長山村の今昔
<稲荷様>
炊事洗濯掃除を片付けて昼食をとった後は、晴れていれば広大な庭をワンコと一緒に散歩。…というのがいつもの流れだ。
その日の気分次第で夜まで歩き回るか、適当な所で切り上げて家に帰るかが決まる。
聖域の森はとても広いのだが何だかんだで四百年以上も散歩をしているので、素人には同じような景色に見えても、私とワンコには自分の位置が大体わかる。
なので今日も日が暮れる前に家に戻り、全国からお供えされた旬の食材を使用して晩御飯を作り、両手を合わせていただきますをしてから美味しくいただく。
今は八月なので岩牡蠣を美味しく食べるために、フライにして自作のタルタルソースを絡めて、小さな口でモグモグと咀嚼する。
「昔は牡蠣は苦手だったんだけどなぁ」
私のために一番良い牡蠣を選んでくれたのだと思うと、より一層美味に感じる。
それとも未来の日本ではたまたま不味かったのだろうか。真偽は不明だが、とにかく感謝しながらいただく。
味噌汁やバター炒めもとことんまで牡蠣尽くしを満喫して、ごちそうさまでしたと呟き、はふー…と息を吐いてヒノキ箸を茶碗に置いた。
その後は、食器をテキパキと片付けてから冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出して、湯呑と一緒にオボンに乗せてちゃぶ台まで戻ってくる。
すると、食事中はニュース七が流れていた3Dテレビだったが、今は個人的な興味を引かれる番組に変わっていた。
「長山村と稲荷神教の今昔。…かぁ」
私はどんな番組なのかと興味を持ったので、手早く表示を切り替えて詳細を確認する。
そしてわかったのは、日曜ゴールデンタイムに二時間スペシャルという気合の入れようで、詳細説明文はほぼタイトル通りであった。
この後は漫画やテレビゲームで適当に暇を潰して、一区切りついたらお風呂タイムだった。
だが私は、せっかくなのでとCMが出ている間に台所に行き、戸棚の奥から適当なお菓子、冷蔵庫からは2Lの麦茶を容器ごと取り出して、トコトコとちゃぶ台まで運ぶ。
水分補給にいちいち席を立たなくても良いように、長期戦の構えである。
「…っと、どうやら間に合ったようだね」
お茶を邪魔にならない位置に置き、持ってきたお菓子をちゃぶ台に広げ終わり、座布団によいしょっと腰を下ろす。
するとタイミング良く、3Dテレビに長山村と稲荷神教の今昔というタイトルが大きく表示された。
その後すぐにナレーションが入り、番組の説明に移る。
「戦国時代から順番に説明していくんだね」
私は3Dテレビの画面を見ながら、ちゃぶ台の上に広げたお菓子の中から塩せんべいの包装を破いて、小さな口に突っ込んで、バリバリ音を立てて噛み砕いていく。
その間にも番組は進み、CGで再現されたかつての長山村が映し出される。
「おじいさんとおばあさんの家だ。懐かしいなぁ」
やたらと再現度の高いCG映像を流しながらの説明を聞くと、私が来る前の長山村は山間の小さな農村に過ぎず、冬になるたびに餓死か凍死する者が、毎年数多く出るほどの貧乏暮らしをしていた。
四百年以上昔の小氷河期という気象を考えれば、食糧不足と貧困に喘ぐ村々は日本中に点在しており、他領から物資を略奪して自国の民を養おうと考えるのも、珍しいことではなかった。
だが、私が現れてからは食料が不足することはなくなり餓死者も抑えられていたので、番組内では豊穣神の加護というテロップが張られていた。
当人としてはそんな力を振るったつもりが一切ないので、ただただ小っ恥ずかしいばかりだ。
それに、たとえ加護あっても制御できずに垂れ流し状態だろうし、あくまでも未来の知識を教えただけだと、心の中で強く主張した。
何はともあれ長山村の説明が終わったあとは、画面に円グラフが表示されて、戦国時代の宗教分布に移る。
当時は仏教が広く普及していたことがわかるが、仏の世界にも様々な宗派が入り混じっていたらしく、決して一枚岩ではなかった。
だが、そのせいで神道の規模が縮小したのは事実であり、稲荷神教は日本人口の一割にも満たなかった。
「予想通りと言えばそれまでだけど。
地方の寺院や稲荷大社のお膝元で、細々と生き長らえてたんだね」
…以上が、稲荷神(偽)が現れる前の日本の簡単な状況説明であった。
そして場面が切り替わり、テレビ画面の向こうのやたらキラキラ光っている私が、荒れた大地に立った。
それは何と言うか、滅茶苦茶ド派手なCG映像であり、後光が差しながら天から狐っ娘が降下してきただけでなく、荒廃した大地に足先が地に触れた瞬間、たちまちのうちに草木が生い茂って、花々が満開になり、蝶や小鳥が舞い踊る楽園へと変化する。
