助けられた女子高生
<助けられた女子高生>
私は容姿も勉学も平凡な現役女子高生である。
あえて特徴をあげるとすれば、昔から勘だけは良かった。
それと、明るく前向きで考えるより先に行動するタイプで、たとえ失敗してもクヨクヨしないので立ち直りも早い。困っている人を見ると何となく放っておけないため、それが原因でトラブルを引き起こすことも多々あった。
だからこそ、将来の仕事を選ぶとすれば、なるべく人と関わらない職場を希望し、そのまま波風立てずに平穏に暮らしたいと考えているのであった。
しかし、そんなささやかな望みは、残念ながら叶えられなかった。
何故ならある日、車にはねられそうになっていた小狐を助けるために、咄嗟に道路に飛び出そうとしたのだ。
我ながら馬鹿なことを…と、今振り返ればそう思うのだが、結果的には何も起きなかったのでヨシである。
偶然たまたま通りかかった稲荷様が小狐を救出したので、私は周囲の通行人と同じように、ただ黙って見ていただけだったのだ。
「まあたとえ飛び出しても、AI制御された電気自動車は障害物を感知したら、すぐ停車するだろうけど」
AI制御された電気自動車なので、私が飛び出してもギリギリの所で停まるか、速度はかなり大きく落ちる。なので、多分だが軽い打撲で済んだはずだ。
あとは、車の運転手や周囲の人たちや家族に迷惑をかけて、病院で精密検査を受け、それで終わったはずだった。
だが、稲荷様は助けた小狐の世話を私に頼み、飼育費は全て無料になる証書を渡して風のように去っていった。
正直全然理解が追いつかないが、日本の最高統治者にお願いされた以上は、首を縦に振って面倒を見るしかない。
「私としては、他の人に代わって欲しいよ。
でも、小狐は賢いから世話自体は楽だし、家族の一員に迎え入れて愛着も湧いたしね」
私は過去を振り返りながら、はぁ…と溜息を吐く。
あれからすぐに動物病院に連れて行き、診断や精密検査を受けた。それはいいのだが、実はレントゲンが通らない正体不明の小狐だった。
それでも実際に飼う許可は下りたので、稲荷様の証書は効果絶大である。
とまあ、色々と慌ただしい一日だったが、長山公立高校を欠席しても特例で出席として扱われたのは助かった。
しかし、その後に登校するたび質問責めされるのは、どうにも勘弁してもらいたかった。
話を現実に戻すが、今日は日曜で時刻は昼前である。
そして風呂場で小狐のゴン(見た目は生後一年のメス)についた白い泡を、温かなシャワーで丁寧に落としていた。
彼女は私が洗い終わるまで目を閉じてじっとしていてくれるので、本当に賢い狐である。
「やっぱり、人間の言葉がわかるのかな?」
私が彼女を助けたその日に自室に連れていき、ベッドの上にチョコンと乗った小狐を前に、深く考えることなく童話から取ってゴンと名付けることを告げると、あからさまに嫌そうな顔した。
ならば、じゃあ稲荷ちゃん。…と呟くと、今度は露骨に視線をそらして挙動不審という有様である。
両親に名前の案を出してもらっても良かったが、稲荷様から面倒を見るようにと言われたのは、この私である。
なので、家族とは言え当人以外が関わるのは不味いかもと考え、結局二択から選んでもらうことに決めた。
物は試しとばかりに、名前の書かれた二枚の紙を小狐の前に置くと、しばらく右見て左見てを繰り返して、ベッドの上をウロウロ彷徨い歩いていた。
だがやがて観念したのか、前足をゴンと書かれた紙の上にポンと置いたことで、彼女の名前が正式に決定したのであった。
それからはゴンのほうからは、コンコンとしか話しかけてこない。
しかし、こっちから語りかけるとやけに聞き分けが良く、賢すぎる。なので人間の言葉を理解しているものとして扱い、外でもリードをせずに放し飼い状態にしている。
こっちには稲荷侍の印籠的な証書があるので、自由気ままな方針で小狐を飼えるのはありがたい限りだ。
だが、常に私と一緒でないと落ち着かないのか、長山公立高校までついてきて、クラスが一時騒然となったこともあった。
何しろ、あの稲荷様がわざわざ助けた小狐だ。何かあると考えるのは当然である。
