四十一話 対馬占領事件(2) 坂本龍馬
稲荷神専用列車の食堂車両には、大勢のお世話係や近衛が所定の場所で待機していた。
そして私はというと椅子に腰掛けている坂本さんの正面の椅子に腰を下ろして、向かい合う。
別に先攻後攻ではないが、まずは彼が深く頭を下げて挨拶を行った。
「このたびは土佐藩までの送迎を聞き届けてくださり、深く感謝致す」
「気が向いただけなので、感謝は不要です」
本当に気まぐれで乗車を許可しただけなので、礼は必要はない。
なお彼に対する私のイメージとしては、剣の達人なだけでなく頭も切れる凄い人だ。
アニメや漫画に坂本龍馬を題材にしたものがそれなりにあったので、朧気ながら知っていたのだ。
まあそれは置いておいて、私は話を先に進めさせてもらう。
「何でも坂本さんは、江戸に長期滞在していたとか」
「その通りでござる。江戸の道場や学校で、知識や経験を積み申した。
また自衛隊の駐屯地で過酷な研修を受けて、数日前に無事に卒業となったのでござる」
自衛隊の研修と聞いて剣豪イメージが損なわれたものの、たくましい体つきなので、かなりの修羅場を潜り抜けていることが伺える。
私は口元に手を当ててしばらく思案し、何となく列車の外に流れる景色に目を向けながら、ふと疑問に感じたことを尋ねてみた。
「区切りがついたので土佐藩に戻るのはわかりますが、何故同行を申し出たのですか?」
現代では各藩に電車が普通に通っているので、庶民でも格安で長旅ができる。
もし蓄えが心許ないならば、土佐藩か家族に手紙を出して路銀を借りればいい。
わざわざ近衛にガチガチに守られている私に声をかけて、切り捨て御免にされる危険を犯してまで同行願いを出す必要はないはずだ。
私がそのように考えていると、坂本さんは理由を隠さずに、正直に教えてくれた。
「外国や黒船に対する稲荷神様のお考えを、直接お聞きしたかったのでございます」
頭を下げる坂本さんを前に、ふむと小さく頷く。
幕府の役人を通じて幕府の今後の方針については、既に一般市民に告知はしている。
だがそれはあくまで、必要最低限の業務連絡なようなものだ。
そのような簡潔な文章から、日本の最高統治者の思惑を知るのは困難である。
さらに報道や連絡というのは伝言ゲームのように微妙に変化していくし、実際に受け止める国民は自分の信じたいものだけを信じるものだ。
ならば私に直接会って尋ねることで、文章では明確に示されていない嘘偽りのない本心を聞ける。
そう判断した坂本さんは、命知らずではあるが一応は理に適っている。
そして自分は嘘は嫌いで、別に隠す気もなかった。何より彼なら本心を語っても大丈夫かなと直感で判断したので、いつも通りにそのまま堂々と口に出した。
「外国や黒船に関しては、何も思いませんね」
「と、申されますと?」
正直自分の本心はわかってはいるが、いざ言語化して他人に説明するとなると、なかなか難しいものだ。
しかし現状を見つめ直す良いキッカケなので、私を頭の中でああでもないこうでもないと整理しながら、続きを説明していった。
「外国がどれだけ脅迫したところで、戦力的には日本が圧倒しています。
さらには少し遠いですが、友好国のオーストラリアの存在もあります」
たとえ交渉が決裂して戦争が起きても、オーストラリアと手を組みさえすれば、大国を相手にしても危なげなく勝利することができる。
けれど私は徳川幕府の統治と鎖国を終わらせ、新たに民主主義国家として明治政府を樹立させたかった。
一見すると外国の圧力に屈した弱腰政策なので、納得できない者が居て当然だ。
しかし幕府や各藩の上層部としては、戦争に勝利した後の大国の統治や経営、さらには否応なしに巻き込まれることになる面倒事を是が非でも回避したかった。
平穏な暮らしと退位からの隠居を目指す安定志向の神皇と、気持ち的には殆ど同じだ。
