五十一話 世界恐慌(1) 共産主義
五十一話 世界恐慌の最中となります。ご了承ください。
<ラヴレンチー・ベリヤ>
西暦千九百二十四年になり、私の命令でグルジアでの民族主義者による暴動を鎮圧して、一万人以上もの人々を処分したこと。
それが評価されたのか、二年後に正式にグルジア支部長に昇格した。
そして今は、執務室の豪華な椅子に座りながら、諜報員が持ち帰ってきた資料を食い入るように読み漁っていた。
「やはり、リトルプリンセスは素晴らしい!」
頬を朱に染めて天井を仰ぎ、切なそうに声が漏れてしまったが、盗聴には気をつけている。
さらに防音効果も高いので、私の独り言は誰にも聞こえることはないだろう。
「ぜひともお近づきになりたいものだ! そしてゆくゆくは──」
他の女たちのように、壊れるまで愛したい。
自分がそのような性癖を持っていることは良くわかっているし、そういうものだと受け入れていた。
だがいかんせん世間体が悪すぎるだけでなく、犯罪行為であった。
なので周囲にバレないようにこっそりと楽しんだ後、念入りに隠蔽することに心がけていた。
「しかしこの間の攫った女は、そろそろ限界ですね」
かなり手荒に愛したので、心身共に壊れ始めている。そろそろ交換時期だろう。
また新しい年若い女を確保しなければ欲求は発散できそうにないが、その際にはぜひとも彼女をコレクションに加えたいものだ。
先日、国家政治保安部のグルジア支部長に正式に就任したのだ。
これで私はソビエト連邦の権力を、一部とは言え自由に振るえる立場になった。
つまりは、海の向こうの隣国にも、ある程度の干渉が可能ということになる。
その後に少しだけ思案して、事務机の上に広げている書類を読み進める。
情報源はソビエト連邦の諜報員で、彼らが命がけで入手してきたので信憑性は確かだろう。
そして顎に手を当てて考え、日本とリトルプリンセスの情報を冷静に分析していく。
「やはり、日本の最高統治者を秘密裏に拉致するのは、現状では不可能と言わざるを得ませんね」
近衛や自衛隊に厳重に守られており、森の奥深くに隠れ住み、狼たちが二十四時間見張っているため、接触は困難と言える。
さらに情報を見る限りでは、リトルプリンセスは人間離れした怪力と、遠隔発火能力を持っているらしく、日本国民に対しては寛大なようだが、他国には情け容赦がない。
だが、それにも例外がある。
卑怯な手段を使う悪人を目の前にすると、同じ日本人でも態度が急変したという、珍しい事例もあった。
「しかし日本国民に寛容ならば、そこから突き崩すとしましょうか」
彼女が国内で最高の権威を持っており、どれだけ戦闘能力が高かろうと、それならそれでやりようはある。
「日本を共産主義に染めあげる!
それこそが、リトルプリンセスを打ち倒す策となるでしょう!」
国民の殆どを赤く染めあげれば、彼女は間違いなく最高統治者から引きずり降ろされる。
共産主義は階級や搾取のない、万人の平等を意味する。絶対君主主義との相性は最悪と言える。
それに、日本国民に寛容な性格から、同胞と戦うのは避けるだろう。
結果的に、リトルプリンセスは手も足も出せずに自国に居場所がなくなるので、ソビエト連邦が亡命の誘いを持ちかけるという策である。
だが、いくら共産主義勢力に引きずり降ろされたとはいえ、三百年以上も日本の最高統治者として君臨し続けた女傑である。
リトルプリンセスの誇りと気丈さを突き崩すのは、少々難しいかも知れない。
「しかし日本の神として降臨していたのですし、山のような貢物、立派な屋敷、大勢の世話係や護衛──」
ありとあらゆる贅の限りを尽くしても、なお許される立場である。
彼女は日本国民にとって、数々の偉業を成し遂げて、多くの信仰を集める特権階級なのだ。
「しかし、遥かな高みで全てを見下し、優越感に浸っていられるのも今だけです」
いくら日本国民が文句一つも言えない立場とはいえ、不満を溜め込む者は必ずいる。
例えば、収入が少なく生活が苦しい社会的弱者。
そして、法に背いても隠蔽された真実を暴く報道記者、または真の理想を追い求める思想家だ。
彼らは総じて、本当の理想郷である共産主義に容易に傾く。
きっと日本の最高統治者に不満をぶつけたり、彼女の醜い本性を白日の下に晒してくれる。