まあ結果的に校長先生の許可が下りて、一緒に登校して授業を受けることになったのだから、短い間に色んなことが起きすぎて、もはや私の脳内キャパシティを越えてしまい、あるがままを受け入れるだけで精一杯であった。
「はぁ…本当に稲荷様は、何で私にゴンの世話を任せたんだろう?」
溜息を吐いた後に首を傾げても、小狐を洗い終わったので浴槽から脱衣所に移動する前に、タオルで水気をしっかり拭き取る。
任された以上は妥協する気はないし、ゴンは家族の一員なので風邪を引かせるわけにはいかない。
そして聞き分けが良いので、大人しくしてくれて本当に助かっているのだった。
まんべんなく拭き取ったあとは、よっこいしょと立ち上がって曇ガラスの扉を開ける。
そしてすぐ隣の脱衣所に入り、使い終わったタオルを斜めドラム式洗濯機の中に投げ入れる。
ゴンは何も言わなくても私の後ろをトコトコ付いて来るが、決して足元をウロチョロせずに、ある程度の距離を保ってくれる。
これだけ賢ければ、人間の世話にならなくても生きていけるだろう。
それでも毎日獲物を狩るのは大変だし、美味しい餌を食べられて天候や外敵に悩まされない住居があるというのは、きっと凄く魅力的なのだ。
「もしかして、ゴンって本物の稲荷様なのかな?」
自宅の廊下を歩いて居間を目指す途中で、ふと思いついたので足元のゴンに向かって話しかけると、彼女は明らかに狼狽えて挙動不審になっていた。
それを見て私は、まさか本当に稲荷様なのでは? …の可能性がグーンと上がった。
しかし、既に神皇様として日本を統治している。さらに、神様が地上に留まるのはまだ数日が限度だ。
「んー…小狐なら、人間よりも燃費が良くなる?
それに稲荷様は人々の信仰を一身に集めてるから、他の神様より活動時間が長いよね?」
じーっとゴンを見つめながら思いついた考察を適当に並べていくが、小狐が露骨に視線をそらしたことから、図星かいい線をいっているのだろう、
信仰心は神皇様に集まってはいるが、稲荷様の本体も多大な恩恵を受けているのは間違いないからだ。
「まあ、それが本当だとしても、私は何もする気はないよ。
波風立てずに平穏に暮らせれば、それだけで十分に幸せだからね」
私が顔を上げて歩き出したので、ゴンの表情はわからない。それでも何となくだが、ホッと息を吐いた気がしたのだった。
今日は仕事が休みなので両親は二人で東京観光しに行って、夜まで帰ってこない。
なので私とゴンは、家でのんびり過ごす予定だ。
「あっ、そう言えば週刊イナリを買ってなかったよ」
居間のソファーに腰を下ろしてダラダラとくつろぎながら、週刊誌を読もうと思ったが、いつも購入している雑誌が手元にないことを思い出した。
だが、これには止むに止まれぬ理由があったのだ。
「稲荷様の愛読書ってわかってから、購入者が激増したからなぁ。
コンビニの本棚が空っぽになってたのは驚いたよ」
ついでに言えば週刊イナリだけでなく、稲荷様の家にあった漫画雑誌は軒並み売り切れである。
発行部数を急きょ増やしても、印刷所から届くのに時間がかかるため、数日前に立ち寄った時は、漫画を諦めてアップルジュースと塩せんべいを購入し、泣く泣く帰宅することになった。
「放送されたのは数日前なのに、凄い影響力だね」
なお、私だけでなくゴンも漫画を読むようで、床に乱雑に置かれていた少女漫画を前足で器用にめくっているのを目撃した
その時は余程熱心に読んでいたのか、扉の向こうから眺める私に気づかなかったようで、元々正体不明の小狐なので、そういうこともあるかと思って、何も言わずに立ち去ったのだ。
それ以降、自宅でたまにゴンの姿が見えなくなった時は、読書中だと考えるようにしている。
再び私の近くに寄ってくる時には、部屋の漫画雑誌が名前やジャンルごとに分けられて、綺麗に積まれていたので多分間違いはないだろう。
話を戻すが、毎週楽しみにしていた週刊イナリがコンビニに置いてなかったとはいえ、諦めるという選択はない。
私だけでなくゴンも読むし、手に入らないと余計に欲しくなってくるのが人間というものだ。
それに、お昼も近くなってきたし時間的に入荷しているかも知れない。たとえ駄目でも、弁当を買って帰宅すれば無駄ではない。
