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稲荷様は平穏に暮らしたい  作者: 茶トラの猫
明治、大正、昭和初期
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パリ講和会議

 それから時は流れて大正七年になり、全世界でインフルエンザが大流行して大勢の死者が出た。

 なお、別にスペインが発生源ではないが大きく報じられたことから、スペイン風邪と名付けられたらしい。


 ちなみに日本はインフルエンザ対策は毎年きちんと行っており、医療に関しても世界一だ。とは言え流石に死者はゼロとはいかなかったが、被害そのものは軽微であった。

 それどころか医師団を各国に送り、病気に苦しむ大勢の人達の命を救った。


 このインフルエンザは大正九年まで流行が続き、またもや稲荷様ワッショイワッショイが加速することになったのだった。




 …とまあそれは一旦置いておいて大正七年に戻るが、諸外国がシベリアに向けて出兵を行った。


 参戦したのはイギリス帝国、アメリカ合衆国、フランス、イタリア、カナダ、中華民国である。

 大義名分だが、革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出するとのこと。




 なおこの件も日本は関与せずに、貝のように閉じ籠もり、沈黙を保っていた。


「リトルプリンセス! ここは日本も連合国に加わり、社会主義を封じ込めるべきでしょう!」


 本宮の謁見の間では、イギリス外交官が私に参戦するようにと強く要求してくる。

 途中で止めずにこの場に通されると言うことは、この人の地位が相当高いのか、国内世論が混乱しているかのどちらかだろう。


 だが私の答えは最初から一つであり、その意見を変えるつもりはなかった。


「いいえ。日本は動かず、専守防衛に努めます」

「そんな! リトルプリンセス! これは全世界の危機です! 何卒ご英断を!」


 確かに外交官が言うことも一理あるし、樺太と千島列島はソビエト連邦と隣接している。赤い軍隊がいつ日本に攻め込んで来るかもわからない、非常に危険な状態とも言える。


「落ち着きなさい。別に連合国の敵になるわけではありません」

「…と、言いますと?」

「日本はこれまで通り連合国を支援します」


 詳しい支援の内容までは話していないが、この先は日本の政府関係者と交渉することだ。

 それにイギリス外交官も、出兵はしないが支援を行うとの言葉を、私の口から引き出せただけでも十分だろう。


 ちなみにこっちとしては、向こうから話を切り出してくれて手間が省けたぐらいだ。


「わかりました。ご助力感謝致します。

 ですが日本にも危機が迫っているということを、どうかお忘れなきよう」

「ええ、存じております。では、私はこれで失礼させてもらいますね」


 そう言って私は立ち上がり、謁見の間から速やかに退室する。


 イギリス王室とは昔から仲が良いことから、おみ足ペロペロ派もかなりの数が潜伏しているのは間違いない。

 なのでこの場の外交官も根っこは悪い人ではなく、本当に日本のことを思っての発言なのだろう。


 そんな私は人気のない本宮の廊下を歩きながら、側に控える親衛隊に何気なく尋ねる。


「レーダー網に反応はありますか?」

「ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国は国境沿いに軍を集めてはいますが、日本に攻め込む様子はありません」


 日本の技術力は既に平成にまで到達しており、情報を制する国は世界を制すると私は日頃から公言していた。


 そして日本独自の諜報機関の設立は当然として、人工衛星やレーダー網により、ソビエト連邦が今何をしているかは丸わかりだった。


「では、今後も警戒を厳とします。その際にもし敵国が国境を越えた場合は、現場の判断で防衛をお願いします」


 ちなみに陸海空の幕僚長だが、今回の日本防衛に熱意を燃やしている。

 もし敵国が警告を無視して国境を越えて侵入したら、現場の自衛隊に対処を任せるつもりだ。


「稲荷神様のお手を煩わせはしないと、各幕僚長はそう発言しておりました」

「ありがとうございます」


 本宮の廊下を歩きながら、親衛隊の一人に微笑み優しく言葉をかける。


「ですが命を捨ててまで日本を守るのではなく、自衛隊員が誰も欠けることなく帰還するのが最優先です。

 勝てそうになければ逃げても良いのだと、そう彼らに伝えておいてください」


 これからの自分の行動で日本国民に犠牲が出ると考えると、痛むはずのない胃がキリキリしてくる。

 早いところ退位して重圧から解放されたい欲が強くなるが、この後は第二次大戦という地獄が待っているのだ。


 なので少なくともそれが終わってから、見えている小石にわざと躓いて転び、損害を最小限に押さえて惜しまれつつも責任を感じて引退というのが、稲荷神的にはハッピーエンドだろう。


