四十七話 第一次世界大戦(3) 東京大正博覧会
大正三年になって、東京市の上野公園で東京大正博覧会が開かれた。
隠蔽はしているが、実際の所は暗黙の了解である技術大国日本とオーストラリアの集大成を一目見ようと、国内だけでなく海外からも大勢の見物客がやって来た。
世界の軍事バランスを崩さない境界線を見極めるのに、物凄く苦労したらしい。
なお私はと言うと、面倒に思いながらも日本の最高統治者としての公務を果たすべく、顔見せとして出席するのだった
大正三年の三月二十日、朝晩はまだ肌寒いが、それでも昼近くになれば太陽の光が差して暖かくなる。
なお本日は公式の見学なので、お忍びのように変装はしてない。
私は周囲を近衛とお世話係に守られながら、東京の上野公園をのんびりと歩いていた。
開催前から多くの取材陣が入っており、彼らは会場内の様々な催し物を撮影して、全国に発信していた。
そんな場所に、鴨が葱を背負って来きたのが私である。
会場入りするや否や、まるで津波のように取材陣が押し寄せてくる。
「稲荷神様! 何か一言!」
「目線をこっちにお願いしまーす!」
「博覧会場では、何を見物されるのでしょうか!」
恥ずかしさは感じるものの、もはや見慣れた光景なので微笑を浮かべてやり過ごす。
それに今は護衛やお世話係が円陣を組み、一定の範囲内から絶対に近づけないようにしてくれている。
なので私は堂々と振る舞い、思ったことを飾らずに口にする。
「博覧会では、珍しい動物を見たいですね」
科学の発展した二千年代を知る私は、各国の軍事バランスに配慮した博覧会では、少し物足りなく感じた。
だがその代わりに、未来では絶対に見られなかったモノも、今この場に存在するのだ。
「パンダも可愛いですが、タスマニアエミュー、ウサギワラビー。
それに、フクロオオカミも気になりますね」
上野動物園といえば、やはりパンダだ。そしてオーストラリアは、コアラやカンガルーのイメージが強い。
しかしそれは、あと百年ほど未来で他の動植物が絶滅していたからだ。
自分が介入して変わったかどうかはさて置き、取りあえず今は普通に生きている。
私があれこれ考えていると、興奮気味なマスコミが大声で質問してきた。
「もし白人種がオーストラリアに入植していた場合! 多くの動植物が絶滅していた!
複数の専門はそう分析しています! 稲荷神様はどう思われますか!」
何とも答えに困る質問がきた。
日本の最高統治者として立場では、どう答えても面倒なことになるが、かと言って切れ者のよう誤魔化したり嘘をつくのは難しい。
ならばいつも通りに、真正面から突撃するしかない。
私は会場内をオーストラリア館に向かって歩きながら、思ったことをそのまま口に出す。
「絶滅の可能性が高かったことは、否定できません」
返答を聞いた周囲の者たちは、明らかにどよめいた。
「しかしあくまで可能性の一つです。まだ確定ではありません。未来は誰にもわからないのです」
さり気なく、私は未来を見通す目は持っていないし、優秀じゃないよアピールも忘れない。
大体自分が介入したことにより、日本とオーストラリアは確実に歪んでしまったので、この先どう転ぶかは誰にもわからないのだ。
「そして、過去を変えることは不可能です。しかし、過ちを認めて修正を行うことはできます」
なお自分が超優秀な最高統治者であるという幻想は、もはや修正が効かないレベルである。
こういう取り返しのつかない要素もあるため、自然に身を任せて放置するしかなくなった。
そのまま私は、続きを説明していく。
「ドードー、リョコウバト、ステラーカイギュウ、カスピトラ、オーロックス等の絶滅危惧種も、今は特別保護地区で順調に数を増やしています」
元々は日本の最高統治者の機嫌を取るために、世界各国から送られてきたお供え物の一つだ。
見た目が幼い女性なので、動物が好きそうとでも考えたのだろう。
ちなみに野良猫や野良犬などを送っても機嫌取りにはならないので、その対象は総じて希少な動物になる。
つまり、絶滅危惧種ばかりが自分の元に集まってくるのだ。
そういった経緯もあり、私は日本とオーストラリアに特別保護地区を作ってもらった。
さらには現地から様々な専門家を呼び寄せて雇用し、彼らの知恵を借りて繁殖を促した。
おかげで元の大陸ではとっくに絶滅していても、一部地域ではのびのびと過ごして数を増やすことができたのだった。
ちなみに、トキ、ニホンオオカミ、ニホンカワウソといった未来では姿を消していた動物たちは、国内の山野に普通に生息しているので、わざわざ保護をする必要はなかった。
これも三百年以上前から、環境の保護に取り組んできたおかげだろう。
そんなことを考えていると、取材陣の一人が今の発言に反応し、私に再び声をかけてきた。
「ですがそれは全て、稲荷神様のお慈悲によって、絶滅を免れているのではありませんか?」
「それは、否定はしません」
私は歴史に詳しくないので、各国が環境保護に関心を寄せ始めるのが、いつかはわからない。
だが少なくとも、二千年代の先進国はそちらに舵取りをしていた。
ならば、遅かれ早かれそうなるだろうと予想はできる。
「乱獲や密猟、環境破壊の愚かさに気づき、いつか動物たちが故郷に帰る日が来る。
