驚愕の事実
<稲荷様>
西暦二千二十年が過ぎて、しばらく経ったある日のことである。
私は変わらず神皇を続けて、たまにやって来る面倒事を殆ど直感で判断して、結構ガバガバな指示を大真面目な表情で出していた。
それでも結果的には上手くいっているようで、いつも通りに聖域の森の奥に引き篭もり、ワンコと戯れながらの悠々自適で平穏な暮らしを満喫していた。
だが、最近は神族や魔族といったこの世ならざる人たちが毎日のように日本に顕現するのだ。
なので、四百年以上も平穏が続いているこの国も、色々と慌ただしくなってきた。
幸いにして、日本に降りた神様たちはとても礼儀正しく、現地住民と大きなトラブルを起こすことはなかった。
やっていること言えば、自分が祀られている宗教施設を見学に行ったり、異界の品々を売却することで日本円に交換して、色んなショップを覗いて買い物したりと、ある意味では観光客と言えなくもない。
だがまあ、地球に存在しない品々を鑑定するのは主に私の役目であり、マニュアル化が進むまでは、稲荷大社に設置された異界両替所に頻繁に通わなければいけない。
仕事を増やすのは、本当に勘弁して欲しいものである。
しかし初めて降りてきたイエス様とブッダ様は良い神で、困った時にはいつでも相談に乗ると言ってくれた。
それに、他の来訪者も日本の法律を守って行動してくれるので、今のところは順調と言える。
もう少ししたら、政府機関と観光協会、そして各宗教関係者に丸投げできるかも知れない。
ちなみに、基本的なマニュアルができたからと言って私が出張る必要がなくなったかと言えば、そんなことはなかった。
中には日本の法律を守らない神や悪魔も一定数が存在しているのだ。
ちなみに今回は、稲荷大社の聖域の森に踏み入ろうとする中年男性を、警備員の人たちが何とかなだめすかしているので、どうかお願いします。…と、自宅に置かれた3D通信装置に政府関係者からの突然連絡が入った形となる。
今の所は人間か人外かの判断は、私しか下せない。
たとえイエス様とブッダ様でも、日本国内では天気予報が当たるかどうかぐらいの信用度だ。
だがまあ、それでも世界各地の尖った信用度と比べると、日本は平均的に高いほうだし、七割でも色々凄い。
何より、困った時の相談役である二人は今は天界に居るし、ここは私のホームなので自分が出張るべきだろう。
もし魔法や奇跡を使わなければ、一般人視点では何だこのオッサン。…としか思えないが、破壊や呪い系の神様だとしたら周辺被害がとんでもなくなるので、人間の世界で力は使わないに越したことはない。
そう思いながら、自宅の居間に掃除機をかけるのを一旦中断して、充電ケーブルに立てかける。
そして、割烹着を脱いで着慣れた巫女服に袖を通してから玄関に向かい、いつもの下駄を履いて聖域の森の外を目指し、ゆっくりと歩き出すのだった。
移動中の私はこれまでのことを振り返る。
思えばイエス様とブッダ様を笑顔で見送った後、世界中で自称神が大勢現れて、とても驚いたものだ。
新聞やテレビでも毎日のように報道されていて、大変賑やかだった。
これまで神や悪魔の存在は信じられていたが、稲荷神(偽)以外は天界や魔界に引き篭もっており、こっちに来ることは絶対にないと考えられていた。
だが、フットワークの軽い二神が地上に降りてきたことで、状況は一変してしまう。
何というか、流行りに乗りたくなるのが人間であって、そこにお金を儲けるチャンスが絡んでくると、新興宗教が世界各地で大量に生まれるのも無理のない話である。
特に東アジア大陸の各国は酷いものだった。私の上に自称神を立てることで、稲荷神は我が国に従うべきだという暴論をまくし立てたのだ。
だがまあ、日本はどこ吹く風であり、文句があるなら直接かかってこいよ、腰抜けが…と、挑発的に返答する。
そして世界各国もうちに便乗するので、今回で何度目か忘れるほどの経済制裁を受けて、またもや陸に打ち上げられた魚のように自業自得で瀕死になるのだった。
…とまあ、このような自称神が世界中で大量発生した事件だが、何と一ヶ月も経たずに全て消えてしまうことになる。
何故かと言うと、異界の人たちの活動範囲が日本に限定されているからであり、それ以外の国々では肉体を維持することすら不可能という有様だ。
そんな状態で力を行使するなどもっての外である。
さらに言えば、日本は稲荷神にとってのホームであり、今さら自称神が入る余地はない。
てめえ何処中だぁ? …とばかりに、耳尻尾足等の多種多様なペロリストによる、強制査察が入るのは確実だからだ。
そして、表だけでなく裏も念入りに調べられ、本人以上に詳しい情報が明らかにされてしまう。
もしこれで隣の大陸と繋がりがあろうものなら、…ご愁傷さまである。
これに対して私は哀れだと思うが、決して助けようとはしない。未来の日本の惨状を知っているため…と答えるところだが、それは違う。
今の日本国民は、四百年以上この地で生きた私の家族も同然であり、身内に危害を加える敵には容赦する気は一切ない。
国交断絶というのは分かり合えない彼の国に対し、最後の慈悲と言える。はっきりと国境線を引いて、このラインを少しでも越えたら発砲する。
だからお互い関わらず、平穏に過ごそうと呼びかけたが、たびたびイチャモンを付けてくるので、正直鬱陶しい。
それに関しては、最近うちに泣きついてきた連合国に原因がある。
私は電話越しに、どうしていつも通り人道的配慮を無視して、強引に統治しないんですか? …と尋ねると、皆は言葉を失って唖然としたのだった。
