黒船
弘化が終わる少し前に、長野県北部の善光寺を震源とした大地震が発生したが、現在では耐震構造を重視していない家屋のほうが少ないため、被害は格段に減っている。
それでも被災地への慰問には行くのはもはや恒例行事となっている。
ちなみに蒸気機関車だけでなく、最近はガソリン自動車も日本とオーストラリアに広まり始めており、移動が楽ちんで嬉しい限りだ。
だがしかし、巨大な大鍋をかき混ぜるだけでなく、屋根なしのオープンカーに乗せられて、笑顔で手を振るという歓迎パレードも神皇の仕事に追加されたので、平穏な生活からは、三歩進んで二歩下がってるなと感じたのだった。
そして続く嘉永元年になると、世界中で革命が起こり始めた。
今回、戦乱の渦に巻き込まれた国は、フランスとドイツで、旧体制の崩壊は他人事ではなく、私にとっても非常に恐ろしいものだ。
退位に関しては魔女裁判にかけられることなく、惜しまれつつも止むに止まれぬ事情で引退という形で軟着陸したい。
だがもし日本でも革命が起きてしまえば、その後の人生が生き辛いものになるのは確実だと思ったのだった。
嘉永六年になって、小笠原で大地震が起きたが、全国からの暖かいご支援のおかげで、無事に復興を成し遂げた。
だが問題はそのすぐ後で、とうとう来るべきものが来てしまった。
四隻の黒船が、浦賀沖に姿を見せたのである。
これを受けて日本中の民衆がびっくり仰天し、特に江戸の町は上を下への大騒ぎ…とはならなかった。相変わらずいつもと変わらず、天下泰平である。
私は彼らがいつかはやって来ると事前に知り得ており、心構えができていたのだが、国民の動きがあまりにもなさすぎるのは不思議に思った。
だがよく考えれば、町人にとって蒸気船は別段珍しいものではなく、浦賀沖に変な船が来てない? ああ、他国の黒船だね。何だ黒船か。…と、そこで会話が終わってしまうのだ。
パニックにならないのは良いことなのだが、メインイベントをスルーされた感が強くて、何とも釈然としない気分になったのだった。
なお今回の主役であるペリーさんだが、彼はアメリカ合衆国大統領のミラード・フィルモアからの、親書を届けるのが目的であった。
幕府側が指定した久里浜に護衛を引き連れ上陸して、戸田氏栄と井戸弘道に親書を手渡しただけで、具体的な協議はせずに開国を要求した。
それに対しては、重大な案件なので、返事は翌年まで待つようにと伝えると、食料や艦隊等、諸々の事情もあったので、彼らの船団は沖縄に舵をとって悠々と去っていったのだった。
さらに一ヶ月が経つと、今度はロシア大使のプチャーチンが開国通商を求めて、長崎に来航した。
そして彼らも、長崎奉行の役人に国書を渡してきた。
だがクリミア戦争に参加したイギリス軍が、極東のロシア軍を攻撃するための艦隊を差し向けたという情報を得たため、急いで上海に向かうこととなった。
アメリカへの返答には、一年の猶予期間を稼いだが、そこまで悠長にしてはいられない。
まずはあちらの詳しい事情を知るために、向こうで活動していたという中濱萬次郎(ジョン万次郎)を招聘した。
さらに彼には直参旗本の身分を与えて、軍艦教授所教授に任命した。
私にはよくわからないが、アルバイトがいきなり社長に呼び出されて、係長に抜擢されたようなものだろう。
あとは教授がダブっているが、別におかしなことではないらしい。
