紫雲丸事故
昭和三十年の五月十一日、時刻は午前六時四十分。
香川県の高松港から出港したばかりの紫雲丸には、乗客七百八十一人と乗員六十人が乗っていて、ろくに先が見えない濃霧の中を慎重に航海していた。
一方で私はと言うと、船室に籠もりっきりでは退屈なので、周囲を警護する近衛とお世話係を引き連れて、甲板までやって来ていた。
周囲は濃霧に包まれているが、自分なら目を凝らせば問題なく見通せる。しかし、多分人間は殆ど先が見えないだろう。
「霧が濃いですね」
船室の外に出て甲板まで来たが、普段の私なら漫画やライトノベル、または携帯ゲーム機でお世話係と協力プレイで遊んでいるところだ。
しかし今は旅行中なので、常に他人の目を気にする必要がある。船室に籠もっていたとしても、いつ来客が訪れるかわからず、神皇のイメージダウンになる行動は控えたほうが賢明だろう。
ということで存分に船旅を楽しめれば良いのだが、本日の天候はあいにくの濃霧だ。
私は問題なく見通せるが、それでも清々しい晴天というわけにはいかず、これは何か違うなとガッカリ気分が酷い。
本来なら青い空と大海原が広がっているはずだが、辺り一面の濃霧では甲板に出る意味は薄い。
これなら船室に引き篭もって、ベッドで寝転がっていたほうがマシかも知れない。
しかし、天候が悪いのは誰の責任でもない。私の迂闊な発言で、紫雲丸の船長や乗員が気に病まないとも限らない。
なので取りあえず余計なことを口に出す前に、辺りを見回して船旅を盛り上げる何かはないか狐っ娘の目を凝らして探す。
すると一隻の大型船がこちらに真っ直ぐ向かってきていることに気づき、疑問に思ってコテンと首をかしげる。
「大型船がこっちに突っ込んで来ますね」
「いっ、稲荷様! それは一体!?」
近衛やお世話係が鬼気迫る形相で私に詰め寄るので、素早く指を差して彼らに教える。
「あちらの右舷船尾付近を見てください」
話を聞いた者はそろってそちらに顔を向けて凝視する。だが、真っ白い霧しか見えないようで、十秒ほど観察した後は、困った表情でもう一度私に視線を向けてくる。
そこで私は狐っ娘の視力と人間はここまで差があるのかと自覚して、右手の先から青白い炎を出し、えいやっと空高くに飛ばすだけでなく、風圧で周囲の濃霧を散らす。
その結果、周囲は真昼のように明るく照らされて、大型貨物船が勢い良くこちらに向かってきていると、甲板に居る者全てが気づいた。
だがあいにく、右舷船尾に衝突する寸前だったので時既に遅しである。
これに関しては、そうはならんやろーと呑気に構えていた私を含めて、皆がびっくり仰天であった。
しかし、今さら事態の深刻さに気づいても手遅れで、発見時に忠告しても大型船は進路を変えるのが間に合わず、結局衝突したのは間違いない。
私は潜ってきた修羅場は数知れず、不死身の肉体も合わさって度胸だけはあるので、状況を整理して慌てず騒がず周囲に指示を出す。
「日本政府と海上自衛隊に救援要請を! 乗客乗員の避難誘導も……っと!?」
全てを伝え終わる前に、紫雲丸の船体が轟音と共に大きく揺れた。
狐っ娘のバランス感覚は驚異的なので、幸い横転することはなかった。しかし、周囲の者は四つん這いになるか、両手で手すりを掴んだりして体を支えていた。
それでも忠告が間に合い咄嗟に身構えたおかげで受け身はしっかり取れていたし、海に放り出された者も居ないのは幸いであった。
しかしホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、衝突の次は鼓膜を震わせるほどの大きな爆発音が響いて、またもや足元がグラグラと揺れる。
私は船内の重要な箇所が損傷を受けての爆発だと察して、沈没するまでもはや一刻の猶予もないことを、否応なく理解してしまう。
私は救命ボートが設置されている甲板に留まるも、衝突してきた大型船に避難することもせずに、恐怖に顔を歪めた人が駆け込んでくる流れに逆らうため、船内を見据えて大きく一歩を踏み出した。
「お待ちください! 何処に行かれるのですか!」
「損傷箇所を見てきます。貴方たちは船員に協力して、乗客の避難を頼みます」
私なら有害物質の中に飛び込んでも平気だし、水底に沈んでも死ぬことはない。
なのでこれから穴の空いた箇所に行き、可能ならば狐っ娘の力で金属を捻じ曲げるか、水密隔壁や水密扉を封鎖、もしくは自分の体を蓋代わりにしてでも浸水速度を遅らせれば、救助が来るまでの時間を稼ぐことができる。
「我々も同行致します!」
「気持ちはありがたいです。しかし、生身の人間では──」
「ご安心を! 決して足手まといにはなりません!」
そう言って、近衛とお世話係が甲板に固定されていた布をめくり上げると、その下には自衛隊に配備が始まったばかりの新装備である強化外骨格がズラリと並んでいた。
まだまだ洗練されておらず、ずんぐりむっくりな宇宙服と見間違うばかりのゴツさだが、密封形なので装着すれば溺死はしないし有害物質からも守られる。
「同行に感謝します。それでは時間がありませんので、私は先に行きます」
ここまで決意が固いのならば、私から言うべきことは何もない。
近衛には自由に行動してもらうとして、何となくだが赤ん坊がハイハイから二本の足で立った瞬間を目撃したような気持ちになる。
