四十三話 新政府樹立(2) 神仏分離令
明治元年になり、神仏分離令が発令された。
宗教に関しては元々境界が曖昧であり、神社も仏の御加護を得られたり、また逆もある。
だが今後は、きっちり白黒つけることになったのだ。
稲荷神のご利益を得られるのは、稲荷神社だけ! という一人勝ち状態が再びやって来ることになる。
政治や宗教を区別し、曖昧に済ませていたことを明確にする。
そういった様々な狙いがあるのは明白だが、私や稲荷大社の関係者にとっては大迷惑であった。
新体制に移行するための各地の根回しがようやく終わり、臨時政府も本格的に動き始めた。
これで心置きなく俗世から離れて、森の奥の我が家に引き篭もれると、私はホッと一安心していた。
たとえ東京の稲荷大社がデスマーチに突入しても、日本を揺るがす重大案件にはならない。
つまりは、自分が表舞台に引っ張り出される心配もないということだ。
それに人員を増やせば乗り切れるだろうから、何とか頑張ってもらいたいところだ。
お供え物として送られてきた薩摩芋をアルミホイルで包み、庭の落ち葉を竹箒で掃いて集めた山の中に隠す。
そのまま狐火で火をつけて、縁側に移動してよっこいしょと腰を下ろす。
今日は風がないので燃え広がることはないだろうが、火元を離れることはできない。
念の為に水を入れたバケツも用意してあり、私は早く焼けないかなとソワソワしつつ、興味津々で周りをウロウロしている狼たちと一緒に、のんびりと構えていたのだった。
私が庭で美味しく焼けた焼き芋を食べていると、俗世の面倒事から逃げるなと言わんばかりのタイミングの良さで、今代の神主さんが疲れ切った表情でトボトボと歩いて来た。
取りあえずは出迎えないわけにもいかないので、すぐに彼を居間に通す。
そしてちゃぶ台の上にほうじ茶と、焼けたばかりの薩摩芋を置いて、私は愛用の座布団の上に腰を下ろした。
わざわざ訪れた目的はわかっているので、前置きせずに本題に入ってもらった。
「神仏分離令により、東京の稲荷大社は大幅増員を余儀なくされました」
江戸を改めて東京になったので、神主さんはそれをはっきりと説明する。
なお、素知らぬ顔でほうじ茶を飲んでいる私は、それの何処が問題なのかと疑問に思ってすぐに尋ねる。
「もしや、人員が集まらなかったのですか?」
「いえ、逆なのです」
だったら別に問題ないんじゃと口にする前に、私はまずは冷静になって現状を考えてみることにした。
そもそも東京の稲荷大社は、臨時の職員を含めて滅多に募集はかけない。
私が外に出るたびに適当に拾ってくる人材。そして江戸時代初期から三百年以上も続いている、地方からの人質……ではなく、稲荷大社への研修制度があるからだ。
なおお世話係と近衛に関しては、余程のことがない限りは定年退職まで勤務するし、そもそも少数でも普通に回っていくので、一年に男女一名ずつを抽選で選ぶだけ人員は足りていた。
しかし今回は初めての一般公募となったので、逆に希望者が殺到したのだ。
神主さんは大きく溜息を吐いて、その辺りについて詳しく話してくれた。
「明治政府の樹立により、地方と東京の垣根はなくなりました。
つまり稲荷大社への就職希望者が、外から大勢押し寄せて来たのです」
「あっ……はい、理解しました」
これまでの各藩は出稼ぎや研修、旅行は認めていた。だが脱藩、つまり領民の流出は表向きは許可していなかった。
それでも抜ける者も結構居たが、江戸時代初期から戸籍を管理しているのだ。住所不定の人は、割とすぐに特定できる。
ただまあ例え脱藩者だとしても、別に追い返したりはしない。せいぜい各藩の役所に、身元への問い合わせをするぐらいだ。
幕府とは直接関係のない地方の問題なので、絶対面倒事になる案件に、わざわざ首を突っ込みたくはなかった。
そんなはるばる江戸に来ても、肩身が狭い思いをしてきた地方民だったが、これからは違う。
遠方からでも自由に東京にやって来て住んでも良いし、好きなだけ就職活動に励めるようになったのだ。