あとは共産主義に染まった日本から追い出された彼女を、ソビエト連邦に招待するだけだ。
他に行き場のない小公女が、二つ返事で飛びついてくるのは確実であった。
「オーストラリアとイギリスが厄介です。しかし裏で手引して確保してしまえば、あとはどうとでもなるでしょう」
全ての鍵を握るのは、リトルプリンセスだ。国際社会では彼女を手に入れた国家が、覇権を取ると言っても過言ではない。
なので他の国の妨害もあるだろうが、裏から手を回して確保してしまえば、あとはどうとでもなるのだ。
それに、計画は既に進行中だ。
共産主義という小さな蟻が、三百年以上かけて築いた城壁に穴を開けて、日本の資本主義が瓦解する瞬間を、私は今から楽しみにするのだった。
資本主義の打倒という名目で、国を追われたリトルプリンセスをソビエト連邦に亡命させる。
その第一歩となる日本にコミンテルン支部を作る計画が、密かに進行していた。
いや、正確には進行しているはずだった。
だが私の表情は苦虫を噛み潰したようであり、執務室の椅子に座ったまま、送られてきた書類に目を通して、眉間に思いっきりシワを寄せていた。
「何故だ! 何故日本に共産主義が広まらないのだ!」
東アジアでは工作員が盛んに共産主義を広めており、資本主義を打倒するための駒が着々と増えている。
しかしもっとも力を入れさせていた日本だけが、どういうわけか全く赤色に染まらないのだ。
「貧困層に真に救いを与えられるのは、共産主義だけだ!
それにリトルプリンセスは、国民の血税で贅沢な生活をしている!
報道記者や思想家は真実を突き止め! 断罪するために手を組む! ……はずなのだ」
私は渋い顔をしながらも、報告書に書かれていることをもう一度頭の中で整理する。
日本の貧困層が支持するのは、富を平等に分配する共産主義ではなかった。
あろうことか打倒すべき対象である、リトルプリンセスなのだ。
彼女は決して国民を見捨てることはなかった。
時々思い出したかのように政治に口を出しては、貧しい者を救済していった。
なので、今は辛くても頑張っていれば、いつの日か神皇様が救いの手を差し伸べてくれる。
誰もが心の底から希望を信じて、毎日を一生懸命幸福に生きていた。
「これでは社会的弱者は、駒として使えんな。……次は」
別の資料に目を通すと、報道記者と思想家の項目だった。
しかし彼らは、こちらの話を頑として聞かなかった。つまりは、共産主義運動を起こして資本主義を打倒しようと動かないのだ。
リトルプリンセスが裏では国民の血税を湯水のように使ったり、人間を見下して虐げている。
工作員が声高に事実を主張しても、逆にこっちの頭を心配される有様だった。
これはどうにも納得ができなかった。
何故なら普通の国の統治者は、民衆の税金で高額収入を得ているし、彼女は神皇に就いていた。
つまりは三百年も昔から、贅沢し放題ができる立場なのだ。
それに神とは、元来人間を越えた存在である。
ならばリトルプリンセスは、下々の者がどれだけ苦しもうが何とも思わない。
慈悲深い姿も国民を操るため、計算し尽くされた演技だ。
その本性はとても醜く、傲慢そのものであるはずなのだ。
同胞に甘いのは、飼っている動物に愛着を抱く行為だろうが、付け入る隙には違いなかった。
それでも、計画失敗がどうにも納得できなかったので、別の例を思案する。
仮に彼女が最初は、清廉潔白な聖人君子であったとしよう。
だが周囲に崇め奉れれば、少しずつでも慢心や増長をして歪んでいくのは避けられない。
さらに長い時の流れでも、心身は移ろい、徐々に腐敗していく。
しかし日本国民の支持率から見ても、現状ではそうはなっていない。これは明らかにおかしい事態であった。
「わっ、わからない! 彼女のことが、まるでわからない!
ああっ! こんなことは初めてだ!」
並大抵の手段では、自分のモノにできないことを思い知らされた。
それでも私は、混乱しながらも気分はとても高揚しており、どうしても諦める気にはなれなかった。
逆に火がついてしまい、何としてでも彼女を手に入れたくなる。
なので諜報員から送られてきた情報に目を通し、他の東アジアの国々を赤く染めるのと並行して、次なる計画を練るのだった。




