大政奉還
自衛隊の電撃作戦により、ロシア軍艦ポサドニック号による対馬占領事件は、無事に解決した。…のはいいのだが、両国の関係は冷えきってしまった。
元々あちらさんが、日本にやたらとちょっかいをかけてきていたのだ。
最初こそ、極東の島国が何するものぞと余裕の態度だったが、今回は軍艦を轟沈したのだ。これには相手も度肝を抜かれたはずである。
だがこちらの主張としては正当防衛であり、悪いのはロシア帝国だとはっきりしている。
なお後日、リトルプリンセスちゃんを困らせるロシア帝国には、厳重に抗議しておいたから大丈夫だよ! …と、そんな内容のお手紙がイギリス王室から届いた。私のおみ足をペロペロしたがっている王室は別の意味で恐ろしいが、今回ばかりは助かった。
素直にお礼の手紙と日本のお土産をセットにして、船便で送っておいたのだった。
時は流れて文久元年の十二月。
幕末はまさに激動の時代であり国際化が著しく、欧州各国に文久遣欧使節を送ることになった。
だが皆日本が一番大好きなので、それよりも色んな意味で遅れていて治安の悪い国に行きたい人は殆ど居なかった。
なので結局企画を考えた関係者の中から、くじ引きで選ぶことにした。
そんなこんなで何とか三十八名をかき集めて、体裁だけは整えられたが嫌々感で沈み込んでいる皆のために、結局私が一肌脱ぐこととなった。
そして迎える十二月二十日。
今日は英国海軍の蒸気フリゲート、オーディン号により、欧州に向かって品川港を出発する。
その記念式典にて、私は水兵のセーラー服を着た状態で、堂々と皆を激励した。
「貴方たちはこれから、日本の代表として欧州各国と交渉の席につくのです。
くれぐれもしっかり頼みます。…期待していますよ」
最後の期待していますよで、明らかに皆のやる気が急上昇したが、元気があるのは良いことだ。
少々頬が朱に染まっているようだが、いつものことなので気にしないことにした。
それにしても、よくイギリスは気前良く船便を貸してくれたものだ。おみ足ペロペロ派は伊達ではないということだろう。
そんな多くの国民に見送られて旅立っていく使節団を、私は踏み台に乗ってぼんやりと眺めるのだった。
文久二年の八月、四人の騎馬に乗ったイギリス人が、東海道で乗馬を楽しみながら、観光で川崎大師に向かっていた。
そんな彼らが生麦村の近くを通りかかったとき、とても痛ましい事件が起きてしまう。
「だからあれ程、外国人に納豆料理を勧めるのは、止めるべきだと言ったのです」
「納豆料理は好みが両極端ですからな」
多分最後の将軍になるであろう徳川家茂さんと私は、森の奥の家の縁側に腰を降ろして、麦茶を飲みながら和やかに談笑していた。
今回の事件を簡単に説明すると、四名のイギリス人は桐屋という料理屋を見つけて、特に深い理由もなく、そこで昼食を取るために入店した。
馬屋に騎馬を預けて、いざ店内に入ったのは良いのだが、自国や横浜とは違う、多種多様な国際色豊かな料理の数々に目移りしてしまい、注文がなかなか決まらなかった。
そんな中で困った四人が従業員にオススメを尋ねたところ、納豆スパゲティを勧められたのだ。
全く味の想像がつかないが、取りあえずは皆が同じ物を注文し、待つこと十数分。
店員がトレイに乗せて運び、いざ目の前に並べられた料理を見て、四人は愕然としてしまう。
何かが腐ったような強烈な香りと、色の悪い麺と豆、あとは糸を引くほどの強い粘りのスパゲッティはそこにはあった。
だがしかし、金を払って頼んでしまった以上は、手を付けないわけには行かず、取りあえず一口いただくべく、皆がフォークを持って、納豆スパゲッティを口に運んだ。
しかし二人は口に入れた瞬間にギブアップしてしまい、再び店員を呼び出して質問し、二番と三番人気のカレーライスと生姜焼き定食に素早く切り替える。
ここで激怒して暴力沙汰に発展しなかったのは、残りの二名は美味しくいただき、食べ残して余った分もペロリと平らげたからだ。
「目の前で嫌いな物を食べられると、見ているほうは食欲をなくしますからなぁ」
麦茶で喉を潤す徳川家茂さんは、実際に体験したことがあるのか、淡々と語る。
だがカレーライスと生姜焼きは大変美味だったらしく、全員大満足で桐屋を立ち去り、その後の観光も特にこれといった問題も起きずに、横浜に帰ってきた。
