終戦
昭和十六年になり、日本でソビエト連邦が諜報活動をしようとしたがあっさり露見し、リヒャルト・ゾルゲさんという外国人が逮捕された。
彼は最初に尾崎秀実という新聞記者にも声をかけたのだが、その人はまるで耳を貸さずにやんわりとお断りした。
だがゾルゲさんはあまりにも熱心に勧誘を続けて、一向に引き下がる気配がなかったので、とうとう警察隊が出動するほどの大騒ぎになったらしい。
宿泊先のベルリンのホテルで日本から送ってもらった新聞を読む私は、狐色と赤色が分かり合うのは難しいなぁ。…と大きな溜息を吐くのだった。
私が最前線の駐屯地で行ったスピーチだが、またもや全世界に拡散されてしまった。何しろ日本の最高統治者が自ら危険な前線に出向いて、連合国軍を激励したのだ。
安全な自国に引き篭もって指示を出すよりかは、士気が格段に上がるのも納得だ。さらに私の幼児体型が前線の兵士たちの子供や孫などを連想させ、そんな庇護欲の塊を守るためにソビエト連邦の国境沿いは、まさに鉄壁の布陣となったのだった。
一方私は、注文したホットミルクにスプーンで粉砂糖を入れて、前線から離れて休憩中である。
元々連合軍の潤滑油や癒やしを期待されていたので、たまに本音トークをするだけでも十分に役目を果たしているのだ。
「…そろそろ和食が恋しいです」
「おや? リトルプリンセスは昨晩、キッチンを借りて調理していたのでは?」
「それは、そうなんですが…」
ホテルの料理人は腕が良いので美味しい洋食を出してくれるのだが、やはり中身は生粋の日本人なのか、どうしても和食が恋しくなる。
一応注文すればその通り作ってくれるのだが、何かが違うのだ。
なので私が割烹着姿になって袖をまくり、ベルリンのホテルのキッチンを使わせてもらうことも多々ある。
「自炊するたびに大勢詰めかけて撮影会になるのが嫌なので」
「リトルプリンセスはドイツの人気もとても高いですから」
ドイツの陸軍幕僚長が優雅にコーヒーを飲む横で、私はホットミルクをフーフーしながら小さな口をチビチビとつける。
昨晩は割烹着だったが、その前は洋風のエプロン姿だった。
さらにはセーラー服や陸軍将校の衣装もあったりと、汚れてもいい服だと強弁するので、おっ…おう…と引き気味になりつつも断りきれずに仕方なく着替えるのも、最近は面倒に感じてきている。
「戦争は長引きそうですか?」
「連合国側が優勢であるのは確かです。しかし敵は広大な国土を持つソビエト連邦ですからなぁ」
日本が盟主になると宣言したその日に、ヨーロッパだけでなく、世界各国はこぞって連合国側を支援し始めた。
もちろんそこにはオーストラリアとアメリカも含まれる。
結果的に、ソビエト連邦の味方は赤く染められた地続きのアジアの国々だけとなった。
普通に考えたら彼らに勝ち目はないのだが、ここで負けたら狐色に染められてしまう。
なので向こうも必死の抵抗であり、降伏せずに未だに泥沼の戦いを続けている。
そして相手が広大な国土を持ち、人が生きるには向かない寒冷地なのも、侵攻作戦が思うように進まない理由の一つとなっている。
さらにもう一つ、私はガンガンいこうぜではなく常に命を大事にを優先しているので、連合国の犠牲を可能な限り抑えつつ進軍という、何とも時間のかかる作戦を取っている。
「正直終戦まで何年もベルリンのホテルに泊まるのは嫌なのですが」
殆ど自業自得なのだが、それでも連合国及び日本の死傷者を減らしたいので、これ以上は進軍速度を上げる等の無理はできない。
「では別の高級ホテルにしましょうか? 何なら日本風の旅館でも構いませんよ?
リトルプリンセスなら即日で予約が取れますからね」
「いやいや、だからそうではなくてですね」
これは多分ホームシックだ。かれこれ数百年暮らしている故郷の日本に帰りたいと思い始めている。
別にドイツが嫌いなわけではないが、ベルリンには海外旅行でたまに来るぐらいで丁度いいのだ。
しかし一応連合国の盟主ともなれば、気楽に本国に帰れる立場ではない。
なので私はあれこれ考えて代案を探すことにした。
「世界大戦はどうすれば終わるのでしょうか?」
「ふむ、何を成して終戦とするかですか。…そうですな」
彼はコーヒーカップを静かに置き、真面目な顔で思考を巡らせる。流石は陸軍幕僚長だけあり、ロリペタ狐っ娘とは違って気を張ってなくても姿勢が様になっている。
「首都モスクワ及び主要都市を占領し、ソビエト連邦政府が全面降伏をすれば終戦でしょうな」
答えを返した陸軍幕僚長は再びコーヒーカップの取っ手を持ち、ゆっくりと口に運ぶ。
明確な勝利条件が提示されたことで、ある程度順序立てて計画を練ることができるようになった。
私はおもむろに腕を組んで低く唸る。
連合側の優位は崩れないが、主要都市や首都を占領するには時間がかかる。
それに、追い詰められた人間は何をするかはわからない。何しろ将来的には多数の国が核兵器を所有する時代に突入する。
ついでに言えば、第二次世界大戦が終わった後も油断はできない。
何処の国かは朧気にしか覚えてないが、冷戦が勃発して何だかんだで核戦争が始まる寸前まで行ったのだ。
