も生徒を無理やり押さえつけるのではなく、目線を下げて歩み寄り、まずは対等な立場で交渉を行うべきだ。
「学生だけで固まらずに、もっと大人を頼りなさい」
いくら全共闘運動が日本中に広がっても、学校や政府が本気になればあっさり潰されるのは目に見えている。
ならば家族や親族や若い教員など、味方になってくれそうな大人を探し、その人たちに協力を頼むべきだ。
「現在は情報化社会ですので、インターネットを通じて全国の学生と知恵を出し合うのも良いでしょう」
まだワールドワイドではないが、日本とオーストラリアは繋がっている。
なので学生の結束力は馬鹿にはできないのだ。
「教育委員会がまともに機能してくれれば良かったのですが。
はぁ……助言しか与えられない神皇で申し訳ありません」
私は最後に日本国民に向けて、深々と謝罪しながら大本営発表を締めくくるのだった。
情けない先生ですまない状態だが、本当にちょっとした助言しか出せないのは本当だ。
こんなことで状況が好転するとはとても思えないが、言わないよりはマシである。
そして今の日本の教育委員会は、これいる? 状態であり、全然動いてくれないのだ。
役に立ったという報告は殆どなく、ぶっちゃけ税金ばかり支払うお荷物と言っていい。
だがまあそれでも抑止力にはなっているだろうし、全ての責任を押しつけるのはお門違いなのはわかる。
生徒や学校にもそれぞれ良い所や悪い所はあるが、現時点で緩衝材にもなれない教育委員会は、流石に存在意義が疑われても仕方ないのであった。
後日、稲荷神(偽)が頭を冷やすようにと呼びかけることで、全共闘運動は一応の終息にはなった。
加熱していた学生運動は暴力に訴えない署名や抗議活動へと形を変えていき、相変わらず元気が有り余ってはいるものの、双方歩み寄りの姿勢を見せることになる。
そして教育委員会も何故か再編が進み、お年寄り最優先ではなく、若者にとっても暮らしやすい日本へと、僅かにでも舵を切られたのだった。
なお、最近連載が始まったゴルゴの漫画を夢中になって読んでいる私は、またもや歴史的な功績が積み上がったことには、まるで気づかない。
今はただ畳の上に寝転がりながら、ページを順番にめくって漫画を楽しみ、平穏な暮らしを満喫することに忙しかったのであった。