だが血の気が多い下の者たちにとっては、そんなの関係ねえ! ムカつくからぶっ飛ばす! である。
なので私は慎重に言葉を選んで、間違ってはいないが本命のプランAではなくBのほうを、坂本さんに説明する。
「仮にですが、アメリカとロシア帝国との交渉が決裂して戦争が起こり、私たちが勝利したとします」
アメリカは距離が離れすぎているので、わざわざ攻め込んでくることはないだろう。
しかしロシアは隣国なので可能性は十分にあり得るし、現に今も地味な嫌がらせをチクチク受けている。
だがまあそれは一旦置いておき、私は続きを口にする。
「しかし戦争とは、決して消えない禍根を残すことを意味します。
なので日本は未来永劫、世界各国からの恨みや妬みに晒され続けるでしょう」
現実にそうなるかはわからない。
だが二千年代を見る限り、戦争というのは単純な勝ち負けで片付く問題ではない。
テロリストが宗教や恨みを理由に殺害に走るのは良くあるし、大国に押さえつけられていた小国が息を吹き返して、クーデターを起こしたりするかも知れない。
「それに怒りや憎しみは周りにも伝染するため、一つの戦争が終わったかと思えば、またすぐ次の火種が生まれ、際限なく増え続けていきます」
一度でも戦端を開いてしまえば、延々と戦火が広がり続けて、世界大戦にまでもつれ込む可能性もある。
そもそも大国アメリカと戦争するのだから、その時点で既に世界大戦レベルなのだが、それに関しては考えないことにした。
それらに対して、坂本さんも何やら思う所があったようで、怪訝な顔で尋ねてくる。
「もしや勝利して占領した国でも、日本憎しと内乱が起きたりするのでしょうか?」
流石は理解が早いと内心で感心しつつ、私は真面目な顔で質問に答える。
「人の怒りや憎しみは、容易には消せません。
親が日本に苦渋を舐めさせられたと子に伝え、さらにそれは孫へ引き継がれることでしょう」
未来も日本は平和だったが、お隣はかなり混沌としていて、昔の因縁をたびたび持ち出されることも多々あった。
こっちに負い目はあるので仕方ない部分もあるが、過剰にいちゃもんをつけられれば、いつプッツンして戦端が開かれてもおかしくない状況である。
だからこそ大陸の面倒事は極力回避したいのだが、まだ起きてないことを坂本さんに伝えても意味がないため、少し考えて別の言葉を口に出す。
「安全な鳥籠の中から外に出て、大空へと羽ばたいていく時が来たのです。
なので今後は諸外国と、良い関係を築いていき戦争を回避するのが重要になるでしょう」
航海技術が発達していき、日本と外国との距離がどんどん近くなる。
それなのに、いつまでも余所者を弾く政策を取っていたら、どうなることか。
最悪殆ど関わりを持たない国々の機嫌が勝手に悪くなり、何処ぞの恋愛ゲームのように、ある日突然大爆発する。そして根も葉もない悪い噂を、諸外国に吹き込むかも知れない。
だからこそ足並みを揃えて味方を増やすという意味での、民主主義国家への転向である。
時代に合わせて行政府の効率化を図るという側面もあるが、私的には今までも日本だけなら十分に回していけてたので、敵じゃないよアピールが強かった。
しかしとにかく今は、坂本さんを納得させることが重要なので、説明を続ける。
「これまでの日本は、極東の小さな島国でしかありませんでした。
なので他国も、それほど興味を持たなかったのです」
そもそも航海技術が未熟では、海を渡るのも一苦労だ。
遠く離れた場所に日本という小さな島国あったとしても、命がけで行こうと考える者は少数だ。
「ならば、これからは違うのでしょうか?」
坂本さんの質問に私は小さく頷く。
蒸気船が頻繁に行き来するようになり、大陸の玄関口として日本を便利に使おうとする国が現れた。
既にアメリカとロシア帝国は、日本を挟んで睨み合っている。
