五十五話 終戦(6) 空襲
人が死ぬ描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
<ラヴレンチー・ベリヤ>
ソビエト連邦の現状を見つめ直して一息ついた私は、カーテンを開けて執務室から窓の外の景色を眺める。
亡命する前の見納めだが、その時に気になるものを見つけて、空に視線を向ける。
「モスクワ上空の飛行許可は出してないぞ。
一体誰が? ……いや、あの大部隊は、まさか!?」
私は空の向こうから首都モスクワを目指して近づいてくる飛行物体を、肉眼で確認する。
どれも豆粒ほどの大きさだが、大部隊だからこそ気づけたのだ。
ちなみにソビエト連邦の保有している航空戦力は、欧州で大多数が撃墜されているので、残存兵力は極僅かしかいない。
「近々連合軍の一斉侵攻作戦が始まるのは、察知していましたが!
まさか首都モスクワに直接乗り込んでくるとは!」
ソビエト連邦、または共産主義に染まった傀儡国家の国境沿いに連合軍が集結しているという情報は、事前に掴んでいた。
そのために軍部も侵攻に備えて、兵力を外に向ける必要に迫られた。
なので今のモスクワや主要都市には、殆ど兵力は残っていなかった。
「都市に投下させた部隊が全滅しかねない作戦を! 良く実行できたものですね!」
連合軍がこの作戦に命運を賭ける気になったのか。
それとも向こうの軍事力がソビエト連邦を越えたと確信したのか。
踏み切った理由はわからないが、いつまでもこの場に留まるわけにはいかない。
「こうなった以上、ソビエト連邦は終わりでしょう!
ええい! 事態が落ち着くまで、何処かに身を潜めなければ!」
十中八九、ソビエトは滅びるだろう。
そして万が一退けたとしても、都市機能は壊滅的な被害を受けることになる。
さらに敵が優先的に狙うのは、戦略的に重要な軍事基地か政府機関。または国家の中枢なのであった。
モスクワ上空に到達した大部隊からは、絶え間なく爆弾が投下され続けている。
それが地上に接触するたびに、轟音や振動、そして火災が発生し、多くの建物が倒壊していく。
市民も相当混乱しているようで、多くの者が避難しようと政庁を目指して押しかけてきていた。
自分も一刻も早く、安全な隠れ家に逃げ込まなければいけない。
状況の整理や国外逃亡は、襲撃が終わってから考えればいいことだ。
そのためにも、まず執務室の扉を開けて廊下に出なければならない。
私は暴動を起こす市民と、赤く染まるモスクワが良く見える窓から、静かに離れたのだった。
政庁の近くに爆弾が落ちたらしく、振動によって足元が少しふらついたが、扉を開けて何とか廊下に出た。
すると顔見知りの同志が私を見つけて、慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「同志ベリヤ! これはちょうど良いところに!」
彼は一度リトルプリンセスの暗殺に失敗し、捕らえられた同志だ。
しかし捕虜収容所に捕まっている他の仲間たちと、大規模な反乱を起こした。
その際に連合軍の機密情報を持ち帰り、満身創痍になりながらも何とかソビエト連邦に帰還した英雄的存在だ。
おかげで祖国は勢いを盛り返し、優れた功績を上げた工作員として大きく出世した。
そんな彼に護衛してもらえば安心だろう。
私はおもむろに声をかけた。
「ああ、私もキミに会えて良かっ──」
だが彼は急に拳銃を構え、私に向けて発砲してきた。
「な……何故……?」
撃たれたのは腹部だろう。
あまりの激痛に意識が遠のき、私は疑問を口にしながら、為す術もなく膝から崩れ落ちてしまう。
「同志ベリヤ。私は共産主義ではなく稲荷主義です。
貴方のことも、調べさせてもらいました」
倒れた姿勢でも、何とか首だけを動かして彼を見上げる。
すると、心底嫌そうな表情を浮かべながら、痛みでろくに動けずに苦しむ私を見下ろしていた。
「貴方はリトルプリンセスにとって、害にしかなりません。故に、この場で処分します。
理由は、おわかりですね?」
先程彼は、調べたと言った。
ならば私が、リトルプリンセスに対してどのような感情を抱いているか、そして過去に大勢の少女たちにしてきたことも、きっと知っているのだろう。
「そうか。全てを、知られていた……のか」
自虐気味に呟くが、そろそろ痛みで意識が飛びそうだ。
そして、大怪我をしても、私はまだ生きている。
しかし彼が、医者に連れて行ってくれるとは思えない。もう楽になりたかった。
「最後に言い残すことはありますか?
周囲は稲荷主義によって封鎖済みですので、多少なら猶予はありますよ」
何とも用意周到で、ここで私が大声で助けを呼んでも無駄なようだ。
「いや、ない。だからせめて、……一思いに」
一瞬色々な考えが脳裏をよぎった。しかし結局、遺言は残さなかった。
私の恋慕がリトルプリンセスに届くなら別だ。
しかし彼は、彼女の気分を害するようなことは決してしない。
ならばこの場で何を言ったところで、意味はなかった。
「わかりました。では、さようなら」
信頼していた同志が、倒れている私に拳銃の照準を合わせる。
そして、躊躇いなく引き金を引いた。
それが自分が最後に見た光景であった。




