四十七話 第一次世界大戦(5) 稲荷館
日本館に戻って展示場に車を止めた私は、エンジンを切ってシートベルトを外す。
そして周りのスタッフがタイヤをしっかり固定したことを確認した後、扉を開けて降りる。
大きく深呼吸をし、展示の前から離れる前に、何気なく呟いた。
「あまり気は進みませんが。そろそろ行きましょうか」
「稲荷神様! 隣に乗せていただき、ありがとうございました!」
「いえいえ、私も楽しかったですし、お礼は要りませんよ」
そのように返答して、キャンペーンガールが展示品の説明を再開するのを確認した後、私たちは日本館を後にしたのだった。
やって来たのは、すぐ隣に建てられた最後の難関だ。東京大正博覧会で避けて通れないとはいえ、何とも気が重い。
だが、愚痴ぐらいは許してもらいたい。
「稲荷館は正直、なくても良い気がします」
「「「とんでもございません!!!」」」
近衛やお世話係だけでなく、私の呟きを聞いていた客までもが一斉に否定した。
このことから、もはや何を言っても無駄だと諦めるしかなかった。
大きな溜息を吐いた後は、足取り重く前に進み、最後の施設にトボトボと入場したのだった。
館内の展示品は、最新の物の逆であった。
歴史的な価値があると考古学者が判断した、とにかく古い物ばかりが並んでいた。
特に目新しい物はないと言うのに、来場者が全館の中に一番多いようで混雑している。
しかも当人が入場したことで、注目度が否応なしに上がってしまう。
周囲の視線が一斉に集まって、思わず微笑が崩れて顔が引きつる。
だが、入り口近くで立ち止まっていても始まらないので、覚悟を決めて足を踏み出して、順路に沿って展示物を眺めていく。
すると欠けたりすり減ったりと、壊れかけの犬ぞりがガラスケースの中に置かれているのを見つけた。
説明文には、稲荷神様がお乗りになられていた犬ぞりと記載されている。
「懐かしいです。私が乗っていた犬ぞりです。
ですがこれは、初代ではありませんね」
結構頻繁に乗り換えていたので、最後が何代目になったのかは覚えていない。
そのことが気になったのか、お世話係が尋ねてくる。
「初代の犬ぞりは、どうなされたのですか?」
「藤波畷の戦いの後に、帰路の途中で軸足が折れて走行不可能になりました」
今では正体がバレて、稲荷神が富永忠元を討ち取った戦いであると、教科書に記載されている。
さらには藤波畷の戦い以外にも、私が道中の村々で色々とやらかしたことも、日本国民の殆どに知られてしまった。
だがまあそれは置いておいて、話の続きをする。
「その後は、稲荷山まで担いで戻りました。
修理を依頼したのですが、木工職人に一から作り直したほうが早いと言われましたね」
当時は街道がろくに整備されていなかったし、いくら狐っ娘が軽いとはいえ、木製なので使い続ければすぐにガタが出てくる。
「初めて作ってもらったので愛着はありましたが、仕方なく二代目の犬ぞりに乗り換えたのです」
正直なところ、犬ぞりの修理や交換を何度行ったかは、はっきりとは覚えていない。
それでも一番最初に作ってもらったので、印象に強く残っているし、愛着が湧くものだ。
今ではもう犬ぞりに乗ることはなくなった。
それでも目を閉じれば、初めてできた家族と一緒に野山を駆け回ったことを、まるで昨日のように思い出せた。
自分の記憶がいつまでも薄れないことに、感謝しておく。
お世話係が何代目かの犬ぞりを見ながら、懐かしくて若干涙目になっている私に声をかけてきた。
「ところで稲荷神様」
「何でしょうか?」
今の発言で何か気になることがあったのだろうかと、少し首を傾げる。
「初代の犬ぞりですが、その後はいかがされましたか?」
「村に帰ってすぐ、神主さんが引き取りを申し出ました。その後は、私にはわかりませんね」
修理が不可能だとわかったときに、麓の村の神主さんが引き取りたいと強く希望してきた。
なので彼に渡して、それっきりである。
「なるほど、でしたら愛知の郷土資料館に展示してあるのが、初代の犬ぞりですね」
近衛が今の説明で合点がいったのか、ポンと手を打って、何のこっちゃと首を傾げている私に説明を行う。
「稲荷神様がお住まいであった家屋が、郷土資料館として開放されているのです」
正直わけがわからなかった。
稲荷山を離れて三百年以上経つが、現在はそんなことになっているとは思ってもいなかったのだ。
「もちろんこちらの犬ぞりと同じく重要文化財で、一部国宝となっております」
「えっ? ……えっ?」
引っ越してからは昔のことを考えることが減ったので、古い家がどうなっているかなど、気にもしなかった。
「引っ越す際に持ち運び不可や不要な物は置いてきました。もしかして、そちらも?」
「稲荷神様の日用品も、公開展示されております。ご覧になられますか?」
「いっ、いいえ……私は遠慮しておきます」
若干どもりながらも何とかお断りしたが、博覧会場の稲荷館に入るだけでも嫌々なのである。
元々の実家が郷土資料館になっていて、普通使いの日用品が飾られていたり、それをありがたがって眺めている見物客など、断じて直視したくはなかった。
何だか小っ恥ずかしくなってきたので、気分を変えようと辺りを見回す。
すると、上洛した時に羽織っていた神衣を見つけた。
「ああ、これは懐かしいですね」
「上洛中に着用していた神衣でございますね」
側に控えているお世話係が反応したので、私は彼女に聞かせるように語り出した。
「最初はいつもの巫女服で、上洛するつもりでした」
暑さ寒さは無視できるし、いつもの巫女服は万能だ。
なので当初は別に、このままで良いかなと考えていた。
「しかし松平さ……ええと、徳川さんが朝晩は冷えるでしょうからと、道中でこの衣をそっとかけてくれたのです」
昔が一番楽しかったとは口にしない。
しかし親しい友人が居て、同じ時を過ごしていた。自分にとっては、その一つ一つが、かけがえのない思い出になっている。
「でも織田さんは、心頭滅却すれば火もまた涼し! 寒さなど関係なかろう! と、大声で笑い飛ばしましたけどね」
動揺するお世話係だが、先程から周りの取材陣は熱心にメモを取っている。
歴史の教科書には載っていない裏話だが、これが一体何の役に立つのかだろうか。
「そっ、それはまた、何と言いますか」
「実際織田さんの言う通りですし、構いませんよ。私も楽しかったですし」
すっかり狐色に染まった日本国内には、もはや彼らのように友人として接してくる者は、一人も居なくなった。
互いの仲が進展しすぎると、別れが辛くなるので私が避けているのもある。
だがお婆さんの視点で孫を見守る形に切り替えたので、もう大丈夫だ。
そしたらいつの間にか、稲荷神様に気軽に声をかけるのは不遜であるという風潮が生まれて、私とそれ以外の人間の間には、見えない壁のようなものが出来ていた。
平穏に暮らしたり、波風が立たない人生を送るには良いが、何と言うかままならないものである。
それでも毎朝のジョギングの時に、見た目が近い子供たちは楽しそうに話しかけてくてる。
大人たちは止めるが、私が笑顔で接しているので良い関係を築けている。
それに家族である狼たちの存在もある。だから、全く寂しいとは思わないのだった。
私は稲荷館の展示物を、順路通りに眺めていく。
いつか自分がお役御免になって退位したら、こういった骨董品もありがたがる人が居なくなるんだろうなと、ぼんやり考えるのであった。




