イギリスのジョージ
<イギリス国王>
私はジョージ六世。イギリス国王である。
そして、今日は待ちに待っためでたい日である。誕生日? 結婚式? 即位式? …そんな陳腐なものではない。
数百年にも及ぶイギリスの悲願がようやく叶った。…とでも言っておこう。
よく晴れた暖かな小春日和、時刻は午前九時のことだ。
イギリス王室の宮殿入り口に私を含めたロイヤルファミリーが勢揃いして、日本からの客人…いや、客神であるリトルプリンセスをにこやかに出迎えていた。
「はじめまして、リトルプリンセス」
「こちらこそはじめまして、ジョージさん」
ここに至った経緯を語るとすれば、リトルプリンセス発案のライトニングフォックス作戦を行い、ソビエト連邦の首都と主要都市を連合軍が占領。
そして、敵国は無条件降伏となった。
現場の兵士に引き継ぎを済ませてから、連合軍盟主であるリトルプリンセスは空便で日本に帰国の途についた。
だが、せっかくヨーロッパまで来たのだから、ぜひロンドンに寄っていってください。…と、そう私が頼み込んだのだ。
その際に、パリ講和会議では真っ直ぐ帰ってしまいましたし、今回は船ではなく飛行機でしょう? なら、少しぐらい時間的余裕があっても…チラッチラッと視線を送り、残念そうに溜息を吐くのも忘れない。
私の涙ぐましい努力の甲斐もあり、リトルプリンセスは渋々という表情で了承して、帰り道にロンドンに寄ってくれることになったのだ。
ようやく念願が叶い、リトルプリンセスをバッキンガム宮殿に呼べたことで表情は微笑だが、心の中で小躍りしながら自慢のロイヤルファミリーを紹介する。
「こちらが妻の…」
絢爛豪華な正面ホールに一列に並ばせて、リトルプリンセスは私の紹介をフムフムと頷き、にこやかな表情で聞いていた。
「では、バッキンガム宮殿を案内しましょうか」
一通りの紹介を済ませたあとは、私とファミリーが先頭に立ってリトルプリンセスに宮殿の案内を行う。
それにしても、まさかこんな日が来るとは思わなかった。
「あの、稲荷…いえ、日本の絵画や彫刻を収集しているのですか?」
「はい、その通りです」
宮殿の装飾品は数百年前から狐系が増え続けて、今では全体の十分の一ほどにもなった。
だが、飾れるスペースには限りがあるので殆どは宝物庫で埃を被っている。それでも、一部は大英博物館への展示を許可したりと、日の目を見られているのだ。
何でも、元々はサン=フェリペ号の船乗りが持ち帰った稲荷神グッズが、紆余曲折を経て遥か昔のイギリス王室に献上された。
そのあまりの精巧さと美しさ、さらに聖母マリアのような慈愛に溢れた造形に大いに感銘を受けた当時の国王が、日本の調度品の収集を命じたのか始まりだと、代々継承してきた王室の歴史書にそう記されていた。
その後の歴史を語ると、イギリス王室と日本のリトルプリンセスが文通でやり取りするようになり、国と個人両方で良好な関係を築き、実に数百年の親交を得て、現在に至っているのであった。
「…とまあそういうわけで。一万円札の初刷りを手に入れるのにとても苦労したのは、イギリス王室の語り草でして」
「そっ…そうですか」
実はリトルプリンセスの表情が若干引きつっていたのだが、あまりに嬉しすぎて興奮気味に語りかける私は、それに全く気づかなかった。
友人を自分の家に招いて自慢話すると、どうしても気が大きくなってしまい、細かいことは気にならなくなるのだ。
「そこまで気に入っているのなら、今度何点か送りましょうか?」
「本当ですか? それはありがたいですね。では、イギリスからも…」
そう言って話はトントン拍子に進んでいくが、リトルプリンセスは嘘が嫌いらしく、裏はなく全て表で喋っている。
いちいち腹を探らずに済むのでありがたいし、根が優しいのでストレスフリーである。
イギリス王室に属している私が、こうやって気のいい友人のように話せる相手は、本当に得難いものだ。
そして、うちの周りの国々も皆こうなら、付き合いが随分楽になるのだが。…と、改めてそう思った。
余談だが、イギリスの食事は日本に次いで美味だと絶賛されている。オーストラリアもなかなかやるが、料理対決をすれば僅差でうちが勝つだろう。
もっとも、向こうは絶対に負けを認めないだろうが。
それはともかくとして、イギリスは昔はメシマズやバカ舌と言われ、世界各国から侮辱を受けていた。
そして、そんな不味い食事を劇的に改善するキッカケとなったのは、百年程昔に起こった生麦事件であった。
詳しい説明は省くが、その事件によってイギリスと日本が料理対決をすることとなり、リトルプリンセスも審判として参加したらしい。
なお、結果は我が国の惨敗であった。それはもう、完膚なきまでけちょんけちょんに叩きのめされた。
だが話は勝ち負けだけでは終わらず、日本は食に対して並々ならぬこだわりのあるお国柄のようで、イギリスがあまりにもメシマズ過ぎるので、腹が立って仕方ないと言い出した。