 私はそんな望み通りの日が来ることを夢見て、ただ今の発言により、さらに深く心酔してしまった親衛隊たちに気づくことなく、聖域の奥の我が家にトコトコと歩いて帰るのだった。







 同じく大正七年に、ようやく第一次世界大戦が終結した。

 かれこれ四年もヨーロッパ各地で泥沼の戦争が続いていたので、本当に酷い有様である。


 ちなみに勝利したのは連合国で、負けたのは中央同盟国だ。




 戦後処理に関してだが、大正八年にパリ講和会議を開き、そこで色々な取り決めを行うらしい。


 日本は直接戦ったわけではないが連合国側に物資を送って支援していたので、棚ぼた的にパイが手に入ってしまった。

 だがまあ一番下の枠なので、会議で発言権を得られるのは一名だけで取り分も少ない。




 一体誰を向かわせるべきかと、この件について政府関係者は何度も会議を開き、時には専門家や民衆から広く意見を募ったりもした。


 そして結果が何と言うか意外すぎて、私はただただ開いた口が塞がらなかったのだった。


「あのー…ドイツに対しては、もう少し手心をですね」


 私は今、パリ講和会議に日本代表として出席している。

 選りにも選って初めて海外に行くのがこれとか予想外にも程があるが、国民投票までして選ばれてしまったからには仕方ない。


「しかしリトルプリンセス。この度の大戦で、我々は多くの犠牲を払ったのだ」

「もちろん存じているつもりです。しかし戦後復興もろくに行えない程追い詰めては、賠償金を払うどころではありません」


 そもそも私の政治手腕で外交官が務まるはずがないのに、圧倒的賛成多数決で選ばれたのは本当におかしくて、不正をしているのではないかと疑いたくなる。


 しかしまあ、日本の国民が望むので神皇に就いているのであり、彼らの総意ならば渋々でも引き受けるしかない。

 結局表情には出さずに、心の中で現状を嘆くぐらいしかできないのだった。


「なので、もう少しだけ長期的な視野を持つべきではないでしょうか?」

「ふむ、…と言うと?」

「世の中には、分割払いというのがありまして…」


 とまあ、元女子高生が色々屁理屈を言ったところで、起死回生の策を思いつくわけでもなく、極めて一般的な代案ぐらいしか捻り出せない。


 それでも捨てられた子犬のような目で、明らかに日本の席の私を見ている敗戦国の人たちが可哀想になり、つい口を出したくなってしまったのだ。


「何なら、日本の取り分は敗戦国に返還してもらっても結構です」

「…リトルプリンセス。貴女は一体どちらの味方なのだ。

 我々連合国か。それとも中央同盟国か。

 それに今の発言だが、日本国民を敵に回しかねんぞ」


 呆れた顔で溜息を吐きながらこちらに視線を向けるフランス代表に、私は透き通るような美声ではっきりと告げる。


「…なるほど。貴方たちにはわからないのですね」

「どういう意味かね?」


 少々癇に障ったのか、先程まで呆れた表情をしていたフランス代表の顔が引きつり、他の国の代表も私に向ける視線が厳しくなる。


「ここで敗戦国を助けたほうが、より大きな利益を引き出せる。

 日本の代表として、そう判断したまでのことです」


 さらに、借金の支払いが終わっても付き合いは続きますから、お互い良い関係を維持したほうがいいでしょう? …と付け加えて、クスクスと挑発的に微笑みながら返答する。


 なお本心は正直どれぐらいの利益が見込めるかは全く未知数で、私の頭では簡単な計算すらできなかった。

 それでもあまりに敗戦国が不憫だったので、口からでまかせで助けてあげたくなったのだ。


 だがまあ実際今の日本は、他所から利権を得なくても自国だけで回していける。

 なので、外交に失敗しましたー。テヘペロと帰国したあと、責任を取って神皇を退位という流れに持っていくこともワンチャンある。


 もちろん最初こそ第二次世界大戦が終わるまでが神皇を頑張ろうとは思っていた。だが私へのワッショイワッショイが世界各地で加速度的に増加を続けているため、その重圧が半端ではないのだ。

 なのでもういっそのこと、今後の方針だけだして現場に丸投げしてしまおうかと考えたのだ。


 そう頭の中で整理して、何となくだが退位への希望が見えてきたので、心の中でこれで勝つる! …とガッツポーズを取るのだった。

 