私はヨシっと気合を入れて、その場の勢いで家を出る準備を行う。
「…っと、出かける前にゴンに首輪つけないと」
いくら物分りが良い子狐だとしても、野良か飼いかの見分けは外から見ただけではわからない。
なので、外出する時には必ず、リードはせずにピンク色の首輪をつけることにしている。
ちなみにそれは、ペットショップで彼女自身に選ばせたことは言うまでもないのだった。
窓の鍵やガスの元栓をゴンと一緒にしっかり確認した後は、どうせ徒歩五分だからと、長山公立高校指定のジャージの上下でお出かけする。
六月のよく晴れたポカポカ陽気を感じながら、ゴンと一緒に近くのコンビニまでお散歩である。
稲荷様が小狐を助けたエピソードは地方のトップニュースになったので、ゴンを見かけた地域住民が両手を合わせて拝むのは珍しくはない。
それを見る私は、拝まれるような特別な存在が自分でなくて本当に良かったと思う。
そんなすっかり日常となった風景にいちいち足を止めていたら時間がいくらあっても足りないので、歩調はそのままで気にせず近場のコンビニに向かう。
(家に居る時が一番くつろげるから、早いところお昼御飯と漫画を買って帰りたいよ)
心の中で思うだけで口には出さず、ゴンにお祈りする人たちをスルーすること徒歩五分。
家からもっとも近いコンビニエンスストアに到着し、透明ガラスの自動ドアを一人と一匹は足を止めることなく通過する。
入り口の籠を持ったまま、まずは窓際の本棚に向かう。
するとそこにはちょうど、入荷されたばかりの漫画雑誌が山積みになっていた。だが、焦らず落ち着いて各漫画雑誌を一冊ずつ手に取り、毎週買っている物に間違いはないかを確認する。
(今月号と今週号に間違いなし…っと)
確認を簡単に済ませて籠に入れると、少年誌を三冊一度に購入するのでなかなか重かったが、家に帰るまでの辛抱だ。心の中で頑張ろうと強く思う。
そして次にお弁当の棚に向かうと、当然のように小狐のゴンもトコトコと後をついてくる。
「ゴンはどれにする? …ふむふむ」
尋ねてからゴンの視線を追うと、弁当棚の一つをじっと見つめていることに気づく。
「了解。ひつまぶし弁当ね」
小狐の餌にしては量が多いし栄養バランスの偏りが酷いが、ゴンは人間と同じ食事を摂るし、このぐらいならペロリと平らげてしまう。
最初こそ獣医さんに勧められた狐用フードを与えたのだが、一口も食べないので即断念した。
人間と同じ物を食べる点からも、家族が一人増えた実感が湧く。
だがまあ、稲荷様のおかげで飼育費は完全無料なので、うちの家計が圧迫されないのが救いである。
なお余談だが、他国ではうなぎが絶滅寸前で大変らしいが、日本は稲荷様の望みにより、実に三百年かけて低コストでの完全養殖が可能になった。
プロジェクトフォックスでも放送されたし、西マリアナ海嶺の水深200メートルを、このために建造した潜水艦で探索するシーンは、まさにこれまでの努力が報われた感動の瞬間であった。
そしてそのおかげで、現代になった今ではお手頃価格で買えて庶民の味方となった。
おまけに味も良くて栄養価も高いので、夏バテ気味の時には特にありがたく感じる。
「んー…うなぎも良いけど、焼きうどん弁当にしようかな」
ゴンのリクエストを籠に入れたあとは、迷うことなく気分で焼きうどん弁当を手に取る。それはそれ、これはこれである。
取りあえず目的は果たした一人と一匹は、さっさと場所を移動して自動レジまでやって来る。
そして、買い物籠を所定の位置によいしょっと乗せて、スマートフォンを専用パネルにかざすと、籠の中の商品が順番にスキャンされていく。
「問題なし……精算っと」
購入合計金額と私の電子マネーが表示され、特に問題はないので精算ボタンをタッチする。
その際に、エコバッグをジャージのポケットに入れてきたので、レジ袋は不要を押す。
そして袋詰めのスペースに移動し、エコバックに入れ替えて、私とゴンはコンビニの自動ドアから外に出る。
相変わらず小狐を前に祈りを捧げる人が続出するが、それを無視してとにかく足早で家に帰り、お弁当をお昼に食べてからは夜までのんびりとした休日を過ごしたのだった。