これじゃまるで、天地開闢の始神じゃない? …と、思わずリアルでツッコミを入れてしまうほど、お金をジャブジャブ使ってやり切った感が酷い。
それとも大多数の日本国民にとっては、私はこんな風に超凄い神様のように見えているのだろうか。
「それはちょっと嫌だなぁ。明らかに分不相応だよ」
一般人が狐っ娘になって行き当りばったりで行動した結果、奇跡的に歯車が噛み合ったので、偶然上手くいっただけだ。
実際には神々しさとは全くの無縁であり、基本的にポンコツで頭も悪い自分を、あまりにも過大評価し過ぎである。
だが、日本の最高統治者を四百年以上も続けているという実績が大きいのも、わからなくはない。
腕を組んで考えても、何故ここまで高く評価されるのかの心当たりが多すぎて、これだという一点を絞り込めず、考えるだけ無駄な気がして、やがては知恵熱が出てきた。
「まっ…まあいいや。それは一旦置いておこう」
棚上げとも言うが、特番の長山村と稲荷神教の今昔が気になるのだ。
テレビ画面では、自分がうろ覚えの知識で指導した稲作や養鶏や養蜂、その他の各種産業が空前の大ヒット。
長山村から三河全土に広まっていく過程を、わかりやすく解説していた。
その際に、実は初期から松平さんがスポンサーとして後押ししていたことも語られて、私はなるほどと納得する。
「そして、宗教分布が日本地図に変わったね」
仏教を赤、神道を青、キリスト教を白、その他を緑、稲荷神教を狐色。
参考データが古すぎて正確な数を調べられないのか、一年ごとの割りと大雑把な計測だが、各宗教信者の変動をわかりやすく表示していく。
現代で言う全国各地の選挙区で、どの政党がトップを取ったかを、宗派に置き換えた感じだ。
「……うわぁ」
言葉もないとはこのことだ。
狐色が恐ろしい速度で日本中に広まっていくのが、否応なしに理解できた。赤と白が容赦なく塗り潰されていく中で、青は比較的軽症で済んだようだ。
ほんの数年で三河と尾張を狐色に塗り潰した稲荷神教だが、その勢いは衰えることはなかった。
周囲の国々を次々と飲み込んでいき、私が天下を統一したことでさらにブーストがかかったのか、十年かからずに、日本全国が狐色に染まってしまった。
他宗教も一応生き延びてはいるが、もはや虫の息である。
いつでも潰せるが、生かしておいてやる。神皇様のお慈悲に感謝するんだな。…とか、そんな悪役ロールが似合いそうな分布図であった。
だが、私は別に他宗教を潰したいとは一切考えていないし、改宗の自由を認めている。
そのおかげで、各宗教は潰えることなく現代まで生き残れたのである。…と、番組のナレーションはそのような説明をしており、私はそんな過去を懐かしむのだった。
そしてここで、稲荷神教から長山村に視点が変わって、時代も大きく巻き戻る。
私が地上に降りて数年は、稲荷様が降り立った始まりの大地や日本一豊かな村といった栄光を、欲しいままにしていた。
さらに、稲荷山の中腹に日本で初めての学校が建てられたことで、高度な技術や各種産業といった特殊な分野でも、全国屈指のレベルであった。
なので、もう向かうところ敵なし状態だった。
だが、江戸で幕府を開き、現代知識を日本全国に広めたことで、長山村一強の時代は終りを迎えた。
「ほへー…各藩が独自の産業を発展させていったんだ」
3Dテレビの画面に日本地図が表示され、江戸時代の各藩の産業は大いに発展したことが伝わる。
そして、技術を受け継いだ現代の職人のインタビューや資料映像を交えて、有名所が一つずつ丁寧に紹介されていた。
なお、私が未来の日本の産業と現代知識をまとめて稲荷の書に書き込んだため、正史と殆ど同じ分布図となっていた。
ただし、技術は日本の宝といった自分の発言を受けて、現代になっても師匠から弟子への継承がきちんと行えており、生計も何とかなっているので、途絶えずに残っているのは、素直に凄いと思った。
テレビ画面が切り替わり、現代に残る各地の産業だけでなく、元となった労働方針に関しても触れられたのだが、私はそれに首を傾げた。
未来の労働環境を憂いていたのは確かだ。
しかし、そんなこと言ったっけ? …と疑問を抱くような発言も歴史書に数多く記録されているようで、それらは稲荷様の名言として番組内で紹介していった。
「まあ、四百年以上も生きてるし。自分の場当たり的な発言なんて、いちいち覚えてないよね」
例えば、東京で稲荷大社を建設する時の基本方針として、一日八時間労働を厳守すること。
月火水木金土日のうち日曜、できたら土曜も含めて体を十分に休めること。
さらに毎日十時と三時頃には小休止を入れること。
