四十六話 皇太子の来日(1) 監視
四十六話 皇太子の来日の最中となります。ご了承ください。
時は流れて明治二十四年、あまり良好な関係とは言えないロシア帝国から、ニコライ皇太子が近々日本を訪れる情報が入った。
ちなみに相手はユーラシア大陸の超巨大国家で、こっちは極東の島国だ。どちらの立場が上かは口にするまでもない。
普通の価値観を持つ者か、何も知らない傍観者ならば、全員がそう思ってもおかしくない。
だが日本人は違った。
自国の軍事力や技術力の高さは十分に自覚しているので、へりくだることなく紳士的に対応しようと、正式に決定したのだった。
なお、ロシア帝国の目的だが、シベリア鉄道の極東地区起工式典に出席するためだった。
ウラジオストクに向かうついでに、ふらりと日本に立ち寄っただけらしい。
なので、艦隊を率いてやって来ても仕方がない。それが向こうの言い分だった。
それに対して、うちの外交官は青筋を立てた。しかしこっちは大人なので、あくまでも紳士的に対応する。
何故なら、ニコライ皇太子はロシア帝国の重要人物だ。
うちにとっての厄ネタだが、国際社会に組み込まれた以上は、たとえ表裏の目的が食い違っていようとも、形式的には歓迎するべきなのだ。
北方領土に変わらずちょっかいを出してたり、少し前に対馬が不法占拠されたとしても、目には目を歯には歯をでボッコボコにして追い返したので、禍根は残っても溜飲は下がっている。
だがしかし、国民感情は、さっさと帰ってくれが九割以上を占めている。
皇太子が来たからにはきちんと出迎えるべきだし、ここで日本としておもてなしの心を見せれば、国際社会の立場を固める一助となる。
なので何とか諍いなく穏便にことを収めるべく行政府から、稲荷神様! 何か良い案をお願いします! と、当然のように声がかかったのだった。
ちなみに私はと言うと、相変わらず日本の最高統治者をやっているため、国際問題や日本が重大な決断を迫られるたびに呼び出される。
そこで今後の方針やら、率直な意見を求められるのだ。
普段なら明治政府が対処してくれるのだが、ニコライ皇太子はどう考えても厄ネタだ。
国民感情もあまりよろしくないことから、面倒事が起きる可能性はかなり高いと思われる。
できれば顔を合わすことなく、彼が帰国するまで我が家に引き篭もったままやり過ごしたいぐらいだ。
しかし外に目を向けて国際情勢を眺めれば、はっきり言って不穏であった。
そこに大胆不敵にも、艦隊を率いて日本に乗り込んできたのだ。
ここで明治政府がサクラを用意して、表向きの歓迎ムードを演出したとしよう。
だが国民感情的には、かなり危うい橋を渡っていることには変わりない。
万が一どころか十が一という高確率で、傷害事件が起こりそうである。
おまけに、彼を護衛するために自衛隊を派遣しようとしても、ニコライ皇太子を害すると勘違いされたのか、ロシア帝国の側近たちに、我々が守るので必要ありませんときっぱり断られてしまう。
うちのルールに従えないなら、最初から日本に来るなと声を大にして言いたくなる。
しかし世の中、そんな物分りの良い人ばかりではないのであった。
なので私は行政府の悩みを解決すべく、我が家の居間で寝転がりながら、足りない頭で解決する手段を必死に考えた。
そして十分も経たないうちに、いちいち悩むのが馬鹿らしくなってきた。
そして結局いつもの脳筋ゴリ押しで、解決すればいいやと投げ遣りに決断して、ロシア帝国の皇太子のために、渋々重い腰を上げたのだった。
少しだけ時は流れて、明治二十四年の五月になった。
前々から警戒していた厄ネタが、とうとう来日した。
彼はまず長崎を観光して、鹿児島や神戸にも滞在する。そして、昨日は京都に立ち寄った。
ちなみに本日の予定は、琵琶湖の日帰り観光らしい。
重要人物なのに、何故か装甲車ではなくオープンカーの乗車を強く希望した。
しかもニコライ皇太子は、サクラとして歓迎ムードを演出している現地住民に向かって、にこやかな笑顔で手まで振っていたのだ。
その一方で私はと言うと、近くのビルの屋上に身を潜めつつ、ニコライ皇太子の姿を肉眼で観察していた。
「大胆不敵ですね。命が惜しくないのでしょうか?」
私なら銃で撃たれようがミサイルを打ち込まれようが無傷だが、生身の人間の彼は違う。
一発でも当たれば、それこそ命に関わる。
「陰から護衛する、こっちの身にもなって欲しいですね」
そうポツリと呟いた後、大きく溜息を吐いた。
すると自衛隊用のトランシーバーに連絡が入ってきたので、緊張しながら会話に応じる。
「こちらクイーン。何がありましたか?」
「ウルフ2ですが、外から紛れ込んだネズミを捕獲しました。どうぞ」
確か他国の工作員か諜報員か、何かそんな感じだったはずだ。
任務の前に渡された暗号文に書かれていたので、頑張って丸暗記しておいて良かった。
皇太子が帰国したあとは綺麗サッパリ忘れているだろうが、今はそれで十分だ。
「了解。ウルフ5に処理を任せなさい」
ウルフ5は後方支援部隊で、尋問が得意だ。ならばそちらに回したほうが良いだろうと判断して、速やかに指示を出す。
「了解しました。ウルフ5に処理を任せます。通信終わり」
その後、トランシーバーが沈黙したことで、私は再びニコライ皇太子のほうに顔を向ける。
(しかし、面倒な仕事ですね)
信頼できる自衛隊を選抜して警護させれば手っ取り早いが、それではロシア帝国の緊張が高まり、最悪戦争の火種になってしまう。
なので今は地元の警察官が、向こうの側近と同じように周囲を見回っているのだが、それでは万が一の事態に迅速に対処できるとは思えない。
そこで私は逆に考えた。自衛隊を動員して護衛しても、バレなければ問題ないのでは? ようは問題が起きても、明るみに出る前に全て秘密裏に処理してしまえばいいのだ。
なので自分と選抜された隊員たちは、ニコライ皇太子が日本に滞在している間は、二十四時間体制で交代しながら、常に影から見守り続けることになったのだ。
ついでに言えば、最高統治者である神皇が、危険を顧みずに護衛に徹しているので、たとえ発覚しても、皇太子の身を守るためだと主張すれば、そこまで強くは反論できないはずである。
とにかくニコライ皇太子の周辺を徹底的にガードして、危険人物がやらかす前に処理する。
事が発覚する前に、穏便にお帰りいただくのである。
結局いつもの脳筋ゴリ押しだが、うだうだ考えるのは性に合わないし、やはり私はこの手しか知らないらしい。
なので今も、付近のビルの屋上に身を潜めているのだ。
そこで狐耳を澄ませたり目を凝らしたり、各隊員と連絡を取り合い、ニコライ皇太子の周囲の安全を確保するのだった。




