オランダからの使者
時は流れて年号が慶長となった。
暦は一年が三百六十五日となり、村の代表の家や役所、または国にとって重要な施設に未来に近いカレンダーが張り出された。
これで日本の国民の全てが、正確な月日がわかるようになったのだ。
もちろん我が家にもカレンダーがかかっているが、時間に追われることはなく、日にちを気にせずのんびり過ごしていた。
ほぼ毎日ワンコと戯れたり、縁側で日向ぼっこをしたりとだらけた生活を送っているが、無職ではなく神皇の仕事もちゃんとしている。
それは重要な式典で皆を労い、本音トークを好き勝手にぶちまけたりであるが、あっても月に数日程度であり、暦を十全に活用しているとは言い辛い。
そんな慶長二年、その三月に浅間山が噴火して、さらに翌年の四月にも再度噴火するという天災に見舞われた。
だが未来でも火山活動が時折活発になると知っているので、地震と同じで珍しくはあるが、神の怒りや呪い等の非科学的な超常現象では断じてない。
それに住人の避難及び災害支援を速やかに行い、噴煙があがっている間は絶対に近づかないようにと告知したため、慶長三年の噴火の被害はかなり押さえられたはずだ。
たとえ火山灰が空に舞い上がって日光が遮られても、隣接する藩にも浅間山の周辺区域だけなら、十分に供給できる量が備蓄されている。
古米で食感と味は少し落ちるが、それは一時しのぎであり、すぐに救援物資を送るつもりだ。
なお当然のように江戸幕府は速やかに災害支援を行い、第一次派遣の時に稲荷大社の境内に自衛隊を集めて、檄を飛ばすのが私の重要な仕事となった。
地域住民の二次被害を防げるかどうかは、これからの彼らの活躍にかかっていることを、神皇が直接伝えて、激励する。
あとは皆が一人の欠員もなく無事に帰って来るようにと気遣い、私は江戸幕府の災害派遣団を送り出したのだ。
なおその結果だが、隣接する藩や各地の自衛隊が被災地の支援に乗り出しており、江戸幕府組は後詰めだった。そのため、実際の活躍の機会はあまりなかったらしい。
それでも手伝ってくれた藩や自衛隊にお礼の手紙を書いたり、徳川さんが後で特別予算を投入したりと、やることは残っている。
何にせよこちらが動く前に藩ごとに連携を取り、支え合えるようになったのは、本当に素晴らしいことだと感じたのだった。
慶長四年の三月になった。
朝廷や公家は天下泰平となってから暇を持て余していたらしく、前々から執筆作業を行っていた日本書紀神代巻という歴史書が、満を持して刊行となった。
これは日本の正史であり、国が生まれてからの記録が全て記載されている。
元になった書物はミミズのような漢文で読みにくかったが、最新版は私が普及させた平仮名と漢字を使って書かれているので割りと読みやすかった。
表紙に目を通してパラパラとめくっていくが、天地開闢の神々から始まるらしく、これを全て読もうとすると、時間がいくらあっても足りないことがわかる。
ちなみに、やんごとなきお方からは、稲荷大明神の活躍も記載しているので、ぜひ読んで感想も聞かせて欲しい…と、鼻息荒く熱心に勧められた。
私は、あとで自室でゆっくり目を通します…と、その場は適当に誤魔化したのだった。
…なお後日、暇を持て余していた私が読書に勤しんだ結果、誇張表現と捏造っぽい箇所がいくつも見つかった。
特に稲荷神の登場や活躍シーンが、物凄く拡大解釈されていた。
戦乱の世に嘆き悲しむ日の本の民を救うため、二度と高天原に戻らぬ覚悟を幼き身に宿し、地上へと現界す。
五穀豊穣の稲荷大明神、その叡智をもって枯れた大地を癒やし、青き炎で国賊を焼き尽くし、長き戦を終わらせる。
その手で嘆き悲しむ民の涙を拭い去り、天下泰平へと至る。
誇張表現が過ぎる内容に、私以外の人たちは、皆がそう見えているのだろうか。稲荷神の信仰が深く根付き過ぎたのかも知れないが、何とも頭が痛くなる。
だが相手はやんごとなきお方であり、そんな彼がせっかく頑張って本を作ってくれたのだ。
なので私は朝廷に対して、なかなか独創的な文章で読んでいて楽しかったです…と、当たり障りのない感想を返してお茶を濁すのだった。
慶長五年の三月、オランダ船リーフデ号が、今で言う九州の大分県に漂着した。
出航時の乗組員は百十人ほどいたらしいが、日本に到達した時の生存者はわずかに二十四名で、生存者の中で立つことが出来たのは、六人のみだった。
