四十一話 対馬占領事件(3) 稲荷放送協会
<IHKプロデューサー>
文久元年の二月になり、対馬を不法占拠するロシア帝国艦隊を撃退するべく、神皇様からの勅命を受けて自衛隊の出動することになった。
最近は隣国から嫌がらせを受けることが多く、そのたびに海上自衛隊が動いて秘密裏に処理していた。
だが表沙汰になるのは珍しかったし、戦場カメラマンを同行させて取材を行うのは、異例中の異例であった。
確かに過去まで遡れば対馬が占領されたことは何度もあった。
それは決して好ましい状況とは言えず、外国勢力により日本の安泰が脅かされていることを意味する。
稲荷神様が鎖国政策を行い、諸外国を締め出してくれたおかげで三百年以上も平和が成し得たのは、自国民なら誰もが知るところだ。
しかしここ最近は、どの国もきな臭くなる一方であった。
そのような事情もあり、稲荷大社への寄付金で創設されたIHK(稲荷放送協会)は、稀に見る大事件の取材を行うことが決まり、上を下への大騒ぎとなった。
最近は白黒テレビによる生放送を行えるほど科学が進歩したが、まだまだ量産体制が整わずに値段も高額なため、普及率は低い。
せいぜい稲荷神様、国や藩の身分の高い者、あとは一部の富裕層が購入している状況であった。
そういった事情を吟味した結果、我々IHK江戸は、少し時が流れて文久元年の三月になった頃に、テレビ局の重役が一堂に会する緊急会議が開かれた。
具体的には長年勤めている海千山千の猛者たちが、各々の席に座って話し合う場となっている。
なお新参者だが自分もプロデューサーとして参加して、腹黒タヌキたちの会話に耳を澄ませていた。
「ここに来てテレビ放送普及のために手を打ってくるとは、流石は稲荷神様ですな」
「然り、情報の正確さと諸外国の脅威、さらに時代の転換期であることを国民に認知させる。
土佐勤皇党だけに、良い格好はさせられませんからな」
会議室に集まっている者たちは皆、IHKでは重要な地位についていた。
「報道と政府の両体制を移行することの重要性に、自然と気づかせるための策とは──」
俺も番組プロデューサーとしてそれなりに長くやって来たが、この中ではまだまだ下っ端だ。
稲荷神様を褒め称える重役たちに舌戦を挑もうものなら、速攻で言い負かされてしまうだろう。
なので取りあえず立場の低い自分は、椅子に腰を下ろして適当に聞き役に徹する。
その中で会話の内容を頭の中で思い描いて、自分の考えをまとめていた。
時代の最先端としてもてはやされ、脚光を浴びているテレビ放送だが、日本の普及率は、まだ数パーセントに留まっていた。
だが遥か遠くの戦場の様子を、まるで直接見ているような臨場感のある映像が報道されたら、視聴した民衆はどう思うだろうか。
テレビという情報伝達手段の重要性を伝えるための一手、それが戦場カメラマンの役目だ。
たとえ興味のない者が一定数居たとしても、自国の危機を知れば、いつまでも知らぬ存ぜぬはできなくなる。
なお土佐勤皇党も頑張ってはいるが、やはり口頭で一般人に伝えるには限度がある。
そもそも稲荷神様と江戸幕府の統治のおかげで、三百年以上も平和を謳歌しているのだ。
今を生きる日本国民にとっては、海を隔てた諸外国など、自分たちとは関係ない他人事であった。
たとえ黒船が来訪したとしても、所詮は型落ちした船であり、直接攻撃を受けたわけではない。平等な条約を結んで帰っていっただけだ。
だがしかし、日本が直接侵攻を受けている映像が報道されればどうなるのか。
対馬は自国の一部で、地理と戦略の両方にとって重要な位置にある。ロシア帝国もそこを足がかりにして我が国に侵略を始めるのだと、誰もが容易に想像がつく。
そして平和ボケした者たちも気づくだろう。もしかしてアメリカの黒船も、最初は侵略が目的だったのではないのかと。
きっと言葉や文章での説明する以上に、国民感情を大きく揺さぶることだろう。
同時に激動や変革という時代の節目をこの上なく表している。
なお、徳川幕府から民衆に通達があった内容を簡潔にまとめると、現体制では諸外国への対処は不十分と判断したため、幕府を解体して新政府へと移行することで、備えを万全にする必要がある。
このような業務連絡では、意図が明確には伝えられない。
そこで稲荷神様が手を打ち、戦場の様子を我々に報道させることで、民衆の関心を諸外国と政治に向けさせたのだった。
考えがまとまった俺は一息ついたあと、真っ直ぐに手を上げて他の重役たちから発言の許可を得る。
そして今回の件に対して、もっとも危惧する点を上げる。
