日比谷公会堂
時は流れて昭和三十五年になり、皇太子夫妻にご子息が誕生した。
愛嬌のある顔立ちが私にそっくりだと夫婦揃って嬉しそうにウンウン頷くので、その場は余計なことは言わずに、そうですねとニッコリ笑って肯定しておいた。
確かに自分の見た目は永遠の幼女なので、愛嬌のある顔立ちと言えなくはない。
しかし普通は、家族にそっくりだと喜ぶはずだ。そこに狐っ娘を強引にねじ込むとは、なかなかのペロリストである。
おめでたい雰囲気を盛り下げるわけにはいかないので、ツッコミを我慢しつつお祝いの言葉をかけるのが、精一杯であった。
さらに同年、安保条約の改正による沖縄の米軍基地を巡って闘争が起こる。ということは一切なく、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツの軍事拠点がとうとう完成した。
海上に作られた難攻不落の要塞は、戦略のド素人である私には、やたらお金がかかってそう程度の理解だった。
しかも、現地住民との接触は最低限だから、騒音被害の緩和もバッチリだ。
うちは土地を貸しただけなので負担は殆どなかったことも、沖縄や日本の国民にとって好意的に受け入れられる一因になったのである。
本当に世界一危険な火薬庫という点を除けば、まさに最強の盾と矛を手に入れたことになる。
だがまあ、あくまでも外国への見せ札であって、実際に使う予定はない。
せいぜい共同軍事演習で見学に来た狐っ娘が大迫力の訓練に感動して、無邪気にピョンピョン跳んで大喜びするぐらいであった。
同じく昭和三十五年のことだが、十月十二日に東京都千代田区の日比谷公会堂にて、痛ましい事件が起こってしまう。
事件当日に何が起こったのか詳しく説明すると、近く解散総選挙が行われる情勢の中、自狐党、社会党、稲社党の三党党首立会演説会を開いていた。
会場は二千五百人の聴衆で埋まり、テレビ局や記者も大勢集まっていた。
しかし、会場内があまりにも騒がしかったため、司会を務めるIHKのアナウンサーが自制を求める発言を行った。
「会場が騒々しくなってきまして、お話を聞きたいという方の耳に届かないと思います。
最前列には新聞など報道機関の方が取材に訪れていますが、取材の余地がないほど騒々しいですので、ご静粛願います」
一方その頃の私は、居間の薄型テレビをつけっぱなしにしながら、畳の上に寝転がって漫画雑誌を読んでいた。
普段は選挙報道など右から左なのだが、次の言葉は流石に聞き逃がせなかったので狐耳がピクリと反応する。
「ここでの発言は全て、稲荷様のお耳に届いておりますので」
突然のIHK司会の発言に思いっきりビクッとなってしまい、まさか何処からか私を監視しているのではと、周囲をキョロキョロと見回す。
だが別に五感を研ぎ澄ませたところで、誰かに見られているわけではなく、すぐに気にし過ぎだと判断する。
一方、薄型テレビの向こうの日比谷公会堂では、ヤジが止まって代わりに拍手が起きていた。
結局良くあるお天道様が見てるとか、そんな感じでダシに使われただけだったのだ。
ホッと息を吐いたが、読書を中断させてすぐまたごろ寝する気分にもなれず、たまには討論を視聴するのもいいかと、座布団を枕代わりに使うのではなく、正方形に戻した後に両足を揃えて上にチョコンと座る。
普段は選挙放送には全く興味はないし、お茶請けの醤油煎餅齧りながらでも、一応は聞く姿勢に入るのだった。
すると、会場が静かになったと同時に巨漢の中年、浅沼委員長に発言権が移った。
彼はコホンと咳払いをした後に、マイクに向かって大きな声で話し始める。
「選挙の際は、国民に評判の悪い政策は全部伏せておいて、選挙で多数を占めるのはいかがなものでしょうか!
稲荷様を見習い、選挙も政策も誠実であるべきです!」
毎日適当に過ごしている自分を誠実であると言い切る現場を目撃してしまい、私は思わずおっ、おう……と呟く。
だが、浅沼委員長はそれだけでは終わらず、テレビの向こうでさらに言葉を重ねる。
「思えば私が政治家の道を志したのも、稲荷様の誠実さに心を打たれたからです!」
段々と熱量が高まる浅沼委員長だが、それは会場内も同様で賛同の声が大きくなってくる。
一方、私の顔色は羞恥のあまり朱色に染まっていくが、画面の向こうの彼らはお構いなしである。
今が我が世の春だとばかりに、これでもかと稲荷様への想いを告白する浅沼委員長だったが、数分ほど喋ったところで突然胸を押さえ、苦しそうに呻く。
やがてまともに立っていられなくなり、足をふらつかせて床に崩れ落ちてしまう。
だがそこに一人の若者が咄嗟に飛び出して、巨体が床と激突する前にギリギリ支えが間に合う。
青い顔をする浅沼委員長のただならぬ様子に会場内は大混乱であったが、若者が救急車を呼ぶようにと大声で指示を出しなどして、何とか救助が間に合い一命を取り留めたのだった。
浅沼委員長は稲荷様への想いを語る中で興奮をし過ぎたため、一時的な過呼吸に陥ってしまう。それでも後遺症もないため、政治家生命が絶たれることはなかった。
これらの事実は搬送先の病院で判明した。
そんな浅沼委員長を支えて現場を取り仕切った若者だが、山口さんと言うらしい。
彼は自室に張った狐っ娘ポスターの横に七生報国。意味は何度生まれ変わっても国から受けた恩に報いるために尽くす。さらに、稲荷神様万歳と恥ずかし気もなく重ねてしまうほど、重度のペロリストであった。
あの時も浅沼委員長の語る熱い想いに共感したため、何としても助けなければと使命感に駆られたらしい。
私としては、未来ある若者の功績を称えるのは正しいことだ。なので望み通り、山口さんに表彰状を与えに行った。
彼は凄く喜んでくれたし、稲荷神と日本のために懸命に尽くすことを再度誓ったので、愛国心に溢れた若者の力になれるならと、ニッコリと微笑みながら表彰状を手渡した。
なお、我が家に帰った私は、当然のごとくチベットスナギツネの表情に変わり、クソデカ溜息を吐いてしまった。
正しい行動をした国民に報いるのは当然だと割り切り、今日はご飯を食べてお風呂に入って寝てさっさと忘れよう。と、ノロノロとだが動き出す。
なお、これは後に浅沼稲次郎尊死事件と呼ばれて、日本全国に広まることになる。
そして原因となった狐っ娘は全力で目を背けて、綺麗サッパリ忘れるために早めに寝るのだった。