 なお同じく支援のみを行っていたオーストラリアも賛成のようで、一緒に敗戦国を支えてくれるそうだ。

 ちなみにイギリスは迷っているが、第一次世界大戦で大勢の犠牲を出してしまったので仕方ない。


「日本としてはドイツが戦争を起こさない限りは、復興が終わるまで支援を続けるつもりです」

「…その発言は少々迂闊ではないかね?」

「確かに今回の戦いで、数え切れない程の人命が失われたことは事実です。

 ですが、それはそれ! これはこれです!」


 たとえ敗戦国に恨みを持つ者が大勢いても、救いの手を差し伸べて何が悪いものか。

 ダブルスタンダードは私が知る未来で普通に行われていたし、現代でも多くの人が矛盾を抱えて生きている。


「私は目の前に困っている人が居れば助けますし、悪いことをすれば叱ります。

 なので他国の思惑がどうあれ、日本はドイツを支援します」


 私のガバガバな歴史知識では、この後に第二次大戦が起こる。そこでドイツと日本は同盟国となり、後に敗戦して東京が焼け野原になることを知っている。


 そのような悲惨な未来を回避するためにも、ここでドイツの手綱を握っておくに越したことはない。


 もちろん第二次世界大戦が起きないに越したことはないが、発端うんぬんに関してはさっぱり覚えておらず、とにかく日本がこっぴどく負けるという結果しか記憶にない。




 そして第二次世界大戦の発端がわからず、日本がボロ負けしている状況から、嵐が過ぎるまで自国に引き篭もる作戦は使えないと考えた。


 正史の悪役として徹底的に日本が叩かれているのだから、もし歴史の強制力とやらがあるのなら、何が何でも表舞台に上がらせようとするだろう。

 ならばやはりドイツの監視及び首輪を持っておいたほうが、うちの損害を減らせる可能性が高い。


 それに核爆弾の件もある。あれは放置しておくにはあまりにも厄介なモノだ。できれば投下の前兆を見逃さないためにも、情報を広く集められる場所に居たほうがいい。

 流石に日本に落とされることはないだろうが、他国なら良いかと言うとそれも違うのだ。


 なので私としては、核の投下は断固として阻止するつもりである。




 それらの考えを頭の中で整理して私は日本の席に座ったままでゆっくりと顔を上げる。そして先程の話を続きをするために、小さな口から凛とした声を出す。


「ですがもし、ドイツが戦争を起こした時は…」


 史実を捻じ曲げた影響と歴史の強制力、さらには大戦の発端が不明ならば、可能性が高い国を監視し、厄介な芽が育つ前に摘み取るに限る。


 いつの間にか講和会議に集まった各国の代表たちは、こちらの発言を固唾を呑んで見守っていることに気づく。


「私が止めます。たとえ日本国民に血を流させる結果になろうと。…絶対に」


 そして自らの言葉が終わると同時に、私は席から立ち上がって大きく飛び上がる。


 目指すはドイツの外交官の席の前であり、そこにフワリと舞い降りた。


「ですが戦争が終わったら、また笑顔で握手をして仲直りしましょうか」


 驚き戸惑うドイツ代表の手を取って、にっこり笑顔で握手する。


 私は小さな体なので幼児を引率するお父さんみたいな構図になってしまったが、格好が様にならないのは仕方ない。


 とにかく言うべきことは言ったので速やかに彼から離れて、また自分の席に戻るために軽く跳躍する。


「私の…いえ、日本代表からの発言は以上です」


 足元に踏み台が置かれた席に腰かけて、もうこれ以上は何も話すことはないと、お人形さんのようにチョコンと座ったまま動きを止める。


 あとは我関せずでパリ講和会議が終わるまで待つだけだ。




 だがしかし、私の思惑を裏切る形でパリ講和会議は進んでいった。各国の代表からリトルプリンセスはどう思いますかと、頻繁に意見を求められることになる。


 結局そのつど足りない頭をフル回転させて、必死に捻り出した答えを返し、心の中で悲鳴をあげながらその場しのぎを続けるハメになるのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ドイツへの慈愛と寛容さと半島への無関心で非寛容の落差がすごいw それなのによく鎖国時代は朝鮮との交易をゆるしてたなあと。 [気になる点] 2020年を超えても朝鮮とは国交断絶のままですか?…
[一言] コレはドイツ堕ちたな! かの国の首都は帝国時代のベルリンという古き名を捨て、ペロリンという新たなる名を得たことでしょう?
[良い点] 49/49 ・ドイツ攻略完了w ・さぁて次はどうなるのか [気になる点] ヒトラーさんはどうなるかな? 芸人か、コメンテーターか? それとも映画俳優か? (もしかして改名?)
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