硬貨から紙幣に
元禄が終わり宝永が始まり、お蔭参りという伊勢神宮への集団参詣が大流行した。…と思ったのだが、どうやら本命は江戸の稲荷大社のようだ。
線路が本州だけでなく九州と四国に繋がり、一般客を乗せる蒸気機関車が営業を開始したのが原因の一つだろうが、どうしてこうなったのかは不明であった。
ちなみに列車の本数や各駅はまだ少なく、乗車切符がとても高いが、徒歩の旅行よりも遥かに格安で、移動時間が大幅に短縮できる。
代わりに峠の茶屋や宿場町が深刻な経営危機になるが、前々から忠告はしていたので、客を呼び込む手を打ってくれることを期待したいところだ。
それはともかくとして、集団参詣により、北海道と沖縄を除く日本全国から、数百万人規模でお稲荷参りが行われることになってしまったのだった。
江戸の町やその周辺だけでもかなりの人数だったのに、さらに全国から殺到するとなれば、稲荷大社の処理限界を容易く越えてしまう。
なので私は神社の敷地を拡大して、神職と祭神を増やし、参拝客を上手いこと分散させることに決めた。
まずは周辺住人に頭を下げて土地を高値で買い取り、空いた敷地に過去にやったように、北の山脈から樹木や土を大量に持ってくるのだ。
徳川幕府を開いた当初よりも、作業効率が格段に上がっているので、そこまで時間はかからないはずだった。
だが完了まで三年もかかってしまった。これは祭神と神職希望者の応募が多すぎたからで、予定していた土地だけでは足りなくなり、最終的には何倍にも膨れ上がってしまったからだ。
「それで、とうとう完成したのですか」
「はい、最奥の稲荷大社を改装してより綺羅びやかにし、外堀の内には他に天照大御神を始めとした、ご利益のある八百万神の祭神。
さらには仏教とキリスト教も揃えておりますので、抜かりはございません」
何とも華やかで、まるで神様のバーゲンセールである。これなら本命はうちだとしても、参拝者は確かに分散する。
ついでに宮大工の匠の技によって、山小屋から一人住まいの現代家屋にリフォームされた。
そんな我が家の居間で、今回の建設に関わった幕府の役人から話を聞き、これで何とかなるはず…と一安心して、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
宝永四年、今度伊勢で売り出す予定の和菓子、赤福がお供え物として私の元に届いた。簡単に噛み切れるほどに柔らかいお餅と、甘いこし餡という、素朴で懐かしい味だ。
我が家の縁側で日向ぼっこをしながら、ほうじ茶と一緒にいただくと、向こうに置いてきた遠い過去に戻ったようで、何とも心が落ち着く。
ちなみに現在の実家である稲荷大社は、全国の神社と寺院と教会の集合体とか概念とか、そんなよくわからない塊になっており、連日多くの参拝者で満員御礼であった。
旅行パンフレットでも、江戸に来たらまずは稲荷大社に行くべきだとばかりに、大きく取り上げられている。
なので規模と祭神を増やしたことで、より多くの客を呼び込むという悪循環に陥ってしまった。
そのせいで神職の関係者は、毎日馬車馬のように働く羽目になり、従業員をどれだけ増やしても睡眠時間が削られている状態らしい。
だが、おかげで稲荷神の住まう聖域である森林はより広大になった。
私の家までは表の喧騒は届かないので、とても静かだ。他者の苦労を考慮しなければ、個人的には今のほうが気楽に過ごせて良いなと思うのだった。
宝永五年、連日の火山の噴火と大地震と大津波だけでなく、昨年の十一月に日本の象徴である富士山が大爆発して、江戸まで火山灰が飛んできた。
現代ではずっと休火山のイメージがあったので、物凄く驚いた。
それとは別の案件だが、同年の一月末日に、稲荷大社の本宮、謁見の間に集まることになった。
そこでの徳川綱吉さんと幕府の役人のお悩み相談は、今流通している銭を、今年の四月に改正したいということであった。
何でも新通貨の宝永通宝にしようと計画しているらしいが、私は断固、円にするべきだと声高に主張した。
詳しい理由は適当に誤魔化したが、日本の統治者である神皇のお言葉だ。
徳川綱吉さんは若干引き気味になりながらも、よくわからないテンションに押し切られて、悩むことなく首を縦に振った。