重傷者が多かったが、幸い迅速な救助が実を結び、その後は一人の死傷者もなく、皆順調に回復しているらしい。
だがしかし、リーフデ号は船体の損傷が酷くて航行不能のため、修理よりも新しい船を一から組んだほうが早いという有様だった。
仕方なく船を解体する旨を外交官が伝えると、その辺りは理解しているのか、反対意見は出ずに、皆素直に応じてくれた。
ちなみにオランダとの国交は開いていないので、もし帰還を果たしたいなら、ポルトガルの貿易船に乗って欧州に渡るしかない。
だが彼らは怪我の治療を受ける際に、現地の日本人と親しくなったらしく、そのまま全員が定住することに決めた。
船長と航海士は最後まで迷っていたが、たとえ言語の習得が困難でも、祖国より快適な生活を送れるのだ。
さらに異人を目の前にしても、差別意識の薄い日本の人柄が彼らの心を溶かした。
結局皆が現地で妻を娶り、国外退去や出島に押し込めることなく、外交顧問として藩や幕府に務めたのだった。
慶長九年の冬、大地震が発生した。
これによって太平洋沿岸が、津波により大きな被害がでてしまう。
防波堤と常日頃の避難訓練で多少は被害が抑えられたが、ここ最近の頻度は異常に思える。
特に被害地域がかなり広いので、復興に時間がかかるのが痛い。
耐震性を重視した家屋も建てられ始めているが、まだまだ広まり始めたばかりだし、麻疹まで大流行しだして、もうてんやわんやだ。
元女子高生の私に医療の知識は殆どないため、何もできないのは歯痒いばかりだ。
しかしウイルスや細菌や寄生虫のことは教えているし、石鹸やアルコールでの念入りな消毒、うがいと手洗い、加湿して風邪の予防を徹底させることで、正史よりは感染者は減っていると信じたい。
あとは病気のワクチンや薬を速やかに作れるよう、研究機関に援助を行うのだが、慶長十年も八丈島と浅間山が噴火したりと、悪い流れが続く。
そんな踏んだり蹴ったりにストレスが溜まっていたのか、私は縁側で日向ぼっこをしながら、お供え物として送られてきた鬼饅頭を、小さな口にリスのように突っ込んでやけ食いするのだった。
慶長十四年、災害復旧も大方終わり、ようやく一段落した。
しかしその合間を縫うように、オランダが国交を開いて欲しいとしつこく使者を送ってきている。どうしたものか…と、困った表情の徳川さんが相談に来た。
今の日本は稲荷神が厳命した鎖国政策により、明、朝鮮、ポルトガルの三国しか、貿易も宣教師も受け入れてない。
幸い今の所は上手く行っているので、この鎖国政策は変える気はないが、臨機応変に対応することで、物事が上手くいく場合もある。
そして徳川さんと色々話し合った結果、日本国の統治者である稲荷大明神様が、白黒決めてください…と、江戸幕府からオランダの使者に本音トークをぶちまけるよう、お鉢が回ってきたのだった。
「お初にお目にかかりまーす。稲荷大明神様」
本宮の謁見の間で私と対面するのは、オランダから送り込まれてきた外交の使者。
ヤックス・スペックスという名前の頭髪が若干後退している中年男性で、すぐ隣には日本語通訳者も同行させている。
もちろんこちらも備えは万全で、会見の記録係や幕府側の通訳、万が一の護衛と弾除けも控えさせている。
ボディチェックは念入りにさせたが、交渉の場では何が起こるかわからない。
だがまあ彼らがとち狂って暴力を振るったところで、ロリペタ狐っ娘の体には傷一つつけられないので、別に問題はないのだが。
「貴方は、ヤックス・スペックスさんでしたか」
「どうぞ、ヤックスとお呼びくださーい」
「…スペックスさんと、呼ばせてもらいます」
初顔合わせでいきなり下の名前を呼ばせるのは、ちょっとどうかと思う。
ちなみに私が女子高生をしていた頃の名前は家族や友人関係と同じく、記憶から抹消されている。
今では新しい家族や友人たちの協力もあり、稲荷という名前も普通に受け入れられていた。
「スペックスさん。貴方は日本と貿易を行いたいとのことでしたね」
「その通りでーす。稲荷大明神様。我が国オランダは、日本と国交を結びたいのでーす」
他国と貿易を行うことに良し悪しがあるのは当然である。そしてオランダだが、正直なところ、国交を結ぶメリットは殆どない。
日本独自の技術発展が目覚ましい今、このまま自国の土壌でのびのびと伸ばして、静かに見守りたい感が強いのだ。