「今後は東京に人が集まるでしょう」
「……でしょうね」
神主さんはかなりお疲れのようだ。
実際にどのぐらい公募に殺到したのかは知らないが、彼の辛そうな顔から察するに、選抜にかなりの人員と時間が割かれているのが伺える。
ただでさえ忙しい時期にさらに仕事が増える悪循環になり、デスマーチに突入しているのは間違いない。
なので私は、もはや神主さんや稲荷大社の関係者だけでは事態を解決するのは不可能と判断した。
そこで、いつも通りの思いつきを堂々と口にする。
「公募を打ち切りましょう。ただし急に止めると混乱するので、面接ではなく履歴書と顔写真のみ認めます。
あとは郵送期限の締め切りを、半月後と告知してください」
頭の中で考えながら話すに私に、彼は顔を上げて小さく頷いた。
さっさと説明を終わらせるべく、順番に語っていく。
「あとは公募で送られてきた履歴書ですが、全て私に回してください。直接審査します」
「稲荷神様が、お決めになるのですか?」
少し驚いたような顔をする彼だが、私だって余計な仕事はしたくない。
しかし稲荷大社までわざわざやって来た地方民が、不採用を言い渡されたぐらいで素直に引き下がるものか。
次こそは受かると信じて、東京に留まってフリーター生活を送る可能性は、かなり高いと予想される。
私だって伊達に無駄に忠誠心の高いペロリストと、長年付き合ってはいないのだ。
なお履歴書に関しては、江戸時代から普及しているので、今さら説明する必要はない。
それはともかくとして、書類審査で弾くにしても、今回落ちたのは審査員が悪いとか言い出す者が出ないとも限らない。
反発を避けるに越したことはないため、念には念をというやつだ。
「神皇の判断に異を唱える国民は、そうはいません。
私がやったほうが確実でしょう」
「ご迷惑をおかけします」
頭を下げる神主さんを前に、私が撒いた種を刈り取るだけです。気にしないでくださいと一言告げる。
それでも心の中で大きな溜息を吐くが、正直全てを直感で済ませるつもりだった。
運命のドローなので、実際にはそこまで手間ではない。
良い人材が引けますようにと祈りながら、並べた履歴書を適当に引き抜くだけであった。
思いつきの案を実行に移してしばらく経ったが、公募に申し込んだ者たちの反発は特になかった。
だが不採用を告げるだけでは味気ないし、心底がっかりするのではないかと考えた。
なのでハンコ係を自ら申し出て、現在は我が家の居間のちゃぶ台の上で、ぺったんぺったんとハンコを押していた。
「地方でのご健闘をお祈り致します。稲荷神……っと」
特注のハンコには、稲荷神の印だけでなく、今口に出した文章が彫られていた。
未来で知っていたテンプレ文章を、少し捻っただけだが、あまり大挙して東京に来られても対応に困ってしまう。
せめて多少なりともこっちに来るのを思い留まって、地方が活性化すればいい。
そんな、割と本気の願いが込められているのは間違いない。
疲れ知らずの狐っ娘だし、朱印とハンコがある限り、何度でも押せる。だが応募者が万を越えていたので、片付けるまでかなりの時間がかかったのだった。
なお全国にある他の神社仏閣だが、これからも仲良くしてくださいと、主だったところは私が直々に粗品を配って回った。
さらにはこれまでのような劣化コピー品ではなく、公式の稲荷グッズも卸すことになった。
何しろ参拝客が分散しないと、うちの経営はデスマーチ的な意味でかなり厳しいのだ。
敷地を埋め尽くすほどの参拝客が毎日押し寄せては、ろくに休みも取れないのである。
今の東京の稲荷大社の関係者は忙しすぎて手が回らず、このままでは遅かれ早かれ過労で倒れてしまう。
なので地方の神社仏閣の規模縮小は、うちにとっての悪循環であった。
とにかく彼らを助けながら共存共栄を行う。
稲荷神は国内全ての宗教をまとめる親玉として、ますます盤石になるのだが、もはや四の五の言っていられる状況ではなく、やるしかないのだった。