「稲荷神様の手腕は見事ですが、テレビ放送を行うのは我々人間です。
安全管理は当然として、公平中立でなければなりません」
映像を使って、明確に情報を伝えるのはいい。
しかしそれを行うのは報道機関であり、さらに言えば戦場カメラマンだ。どうしても主観が入るのは避けられないが、出来得る限りは公平中立でなければならない。
それが我々IHKなのですから。という俺の発言を受けて、重役の一人が小さく頷いた。
「確かにキミの言う通りだ。
IHKは稲荷神様がお認めになられたからこそ、存在することを許されているのだからね」
神皇様の機嫌を損ねると予算を削減されるだけでなく、最悪お取り潰しとなる可能性も十分にありえる。
だが基本的には温厚な彼女が激怒したことなど、歴史上でも数えるほどしか記録されていなかった。
心配し過ぎるほどではないが、清廉潔白で聡明な稲荷神様のことだ。
あからさまな偏向報道や国民感情の操作を行おうものなら、すぐに気づいて堂々と踏み込んでくることだろう。
俺がそんなことを考えていると、他の役員が不敵に笑いながら発言する。
「キミがわざわざ忠告をしなくとも、IHKの社員たちは十分にわきまえておるよ。
だがまあ一つ言うなら、他の報道機関は別だがね」
今はまだテレビ放送を行っているのは、IHKだけだ。
しかしこの件で白黒テレビの普及率が伸びれば、民間放送局が続々と参入してくるのは間違いない。
そしてうちのトップは稲荷神様で資金を回しているのは稲荷大社だが、他の局は違う。
現在盛んに行われているラジオ放送でも、各局はスポンサー様の意向に沿った番組作りを心がけるのが普通だ。
もし逆らったり広告効果が見込めないか、もしくはスポンサー側の経営が悪化したら、契約打ち切りもあり得る。
俺は入社したばかりの時や、定例会議で何度か復唱したことがあるIHKの格言を、何となしに口に出した。
「IHKは常に公平中立を心がけ、報道の自由を掲げて他人に迷惑をかけてはならない。……でしたか」
今よりずっと昔、まだテレビ局がなくラジオが普及し始めた頃のことだ。
稲荷大社の資金提供を受けてIHKの創設を願い出るために、当時の代表が稲荷神様と謁見することになった。
彼女は謁見の間の一段高い畳の上から、この決まりごとを厳守するならIHKの創設を許可します。そう堂々と言い渡されたのだ。
さらには彼女が即興で書いた契約書に、当時の代表がサインをすることになった。
このような事情があってIHK江戸の大会議室、つまり今俺たちが話している場所には、稲荷神様直筆の契約書が立派な額縁に入れられて、今なお飾られている。
話題に上がったことで、この場に居る皆がその契約書に視線を向ける。
稲荷神様と当時の創設者の名前が、ピッタリ隣り合って書かれているのがよく見える。
「毎度、この契約書を見るたびに思います」
「ああ、キミの気持ちはよくわかる」
自分たちも通った道だと言いたいのか、白髪交じりの重役がウンウンと頷いている。
そしてこの場に居る全員が気持ちを確かめ合うように、大声を出した。
「「「凄く! 羨ましい!!!」」」
IHK創立の契約書は、この世で一枚だけしか存在しない。
許可した稲荷神様と当時の代表は、決して切れない絆で結ばれている。そう言い切っても過言ではないのだった。
そろそろ現実逃避はこの辺りにして話を戻すが、対馬占領事件が起こったのは、文久元年の二月だ。
しかし何度通告しても、ロシア帝国側は全く聞き入れずに対馬に居座り続けた。
藩がやむを得ないと判断して幕府に助力を願ったことで、状況が動いたのは三月の下旬になってからであった。
征夷大将軍が各方面への根回しや準備を整えている間に、IHKは戦場カメラマンを選考していた。
そして稲荷神様が自衛隊の出動を要請して、今は各々が現地に飛んでいる。
あとはもう、我々には事件が無事に解決することを願い、ただ待つことしかできない。
だがそれではどうにも落ち着かないし、緊急の連絡が入るかも知れない。
なので会議の名目で重役一同が集まって、適当に駄弁っていたのだ。
対馬で何も起きなければ良いと考えるのと同時に、絶対に特ダネだらけだし報道関係者としては、現地に行った者がとにかく羨ましかった。
俺は現場仕事から退いたが、こんなスクープチャンスが来ると知っていたら、出世なんて願わなければ良かった。
そんなことを集まった重役たちと、キミの気持ちはわかる。儂も若い時は現場でブイブイ言わせててな。そう楽しく語り合いながら、適当に茶菓子を摘む。
そして稲荷神様の偉大さと素晴らしさも、飽きることなく語ったのだった。