少なくとも、私はそう信じています」
思うがままに発言したが、周囲の様子を伺うと、あまり反応がよろしくない。
一体どういうことだと内心で戸惑っていると、記者の一人が手を上げて発言する。
「各国が環境保護に動き出すのは、いつ頃なのでしょうか?」
「それは、私にもわかりません」
身も蓋もない意見だが、本当にわからないのだから仕方ない。
だが別のことならわかるので、私はそちらを口にした。
「しかし、過ちに気づかず環境を破壊し続ければ、人類の未来は永劫の闇に閉ざされてしまいます」
二千年代にはオゾンホールや酸性雨、地球温暖化、自浄作用では処理が難しい有害物質、さらには公害病などと、人類が環境を破壊したせいで手痛いしっぺ返しを受けていた。
なので将来直面する面倒事への対処を、江戸時代からずっと行ってきたのだ。
ちなみに何だかんだでオーストラリアも共同で環境保護運動を行うことになったが、そこはまあ自分も何故かはわからないので、考えないことにした。
しかし若干口が震えながらも、マイクを手放さない記者を見ていると不安になってくる。
だがそんな状態で、さらに私に質問してきたのは流石はプロであった。
「つ、つまり! このままでは人類は絶滅すると?」
「世界各国が環境保護から目を背け続ければ、……いずれは」
現時点では、日本とオーストラリアだけが環境保護を遵守する方針を取っている。
他の国はまだ、産業革命による大量生産大量消費を推進する段階だ。
むしろ今が、全盛期ではなかろうか。煙モクモクや化学物質をドバドバ垂れ流し中である。
何だか話の流れ的に、散々不安を煽る発言をしてしまった。
私も本心では人類に滅んで欲しくないし、そこまで心配することもないだろうと楽観視しているので、そちらも一応伝えておく。
「しかし、不安に感じることはありませんよ」
「そっ、それは何故でしょうか?」
相変わらずガクブルしている記者を安心させるために、にこやかな笑顔を浮かべて丁寧に答えていく。
「環境保護を怠った国は例外なく、公害病というしっぺ返しを受けるからです。
有害物質による被害者が増えれば、方針を転換せざるを得なくなるでしょう」
逆に言えば公害病で苦しむ人が少なければ、大量生産大量消費による環境破壊を進めることが可能ということだ。
属国や植民地にやらせて、先進国は悠々自適な甘い汁を吸うということもあるし、隣の大国はいつまでも方針が変わらなかった気がするが、まあその時はその時だ。
少なくとも二千年代では、先進国が集まって地球サミットも開かれている。
だがまあ今回は、私が一足どころか多分百年ぐらい先取りして、世界に向けて発言した。
たとえそれがなくても、人類は過ちに気づいて方針転換をする。
それこそ、歴史の修正力など存在しなくてもだ。きっとそこまで愚かではないだろう。
なお今の発言を聞いて、取材陣や周囲で聞き耳を立てていた人たちが、明らかにホッとした表情になる。
それでも、質問はまだ続いていた。
「では稲荷神様はこれから世界の見本となるべく、環境保護を推進していくのでしょうか?」
何でそこで私が出てくるのか。
確かに環境保護を推進しているが、自分はどっかのイルカやクジラを守るための旗頭など、絶対に御免だ。
なのでその件に対しては、堂々と否定した。
「いえ、私は何もしませんよ」
「「「えっ?」」」
「えっ?」
周囲の者たちが唖然とする中で、私が先頭に立つ前提のほうがおかしくない? と、心の中で大きく溜息を吐いたあとに、面倒そうに返答する。
「日本だけで精一杯です。世界に働きかけるには、とても手が足りません」
現時点では、私が何度忠告したところで馬の耳に念仏だ。
実際に公害が発生して権力者が自らの失策に気づくまで、大幅な方針転換はほぼないだろう。
「そもそも人間は、基本的に自分が見たい物だけを見ます。
我が身が危機に陥らない限り、なかなか行動を起こしません」
確かに自分が主導になって動けば、本来の歴史よりは環境保護推進派が勢いづくかも知れない。
だがしかし、世界を導くための旗頭になるなど、絶対に嫌である。
私は心の中で辟易しながらも、表情だけは微笑を浮かべて記者の質問にはっきりと答える。
「先程の忠告をどう捉えるかは、世界各国の指導者に委ねます。
きっと私よりも優秀な方々が、適切な判断を下してくれるでしょう」
いつもの投げっぱなしではある。
そもそも、元女子高生で頭の弱い私に出来ることは実際には殆どない。なので餅は餅屋に任せるのも、ある意味仕方がないことであった。
そうこうしている間にオーストラリア館に到着したので、私は満面の笑みを浮かべて取材陣のほうに顔を向ける。
「では、動物と触れ合いたいので、これで失礼しますね」
そう言って私はテレビカメラに背を向けて、オーストラリア館の敷地に入っていった。
正史では多分絶滅しているか、数が激減したであろう動物たちに会いに、ルンルン気分で歩いて行く。
思えば動物と直接触れ合うのは、家族以外では久ぶりだ。
私は後ろの取材陣が困惑しているのを気にすることなく、オーストラリアから海を越えてやって来た動物たちと、存分に触れ合った。
そして日頃の公務で疲れていた心を、大いに癒やすのだった。