ちなみにこれはリトルプリンセスが実際に公言したらしく、彼女は続けてこんなことを口にした。
「イギリスのシェフは日本で料理を学び、一人前と言い渡されたら速やかに帰国すること。そして、自国で店を開いたら新たに弟子を取って指導し、食の安心安全と品質向上に努めてください。
もしこの決まりを守ると誓うならば、イギリスの料理人の日本への留学を特例として許可しましょう」
…とまあ、そんな奇妙な縁から始まった国際交流だが、何だかんだでかれこれ百年ほど続いている。
現在では多少はマシになったが、日本は相変わらず他所の国の者をあまり自国に入れたがらない。
そして昔はガチガチの鎖国政策をしていたので、当時の留学を認める発言は本当に異例中の異例だったのだろう。
だがまあ、それはともかくとして、最近は日本の食は世界一の美味であると広く知られるようになり、他国の弟子も増えてきたのは問題である。
正直こっちとしてはあまり面白くないが、それでも日本への留学はイギリスが元祖であると自慢できるので、他国のぐぬぬを聞くと、多少は溜飲が下がる。
なお、現在は彼女のために歓迎の宴の準備を進めており、日英入り混じった多種多様な料理を振る舞う予定だ。
…とは言え、日本の食事は元々の和だけではなく、中華や洋食などあらゆる分野が入り混じった世界最高峰である。
宮廷料理人たちは百年前の汚名返上を誓い、今度こそリトルプリンセスに美味いと言わせるため、過去最高の熱意を持って望んでいるが、その結果がどうなるかは私も楽しみにしていたのだった。
とまあ色々と横道にそれたが、話を現実に戻す。
私はバッキンガム宮殿の内部を案内しながら、リトルプリンセスとの会話が少し途切れたところで、頃合いだと思ってさり気なく話題を変えた。
「…ところで例の件。考えてくれましたか?」
「あー…それならお断りします。私は日本だけで手一杯なので」
イギリスから日本の一部になりたいと前々からお願いしていたのだが、やはり素気なく却下されてしまった。
だがまあこれは予想していた答えであり、仕方がないと諦められる。
それに亀の歩みだが、成果は少しずつでもあがってはいるのだ。
今回の帰国途中のロンドンへの寄り道と、バッキンガム宮殿への訪問がそれである。
(イギリス秘密情報部の隠蔽工作の時間稼ぎも、パリ講和会議で意味を成さなくなった。
それに、第二次世界大戦の盟主となったことで、さらに輝きを増したようだ)
私はリトルプリンセスに宮殿を案内しながら、心の中で今後の打つべき手を思案する。
イギリス秘密情報部の暗躍で、日本及びリトルプリンセスの、他国での認知度は噂程度に留まっていた。
だが、近年は情報化社会になりつつあり、パリ講和会議での発言、そして第二次世界大戦で盟主として注目が集まったせいで、隠蔽工作が意味を成さなくなった。
何しろ叩けば埃…と言うか、信じられないような実績が雪崩のように出てくる。それが我らが崇拝するリトルプリンセスである。
これからの世界は、彼女を中心にして回っていくのは火を見るよりも明らかである。
その時に隣に立って共に邁進していくのは、我が祖国イギリスでなければならない。
(何にせよ、イギリス秘密情報部は十分に時間を稼いでくれた。あとは表舞台に立つ者の仕事だ)
ロンドンに招待したのは、リトルプリンセスにイギリスという国をより深く知ってもらい、他国よりも早く日本の一部になるためである。
何しろ、たとえ外交官や政治家の話し合いで帰属や連邦入りが決まっても、リトルプリンセスが一度でも首を横に振れば、その時点で白紙に戻ってしまうのだ。
だからこそ彼女にはイギリスの優れた点を見せて好感度を稼ぎ、たとえどれだけ日本国民が難色を示したとしても、リトルプリンセスさえ許可すれば容易に通ってしまうのだ。
なので、オーストラリアとドイツの連邦入りよりも先に、絶好の機会を見事ものにして、イギリスが一番を勝ち取るのだと、私は心の中で気合を入れる。
だがまあ国王である私が頑張ってイギリスのアピールポイントを説明しているのに、ファミリーが手伝ってくれないのは如何なものかと、妻と子供に声をかける。
「おいこらお前たち、あまりリトルプリンセスにベタベタ触るんじゃない。失礼だろう?」
こっちが必死に気を張って国王として振る舞っているが、家族はお構いなしにリトルプリンセスの耳や尻尾をモフっているため、少し口調を強くして注意する。
「別に私は気にしませんよ?」
「リトルプリンセスがそう言うなら…まあ、構わないんでしょうが」
彼女は嘘をつかないので、多分本当に気にしていないのだろう。
しかし子供だけでなく、妻までフサフサの尻尾に頬ずりしているので、こんなことなら家族と同じように私も存分にモフりたかった。
だが一度キツく注意した手前、今さら手のひらを返してモフらせてくださいとも言い辛い。
なので私は、ロイヤルファミリーと親しそうに戯れるリトルプリンセスを、バッキンガム宮殿の案内が終わるまで、横目でチラチラと羨ましそうに見続けるハメになるのだった。




