対馬占領事件
黒船来訪から、大本営発表で我軍の勝利であると伝え続けるような偏向報道だが、それでも情報伝達手段の主力だ。
何より、ペリーさんのその後もちゃんと書かれていた。
彼らは日米和親条約を締結したあと、嘉永七年の七月に沖縄に向かい、そこでも不平等条約を押しつけようとしたが、そう簡単にはいかなかった。
うちは琉球王国ではなく沖縄で、日本の領土なので…と、何度交渉しても向こうの答えはこれのみだからだ。
結局無駄に時間を浪費するだけで何の成果も得られず、諦めて香港に向かったので、私はアメリカと今すぐ戦争になることはないかな…と、少しだけ気持ちが軽くなったのだった。
嘉永七年には、京都が大火事になったり、伊賀、そして東海地方で相次いで大きな地震が起きたりと、相変わらず慰問活動の機会が多くて困る。
そして仕事に慣れるとはこういうものかと、実感するのだ。
その後は特に何事もなく、嘉永が終わって安政元年になり、日本とロシア帝国との間に、日露和親条約が締結された。
先のアメリカの強硬姿勢を跳ね除けたのがお隣にも伝わっているらしく、隠蔽工作をしていても、日本の国力や技術格差というのに薄々気づいているようだ。
何にせよどれだけ威圧しても無駄だと判断したのか、割とすんなり平等な通商条約を結ぶことになった。
安政の年号のうちに新たな政治機構の準備を進めるために、私は各藩に協力を求めることにした。だがこれは、地震や津波を受けた被災地に慰問に行くついでであった。
…と言うのも、ここ数年は災害の当たり年のようで、本当に日本はこういうのが多くて困る土地柄である。
そして続く安政三年の七月に、ハリスさんという人が初代駐日領事に着任した。
ペリーさんではなかったことに驚くが、今後はきっとヒゲモジャの彼が、アメリカとの窓口を引き継ぐのだろう。基本的には幕府が対応するので私の出番がないことを願うまでである。
そんなこんなで、日本列島は相変わらず地震や台風に悩まされている。
それでも福沢諭吉さんが学校の校長先生になってからは、平均学力が目に見えて上がったりと、良いニュースも一応あった。
しかし、今は明治政府の樹立に向けて忙しくて、素直に喜ぶ余裕がなかった。
ここ最近の私の仕事といえば、各藩の代表を訪ねて、今度大政を奉還して、これこれこのような政治体制に変わります。
ですので協力のほうをよろしくお願いします…と、お願いすることだ。
詳しい資料は江戸幕府の役人が作成して、必要分は印刷して各機関に配布済みなので、本当にお願いだけである。
それでも皆は嫌な顔一つせずに、すんなり了承してくれるので、こっちとしてはホッとするものの、何だか申し訳ない気分になる。
私が間違って覚えた士農工商を告知したのも、今は昔である。
一応は身分の括りはあるものの、ですが稲荷神の前では皆平等ですと、ダブルスタンダードを公言したので、武士が好き勝手に威張り散らすこともなく、天下は今日も泰平で、ゆっくりと時が流れていた。
一時期コレラが流行の兆しを見せたが、すぐさま対応マニュアルを徹底したので、被害を抑えられて何よりだった。
そして米露に国交が開いたので、互いに多くの物が行き来するようになった。
…と言っても、ぶっちゃけ親日国のオーストラリアだけで間に合っているので、こちらが買う物は殆どない。
主に機密に触れない品々を売り払うばかりだ。
それはともかく、もし硬貨のままなら日本の金が流出していたことだろう。しかしうちは紙幣なので、交換レートを監視するだけで済むのは幸いである。
ちなみに初代駐日領事のハリスさんだが、彼は重度のコレクターらしく、私の関連グッズを集めているらしい。
人形、切手、お札、トランプ、パズル…その他諸々だ。
おまけにアメリカ本国でも日本の紙幣が人気になり、もっとも人気が高いのは、やはり一万円札らしい。
そのせいで、違う意味でお金の流出に気をつける必要がでてきてしまったのが、本当に困りものである。
そして一万円が稲荷神なのはもはや固定なようで、新札でポーズや衣装変更がされるたびに、マスコットキャラのグッズ販売でもないのに自分が飛ぶように売れると思うと、何とも複雑な気分なのだった。
安政が終わり、万延となった。しかしすぐに過ぎ去って、年号は文久に変わる。
その元年の二月に、事件が起こった。
