五十四話 連合国の盟主(5) 尋問
唯一の武器である手榴弾を手放したので当然と言えるが、腹部に大怪我をしている兵士は周りの者たちによって、既に拘束されていた。
そして見た感じはドイツ軍人でも、先程私を狙ったことからソビエト連邦の工作員の可能性が高い。
何にせよ、武器は全部取り上げたので、もはや彼には何もできない。
「では尋問の前に、手術を行いましょう」
「たった今、暗殺されかけたのですよ! 正気ですか!?」
そうは言っても、自分は怪我一つなくピンピンしている。
逆に手榴弾を投げつけた彼は、腹部に大怪我をしていて青い顔だ。
さらに取り押さえる際に暴行されたのか、全身青あざや傷だらけで、放置すれば遅かれ早かれ死んでしまう。
「しかし、結果としては私は無傷ですし、彼はこのままでは、口を割る前に死んでしまうでしょう」
「それは……そうですが!」
病院の医者は、厳しい顔をして口ごもっている。
自衛隊の一人がそんな彼の肩にポンと手を置き、諦めたような表情で首を左右に振る。
それを見て心が通じ合ったのか、迷った末に大きな溜息を吐いた。
「わかりました。至急、手術の準備を行います」
「ええ、頼みましたよ」
そう言って私は急いで個室に戻り、巻きつけたシーツを脱いで手術着に着替える。
あとはもう、慣れたものだ。
ソビエト連邦の工作員である彼に手術を行い、傷口の縫合と除菌を行い、何とか危うい所で命を取り留めた。
なお、通常ならば捕虜収容所に移送するところだ。
しかしその前に、連合の盟主権限を使って、うちの病院に入院させることにした。
目的は尋問だが、自殺防止にも気をつけて、厳重に監視することになったのだった。
数日後に久しぶりの休憩時間を使い、私は隔離入院している捕虜の病室に向かった。
もちろん護衛付きで、今後は頼むから置いてけぼりにしないでください。そう涙ながらに懇願されたのだ。
けれど手榴弾が投げられたら、私は何度でも芋虫ガードをするつもりだ。
そこだけは譲れないし、なるべく気に留めておきましょうと、玉虫色の返事をしておいた。
そんな経緯はさて置き、二十四時間体制で監視されている捕虜の病室に入って、私は辺りを見回した。
パッと見た感じは、普通の病室と変わらない。
それでも一人の中年男性が固定式のベッドに、両手足や胴体を拘束されているし、監視カメラも設置されており、見張りも立っている。
かなり物々しい雰囲気で医者の診察を行ったが、通訳された限りは手術後の経過は順調なようだ。
取りあえず命の危険はなさそうなので、良かったと思った。
業務連絡が一段落したところで尋問の開始だが、正直に言えば素直に答えてくれる気が全くしない。
何しろ相手は海千山千の工作員で、こっちは脳筋ゴリ押ししか取り柄がない。
なので取りあえずは、近くに椅子を寄せて腰を下ろす。
そのままベッドで雁字搦めに縛られながら治療を受けている彼に、腹の探り合いなど何処吹く風で、いきなり本題に入る。
「貴方はどうして私を狙ったのですか?」
これで喋らなければ、足りない頭を捻って別の手を考えるつもりだ。
しかし意外なことに、素直に白状してくれた。
「連合国の盟主が最前線近くに居るんだ。狙われて当然だろう?」
ロシア語らしいが、通訳が日本語に翻訳してくれるので、ちゃんと会話が成り立つのは幸いだ。
「しかし暗殺は失敗だ。まさか手榴弾の直撃を受けても、全くの無傷とは。
敵はこちらの想定以上の化け物だった」
私は稲荷神を自称しているが、実際のところは人間ではなく、異形の狐っ娘だ。
不老不死の化け物だと思う人のほうが、多数派なのはわかりきっている。
なので別に、今さら腹を立てたりしない。全ての人に好かれることは出来ないと、受け入れているのだ。
だからこそ私は、自分の居場所である日本を、全力で守り抜くのである。
「それで俺の処遇は? 今ここで殺すか?
