原子力基本法
昭和三十年になり。自由党と日本狐主党が合同して自由狐主党、さらに右派と左派が合併した稲荷社会党が成立した。
名前にツッコミを入れたいところだが、そもそもドイツの党名も酷いものだったので、生暖かい目でスルーした。
それはそれとして、最近の日本は好景気が続いていて、神狐景気という通称で呼ばれるようになった。
理由は私が神皇に即位した年以来、例を見ない好景気という意味で名づけられたらしい。
そして原因は、沖縄にアメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツの軍事基地を建設及び配備するため、各国がうちの企業にじゃんじゃか仕事を頼んでいるからだ。
そのおかげで国内経済はかつてないほどの速度で成長し、規模も拡大されつつある。
来年発行される経済白書には、もはや戦後ではないと記し、復興完了を宣言するらしい。
うちは第二次世界大戦で殆ど損害を受けていないが、盟主として参戦していた。
なので、一応戦後から脱却したと言えるのかなと、私はそう思ったのだった。
ちなみに懐に余裕のあるおかげか、デジタルカメラ、DVDレコーダー、薄型テレビ、これらのデジタル三種の神器を揃える家庭が増えてきた。
既に平成に到達している日本を見ていると、科学の進化は日進月歩であると、しみじみ実感するのだった。
同じく昭和三十年に、原子力基本法が成立した。
これまでは、目立たないようにこっそりと研究開発していたが、去年からネバタ核実験場まで日本の科学技術者が出張して、臨界前核実験の指導を手取り足取り行うようになった。
ついでに原子力はアメリカとの共同開発なので、これまでそっちの分野は亀の歩みだった発展速度も、かなり早まるだろう。
なので、そろそろ暗黙の了解で済ますのではなく、しっかりと表の法律を定めるべきだと考えたのだ。
とは言え、こっちの日本は広島と長崎に原爆を投下されてないので、非核三原則は制定していない。
あくまでも厳重に管理を徹底し、紛失は絶対に防ぐこと。核物質を臨界状態に至らない研究開発のみを許可する。などと、わかりきったことを改めて制定した。
核が凄いエネルギーなのは確かだし、いざという時の備えは必要だ。
しかし、地球を何度も焦土に変えられる兵器は、使うのも所持するのも御免こうむる。
正史で原爆が投下された頃には生まれていないが、未来の日本で原子力発電所が地震の直撃を受け、メルトダウンした事件はしっかり覚えている。
あの時は本当に生きた心地がしなかったので、やはり所有したくないのが正直なところだ。
とまあ色々言ったが、核燃料を保有して厳重に管理し、実験や研究を細々と行うだけなら構わない。絶対に実用化しないが日本以外の土地で共同開発ならヨシ! と、そんな緩い原子力基本法が成立したのだった。
なお後日、日本はアメリカと一緒に核兵器を作っているためか、世界の警察官としても協力しないかと熱心に勧誘されることになった。
うちは世界のお医者さんとして発展途上国を支援するのに忙しいと、毎度断っているのだがなかなかしつこい。
私としても、これ以上公務が増えるのは絶対に嫌である。
なので、平穏な暮らしを守るために断固とした態度で拒否し続けるのだと、決意を新たにするのだった。
同じく昭和三十年のことだが、紫雲丸事故が起こった。
これは宇高連絡船の紫雲丸が、昭和二十二年の六月九日から今年にかけて起こしてきた事故の総称である。
数えてみると、よくもまあ五回もトラブルを起こして無事だったものだと感心はするが、別に羨ましくはなかった。何しろ、一度は沈没したのだ。
それでも救助が間に合って死傷者は出なかったのは本当に幸運で、その後は連絡船として復帰したので、まるで不死鳥のようである。
それともかくとして、今回の事故があまりにも被害が大きかったので、トップニュースとして日本全国に知られることになった。
そして五回目の事故だが、私は何の因果か思いっきり巻き込まれることになったのだった。
そのキッカケとなったのは、四月の下旬に昼過ぎに居間でテレビを視聴していたことだ。
旅番組でたまたま客船が取り上げらて、私も船旅がしたいなー。……そうちゃぶ台に頬杖をつきながらポツリと呟いた。
なお、発言に深い意味はないし本当に何となく気が向いたのであった。
平穏な暮らしをこよなく愛する私だが、別に年中引き篭もっているわけではない。
拘束されているわけではないので、気が向いての外出もたびたび行っている。
あとは、映画や食べ歩きをしたいときに近衛やお世話係も同行するお忍びで、ぶらり旅を満喫したりもする。それでも月に一度あるかないかなので、やはり引き篭もりには違いない。
だがまあ、たまには温泉に浸かって旅行気分を味わいたいと思っても、何も不思議ではないのである。
後日、近衛とお世話係、さらに政府関係者に話を通すと、トントン拍子で順路と宿泊施設の詳細を詰めて、希望通りの船旅を五月に行うこととなった。
もし神皇の立場で船旅を楽しむのなら、日本国民が多額の予算を使って建造した稲荷神専用の超豪華客船が妥当である。
しかし、あいにく中身の小市民的な価値観は何百年生きようと全く変わらず、腰が低いままだ。
災害支援で住民の避難や物資を運ぶならまだしも、個人的なお忍び旅行にそれを使うのは、明らかに分不相応だと必死に拒否する。
だが、代案なしの否定では言い負かされるのは目に見えているので、その場しのぎで民間船を適当に選んだことが、私が紫雲丸と関わるキッカケであった。
それを聞いた政府関係者は早速情報を集めて、過去四回の事故に愕然とし、これは絶対に何かが起こると警戒を強める。
ここで稲荷神様に別の船に乗ってもらうという手もあるが、過去にそれと似たようなことを行い、取り返しがつかなくなった経験があった。
彼女が関わろうが関わるまいが、事故は必ず起きてしまうのだ。たとえ日本政府がどれだけ警戒し、あらゆる手を打っても無駄に終わってしまった。
なので、もし紫雲丸が原因だと仮定すれば、唯一状況を打開して救いの手を差し伸べられる稲荷神様を下ろせば、必ず悲惨な事故が起きて、場合によっては大勢の犠牲者が出てしまう。
国会議事堂の対策会議室に集まった日本政府の面々は、過去に稲荷神様の外出ルートに大幅な修正を加えたことを思い出して、皆が苦虫を噛み潰したような表情になるが、たらればの話をしても仕方ない。
とにかく、今度こそ事故の被害者をゼロにするべく、一切の手を加えずに彼女の望むがままに付き従うことを決める。
幸いと言っていいのか、紫雲丸は過去に何度も事故を起こしているので、もしトラブルが起きるとすればココしかないと絞り込めた。
あとは地雷原のど真ん中に稲荷神様が突撃して力技でねじ伏せて、日本政府がそれを全力でサポートする。
何も起きなければ良いが、万が一に備えて各々が細心の注意を払って警戒と監視を行うのだ。
下手に事故の情報を教えれば、稲荷神様は心を痛めて旅行を十分に楽しめないし、最悪天の岩戸のように森の奥に閉じ籠もって、二度と外に出て来なくなるだろう。
なので一切の情報を伏せたまま、稲荷神様にはお忍び旅行を満喫していただく。
日本政府や近衛とお世話係、さらには自衛隊まで巻き込んで、日本の最高統治者を守護するために決して悟られぬように、水面下で活動を開始したのだった。




