四十五話 外国への見せ札(3) 鹿鳴館
明治十六年に陸軍大学校が開校してしばらく経った。
すると今度は鹿鳴館が建てられた。こちらも外国への見せ札なのだが、理由は前とは少し違う。
今の日本は和洋が入り混じって混沌としており、とにかく国際化が著しい。
鎖国していた頃とは比較にならないほど、外国人が大勢やって来るようになったので、その受け皿を作る必要に迫られた。
結果、他国の外交官の宿泊施設と憩いの場を兼ねて、西洋文化を前面に押し出した建築物を作ったのだ。
なお、デザインに関してだが、今の時代も二千二十年も、世界を引っ張っているのは西洋人だ。
なので、彼らが気にいるであろう西洋文化に統一することで、友好の架け橋になればという願いが込められている。
収容人数は二千人で、かなり高く見積もっているが、流石に満員になるまで来ないだろう。それでも、念には念を入れるに越したことはないのだった。
開館初日になって、世界各国から外交官が大挙してやって来た。
確かに、鹿鳴館本日オープン! 記念式典を開きます! 日本政府はそう告知した。
だがこの施設は、外国からのお客さんが気楽にくつろいだり、宿として利用するのが目的だ。
遊園地のように、大勢の人を惹きつける魅力があるとはとても思えなかった。
それに、もし観光がしたいのなら、千葉県の浦安市で建設中の東京稲荷の国が完成してから、訪れるといい。
元ネタは言わずもがなの、永遠に増築し続ける夢の国である。
国内人気はキツネが圧倒的なため、そっち関連のグッズやキャラを題材にした遊園地に帰結してしまった。
無情にも歴史の修正力など存在しないと割り切り、自然な流れに身を任せるしかなかったのだ。
もし開園の時が来たら、チベットスナギツネの表情になるのは避けられないのは確実で、オープンは当分先なのに早くも戦々恐々とするのだった。
そのような事情はさて置き、明治十六年に鹿鳴館が無事に完成した。
他国の外交官に宿泊してもらうのが目的とはいえ、日本の重要施設だ。
なので、最高統治者である私も開館初日の式典に招待されている。
これに関しては朝廷や政府関係者は、忙しくて参加できないという理由で代理を立てて辞退できる。
だが一番偉い立場である神皇は休まず出席するという、そんなよくわからない状況が頻繁に起こったりする。
中身が小市民なのでフットワークが軽いし、今の所は何やかんやで毎日平穏に暮らせているので、時間的な余裕はある。
それでいて稲荷大社へのお布施、つまり日本国民の善意で面倒を見てもらっているのだ。
緊急事態になるたびに表舞台に引っ張り出されるが、普段政務を行っているのは、自分とは比較にならないほど頭が良くて優秀な人たちばかりだ。
ならば迫りくる危機も、きっと無事に乗り越えられたはずだからこそ、事あるごとに退位したいと口にしている。
残念なことに一度も受理されたことはないので、今回の式典にも日本の顔を売るという意味で強制参加だ。
少なくとも神皇と稲荷神の二足の草鞋を履いているうちは、基本的に民意には逆らえない。悲しき定めなのであった。
私が過去の出来事を振り返っている間にも、明治十六年の七月上旬に完成した鹿鳴館。
その正門から、外国から訪れたお客さんたちが続々と入場してきた。
告知しておいた通りに、本日の午後五時から記念式典が行われるらしい。
なお私としては、適当に挨拶したあとに、パーティー会場で飲み食いできればそれで十分だ。
取りあえず壁際からなるべく動かずに、会場内の美味しそうな物を物色する予定であった。
私は一応日本の最高統治者なので、パーティー会場に外国のお客さんよりも先に入場しており、二階のテラスから外の景色をぼんやりと眺めていた。
最初は二千人なんて来るはずないと高をくくっていたが、実際にはそれを遥かに越えた来場者数のように思える。
しかも何故か、海外から取材に来た記者団の姿もかなり見かけられた。
おかげで、警察だけでなく自衛隊までも動員し、鹿鳴館の警護や交通整理、治安維持に奔走する事態になっている。
私からすれば、どうしてこうなっただ。
しかし、それだけ日本は国際社会で注目されているという証拠で、足場を固めるにはもってこいの舞台だと、前向きに考えることにしたのだった。
あらかじめ参加の申込みがあった来賓の方々がほぼ集まった所で、私はパーティー会場の中央で神皇として当たり障りのない挨拶を行う。
それが終わった後は、なるべく人の少ない壁際を陣取る。
当然、お世話係と近衛も複数人同行して、円陣を組んで警護を行っていた。
皆が周囲に目を光らせている中で、私は小声で呟いた。
「まあ、誰一人来ないよりはマシでしょう」
ちなみ会場内には他にも日本の関係者が何人も居て、西洋の紳士服やドレスを着ていた。
今日の私は紅白巫女服ではなく、淡い桜色のドレス姿で、胸や肩が露出しているタイプだ。
「洋服の普及が間に合って良かったです」
そもそも江戸時代の日本は、西洋文化の影響を殆ど受けておらず、日常的に着ている服装に関しても和服ばかりであった。
だが日本が開国してからは、現時点での覇権国家と思われる欧州と足並みを揃える必要が出てきた。
そのため明治政府も洋服の普及に力を入れるようになったが、国民はあまり乗り気ではなかった。