朝昼晩と一日三食きちんと摂ること。…などは、現代でも一ミリも変わることはない。そして労働基準法だけでなく、各家庭にも広く組み込まれている基本方針だ。
私が自分の功績を認められずに首を傾げていると、3Dテレビの画面が切り替わり、日本全国の農業や産業分布図が棒グラフで表示された。そして、その情報は一年ごとに更新されていく。
例えば、イチゴの生産量やサンマの水揚げ、製紙や養鶏などで、様々な分野で一番の藩は何処かという感じだ。
「ふむふむ、稲荷神教が広まるのと比例して全国的に追いつけ追い越せで発展するから、長山村も日本一ではなくなっていくんだね」
それを見る限りでは、江戸時代の初期は長山村を含む、今の愛知県が殆どの分野を総ナメしていた。
だが、数年ほどで他県が追いついて抜かされてしまうのだった。
時代は流れて、北海道、千島列島、樺太、沖縄が日本の領土となり、そちらもあっという間に狐色に染まる。
ついでにオーストラリアに関しても触れられたが、速攻で精霊信仰を飲み込んで稲荷神教が国教になっていた。
その頃には長山村は全く目立たなくなっていて、変わったのは人が増えて豊かになり、村ではなく町になったことだ。
だがある日、かつての栄光を取り戻そうと町民たちは一念発起した。
「東京稲荷大社の稲荷グッズは、長山町で作られていたんだね」
東京土産なのに生産地が他県になっているように、稲荷大社で取り扱っている稲荷グッズの二割は、長山町で製造されていたことが明らかになる。
テレビ画面にも、稲荷様の人形を作り続けて今年で五十年目という、熟練の職人のおじいさんがインタビューされていた。
何だか凄い時代になったものだ。
しかし、私個人としては自分の人形で感銘を受けたくはないが、取りあえず心の中で褒めておいた。
「うちは、元々長山村で稲荷様の神主をやってた家系なんですがね。
ご先祖様がある時、稲荷様の人形に粗相をしてしまったらしく、それで閃いたんですよ」
別に知りたくもなかった歴史の真実が明らかになり、私の目からたちまち光が失われる。
粗相って言うのは多分アレだ。現代になっても性表現に対しての規制は正史よりもユルユルだし、自分の二次創作も許可している。
昔から狐っ娘が薄い本でくんずほぐれつするのは出回っているし、人形をそっちの目的に使うことも、まあないとは言わない。
ただ、それを全国放送でカミングアウトするのは、流石にどうかと思う。
「稲荷様の人形は細部まで拘っているので、完成までの道のりは遠かったです。
ですが先人たちの苦労のかいがあり、今ではうちの看板商品です。
宗教に熱心な日本だけでなく、国外にも輸出するほどの大人気になっています」
狐っ娘を元にしたエロ関連のグッズがズラリと並び、カメラが順番にそれを映していく。
男と女がくんずほぐれつするのは別に後ろめたくはない正しい行いなので、こっちの日本にはモザイク処理などなく、細部まで生放送である。
「現代では、耳、脇、胸、尻、太股、尻尾などと、宗派が無数に枝分かれしていますからね。特化した商品を考案することが必要になります」
やがてそれがナース衣装を着せた狐っ娘の全身フィギュアに移って、おじいさんが嬉しそうに一枚ずつ脱がせ始めたところで、チベットスナギツネの表情になった私はとうとう耐えきれなくなり、何も言わずにテレビの電源をそっと切った。
稲荷グッズに大人のおもちゃがあるのは当然知っている。だが、東京の稲荷大社ではきちんとジャンルごとに分かれており、私は健全なコーナーしか立ち寄っていない。
イメージダウンを避ける狙いもあるが、そもそも何が悲しくて自分がモデルになっているエロ同人を物色しないといけないのか。
こっちの日本の表現の自由を守り、性に対する考え方も忌み嫌うのではなく、人の営みの中での一般的な行為であり、何ら恥じることではないと周知させている。それでもデリケートな部分なので普段は隠しているが。
ともかく今回の番組を視聴した結果、性に関するコンテンツにモザイク処理を入れたり、人の目に触れないように遠ざけたり、エロに関係する言語までもを徹底的に規制を入れる、そんな元の日本の価値観が根底にある自分だけが、ひたすら羞恥に悶えるという公開処刑を受けることになったのだった。
中には変わった趣味嗜好の者も居るだろうが、そんなの個性のうちだし、普段の言動がまともで社会生活を送れるなら問題はない。
それに大半は、重度の変態ではなく健全でまともな人間のはずである。
「うん、私は何も見なかった! とにかく今日はもう、お風呂に入ってさっさと寝よう!」
先程の映像はお風呂に入って綺麗サッパリ洗い流そう。私はそう強い決意を固めて座布団から立ち上がる。
そして迷いなく真っ直ぐに、浴室に向かって歩き出したのだった。