しかし納豆スパゲティの独特な香りと味が忘れられない二人は、事あるごとに納豆を取り寄せて食すようになり、友人や親族にまで勧めるようになってしまった。
これが俗に言う生麦事件として、日本に観光に来る外国人の教訓として、広く知られることになったのだった。
文久の年は、歌舞伎や演劇、テレビ番組で大ヒット作が出たり、薩摩藩の料理人が納豆の素晴らしさを伝えるために、イギリスと日本で料理対決をしたりと色々あった。
そんな平和な日々も過ぎて年号は元治に変わり、それも終わって、いよいよ慶応となった。
そんな慶応二年のことだ。
外国人向けの新しい観光名所として、北海道に五稜郭が作られた。
その施設は巨大な星型で、なかなか綺麗だと思った。
当然私も記念式典に呼ばれて、もはや時代劇ぐらいしか着用者が居ない侍衣装を身に着け、腰に刀をさし、テレビカメラで四方八方から撮影される。
さらには記者からインタビューまで受けることになった。
その際に気が乗ったので、マシンガンから連射されるゴム弾を、刀で全て斬り落としたり、アクロバティックな動きで華麗に避けたりする。そんな映画の星間戦争のマネをした。
なお最後にはお約束のように狐火を刀身にまとわせ、大岩を一刀両断した。物理的には到底不可能だが、何故かやれてしまったのだ。
ちなみに、一般人には不可能なので、くれぐれも真似をしないようにと、注意喚起を忘れない、賢い狐っ娘なのであった。
後日談となるが、ここ最近は新政府を立ち上げるために、神皇の仕事の拘束時間が増えて、過去最高にストレスが溜まっていた。
なのでたまたま機会があったので、久しぶりにはっちゃけて、星間戦争ごっこなどをしてしまった。
つまりは自らの神秘性を、テレビカメラの前で、これでもかと見せびらかしたのだ。
おかげでスッキリした気分爽快になれたが、全てが終わった後にやらかしたことを自覚し、これで引退が遠のきそう。でも、ストレスが溜まったらまたやりそう…と、数百年生きても一向に学習しない自身に呆れて、心の中で大きな溜息を吐くのだった。
慶応三年、日本全国、特に近畿、四国、東海地方などで爆発的に熱狂的に踊りを踊る、ええじゃないかが発生した。
何でも天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだという噂が広まったらしい。
実際に新政府の樹立は、既に日本全国の民が周知しているので、新しい時代が始まるのは間違っていないが、そこに天からの御札は一ミリも関係ない。
大体、天下泰平の数百年は何の問題もなかったのに、何故このタイミングで熱狂的に騒ぎ立てるのだろうか。
私は足りない頭を捻って考えたが、結局これといった答えが見つからずに、首を傾げるばかりだった。
そして慶応三年の十月、いよいよ大政奉還の日になった。
既に皇居はいつの間にか江戸に移っていたが、朝廷の仕事場である二条城は京都にある。
私と徳川慶喜さんは蒸気機関車ではなく、特急電車に乗車して、駅を出てからは運転手付きの乗用車で移動し、日が暮れる前に現地の宿泊施設に入った。
そこで大部屋を貸し切り、高い酒とツマミを用意してもらい、これまで色々ありました…と、江戸幕府を開いてからの思い出話に花を咲かせる。
本来私はどれだけ飲んでもほろ酔いなのだが、その日は何故か徳川慶喜さんよりも先に酔っ払って意識が保てなくなり、あっさり寝落ちしてしまった。
だが、夢の中で徳川家康さんと織田信長さんたちが現れて、あの世でも酒盛りをしたので、寝覚めはなかなか良かった。
そして次の日の早朝になり、私たちは二条城に入城する。
そこでまず、徳川慶喜さんが征夷大将軍を私に返し、さらに自分が朝廷に奉還する流れである。
やんごとなきお方は、数百年前と同じようにすだれのような物で隠しており、はっきりとした姿は見えないが、儀式は粛々と進んでいく。
「稲荷神様、これまで本当にお疲れさまでした」
征夷大将軍は今は誰も就いていない。これからは武士の統治ではなく、民衆の代表として明治政府が立つのだ。
そして私も神皇から退位すれば、あとは日本の行く末を静かに見守るだけである。
(ん…? あれー? よく考えたら私って、退位できなくない?)