ふと疑問に思ったので、新通貨を流通させる理由を尋ねると、国内の金銀の産出量に陰りが見え始めて、今は銅が最盛期であり、今後はそちらを原材料にということらしい。
その後も、試し打ちした硬貨を見せてもらったが、こんな重いお金をいちいち持ち歩いて買い物をするのは嫌だ。…と率直な感想を述べた。
ちなみに戦国時代に飛ばされてからは、一度もお金を払って買い物をしたことはないのだが、それは棚上げする。
「なので、印刷機を使った紙幣にしましょう」
「紙幣と言いますと?」
「こんな重いお金を持ち歩くのは大変ですし。紙幣にすれば軽くなりますよ」
日本以外では使うことはできない紙幣はとても軽く、特注の印刷機さえあれば、量産は容易である。
だがまあ一円から作るとなるとかさばるので、百円未満は硬貨を小型化することも一緒に伝えておく。
「偽札を防ぐために製造番号や透かしを入れたりと、精巧な工夫をする必要はありますが。
今の大きくて重い硬貨よりはマシです」
「なっ…なるほど、では紙幣の原画はどのように?」
「…そうですね。日本の偉人や風景を入れるのが一般的ですよ」
そして徳川綱吉さんと幕府の役人たちは、参考になりましたとお礼を言って、退室していった。
また、紙幣の見本ができたら、またお話しに来ることになった。
江戸幕府にとって、国内の貴金属の需要と供給のバランスの崩れは頭の痛い問題だったので、今回の私の提案は渡りに船だったらしい。
ちなみに四月から流通させる円の紙幣だが、百、五百、千、五千、一万が作られることに決まった。
それ以外の一、五、十、五十は硬貨のままだが未来に近く小さく、そして軽くなったので、前よりも格段に持ち運びやすくなった。
それらの過程を得て、相談を受けてから二週間後。
再び謁見の間に呼び出されてサンプルを見た私は、小さな手で頭を押さえながら、自信満々といった顔の幕府の役人に質問する。
「私が一万円紙幣に描かれているのは何故ですか?」
「稲荷大明神様は、日本の統治者ですから!」
「そっ、そうですか。まあ…透かしも製造番号も完璧ですし、問題はないでしょう」
「ありがとうございます! では全国民に告知して、四月から流通を開始します!」
四月の始めから旧硬貨の回収を開始して、同額分の新硬貨と紙幣に交換する。そのことをあらかじめ日本全国の民に周知させるのだ。
ちなみに稲荷神(偽)の私の他には、徳川家康さんと織田信長さん、聖徳太子と紫式部、さらには天照大御神といった過去の偉人が刻まれていた。
描かれている人物は、既にこの世には存在していないが、唯一の例外として自分のみが生きたまま紙幣になるのだ。
(そう言えば私って神様なの? 人間なの? それとも妖怪?)
神様や人間とは一体何ぞやと首を捻って考えても、結局答えが出なかった。
満面の笑みで退室する役人を見送った後、正体を知ったところで私生活には何も変化はないし、別に何でもいいか…と、いつも通り気楽に考える。
取りあえず家に帰ったら、お土産に貰った雷おこしを食べようと、すぐに気持ちを切り替えるのだった。
宝永五年の四月、通貨の回収を事前に告知していたためか、混乱は殆どなかった。
そして硬貨から紙幣へと、スムーズに切り替えることができたのだった。
国民は持ち運びが大変で、常日頃から重くて不便に感じていた旧硬貨から解放されて喜んでいた。
そして、色鮮やかで美しく描かれた紙幣を手に持ち、様々な角度から眺めては楽しんでいるようだ。
ちなみに幕府が回収した古い硬貨だが、使わずに死蔵となった。これは今の日本は北海道が自領で、オーストラリアが親日国であるためだ。
他国から買う物が特にないので国外に貨幣を持っていかれることはないし、旧硬貨のさらなる増産も十分に可能だったが、この先もずっと安泰だとは限らない。
別に喉から手が出るほど貴金属が欲しいというわけではない。せいぜいあったらいいな程度だが、転ばぬ先の杖とも言うが、先手を打つのは大切なことなのだ。
だがここで、私も幕府も予想していなかったことが起きた。
貿易国が日本の紙幣を高値で買い取り、自国に持ち帰ってしまったのだ。
新紙幣は国内でしか通貨として使えない。しかし手先が器用で凝り性な職人気質が災いしたのか、芸術品としての価値がとても高くなってしまった。
特に一万円札は会心の出来だったようで、たとえ十倍以上の金や銀を支払ったとしても、飛ぶように売れたらしい。