ロシア帝国の軍艦が日本の領土である対馬芋崎を不法占拠したのだ。
現在我が国では統治システムが異なる明治政府の樹立を目指しており、通常の業務以外にも仕事が山積みで、連日大忙しであった。
そこにさらにおかわりが追加となれば、相手さんに文句を言いたくなるのは間違いない。
ちなみにどのような事件かと簡単に説明すると、ロシア帝国海軍中尉ニコライ・ビリリョフが、軍艦ポサドニック号で、対馬に来航したことが事の発端となる。
なお対馬は、条約や法令によって外国との貿易に使用される港ではなかった。
それなのに勝手に錨を下ろして艦隊を留められたら、役人が速やかに退帆するようにと抗議するのも当然の流れであった。
だがビリリョフ艦長は、船が難破して航行に耐えられないので、修理のために来航したと回答する。
これだけならまあ百歩譲って仕方ないかもだが、彼はさらに修理工場の設営資材や食料、遊女までもを要求してきたのだ。
大した面の皮の厚さだと感心するが、羨ましくも何とも思わなかった。
ちなみに私は、このところずっと難しい政治や経済の会議に強制参加させられていた。
実際にはマスコットキャラ兼最高統治者として、ただそこに居るだけである。
とにかく意見は言わずとも存在するだけで意義があるらしく、納得はできないがまあ仕方ないかと、大人しく従っていた。
だがそのせいで早朝のジョギングやワンコと戯れたり、縁側に座って空を流れる雲をボーッと眺める時間もろくに取れず、ストレスが溜まっていたのだ。
だからなのか、ロシア帝国がどれだけ酷いことをしているのかを、日本中の国民に教えることにした。
何となく深夜のテンションでストレス解消といった気がするが、誰も突っ込まなかったので、謁見の間に勢揃いしている関係者も色々と限界だったのだろう。
なので私は護衛の一人に黒電話を運んでこさせて、小さな手で受話器を取った。
「…自衛隊の出動を要請します。目標は対馬を不法占拠するロシア帝国艦隊。
住民の救出ですが、自衛隊員の身の安全を最優先、あとは現場の判断にお任せします。
その際に戦場カメラマンを同行させ、なるべく安全な場所で取材させてあげてください」
戦場カメラマンと言っても写真撮影ではなく、テレビカメラのほうだ。そしてまだカラーではなく白黒で、ブラウン管テレビはあまり普及してはいない。
だが公民館等の重要な機関には設置されているので、興味を惹かれる番組が放送されると聞けば、国民は自ずとその場所に集まるだろう。
私個人としては白黒ではなくカラーテレビに思い入れがあるが、これでも百年近く時代を先取りしているので、贅沢は言えない。
だがまあとにかくこれで、政務に駆り出された鬱憤も少しは晴れると、黒電話の受話器をガチャリと置く。
だが相変わらず、マスコットキャラの宿命からは逃れられず、再び始まった知能指数が要求される会議を眺めながら、早いところおやつタイムにならないかなぁ…と、カチカチと刻む時計の針を、ぼんやり見つめるのだった。
私の要請を受けた自衛隊が速やかに出動したことで、ポサドニック号が対馬を不法占拠してから僅か半日足らずで、全ての船舶を無力化することに成功した。
彼らは島に上陸して物資を強奪したり、婦女を脅して追いかけ回す等していたが、皆速やかに逮捕された。
ちなみに向こうも武装していた艦船であり、一分一秒でも早い住民の救出が望まれていたため、電撃作戦を行った。
初手はロングレンジからの主砲の一斉掃射で、まずロシア帝国の艦隊を轟沈させる。
そして追撃として、小型艇を出して対馬に次々と上陸し、暴徒鎮圧用のゴム弾を標準装備した自衛隊員たちが、不法占拠を続ける敵水兵に攻撃を行う。
中には人質を取ったり建物に立て籠もる者も居たが、そちらは前線の隊員が気を引いている間に、長距離からの狙撃銃でテロリストのみを仕留めたり、手榴弾を投げ込んで、敵をまとめて殲滅したりと、まさに獅子奮迅の大活躍だった。
やはり反撃を受ける心配がなく、一方的に攻撃できる長射程は正義であると証明された形だ。
なお全てが片付いたので、私はいつものように、今回の事件を命がけで解決に導いた自衛隊員たちに、労いの言葉をかける。
それを行いながら、もうすぐ明治に入るけど、その時には日本の技術力は昭和に入ってるのかも…と、ぼんやりと考えるのだった。