そもそも神皇は自らの意思で退位はできず、神様が肉の体を持って地上に降りた瞬間、勝手に付いて来るものだ。
つまりこの役職を決めた日本の民が、稲荷神いい加減引退しろ! …等のブーイングが出て法律が改正されるまで、最高統治者の立場は固定され続けることになる。
「では、これにて大政奉還の儀式を終わります」
「あっ……はい」
何となく釈然としないものを感じる私と、ようやく肩の荷が下りる徳川慶喜さんと幕府の役人たちは皆、儀式の間の外へと出ていく。
自分も城内の廊下を歩いていると、イキイキとした笑顔を浮かべる役人の一人が、こちらに声をかけてくる。
「私たちはこれから新政府への配属となりますが。稲荷神様、今後とも我らをお導きください」
「えっと…あの、私は今日で退位します。もしそれが無理なら、名前だけ貸して隠居したいのですが…」
徳川慶喜さんや、話を聞いていた他の幕府の役人の顔色が残らず悪くなるが、たとえ退位はできなくても、これ以上の政権運営に関わるつもりはない。
普通の女の子には戻れないが、引退宣言をして、いい加減日本の舵取りから離れたい。
「…はっ? じょっ…冗談、…ですよね?」
役人の一人が冷や汗をかきながら尋ねてくるが、江戸時代はずっと鎖国していたので、トップが頭の悪い私でも何とか回っていた。
しかしこれからは、世界が相手なのだ。いつまでも自分が日本の舵取りをしていたら、あっという間に国が傾いてしまう。
「残念ながら私では、世界を相手に戦えません。これからは貴方たちの時代です」
「いやいや! 稲荷神様なら大丈夫ですよ!」
「いやいやいや! ですから私では荷が重いのです!」
「いやいやいやいや! 本当に任せて安心ですから!」
「いやいやいやいやいや! かっ…勘弁してください!」
そのまま一対多数のいやいや合戦を二条城の廊下で繰り広げたが、やはり多勢に無勢であり、結局私のほうが先に根負けしてしまった。
しかしロリペタ狐っ娘に国の舵取りを任せて、不安はないだろうか。
正直なところ、海千山千の列強を相手に勝ち抜けるほど、私は状況判断や政治に優れてはないし、現代知識はあらかた放出してしまった。
「はぁ…わかりましたよ!
ですが、もし国民が納得しないようでしたら、私は即退位しますからね!」
だがまあ今の私を評価できる点も一応あり、朧げな歴史知識、三百年に渡る天下泰平、日本の領土及び友好国の拡大、あとは永遠のロリペタ狐っ娘の愛くるしい見た目だろうか。
しかし、それだけで渡る世間の荒波を回避できるなら、誰も苦労はしない。
今あげた実績はハリボテのようなもので、風が吹けば桶屋が儲かる理論で、私の手腕ではなく何故か勝手に積み重なっていったものだ。
「ありがとうございます! 稲荷神様! これで日本は救われます!」
「「「稲荷大明神様! 万歳ー! 万歳ー!」」」
だがまあ、もうちょっとだけ神皇を続けるよ宣言に役人連中は大喜びであり、いつの間にやら集まってきていた公家さんたちまで、両手を上げて万歳を行う。
そんな二条城の廊下で、こんなんで本当に、これからの列強諸国を相手に生き残れるのかなぁ…と、日本の先行きに不安しか見えない現状に大きな溜息を吐く。
後日談だが、やんごとなきお方が姿を隠したままなのは、普段からやたらと腰の低い私のためを思い、公家や幕府と相談した結果、通常通りの式典を開くことに決定した。一同断腸の思いだったらしい。
関係者の一人が、そうこっそり呟いていたのを狐耳が拾ってしまい、別に知りたいとも思わない、割りとどうでもいい真実を知って、こんな時、どんな顔をすればいいのかわからなくなるのだった。




