四十九話 パリ講和会議(3) WHO
面倒な国際社会やその他諸々はともかくとして、私には経済的損失を抑えて他国からも嫌がらせを受けず、スペイン風邪の大流行の対策を行う案があった。
まあ相変わらず、場当たり的な思いつきで、成功する保証もない。しかし、ただ何もせずに手をこまねているよりはマシだ。
なので気持ちを切り替えて深呼吸したあと、あらためて説明を行った。
「国際社会の柵、日本経済の混乱、世界的大流行、その他の様々な困難にまとめて対処できる案が一つだけあります」
会議室に集まっている人たちもこれから何を提案するのか気になっているらしく、皆は固唾を呑んで見守っている。
私も別に勿体つける趣味はないので、正面のモニターが切り替わったことを確認した後に、堂々と発言する。
「WHO、世界保健機関を設立します!」
WHOは未来でもある国際機関の一つだ。しかし、今はまだこの世界にはない。
「目的は、全ての人々の健康を増進し保護するために、世界各国が協力し合うことです」
それが理想ではあるが、現実にはそこまで上手くいくとは私も思っていない。
「スペイン風邪の警告を発して、流行を止める。日本が世界にそのような正しき姿勢を見せることが重要なのです」
これを行うことにより、日本は世界のために頑張って貢献してますよーと、堂々とアピールすることができる。
だが正直、自分から言い出すのは恥ずかしい。
これまで決してトップには立たず、他国の影に隠れて利益を得てきたのが日本だった。
しかしスペイン風邪の大流行に守りを固めて何もせず、他国よりも被害が軽いからと、理不尽に恨まれるよりは目立つほうがマシだと思った。
「対策も順次打ち出しますが、感染者はゼロにはできません。ですが、被害の軽減は可能です」
とにかく世界に先駆けて、模範になるようなインフルエンザ対策を打ち出すことで、大流行を食い止めるのだ。
いくら大戦中とはいえ、国際機関としての発言ならば、少しは耳を傾けてくれるはずだ。
ほんの少しでも良いので犠牲者が減ることを期待したい。
「何にせよ、スペイン風邪が大流行するまで、時間は殆ど残されていません」
実際に何処から広まったのかは私にはわからないが、既に日本にも感染者が複数出ているので、由々しき事態だ。
「緊急時ですし、稲荷神の名前を前面に出して、超法規的措置を取っても構いません。
何としても法案や対策を早急にまとめて、スペイン風邪の大流行を阻止するのです」
そこで私は大きく息を吐いて、置かれていたペットボトルの蓋を捻った。
そのままやけくそ気味に口につけて、お茶で乾いた喉を潤す。
「私からの説明は以上です。続きは専門家の方々にお任せしますね」
久しぶりに大勢の前で長々と喋って精神的に疲れたのか、小さなお腹が思い出したかのようにグギュルルと鳴った。
なので進行役を終えた私は、椅子に深く腰掛ける。
そして白衣姿のまま手を合わせて、いただきますをする。
自分よりも遥かに賢い大人たちが熱い議論を戦わせる中で、割り箸を割って高級幕の内弁当の具材を小さな口に入れる。
庶民的な食事やB級グルメも好きだが、値段の高いお弁当は、ちゃんとした理由があるのだと納得しながら。満面の笑みを浮かべて、小さなお腹を膨らませるのだった。
後日談となるがWHO、世界保健機関は無事に設立された。
ただし、超法規的措置を乱用してあまりにも急いで築き上げたためか、最初期の加盟国は日本とオーストラリアとイギリス、合計三ヶ国だけだった。
しかし私が知る限りでは、未来でのWHOの存在意義は薄い。
きっとスペイン風邪が終息したら、これいる? ……いりゃん! になるのが容易に想像できるが、諸外国に日本が貢献してるよアピールと、国際機関(仮)としての対策案を提示できれば、何の問題もなかった。
なお最高意思決定機関は、総会だ。
しかし重大な決断の際には必ず稲荷神の許可が必要になる。
そんな謎の項目が、何故か追加されていた。
それだけではなくWHOのロゴマークも、地球儀の左右には稲穂、中心には小狐が描かれている。
「稲荷神に医療や健康とか関係ないし! それに私が決断するなら、総会意味ないじゃん!」
心の中で思うだけだが、全力でツッコミを入れたくなった。
日章旗は阻止したのに、狐を前面に押し出したシンボルマークでは、羞恥心が酷いことになる。
しかし今は、とにかくWHOの設立を急いで行わなければいけない。
スペイン風邪の大流行を食い止めなければ、多くの犠牲者が出てしまうので、仕方ないが今だけは黙認しようと渋々諦めた。
どうせ活動期間は、スペイン風邪が流行している間だけだ。
終わったら即解体すればいいやと、前向きに気持ちを切り替えるのだった。
なお加盟三ヶ国しかなかったWHOだが、全世界に向けてスペイン風邪の警戒を促したり、今の時代では画期的なインフルエンザ対策を次々打ち出していった。
さらには早急に日本とオーストラリアの工場をフル稼働させることで、インフルエンザ対策の医療機器やワクチンを、全世界に向けて格安で輸出することができた。
たとえ大戦中だろうが、うるせえ! 戦死者以上の犠牲を出したくなければ、とにかく言われた通りに対策しろ! という感じで、神皇権限で周りの評判なんか気にすることなく、中立の立場で敵味方関係なくゴリ押した。
なお、イギリスも乗り気だったので、色々と助けられた。
殆どトントンにしかならない薄利多売だが、雀の涙でも儲けはでるし、作れば作るだけ売れる状況なので、そのおかげかも知れない。
ちなみにWHOは国際機関ではあるが、完全に日本主導で対策を行っていた。
それでも世界的には大きく貢献していたし、おかげで恨みを買うこともなかった。
だが、少々薬が効きすぎたらしい。
スペイン風邪が終息したら解体する予定のWHOだったが、インフルエンザ対策が確かな効果を発揮することがわかると、加盟国の申し出が相次いだ。
結果的に解体反対の声が大きくなり、そろそろ辞めて楽になりたいと主張するのは日本だけという有様だ。
なので、否応なしに続けることになる。
ついでに言えば、WHOの最高意思決定は私のままだ。
こっちも神皇と同じく、緊急時以外は関わらなくて済むのが救いではある。
それでも、日本の舵取り以上に責任重大なのは違いない。本当に狐っ娘の胃が頑丈で良かったと、心底そう思った。
なお東アジア各国の代表が、稲荷神の最高意思決定権は剥奪すべきだ! と主張していると新聞に載っているのを発見した。
それと読んだ私は、縁側で腰を下ろして青空を眺める。
「半島や隣国が頑張ってこき下ろせば、WHOを抜けさせてもらえるのかな?」
そんな、到底叶えられそうにない淡い期待を抱いてしまうのだった。