もしくは捕虜収容所に送り、情報を残らず吐かせて殺すか?」
連合国の盟主という立場だが、軍事関係は殆ど丸投げしている。
最終決定権だけ持つお飾りのトップに聞かれて、ちょっと困ってしまう。
しかし偉い人が、何も知りませんと答えるわけにはいかないので、取りあえず思いつきで話題をそらすことにした。
「ふむ、貴方には家族はいますか?」
「はぁ? 何故急に家族の話を?」
ソビエト連邦の工作員が困惑しているのがわかるが、少し考えて何かに気づいたのか、明らかに取り乱した。
「まっ……まさか! お前!」
何となく違和感があるものの、私は刑事ドラマの取り調べでお決まりの、今の貴方を故郷の家族が見たら、きっと悲しみますよと、そんな感じに切り出すつもりだ。
そういうわけで、台本通りに口を開く
「今の貴方の姿を家族が見たら、どう思うのでしょうね」
その一言で彼の顔は明らかに青ざめる。
「たっ、頼む! 俺はどうなっても構わない! だから家族だけは!」
何だか、微妙に会話がズレている気がするが、違和感の正体を探している間に、ベッドに縛りつけられている彼が必死の形相で大声を出す。
「本当に家族は関係ないんだ! リトルプリンセスの暗殺は、同志スターリンの命令だ!
俺はどうなってもいい! だからどうか! 家族だけは見逃してくれ!」
「えっ? あっ……はい」
そこでようやく気づいた。
ソビエト連邦の印象操作で、私は血も涙もない化け物として伝わっているらしい。
別に聖人を気取るつもりはないし、中身は俗物なので彼の言うことも一理ある。
しかし別に、悪の限りを尽くしたいわけではないので、そこだけは訂正しておいた。
「貴方の家族には手を出しません。それは約束しましょう」
「ほっ、本当か!?」
「はい、私は嘘はつきません」
露骨な話題そらしや冗談は言っても、嘘をついたことは一度もない。
工作員も安堵の息を吐いたのがわかり、彼の呼吸が落ち着くのを待って、私は静かに話を続けた。
「しかし、貴方の対応次第で家族の運命は大きく変わるでしょう」
「くそっ! やはりか!」
だから何で、私がいちいち悪役になるのか。会話のキャッチボールが上手くいかない。
だがきっとソビエト連邦は、私のイメージを下げることで自国の士気を高めているのだ。
私が内心で大きな溜息を吐いている間に、彼は長い葛藤を終えて、諦めたような表情で口を開く。
「わかった。要求を飲もう。その代わり、家族のことをよろしく頼む」
「ええ、貴方と家族の安全は保証しましょう」
実際のところは現場の判断次第だが、連合軍の盟主が口利きをすれば、安全性や待遇も多少は良くなる。
「共産主義は稲荷主義に負けてしまった。すまない。同志たちよ」
「あのー……私は別に、共産主義を滅ぼそうとは考えていませんよ」
向こうが世界大戦を引き起こして稲荷主義を包囲殲滅しようとしたので、仕方なく応戦しただけだ。
だがまあこれは私の言い分であり、ソビエト連邦なりの正義もあったのだろう。
遅かれ早かれぶつかる宿命ならば、それも仕方ないと言える。
何にせよ、捕虜の尋問で聞きたいことは聞けたので、私は小さく頷いて椅子から立ち上がる。
「今後の貴方の対応次第で、家族の待遇やソビエト連邦で流れる血が減ります。
そのことを、どうかお忘れなきように」
私の言葉を聞いている工作員は、寝転がったまま拘束されているので動けない。
それでも、がっくりと項垂れているように感じる。
「ああ、十分に理解させられたよ。リトルプリンセスのやり方をな」
聞いているこっちとしては呆れて物が言えないが、勘違いを訂正するのは現状では難しい。
共産、資本、あとついでに稲荷主義も、皆違って皆良いでは駄目なのだろうか。しかし世の中は、そう上手くいかない。
日本の最高統治者の私は、つくづく面倒な役割を引き受けてしまったものだと、内心で大いに嘆くのだった。
ちなみに捕虜の病室から出たところで、国家稲荷主義ドイツ労働者党の党首のちょび髭おじさんが、血相を変えて駆け寄ってきた。
「頼みますから! 最前線から退いて、安全な内地で勤務してください!」
開口一番に涙ながらにお願いされたので、これ以上迷惑をかけるわけにはいかず、二つ返事で了承したのだった。