そして負けてられないとばかりに、より一層救助活動のやる気が湧いて、私は勢い良く駆け出した。
「あっ! まっ待ってくださ──」
「はっ、早く装着しないと! 俺たちの見せ場──」
「ちくしょうっ! 起動シーケンスが長すぎて──」
背後から怒号か悲鳴かわからない叫びが聞こえてきたが、私は気にせず人の流れに逆らって、先を急いだのだった。
狭い通路で乗客とすれ違っても、今は悠長に返事をする余裕がなかった。
器用に人混みの合間を縫って駆け抜けて、直感と水音を頼りにひたすら船尾を目指す。
「船内が停電になっていますね。配線が切れたか、機関室がやられたのでしょうか?」
艦内が暗闇に包まれているので狐火を矢印の形に固定して足元に配置しながら、ひたすら先に進む。
踏んでも消えないし熱くもないので、この青白い明かりを頼りにして避難すれば、迷わず甲板に行ける。そこから先は乗員の指示に従って、衝突した大型船舶に移動すれば命は助かるだろう。
しかし浸水が発生した場合は水密扉か隔壁で閉鎖するはずなのだが、何故か現在は停電している。
これは手動で閉める必要がありそうだと、心の中で溜息を吐いた。
そしてこういう場面を扱った映画や漫画や小説では、十中八九で封鎖は間に合わずに浸水しっぱなしで、状況は最悪になる。
何より狐耳には、水が凄い勢いで流れる音をひっきりなしに拾うので、かなり不味い状況なのは嫌でもわかってしまった。
それ以外にも、船室に取り残された子供たちの悲鳴や泣き声が聞こえてきてしまうので、途中で何度も足を止めて、私も避難誘導に回ったほうが良いのではと、自らの行動の選択に迷いが生まれる。
だが、小を助けるために大を捨てては、無駄に犠牲者を増やすだけだ。
そうは思うのだが、破損箇所に辿り着いても自分にできることは何もないかも知れない。
そんな葛藤に苛まれて足取りが重くなり、とうとう完全に立ち止まってしまった時、前方から大勢の乗員が慌てて逃げ出して来ているのに気づいた。
彼らはあちこち汚れたり水に濡れており、私を一目見てすぐに稲荷神だと合点がいき、取り乱しながら大声で話しかけてきた。
「稲荷様! この先は危険でございます! 今すぐ甲板に向かってください!」
いつの間に水かさが増しており、私は冷たい海水に膝まで浸りながら、彼らを見つめて少しだけ思案する。
「この奥に逃げ遅れた人は居ますか?」
「えっ? あっ……いえ、自分たちが最後です!」
ならばと、たった今最奥からやって来たと思われる乗員たちに、私は真面目な顔である頼み事をした。
「では、船室に取り残された児童生徒の避難を頼みます。
救命胴衣の収納庫に手が届かないでしょうし、そちらを手伝いながら、見落としがないようにしっかり確認してくださいね」
言うべきことは言い終わったので、足を止めていた私は前に進むことを決断し、水音を響かせながら再び走り出す。
すると、たった今通り過ぎた乗員が慌てて振り向き、声をかけてきた。
「稲荷様! 機関室の水密隔壁や扉を閉めれば、浸水までの時間を稼げます! どうか私に手動操作の説明をさせてください!」
私はふむと思案した後、助かりますと一言告げて彼の説明を聞いて、水密隔壁等の場所や手動操作のやり方を何となくだが理解することができた。
そして数分足らずでレクチャーを終えた頃には、もう私の腰まで水が入ってきており、いよいよ時間がなくなってきたことを実感させられるのだった。
この先には誰も居ないという言葉を信じて、私は手近な水密隔壁を手動操作で下ろしていく。
それはちょうど自分と彼の境界線のように、互いの姿が見えなくなっていく。
「稲荷神様! ご武運を!」
「大丈夫です。私は死にませんので」
隔壁が下り切る前に、説明するために残った乗員は悲痛な表情になっていた。
ついでに避難誘導に向かうために離脱した者たちの中にも、敬礼したり拝んだりと色々だったが、別に戦場に行くわけでもない。
そして私は死なないので、割りと気楽であった。
なお、最後は押し寄せる水流で通常の手動操作では隔壁での封鎖が困難になので、両手で掴んでよいしょっと力技で下ろした。
狐っ娘だから可能なゴリ押しだが、これで多少なりとも沈没までの時間が稼げればとにかくヨシであった。
それからどのぐらい奥に進んだのか、とうとう歩くのが困難になるほど海水が入り込んできたらしく、肩まで浸かった辺りで人間だった頃の癖で、何となく大きく深呼吸した。
そして水面に出ていた顔を沈めて、両手足を水かきのように動かして泳ぎだす。
(水中でも苦しくないのって、何だか変な気分)
呑気に思考しながらも手足を激しく動かして、プロの水泳選手も驚くほどの速さで船内を泳いでいく。
しかし途中でふと思い出し、両手両足から狐火を勢い良く放出することで、ジェット水流か推進かよくわからない何かを生み出して、物凄い速度で爆進していくのだった。
途中で何度か勢い余って壁にぶつかったが、普通に泳ぐよりも早くに破損した機関室へと辿り着いた私は、目を凝らして周囲をキョロキョロと見回す。
(機関室は完全にオシャカで、外の海が見えちゃってるよ。
でも、扉や隔壁は開いているけど無事みたい。……ヨシ!)