それ以降の東アジア各国は日本に噛みつくことも減ってきたが、あくまでも最近の話なので、あちらさんはまだまだ元気いっぱいである。
暴れる気力がなくって従順になるまでは、直感だが次の世代を待つことになりそうかも…と、私は聖域の森を歩きながら大きく溜息を吐くのだった。
現実に話を戻すが、私はスマートフォンに表示されるマップを頼りに聖域の森を歩き、神様が居るらしい現場へと向かっていた。
マイホームである稲荷大社は、拡張されるたびに森が広大になっていき、家の周囲は都会の喧騒とは無縁の静かなものである。まあ、虫の声はうるさいのだが。
とにかく、こうしてスマートフォンのマップに旗でも立てなければ、一般人ではいつまでも森の外に出られなくなる。
私の場合は気を感知してそれを目的地にして森の外に向かうという手段もあるが、日本中に毎日神魔が降りていて、今も稲荷大社に大勢の本物の神が見物に集まっている有様だ。
ようは対象が多すぎて絞り込めず、さらに相手が自称だった場合も考えると、マップに旗を立てるのはとても便利である。…と再確認するのだった。
そんなこんなで聖域の森から目的地周辺に到着すると、周囲を警備員に囲まれて不満そうな顔をした屈強なおじさんが、森の奥からひょっこり顔を出した私を見つけて、聞き慣れない名前を口に出した。
「おう! ようやく来たか! 遊びに来たぞ! ☓☓!」
「☓☓? …あの、誰かと勘違いされているのでは?」
辺りには当然のように人集りであり、ちらほらと神や悪魔の気を感じることから、大方面白い見世物だと思い、野次馬に徹する気満々だと容易に察してしまう。
「勘違い? いや、…☓☓はお前の名前だろ?」
「いやいや、だから本当に知りません」
本当に何のこっちゃであり、私は首を傾げながら茂みから石畳が敷かれた参道に出ると、そこには警備隊以外にも参拝者が大勢集まり、スマートフォンのカメラで撮影している人もチラホラと見かけた。
奥までは見えないが、もしかしたらテレビカメラや取材陣も何処かに居るのかも知れない。
「あー…なるほど。元人間の記憶の一部を消した影響か。だったら、☓☓を思い出せなくて当然だな」
「あの…どうしてそれを? いえ、それより貴方は何処の誰ですか?」
まさかこんな所で、いきなり元人間だと言うことをネタバラシされるとは思わなかった。
となると☓☓も私の本名なのだろうか。そっちは今さらどうでもいいが、彼の声が大きいので周囲に響っぱなしなのは凄く不味い。
「おお、そうだったな! 俺はスサノオノミコトだ!
稲荷神の本体の宇迦之御魂神が、俺の娘だ!
だから、その分霊を与えられた☓☓は、孫も同然ってことだ! よろしくな!」
確かに神職の人から聞いた話では、宇迦之御魂神様は稲荷神の本体らしい。
しかし、そんなの偽物の自分には関係ないし、今さら人間だった頃の名前を口にするつもりもない。
なので、あまり大声で連呼しないで欲しいのが正直な気持ちである。
「はぁ…確かに神気を感じますし、スサノオ様で間違いはありませんね」
先程からやけに親しそうに話しかけてくるが、私としてはいきなり祖父だと言われても何のこっちゃであり、これからよろしくする気は全くない。
はっきり言ってしまえば、面倒な神様に目をつけられたなー。…としか感じなかった。
「…でだ。こいつらウザいから、いい加減下がらせてくれねえか?」
「あっ、はい。この人は自称ではなく本物のスサノオ様です。私が保証します」
そう言って周りを囲んでいた警備員に声をかけるが、身バレした今の私の言葉に従ってくれるかは甚だ疑問であった。
(信用失墜からの退位は待ってました! …のはずなんだけど。
人間が神を語って民衆を思うがままに扇動してたんだし、やっぱり許してくれないよね。はぁ…これは最悪磔獄門か火炙りの刑になりそう)
取りあえずこの後は、メルアドと電話番号を交換したイエス様とブッダ様に相談して、神皇を退位した後は死刑になる前にさっさと逃げ出して、天界辺りに匿ってもらおうと考える。
火で炙られて死なないし傷一つつかないが、全く痛くないからとは言え、私はそんな特殊プレイに快感を覚えるタイプではない。
なので、いざその状況になったら一目散に逃げるつもりだ。
「しかし、本当に元人間とは思えないぐらい強くなったんだな! 祖父として誇らしいぜ!」
囲みが解かれて自由になったスサノオ様は、ニヤニヤと笑いながら私を値踏みするように観察してくる。
見た目が屈強な中年男性なので、狐っ娘幼女をジロジロ眺めるのは絵的にアウト判定である。
それとも一応身内らしいので、判定はセーフだろうか。
「稲荷神の眷属は狐が神化したものでしょう? ならば、人間が力を持っても別におかしくないのでは?」
特に深い意味はないが、何となく言われっぱなしでは悔しかった。
元人間としての意地とでも言うべきか、自分にも神様に反論するぐらいのプライドというものがあったのかと、私自身の発言に少しだけ驚く。
「それに、努力すればちっぽけな人間でもスサノオ様を超える。…かも知れませんよ?」
いつもの場当たり的な行動というやつだが、明らかにこっちを下に見ているので何となく腹が立ったのだ。
それとも急に現れて馴れ馴れしく接してきたので、生理的な嫌悪を感じたのか。詳しいことはわからないが、勢い余って煽るような発言をしてしまったので、今さら後には引けなくなった。
「ほう…俺とやるってのか?」
「…ご要望とあらば」
正直やっちまった感が強くて今は若干後悔している。しかし、心情的には言いたいことを口に出せたので、凄くスッキリしていたのだった。