ついでに何処からか漏れたのか、それとも幕府が民衆にわざと流したのか、稲荷大明神が国内の貴金属を海外に持ち出されるのを嫌がっていると、そんな噂がまことしやかに囁かれるようになった。
いつもの本音トークの時に尋ねられたときは、嘘をつく理由がなくその通りだったので、はっきり事実であると口にした。
今のとこは海外に持ち出されてはいないが、これからの日本は金属の需要がさらに高まるので、いくら技術があってもその時に素材がなくては何も作れなくて困るから…と、詳しく教えておいた。
実際に日本の技術力はメキメキ成長しており、既に明治時代に突入したかのような近代化の真っ最中だ。
金属の需要が高まることはあっても、いらなくなることは絶対にないのだった。
宝永五年の八月、今度は現代のイタリアにあったシチリア王国の宣教師が勝手に屋久島に上陸して、一悶着があったらしい。
そもそも日本は鎖国しており、貿易国以外とのお付き合いはしていないし、宣教師も一応認めてはいるが許可制であり、そうでなければ出島か、良くてその周辺の町しか出歩けない。
多分彼は、キリスト教の信仰心が高すぎたため、稲荷神という邪教に囚われる民を救いたくて、居ても立っても居られなかったのだろう。
なお幕府の役人から聞いた話では、侍の格好をして現地人に紛れたようだ。
だが言葉が通じなかったため、不審に思われて正体がバレてしまったらしい。
それに今の侍は、自衛隊員であり、刀ではなく銃剣を所持しているし、町や村を巡回する警察官は警棒と拳銃が標準装備で、消防職員に至っては武器の類は何も所持していない。
だがまあ彼のやったことも一理あると言えなくもない。今の世の中で帯刀しているのは藩の私兵か文官で、人数は少ないが残っているのだ。
しかし彼らは、自らの仕事場から離れることは滅多にないので、殆どファッション感覚である。
そもそもシチリア王国の宣教師が髪をそって侍に似せたところで、何処からどう見ても不審人物にしか見えない。
なので近隣住民が怪しんで、警察に通報するのも無理のない話だった。
結局ジョヴァンニ・シドッティという名前の宣教師は、薩摩藩の警察官に捕らえられて、留置場で出されたカツ丼を見て大いに驚き、一口食べた後は先割れスプーンで一心不乱にかっ込みながら、取り調べに素直に応じてくれたらしい。
話を聞いた限りでは、今回が初犯ということで、変装の道具は没収されたが罪には問われず、速やかに出島に送り返された。
戦国時代とは大違いの優しさを感じるが、これは日本のトップが狐の神様なせいだ。
異人の肌や目や髪の微妙な違いなど、ちょっと珍しい人で済ませられるぐらい、民衆に人外耐性がついたのだ。
あとは正確に測ったわけではないが、天下泰平が長く続いたことで、国民全体の幸福度が軒並み高くなり、少々のことでは腹を立てなくなった。
人は衣食足りて礼節を知るらしいし、今の日本人には心の余裕があるのだろう。
まあ何にせよ、現地住民の寛大な措置に感謝する書状をしたためて送っておく。外国と揉めると、本当に面倒だからだ。
宝永が終わり、正徳が始まった。
征夷大将軍も徳川家宣になったが、相変わらず毎年日本のあちこちで大噴火しており、大変賑やかである。
紙幣に変えたおかげか、硬貨のままなら起きたであろうゴタゴタも回避され、さらには生産コストも安く抑えられて万々歳だ。
とは言えこの円というのは民衆が国を信頼しているのが前提であり、紙切れにそれだけの価値があると信じてくれているから、成り立つのだ。
例えばだが、もし統治者が国民の期待を裏切れば、その瞬間に大暴落して便所のちり紙同然の無価値になる可能性もある。
今の国のトップは私なので、今後の舵取り次第では、信仰や信頼や評価その他もろもろにより、黄金か道端の石ころかに真っ二つに分かれると言っていい。
あの時は硬貨から紙幣に移行するのがベストだと思ったが、金や銀と違って価値の浮き沈みが激しい。
高レートを維持するのは困難であり、正直経済や政治がまるでわからない元女子高生には、荷が重すぎる。
なのでその辺りはこっちで大雑把な方針だけ決めて、あとは今代の征夷大将軍の采配に任せますと、いつもの丸投げを行う。
餅は餅屋であり、いつか言ったように、私が知っているのは天が定めた理だけで、人の世の理には疎いのだった。