ともかく急いで守りを固めなければと考え、品川に砲台…ではなく、もはや難攻不落の巨大要塞を築き、万が一の戦闘に備えた。
私としてはアメリカと戦うつもりはないのだが、備えあれば憂いなしであり、今の時代は何がキッカケとなり、血みどろの殺し合いが始まるかわからない。
現在の日本の法律ではないが、憲法九条バリアでは、一度放たれた砲弾は止められないのだ。
「…それで、稲荷神様はどのような方針を?」
稲荷大社の本宮にある謁見の間で、いつものように適当に茶をしばきながら、今代の征夷大将軍こと徳川家慶さんや、その他大勢の幕府の役人と緩い雰囲気で相談する。
「私はアメリカ側の要求に応じるつもりです」
「なっ何と! これまで通りの鎖国政策ではないのですか!?」
謁見の間に集った者たちの顔が、一様に驚愕に変わる。
私は確かに、これまでずっと鎖国政策を貫いてきた。そして今では多少のことでは小揺るぎもしないほど、盤石な地盤を築いたのだ。
なのでその気になれば、アメリカの要求を突っぱねて、逆に攻め込んで屈服させることぐらい、容易くできる。…もちろん実際にやるつもりはないが。
「鎖国をして天下泰平を維持するのは、世界情勢的に難しくなってきたのです」
「確かに欧州では戦が頻発しておるし、アメリカも強硬姿勢を崩しておらん。
今後は彼の国のように、こちらに直接乗り込んで開国を迫る輩も現れるであろうな」
今代の征夷大将軍の言葉に深く頷き、私は珍しく真面目な表情で話を続ける。
「私は日本国民が幸せに暮らせる道を、選ぶつもりです」
実際のところ、何が正解か不正解かは出たとこ勝負だが、少なくとも江戸時代の間は天下泰平は続いていた。
数百年も神皇の職を続けていたのだから、そろそろ止むに止まれぬ事情で退位しても、良い頃合いだろう。
ここで開国すれば江戸幕府の終焉に繋がると朧げな歴史知識でも覚えており、同時にそれは、稲荷神や幕府がこれまで築いてきた統治システムが崩壊することを意味する。
もちろん現体制が崩れることをヨシとはできないだろうから、これから国民をどうやって説得したものかと、私は頭を悩ませる。
「わかりました! 稲荷神様の言う通り、鎖国を止めて国交を開きましょう!」
「やはり簡単には納得でき……えっ?」
何か今、開国しようとか聞こえた気がするが、気のせいではなかろうか。
私は混乱する頭を順番に整理しながら、口をポカンと開けたままで、謁見の間に集まった人たちをぐるっと見回す。
「あっ…あの、皆はそれで良いのですか?」
「これまでの長きにわたる天下泰平は、稲荷様のお力あってのことでございます!
その貴女様が、此度の開国こそが日本の未来にとって、より良き選択だとおっしゃられた!
それを否定する者など、日の本の国には一人もおりませぬ!」
もし居たら拙者が叩き切ってくれるわ! そうだそうだ! …と言った声が、謁見の間のあちこちから聞こえてくる。
それは私への信仰心というか、崇拝に近い何かを感じるので、正直ちょっと引いてしまった。
だが今は一旦それは置いておき、すんなりまとまったのは良いが、彼らにまだ伝えていないことがあるので、少し震えながら口に出す。
「開国することで、徳川幕府が終りを迎えても、…ですか?」
「元は稲荷神様が征夷大将軍に就いており、我らは借りていただけではござらぬか!