つまりこれ以上、外から厄介事がやって来る要因を作りたくはなかった。
「私としてはこれ以上、貿易国を増やしたくないのですが…」
「そこを何とかー! リトルプリンセスのおみ足を舐めて、服従の証としても構いませーん!」
「何と無礼な! 稲荷大明神様のおみ足ならば、貴様よりも先に自分が舐めるわ!」
慌てたスペックスさんが急に私の足を舐めると言い出し、護衛の一人がそれを無礼だと怒りをあらわにする。
だが結局は狐っ娘をペロペロしたいだけだとわかり、こっちとしては怒っていいやら呆れていいやらと、何とも複雑な気持ちになってしまう。
「何なんですか貴方たちは! もう! 少し黙ってください!」
しかもそれに同調するかのように、そうだそうだと首を縦に振る謁見の間に居る日本とオランダ双方の関係者たちに呆れ果てる。
もはやしっちゃかめっちゃかで収拾がつかないので、私は大きく溜息を吐いて一度退室して休憩を挟み、皆に博多のまんじゅうと熱めの緑茶で一服するように命じる。
そして場が落ち着いた十分後に、また元の席について仕切り直した。
「…スペックスさん」
「何でしょうかー、リトルプリンセス」
「その、リトルプリンセスと言うのは?」
「オランダでの稲荷大明神様の通称でーす」
彼から詳しい話を聞くと、スペインのサン・フェリペ号が持ち帰った私の人形が、現在欧州全土で大流行している。
その際に、稲荷大明神では呼びにくいので、もっぱらリトルプリンセスで通っているらしい。
ついでに書物や噂でしか語られていないが、日本への憧れも高まっているのだとか。
だがしかし、明、朝鮮、ポルトガルしか貿易は行っていない鎖国状態である。
それでも情熱は消えずに激しく燃え盛り、ぜひ国交を繋げて、人形のモデルとなったリトルプリンセスをこの目で見たいと、そんな動きがヨーロッパの各地で起こり始めているらしい。
「人間に狐の耳と尻尾が生えているだけでも、超希少なのでーす。
それが日本の統治者で、本物の神様なのですよー。
おまけに見目麗しい小公女とくれば、話題になるのは当然でしょー?」
私が日本を統治してから、かなりの年月が経っている。その間も三国のみとはいえ、海外と貿易を続けていたのだから、小規模でも噂が広まるのは当然と言える。
真面目に信じている人は居ないだろうが、それでも人形のモデルとなった小公女や、摩訶不思議な日本が気になる気持ちはわかる。
「はぁ…わかりました。オランダとの貿易を許可しましょう」
「本当ですかー!? おおっ! 神よ! 感謝致しまーす!」
そう言ってスペックスさんは両手を合わせて、大いなる神に祈りを捧げる。
だが私のほうを見つめ、頬を赤く染めているので、どうやら神は神でも稲荷大明神のほうらしい。
「ただし立ち入って良いのは、平戸島の一部地域だけです」
「なっ…何と! ご無体なー!?」
「各貿易国と同じように、外に出たければ長崎奉行に許可を取ってください」
日本の治安は戦国時代よりも格段に良くなったが、言葉がろくに通じない外国人と地元住民との間に、予期せぬトラブルはつきものだ。
今は何とか出島に押し込めているが、やはり外出許可証は喉から手が出る程に欲しいようで、幕府管轄の長崎奉行は順番待ちの長蛇の列ができていると聞く。
「稲荷大明神様! ありがとうございまーす!
これで私もリトルプリンセスの限定フィギュア、買えまーす!」
「えっ…私の人形が欲しかったのですか?」
「日本の工芸品はどれも精巧でーす!
ファンは大勢居ますし、オランダの職人では再現できませーん!」
そう言えば日本人は手先が器用だとか、昔からよく言われていた気がした。
手工業で関節の数を増やして可動域を広げたり、リアル路線を追求した人形にしたりと、色々頑張っており、どの職人も物凄い気合の入れようだった。
ちなみに私はと言えば、未来の精巧なフィギュアを思い出してあれこれ監修するぐらいで、昔と違って直接手掛けたりはしない。
だがまあとにかくこれで、貿易国にオランダが追加されたことになる。せいぜい変なことをしないように、見張っていないといけない。
主に私のおみ足をペロペロしないようにだが、今回の会見で変態行為を嬉々として行う者が日本に多数存在することが判明してしまった。
そのため、私は別の意味で精神的に悲鳴を上げることになったのだった。




