明暦の大火
承応は四年で終わり、明暦に変わり三年の一月になった。そんな時、のちに明暦の大火と呼ばれる大火事が、江戸の町を襲った。
私が森の奥の小さな家の囲炉裏の傍に座り、あんころ餅が焼けるのを今か今かと待ち侘びているときのことだ。
外から慌ただしい足音が聞こえてきて、続いて玄関の引き戸が乱暴に開けられ、幕府の役人である保科正之さんが、血相を変えて飛び込んできた。
「稲荷神様! 一大事でございます!」
「はぁ…、一大事ですか」
保科さんは天才と呼ばれるほどの人で、出自に少々問題を抱えているが、それでも稲荷神の前では身分は飾りであり、人は皆平等だ。
なので征夷大将軍と血が繋がっていても仲はとても良く、他者から変なやっかみを受けることもなく、順調に出世を続けていた。
そんな普段は冷静沈着な彼が、慌てた様子で言葉を続ける。
「江戸の町が大火事でございます!」
話を聞いた私は大いに驚いたが、中途半端に焼けたあんころ餅をそのままにはしておけない。
なので取りあえず半焼きのモノを手で掴み、小さな口に放り込んでモゴモゴと頬張りなから、下駄を履いて慌てて家の外に出る。
その後、保科さんに一言ことわりを入れてから、地面を軽く蹴って辺りで一番高い大樹の天辺に音もなく飛び乗ると、抜群のバランス感覚で江戸の町をぐるりと見回した。
「モグモグ…ゴクン。…なるほど、確かに大火事ですね」
若干固さが残るあんころ餅を飲み込んだ私の視界に映るのは、まだ夕方には早いのに、一部が赤く染まっている江戸の町だった。
さらに煙も斜めに流れていることから、風もかなり強いことがわかる。
深く広い堀に囲まれた稲荷大社には流石に燃え移らないだろうが、確かにこれは一大事だ。
「自衛隊に救助要請は?」
「はいっ! 既に出しております!」
流石は保科さんだ。相変わらず仕事が早い。
そんな彼に一言声をかけてから、大樹の天辺から役人の近くにフワリと飛び降り、これからどのように動くか口元に手を当てて考える。
「ならば消火作業は自衛隊に任せて、私は別に動きましょうか」
いくら超人的な力を持っているとしても、自分にできることは少ない。そして江戸の町人は、万が一に備えて定期的に避難訓練を行わせてきた。
そこで思ったのだが、寺院や神社は、火災の際の避難所には向いてないということだった。
敷地は広く、高い壁で囲まれているが、飛んでくる火の粉を防ぐにはとても足りない。それに土ならまだしも、木材では容易に燃えてしまう。
何より、内部の建物との距離が近いため、燃え移る可能性がとても高いのだ。
なので私は幕府の役人と相談したうえで、江戸の町の各所に建てた小中高一貫の学校を、緊急避難先に指定した。
そこなら広い運動場があり、建物との間隔も大きく開いているので、火の粉もそう簡単には燃え移らない。
「私はこれから、逃げ遅れた人の救出に向かいます。後をよろしくお願いしますね」
「稲荷神様自らでございますか!?」
「大丈夫です。こう見えても私は神様ですから」
驚いて身を固くする保科さんに微笑みかけた後、私は今なお激しく燃え盛る江戸の町に顔を向けて、風のように駆け出した。
伊達に長生きしておらず、自分の能力は大体は把握している。ただし身体的なモノに限るのだが。
ともかく、聖域の森から外に出た瞬間、私は跳躍で高く空を舞って深い堀を飛び越えると、あっという間に江戸の町中に降り立つ。
「いっ…稲荷大明神様!?」
「危のうございます! どうか本宮にお戻りくださいませ!」
たまたま近くに居た江戸の町人が、突然空から降下してきた私に駆け寄り、こちらを気遣うように声をかけてきた。
しかし心配ご無用である。
「火に焼かれた程度では傷一つ負いませんから、大丈夫です。それより、火元はどちらですか?」
「えっ? あっ…あちらでございます!」
「ありがとうございます。では、…失礼」
火元を教えてくれた町人に感謝して、再び疾風のように走り去る。少なくとも馬よりは速い気がするが、一体時速は何十キロ出ているのかは、正確に測ったことがないので不明である。
途中で人混みの流れに逆らうのが面倒になったので、手頃な民家の屋根の上に飛び移り、跳躍を繰り返しながら、熱と煙の中心地に向かって高速移動を続ける。
しばらくすると、轟々と燃え広がる真っ赤な炎の壁が目の前に現れたので、屋根から地面に飛び降りて、辺りを見回す。
今日は空気が乾燥しているようで、木造の家々はさぞ良く燃えることだろう。
だがのんきに眺めている時間はないので、私は狐耳をピンと張って、大きな声で呼びかける。
「誰か! 逃げ遅れた人は居ませんか!」
「……こ…こ! …ここ…い…す!」
火が回りつつある家屋の一つから、人間の声が聞こえた。
そしてそれ以外にも、人の耳では聞き逃してしまいそうな程に、助けを求めるか細い声が、他の家々からも聞こえてくる。
ここからは時間との戦いだ。一人でも多く逃げ遅れた人たちを助けるべく、私は燃え盛る炎の中に躊躇うことなく、勢い良く飛び込むのだった。
<江戸の町人>
ここは江戸の町に複数ある避難所の一つ。
私はある公立学校の校舎で、医者から治療を受けながら、矢立屋にかわら版に乗せる記事を書くための取材を受けていた。
「では、お町さんは稲荷大明神様に命を救われたと?」
「はい、本当にあの時は、もう駄目かと思いました」
後で知ったのだが、あの日の江戸の町は三箇所から発火し、どこも火の勢いが強く、避難が間に合わずに逃げ遅れた人が大勢出たらしい。
「自衛隊の人も蒸気式水圧装置。…でしたか?