ならば此度は、それを貴女が朝廷に返還するだけのこと!」
何だそんなことかとばかりに、徳川家慶さんが豪快に笑う。
しかし言われてみれば元々私が征夷大将軍に就いており、江戸幕府を開いたのも自分だ。
そこから色々あって、徳川家康さんに権限を譲渡する手続きをしたが。貸していた権威を返してもらうだけなら、何らおかしなことではない。
「では、徳川家慶さん。そして幕府の方々。これまで本当にお疲れさまでした。
ですが新たな統治機関に移行するのは時間がかかりますので、もうしばらくは将軍職を貸しておきます。
ですがいつ退位を命じられても良いように、心の準備だけはしておいてください」
その後、私は珍しく真面目な顔になって姿勢を正し、謁見の間に集まった幕府の関係者全員に順次視線を向ける。
今のメンバーを集めての対策会議も、あと何回行えるのかわからないし、場合によっては、江戸幕府が明日にはなくなっている可能性もゼロではない。
ならばせめてどんな人がこの場に居たのか、私は一人でも多く記憶に刻むことにした。
(あー…でも、江戸幕府の関係者を明治政府に組み込まなきゃ、統治が上手くいかないかも)
何となく今生の別れのような雰囲気になっていたが、冷静に考えると国の政治形態が変わっても、総取っ替えは難しく、たとえ地方から採用するにしても、現メンバーもかなり優秀な者が揃っている。
だがまあ、私以外にも政治の転換期が良い機会だと考えて、流れ的に引退する人が大勢出るはずだし、ふらっと遊びに来たり、早朝ジョギングのときぐらいしか、顔を見れないかな…と、小さく頷くのだった。
嘉永七年になり、黒船が再び来航した。
しかも四隻ではなく七隻になっており、彼らが横浜沖に停泊してしばらく経った後、さらに二隻増えて、九隻になっていた。
日本を威圧しているつもりだろうが、万が一戦いになっても負けるつもりは毛頭ない。
なので狐の尻尾を震えさせながら、浦賀沖に戻ってくださいと要求せずに、堂々とした態度で交渉を始めることにした。
ペリーさんは江戸を希望していたが、流石に日本の本丸に仮想敵国を入れるわけにはいかない。
たとえ負けるつもりはなくても、本土が戦火に晒される可能性は排除しておくに限る。
そんな、あくまでも強気の姿勢を崩さないアメリカに、とにかく粘り強く交渉する。
ぶっちゃけ、彼らを今ここで全滅させるのは容易い。だがしかし、こういうのは大義名分が大事なのだ。
先に手を出したほうが国際的な立場で不利になるのは必然であり、相手を潰すのなら、正当防衛を主張できる状況がベストである。
そんなこんなで案の定、交渉は難航した。
それでも三月には横浜村に応接所を設置することができたので、約一ヶ月にわたる協議の末、同年三月に日米和親条約を締結、調印した。
もちろん不平等ではなく、平等な条約だ。
ペリーさんは相当渋っていたが、私が黒電話で一歩も引くなと指示を送ったので、こちらの外交官は皆強気の姿勢を維持し続けた。
だからこそ長引いたのかも知れないが、別にこっちは時間制限などないので、いくらでも長考すればいい。
なお交渉の途中で、我が国こそが正義であり、日本のためを思って今回の条約を結ぶのだ。
もし条件が飲めなければ、場合によっては武力を行使する可能性もある…と、ペリーさんが挑発的な発言を口に出した。
なので私は、応接所に設置してある黒電話の音量を彼らに聞こえるボリュームまで上げさせてから、こう返答した。
「日本は既に、オーストラリア、イギリス、オランダ、スペイン等の外国と、平等な交易をしています。
なので今ここで、アメリカの不平等条約を飲むメリットは一切ありません」
向こうの映像は見えないが、会議の場がざわめいているのが伝わってくる。
「そんな取るに足らない島国が気に食わないからと、命がけの大航海をして攻めて来るなんて、随分と余裕がおありなようで、羨ましい限りです」
私はそんな感じに遠回しな嫌味を言って、受話器を黒電話に戻す。
売り言葉に買い言葉だが、アメリカにとって私の発言は図星だったらしく、その後は大した反論もなく、その日の会議は終了した。
なお後日、私の発言は大きく取り上げられ、可愛らしい狐っ娘を威圧する妖怪じみた醜悪なペリーさんのイラストを添えて、新聞の一面を飾ることになった。
後世の歴史学者に、今回の件がどのような評価を受けるのやらだが、そもそもマスメディアは、平等な情報を発信するはずだ。
だがこれはどう考えても、善悪がはっきり分かれている。
早朝の稲荷大社周りのジョギングを終えて、森の奥の我が家に帰った私は、配送ポストに届けられた瓶牛乳をゴクゴクとラッパ飲みしながら、片手に持った偏向報道があからさまな新聞に、これは酷い…と呟きながらも、しっかりと目を通していくのだった。