私は水中で特に意味もない腕まくりをすると、分厚い水密扉を小さな両手でむんずと掴むと、激しい水流を物ともしない狐っ娘パワーを発揮して、狐火のジェット噴射で流れに逆らうことで手動操作を行い、いとも簡単に封鎖を完了してしまう。
気をつけることと言えば扉や隔壁が破損しないように、ある程度手加減して握ることぐらいであった。
だが恐らくは、衝突や爆発で浸水が発生した箇所は一つではない。
本流を止めても支流が残っている限り、結局一時的な時間稼ぎにしかならず、紫雲丸の沈没は避けられない。
(けどまあ、とにかく時間は稼げたし、あとは日本政府と自衛隊の救援が間に合うことを期待しよう)
元来た道をジェット水流で戻りながら、取りあえず当初の目的は果たせたことにホッと一安心する。
だが休んでいる暇はなく、次は支流の水密扉を閉めに行こうと、再び流れに逆らって進むのだった。
後日、今回の件は紫雲丸事故として、テレビのニュースや新聞などで大々的に取り上げられた。
結局沈没は避けられなかったので痛ましい事故には違いないが、怪我人は出ても死傷者は奇跡的にゼロだった。
それに救援が来るまで時間を稼いだ稲荷神様と、強化外骨格を着用した近衛の大活躍が注目を集めた。
狐っ娘が本流を止めるために機関室に向かっている間に、近衛と乗員が協力して支流の水密扉や隔壁を閉じたり、外から紫雲丸の横転を防ぐように動いていた。
そのおかげ、乗員乗客の避難をスムーズに進めたり、救助艇が到着するまで沈没を引き伸ばすことができた。
なおその際に、やけに荒事に慣れてそうな筋骨隆々の乗員乗客が複数存在したことも、沈没への恐怖や混乱を抑えることに一役買っていた。
それ以外にも日本政府と海上自衛隊の迅速な救助船団の派遣も取り上げられて、悲惨な船舶事故のはずが明るいニュースに書き換わった。
昭和二十九年に起きた洞爺丸事故とはまるで正反対となり、日本中を大いに騒がせたのであった。
昨年を振り返れば、私は当初洞爺丸に乗る予定だった。だが政府が最適な旅行ルートを設定し直したため、そちらはキャンセルになったのだ。
自分とは関係ないと去年は説明を省いたが、本当は思い出したくはなかっただけだった。
もしあの時の現場に自分が居たら、死傷者の数も少しは抑えられたのだろうか。
とは言え、後悔したところで千人以上もの犠牲者が帰ってくるわけではない。
私は贈り物として大量に届いた四国土産をドカ食いすることで、後ろ向きになりかけた思考を強引に切り替える。
過ぎ去った過去は変えられないが、重要なのはこれからだ。もし事件や事故や災害に遭遇したら自分にできる範囲で動いて、洞爺丸事故で犠牲になった人以上に皆を助けようと、私は固く誓った。
なお、酔えないがやけ酒を飲んでグッスリ休めば、昨日の誓いは殆ど忘れており、困っている人を見かけたら助けようという、フワッフワな内容しか思い出せなかった。
それでも気分的にはスッキリしているので、何だか知らんがとにかくヨシ! と明るい笑顔で呟き、布団から起き上がっていつもの早朝ジョギングに向かうのだった。
それはともかく話を現代に戻すが、紫雲丸事故で割りを食った人たちも少ないが居た。
同年の昭和三十年に、王冠の名前のついた高級自動車が、外国で記録的な大ヒットを出していた件がこれにあたる。
日本中のマスコミが紫雲丸事故ばかりを取り上げるので、どれだけ凄い記録を打ち立てても、それは殆ど報道されることはなかった。
なので、愛知の自動車メーカーは身内ぐらいしか集まらないパーティー会場で、細々と祝杯を上げることになった。
しかし偉業を成し遂げても正しく評価されないのを嫌う私が、某自動車メーカーのパーティーに飛び入り参加した。
そして、これからも頑張ってくださいね。応援しています。…と、社長さんに表彰状と勲章を渡して、笑顔で激励したのだった。




