ドイツのちょび髭
<ドイツのちょび髭>
私は国家稲荷主義ドイツ労働者党の党首だ。そして今は、政庁のとある執務室に籠もっていた。
室内は掃除が行き届いて綺麗なもので、きちんと整理された机の上には機密や重要書類が見やすいように並べられている。
現在はある一つのファイルに目を通しており、私はコーヒーを片手に大きな溜息を吐いた。
「やはり、イギリスの仕業だったのか」
ドイツの情報部に念入りに調べさせたから間違いない。ちなみに今閲覧しているファイルは、稲荷神についての極秘資料である。
そこには隠し撮りされたリトルプリンセスの写真が数多く貼られているが、妙に勘がいい彼女は完全にカメラに気づいていた。
なので調査員のほうを向いて、どの写真もニッコリと微笑みかけてくれている。
それはある意味では嬉しいのだが、ともかくとして。
ソビエト連邦が始めた第二次世界大戦が終戦し、各国の情勢もようやく落ち着きを取り戻しつつある今日この頃である。
そうなれば、次に世界の中心となるのがリトルプリンセスであることは、誰の目から見ても明らかであった。
数百年も変わらず生き続ける神秘性と平和維持能力、未来を見据えた的確な采配、溢れんばかりの可憐さ、他にも美点を上げればキリがない。
それはまさに生きる伝説、いや…神話の再現であり、今なお立ち止まることなく疾走し、世界的な新記録をいくつも更新し続けていた。
パリ講和会議で敗戦国であるドイツが徹底的に叩かれ、非難の嵐を受けて、国としての存続も危ぶまれたとき、日本…いや、もっと言えばリトルプリンセスだけが大勢の前で異議を唱えて、我が国の味方になってくれた。
地獄に仏ならぬ、地獄に稲荷神なので若干ゴロは悪いが、ドイツ国民の心情的にはまさにコレであった。
他国にドイツへの賠償責任を緩和するよう訴えるだけでなく、リトルプリンセスは自らの取り分を返還し、さらには今後の全面的な支援を約束した。
ダメ押しとばかりに、ドイツが再び過ちを繰り返そうとしたとき、たとえどれ程の犠牲が出ようと必ず止めて、その後も見捨てずに友であり続けよう。…と、パリ講和会議の場でそう堂々と発言したのだ。
下手をすれば孤立無援のドイツだけでなく、日本までもが非難に晒されてもおかしくない場での発言だが、アレを聞いた瞬間は私は全身に震えが走った。
そして自分だけではなく、ドイツ国民の大多数がリトルプリンセスに心酔することになったのだった。
…その結果、彼女の偉大さに遅ればせながら気づいた世界各国が、何とか振り向いてもらうために行動を起こすのは、当然の流れと言えよう。
しかし、何故今この時まで、リトルプリンセスの情報が表に出てこなかったのか。もしくは出たとしても噂止まりだったのか。
それは、先程ドイツの情報部の調べで明らかになった新事実なのだが、イギリスが裏で暗躍していたからに他ならなかった。
「我々が大人になるまで時間を稼いだ。…その一点だけなら評価はできるか」
イギリスの秘密情報部が世界中で工作し、リトルプリンセスの存在を噂程度に抑え込んでいたのだ。
もっと早く彼女の協力を得られていれば、第一次世界大戦も回避できたかも知れなかったのに。何と言うことだ…と、私は苦い表情で若干の後悔を感じた。
しかし、もしリトルプリンセスがあまりにも早期に表舞台に立った場合、世界中が彼女を確保するために戦争をおっ始めるのは、ほぼ確実であった。
大人になりきれていなければ、子供のようにナイフをチラつかせて脅し、欲しいモノを強引にでも奪い取る。
話し合いなど何の意味もなく、まさに弱肉強食の世界と言える。
しかし、今はある程度の自制が行えるので武器をチラつかせて脅しはするが、簡単に他国に攻め込んだりはしない。だが、昔は本当に酷いものだった。
「イギリスが情報統制を行っていた理由が、リトルプリンセスのお友達として日本の一部になりたい…って! 何だこれは! いくら何でも独占欲が強すぎるだろう!」
おまけに、親日国のオーストラリアをライバル視しており、どちらが先に日本の一部になるかと先を争っている。
態度にこそ出さないが、今なお水面下で熱い議論を交わしているらしい。
「日本の一部だと? そんなもの! ドイツが一番乗りに決まっているだろうが!」
もし大日本帝国だったら、ドイツとオーストラリアとイギリスも残らず飲み込んで面倒を見てくれそうな懐の深さをその国名から感じるが、あいにくただの日本だ。
大国を飲み込むには、どうにもパワーが足りない。
何よりリトルプリンセスが乗り気ではないので、まずは彼女を振り向かせることから始めなければいけないだろう。
「むう…イギリスに習うのは癪だが、致し方あるまい。
まずは日本連邦の立ち上げから目指すべきだろうな」
千里の道も一歩からであり、北海道や沖縄のように日本に帰化するのは、希望者が大勢現れた今となっては難しい。
なので親日国から順番にステップアップしていき、連邦入りを目指すことから始めるべきだろう。
それに、稲荷神話は健在だ。それどころか、最近ますます輝きを増してきたように思える。
しかし、そんな全知全能で愛に溢れた女神とも言えるリトルプリンセスだが、どうしても許容できないものがあった。
リトルプリンセスは東アジア大陸の国々をあからさまに避けていた。口に出すのも嫌だという表情で、とにかく関わりたくないようであった。
半島と嬉々として国交断絶したのだから、筋金入りと言える。
「やはり、東アジア大陸は分割統治が望ましい。…日本に近い半島は取り合いになるだろうが」
ちなみに明確な理由は明らかになっていないので、実際に我々が現地に赴いて調査するしかないだろう。
なお、第二次世界大戦が終結した後だが、ソビエトはロシア連邦、共産主義から資本主義に変わり、戦後処理の負債を支払うだけで植民地化は免れた。
だが、ソビエト連邦によって赤く塗りつぶされた東アジア大陸の国々は、治安が良くなるまでは、連合国が分割統治することが正式に決定した。
一応は国内情勢が安定するまでという期限付きではあるが、連合国側がそれを守る気はサラサラない。
「せいぜい点数を稼がせてもらおう。
ふふふっ、これはドイツが日本連邦に一番乗りする日も近そうだな」
リトルプリンセスが心底毛嫌いする各国を上手く統治すれば、彼女の好感度が上がるのは間違いなしだと、ドイツの首相は執務室でほくそ笑むのだった。
だが、彼らは連合国は東アジア大陸の各国を甘く見すぎていた。
そして、多民族国家の厄介さと図々しさと面の皮の厚さその他諸々によって、そう遠くない未来に心底呆れ果てることになる。
結局、リトルプリンセスでさえ手の施しようがないと見捨てる決断を下したことを、資金や物資や人的資源、さらには年単位の時間の浪費という高い授業料を払って知ることになる。
挙句の果てに好感度を稼ぐはずのリトルプリンセスに、恥も外聞もなく泣きついて呆れられるのだが、今の段階では連合各国は作戦成功を確信しており、自らの失態に気づかず勝利の美酒に酔いしれるのだった。