なのでもしソビエト連邦が核兵器を開発しているとすれば、たとえ未完成でも投下してくる可能性はゼロではない。
それらの考えを頭の中で順番に整理しながら、私は自分の考えを口に出していく。
「ソビエト連邦の首都と主要都市に、陸戦部隊を空から一斉に投入。
電撃作戦による短期決着を狙う。…と言うのはどうでしょうか?」
「成功すれば大戦は早期に終わるでしょうが、失敗率が高そうな作戦ですな」
確かに彼の言う通り、ソビエト連邦はまだ余力がある。現段階で少数精鋭で敵陣深くに突っ込むのは、無謀と言えるだろう。
それに現状維持でゴリゴリ押し込んでいるので、突発的なアクシデントが発生しない限りは安全確実に勝てるのだ。
だがまあ予想外のことが起こっていないわけではなく、ルーデルさんやシモ・ヘイへさんが日本の最新兵器に目の色を変えてしまい、ぶっちゃけて言うと我慢できなくなり借りパクしたのだ。
ルーデルさんは片言の日本語で友軍のフリをして出撃し、ソ連戦車を相手に何処の無双ゲーかと思うほど残骸の山を作った挙げ句、対空砲に撃ち落とされたが何食わぬ顔をして無事に帰ってきた。
本人が言うには、弾薬と燃料が尽きなければずっと乗っていたかったぐらい快適だったらしい。
そしてシモ・ヘイヘさんはソ連の歩兵を遠距離から狙撃するだけでなく、動いている戦車の隙間に弾丸を直撃させて貫通させるという人外じみた技を何度も行うなど、いくら最新のスナイパーライフルとはいえ規格外過ぎた。
なのでこの人たちは私と同類なのでは? …と一瞬思ってしまった。
そして桁違いの戦果を上げたので借りパクという命令違反には目をつぶり、直接対面して勲章を与えることになった。
だがその時には何も感じなかったので、まだ人間の範疇に収まっているのだろうと結論づけた。
連合軍のエースを遊ばせておく気はなかったので、特例として日本の最新兵器を二人に貸し与えると私が公言すると、子供のように大喜びしたのだった。
後日の話となるが、連合軍にはこの二人以外のエースもゴロゴロ存在しており、予想よりも遥かに早い進軍速度となっている。
しかし軍隊の命令違反を簡単に認めるわけにはいかず、次から日本の最新兵器を使用したければ、それに相応しい技量を持っていることとした。
つまり日本の精鋭だけでなく、ルーデルさんとシモ・ヘイヘさんと言った二大エースのお眼鏡に適ったらという条件を、新たに付け加えたのだった。
なので連合軍が負ける要素がなくなり、部隊が全滅する危険性がある作戦に賛成が得られないのは、何となくだがわかっている。
「日本の自衛隊も総力を上げて作戦に協力しますし、ソビエト連邦に隣接している各国に牽制を頼んだらどうでしょうか?」
「ふむ。…それなら国境沿いに守備隊を送らざるを得ませんな」
素人でも思いつくような単純な陽動作戦だ。しかしこれならたとえ時間稼ぎや何らかの罠だとわかっていても、戦力を割かざるを得ない。
「電撃作戦は、別に今すぐ実行するわけではありません。ソビエト連邦の消耗率を見ながら、適時です」
「…わかりました。作戦の一つとして考慮しましょう」
とにかく言うべきことは言い終わったので、私は粉砂糖で甘くしたホットミルクを飲んで糖分補給に勤しむ。
だがなかなか難しいことを考えたのでこれでは足りないと感じた。
そこで、机の上の菓子皿に乗せたあった板チョコに手を伸ばして、それを軽く砕いてコップの中に落とし、ホットチョコレートにしてゴクゴク飲むのだった。
昭和十七年になり、ライトニングフォックス作戦がいよいよ実行に移されることになった。
やたらと派手な作戦名からわかる通り、私が提案したソビエト連邦の首都及び主要都市への一斉降下作戦の名称である。
もっと他の名前があるのではないかと、何度も抗議した。
しかし素気なく却下されたため、結局連合国の盟主である私が赤面しながら大声で口にしなくてはならなくなった。
それでも皆の頑張りのおかげで作戦は見事に成功して、数日足らずでソビエト連邦の首都と主要都市、その全ての占領が完了した。
ソビエト連邦の航空戦力が殆ど失われていたので、高高度からの都市部への絨毯爆撃を防ぐ手段はもはやない。
さらに空輸作戦で多国籍軍の戦車や歩兵が、詳細な敵の配置図と重要拠点を事前に頭に叩き込んで、次から次へと降下侵攻してくるのだ。
突然の大空襲で混乱に陥ったソ連軍には、もはや防ぐ手立てはなかった。
…というように犠牲や消耗を抑えて、世界大戦は割と早めに片付いた。
代わりに、たとえバレバレでも一応は秘匿していた日本及びオーストラリアの軍事力の高さを、全世界に知らしめることになってしまった。
それでも私は早く日本に帰りたかったし、戦争が長引いたほうが結果的に日本人の犠牲が増えるのだ。
まあたとえ正面からぶつかったとしても、正史よりは死傷者は少なくなるだろう。大して詳しくない歴史知識でも、何故かそれだけは確信できるのだった。
とにかくその後すぐに日本の東京で講和会議が開かれて、多くの国々が平和に向けて大きく前進することになった。
なおこれは後に、稲荷講和会議と呼ばれることになる。
だが、ようやく我が家に帰れてワンコたちと存分に戯れる私にとっては、会議の決定やら名称など、割りとどうでも良かったのだった。