その結果、私はドイツの首都ベルリンのホテルに缶詰になり、二十四時間体制の厳重な警備に囲まれる。
至れり尽くせりの接待を受けることになり、殆ど飲まず食わずや休憩なしのデスマーチから解放された。
だが今度は、最終意思決定権ぐらいしかやることがなくなってしまう。
何とも両極端な待遇であり、大いに暇を持て余して退屈になった。
早く第二次世界大戦が終わらないかなと、ホテル暮らしの私は日本への帰国を待ち望むのだった。
なお大病院で私を暗殺しようとした工作員だが、数ヶ月後に無事に退院したと聞いた。
そんな情報が入ってきたその日に、ホテルの缶詰生活が退屈過ぎて暇を持て余していた私は、手術後の経過が気になるという理由で気晴らしの散歩に出かけた。
向かった先は、捕虜収容所だ。
パッと見た感じでは、ちゃんと命令通りに人権を重視した扱いをしているようで、何よりだった。
そして彼との面会は、護衛に囲まれて椅子に座って向かい合う。
幸いなことに退院したのは本当のようで、すっかり元気になったことがわかった。
当たり障りのない言葉を交わした辺りで、取りあえず散歩にはなったし、用は済んだので帰ろうかなと思った。
そんな私が椅子から立ち上がりかけた時に、少々意外な質問をされた。
「貴女は何故、俺を助けたんだ?」
「医者とは、命の危機に瀕した怪我人を助ける者ですよ。敵味方など、些細な問題です」
別に悩むこともないので、率直な意見を返す。
だが彼は納得がいかないようで、もう一度尋ねてきた。
「別の理由はないか?」
「ふむ、……そうですね」
他に理由があるかと聞かれても、私はいつも思いつきで行動している。
なので深い考えがあるわけではないので、いつも通り行き当たりばったりで答える。
「あの時の貴方はまだ死にたくないと、助けを求めていたからです」
「……そうか」
それっきり彼は沈黙したので、もう質問は終わりかなと思い、よいしょっと椅子から立ち上がる。
そして私が背を向けたところで、後ろから声がかかった。
「捕虜収容所で、貴女の噂を聞いた」
また質問かと思ったが、別に私に答えて欲しいわけではないようだ。
なので、何も喋らずに静かに聞いておく。
「祖国の情報とは大違いだった」
ソビエト連邦でどのように教育しているのかは知らないが、手榴弾を投げて躊躇なく殺そうとした。
戦争中なので仕方ないところもあるが、きっと私は悪逆非道の象徴なのだろう。
「今後は貴女の下で働かせて欲しい」
つまりどういうことなのと、ツッコミを入れたくなるぐらい事の経緯が行方不明であった。
ただまあ、彼は捕虜収容所で私の情報を聞かされて、少なくともソビエト連邦の教育とは違うことに気がづいたのはわかった。
実際にここの捕虜収容所の敵兵士は、まるで洗脳が解けたかのようにイキイキとしているし、彼もその一人になったのだろう。
「人生とは何者にも縛られずに、自由なものです。私の許可など必要ありませんよ」
これ以上部下は要らないので、遠回しにお断りさせてもらった。
「ああ、好きにさせてもらう。そして、リトルプリンセスに感謝を」
そう言って彼は深々と頭を下げた。
どうやら待遇に関しては問題ないようだとホッと胸を撫でろしたところで、言い忘れたことを思い出して口を開く。
「ですが、命を粗末にしないでくださいね」
「わかった。貴女の手は煩わせないと誓おう。心配はいらない。次は上手くやるさ」
囚われの身でも不敵に微笑む彼を見ていると、病院に居た頃よりも元気になっていた。
「そこで貴女に相談があるのだが──」
「私はそろそろ戻らないと行けないので、あとは軍部と打ち合わせをしてください」
何となく面倒ごとを振られる気がした私は、強引に彼の言葉に被せて、用はこれで終わりだとばかりに、背を向けて部屋を後にする。
どんな相談かは不明だが、連合国の盟主は全体的に頭が弱いので、そういった仕事が得意な人に任せるのが一番だ。
何はともあれ、何処かの竜騎士のように洗脳が解けて正気に戻ったし、怪我も回復して元気になって良かったと、収容所の廊下を歩きながら心の中で喜んだのだった。