それで頑張って消火活動をしてくれたらしいですけど、私の家は火の元に近かったので、間に合いませんでした」
自衛隊の装備は凄いが、駐屯地から出動して現場に到着するまで、どうしても時間がかかってしまう。
いくら水路の水を吸い上げて、遥か遠くに飛ばす道具があっても、消火活動が間に合わなければ意味がない。
「ですが、稲荷大明神様が来てくれたと」
「その通りです。意識は朦朧としてましたけど、確かに聞こえたんです。
逃げ遅れた人は居ませんか…と」
そこからは無我夢中で、熱気で喉が乾いて声は枯れてしまっていたが、心の底から稲荷神様に祈り、必死に助けを求めた。
「炎をかき分けて、稲荷神様が助けに来てくれたんです。
その後は気を失ってしまい、起きたら避難所の布団に寝かされていました」
今回の大火事では、私の他にも数多くの人が、稲荷神様に助けてもらった。
途中からは保科正之様という方が自衛隊と町人をまとめ上げ、連携を取って効率的に動けるようにと、皆で心を一つにして、救援活動を行っていたらしい。
一時は江戸の町が全て燃え尽きてしまうのではと思われた大火事だったが、迅速な対応と最新の消火装置で、被害を最小限に押さえることができた。
それでも亡くなる人は出たが、焼け落ちた建物と比べれば、死者が百人以下で済んで幸いと言える。
「取材を受けていただき、ありがとうございました」
「どう致しまして。本当に稲荷神様には、助けられてばかりです」
自分の右太股の火傷の跡に視線を向けて、言葉を返す。
私だけではなく、今回の明暦の大火で命を救われた者は大勢居る。
それだけでなく、戦国の世を終わらせ、日本全国に五穀豊穣をもたらし、貴重な知識を惜しげもなく教えて、鎖国を進めて外国の敵対勢力を締め出し、今なお最高統治者である神皇として眩いばかりの輝きを放ち、あまねく民を守るために君臨し続けている。
…というのが日本国民の一般常識になっているのを、多分彼女は知らないだろう。
「稲荷神様のご活躍、しっかり広めてくださいね」
「もちろんです。しかし稲荷大明神様は大層腰の低い御方で、持ち上げられるのを嫌いますから、扱いが難しいのですよ」
この国に住んでいる者は皆、稲荷神様に足を向けて寝られない。
一生どころか子々孫々になっても返しきれない恩があるのだが、あの御方は常に自分が、まるで大したことをしたわけではないように振る舞うのだ。
だからあの方のお心を乱さないように、褒め称える情報を漏らさないよう、私たちは気を使っている。
「もし戦乱の世がまだ続いていたとしたら、知識や習慣も根付かなかったでしょうね」
「ええ、一から十まで、全ては稲荷神様のおかげです」
平和になった今でも、たまにふと考えるのだ。
もし知識を与えた存在が稲荷神様でなかったとしたら、戦乱の世は終わらず豊かになった領土を巡り、効率良く人を殺せる武器を生み出し、今も生き地獄が続いていたのではないか。
あの御方が本物の稲荷神様だからこそ、幕府を開いた後に全国の大名が素直に従い、争いのない天下泰平の時代を築けた。
それだけではなく、多様な高等知識を教えても悪用させずに、正しく有用に使わせる。
さらに身分があろうとその垣根はないも同然であり、人々は皆繁栄を謳歌していた。
諸外国といたずらに関わることのない鎖国という箱庭の中で、日本人はお狐様の姿をした母の慈愛を受けて、真っ直ぐ健やかに育っている。
おかげで未だに無益な争いを繰り広げている他国を大きく引き離し、日本とオーストラリアは圧倒的な技術力を持ちながら、慎み深く自制ができているのだ。
そこまで考えた私は、火傷で爛れた自らの太股に視線を向けて、微笑みながらそっと指先で撫でる。
本当にあの御方は自分たちにとって大いなる神であり、また偉大な母でもある。
できることなら死後もお側で見守りたいが、残念ながら私は人間であり、長く生きても八十までだろう。せめて死の間際まで共に居たいと、そう強く思うのだった。
三年の一月に起きた明暦の大火は、江戸の町を一割ほど焼いた辺りで、何とか無事に鎮火した。
江戸城や大名屋敷も無事だし、死者や行方不明はギリギリ三桁に届かなかった。それでも痛ましい事件であったのは間違いない。
最新の耐火服と蒸気式水圧装置が役に立って良かったが、使わないに越したことはないのだ。
最初は私一人で救助活動に奔走していたが、すぐに自衛隊が駆けつけて、燃え盛る炎に飛び込んで救助した人を、外で水桶や担架を持った救護組に任せる流れが自然にできた。
そこから先は段々と効率化されていき、最後の辺りは町人も大勢手伝ってもらい、避難所で重軽傷者の治療を行うようになった。
なお大火事から一夜明けた次の日の私は、肉体的にはバリバリ元気だったが、久しぶりに民衆の先頭に立って頑張ったせいか気疲れして、一日中家でゴロゴロした。
だが二日目にはまたいつも通りに起きて、稲荷大社の堀の外をジョギングし始めた。
しかし周りの私を見る目が、何か違うなと感じる。命を救ったのだから感謝されるのはわかるが、あれは多分信奉者に近い。
私が死ねと言えばその場で喜んで命を断つぐらいの、そんな危ない何かだ。
そして大火の反省点として駐屯地の自衛隊だけでは、消火活動を複数同時に行うことは難しいとわかった。
なので新たに武士階級の人員を、警察署と消防署に振り分けることに決めたのだった。