何故ならば、独自進化どころか魔改造され続けた日本の和服のほうが、今の時代の洋服よりも利便性や快適性に優れていたからだ。
明治政府もこれには困ってしまい、どうにかして国民の意識改革を行わなければと考えた。
それから関係者が集まって、何度も緊急会議が開かれた。
その結果、過去の洋服を再現して普及するという、何とも突飛な案が出て実行に移されたのだった。
なおこれに関して簡単に説明すると、過去の洋服の原案を出したのは稲荷神(偽)で、時は江戸時代初期まで遡る。
ちなみに日本の最高統治者は紅白巫女服が普段着だし、鎖国政策を行って外国人を締め出したことが影響したのか、その時点での普及は進まなかった。
だが私としては、こういう服装もあるよと教えただけなので、別に広まらなくても何の問題もなかった。
なので、過去に洋服の原案が提出された。という記録が残っているだけでしかない。
実際の構図や試作品は、三百年以上も聖域の森の正倉院で眠り続けており、一年に一度の蔵出しの時だけ国民の目に触れていたのだ。
「それがまさか、今になって日の目を見ることになるとは思いませんでした」
そして私が原案を出した洋服は、その殆どが二千年代に普及している物だ。
なので諸外国から見れば、日本の洋服は斬新か革新的、もしくは芸術性が高すぎて、この発想はなかったと目から鱗状態であった。
「おかげで洋服が広く普及できたのは、助かりました。ですが──」
私は壁際に立って溜息を吐き、次の言葉を飲み込んで沈黙する。
自分が芸術の神として崇め奉られるのは御免こうむるとは、式典中に口にするわけにはいかなかった。
明治政府の後押しもあり、今の日本は空前の洋服ブームだ。
稲荷神様自らが三百年以上も昔にデザインして、現代の職人がそれを再現する。ブランド的な価値まで前面に押し出すことで、生産が間に合わずに品薄状態にまでなっているのだ。
江戸時代には全く普及しなかったが、今は逆に恐ろしい速さで全国に広まっている。
あと百年と少しで時代が追いつくので、洋服もありかも知れないと思い始めたのだろうか。
「これも時代の流れでしょうね」
良くも悪くも、人の価値観や芸術性は変わっていく。
転生してから殆ど変化しない私とは、違うのであった。
現状について考えても、ワッショイワッショイで気が滅入るだけなので、私は顔を上げて周囲を観察することにした。
すると鹿鳴館の入場を許可された取材陣は、先を争うように写真撮影をしていることに気づく。
壁を背にして、お世話係がグラスに注いでくれた梅酒をちびちびやりながら、私は何気なく呟いた。
「どうして皆、私ばかり撮影するのでしょうか?」
「それは稲荷神様はドレスが良くお似合いで、大変可愛らしいからでございます」
お触り禁止の円陣を組んでいる近衛の一人が、周囲を警戒しながら答えを返す。
ドレスだけでなく小物に至るまで、全て一流の職人が特注で作り上げた。
これで似合わなければ、制作した人に苦情殺到で、最悪首を吊りかねない。
「しかし私は、見た目は子供ですよ?
花盛りの美男美女のほうが、写真映えするのでは?」
成人かもしくは十五、六の女性か花盛り、それより下であれば蕾と呼ぶらしい。
なのでこんな幼い体にドレスを着せて喜ぶのは、子供好きかロリコン、または狐っ娘のペロリストぐらいだ。
そこでふと気になったので、何となく尋ねてみる。
「日本とオーストラリアならば、まだわかります。他の海外ではどうなのですか?」
江戸時代の海外では、稲荷グッズが流行したことがあった。
しかしこういった人気は一時的であり、ある程度時期が過ぎれば下火になるものだ。
当初はどっぷりハマって収集したグッズも、ブームが終わった後は何でこんなのにお金を払ってたんだろう?
そう疑問に思うことも多々あった。
しかし喉元を過ぎれば熱さを忘れるため、懲りずに何度も過ちを繰り返す。
そんなライトオタクの古傷をえぐってしまった私は、慌てて思考を現実に戻した。
「昔と比べれば、海外の流行は下火でございます。
しかし三百年が経とうと、今なお現役の稲荷神様です。根強いファンは何処にでもおりましょう」
私はそれを聞き、溜息を吐いて頭を抱える。
つまり外国にも、拗らせたペロリストが潜伏しているということだ。
かれこれ三百年に渡って、熱心に手紙を送ってくれているイギリス王室の存在もあるので、そういう可能性も捨てきれない。
「百歩譲ってそうだとして、それだけで撮影会になるものなのですか?」
この発言には、警護している近衛の一人がはっきりと答えてくれた。
「鹿鳴館に居る可愛らしい女子は、稲荷神様だけです。
さらに狐耳と尻尾を生やしておられるという、愛らしい特徴もございます。
普段は決して表に出ませぬが、今は桜色のドレスを着こなしておられ──」
「あー……はい、理解しました」
まだまだ褒め足りないだろうが、近衛の言葉に強引に被せる。これ以上は不要である。
ようは属性てんこ盛りで、日本どころか世界から見ても、大変珍しい狐っ娘幼女だ。
まるで動物園のパンダのようだが、一応はこの国の顔を売る目的もあるので、写真撮影は拒否できない。なので今は、甘んじて受け入れるしかないのだった。