なので今後は鎖国していようが、他国の面倒事には否応なしに巻き込まれてしまう。
「鎖国でも関係なく威圧してくる諸外国は、間違いなく増えるでしょう」
実際にアポもなしに黒船で堂々と乗り込んできたアメリカの件もあるので、坂本さんも渋い表情で小さく頷いていた。
未来では、堂々と内政干渉してくるような外交問題が割と頻繁にニュースになっていた。
私はもうすぐ退位するからどうでもいいが、これから明治政府の関係者は、きっと凄く苦労するだろう。
取りあえず重い気持ちを落ち着けるために、お世話係に温かい緑茶を入れてもらう。
そして喉を潤したあとに、小さく息を吐いて仕切り直す。
「開国して世界と歩調を合わせ、時代に沿った行政の効率化を図る。
それこそ私が、民主主義国家への転換を決意した理由なのです」
取りあえず他の民主主義国家に右に習えをしておけば、敵ではなく仲間だと思ってくれる。
だが権力を神皇に一極集中させたままでは、独裁国家だ! 横暴だ! などと、抗議活動をされてもおかしくない。
しかしまあ世の中はそう単純ではないが、歩み寄りの姿勢を見せるに越したことはない。
少なくとも味方を増やせば、面と向かって苦情を言い辛くなるので、明治政府の外交手腕に期待したいところであった。
「これまでの説明で、お分かりいただけましたか?」
私は大きく息を吐いて、坂本さんの次の言葉を待つ。
「感謝致します。そして、稲荷神様の心中お察しするに余りありまする!」
自分としてはようやく肩の荷を下りるというのに、坂本さんは何とも悲しそうな表情だ。
これは一体どういうことから、私は口を開いた。
「あの──」
「今後の世界情勢と祖国のために、稲荷神様が築き上げた江戸幕府、自らの手で幕引きせねばならぬとは!
その辛さ! 筆舌に尽くし難きことと思いまする!」
言われてみれば、確かにそうとしか思えない。
ただし江戸幕府の関係者は今の坂本さんと同じ反応をしたものの、既に大政奉還する気満々であり、各藩の上層部と連絡を取り合っている。
それに多分、仕事場が政庁になったり部署が変わるだけで、これまでとやることはあまり変わらない。
けどまあ、今が激動の時代の節目なのは確かだ。
なので江戸幕府を開いてから積み重ねてきた偉業と称して、熱く語っている坂本さんには、わざわざ水を差さなかった。
だが羞恥で耳まで赤くなるのは避けられなかったようで、態度的には恥ずかしがっているのがバレバレでありながらも、坂本さんのべた褒めを聞き流そうと頑張ったのだった。
後日談となるが、坂本さんは私から明治政府樹立の本心を聞くという目的を達成した。
そういうことで別の列車に乗り換えて、土佐藩に帰る前に色々と寄り道するらしい。
これから各方面の知り合いと連絡を取って、開国に向けての土台作りを手伝うのだ。
同士を募って倒幕派ではなく土佐勤皇党を結成し、全国の一般市民に明治政府と開国の重要性を広く周知させてくれた。
ただまあ少し民衆を焚きつけすぎたためか、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である、尊王攘夷の運動が巻き起こってしまったのは、予想外にも程があった。
幸い内乱こそ起こらないが、明治政府が樹立されても私の続投を希望する書状や訴えで、幕府や各藩の役所が一時パンク状態になってしまったのだ。
普通ならここは朝廷であり、尊ばれるのはやんごとなき御方であるが、何をどう間違ったのか稲荷神兼神皇である私が矢面に立たされている。
だがまあ向こうは影が薄いし、森の奥に引き篭もっている自分のほうが割と顔を出しているので、目立つのはわからなくもない。
ちなみに私として、征夷大将軍の権威を朝廷にお返ししたら、今までのような半隠居ではなく完全にフェードアウトするつもりだ。
そういった譲れない願いがあるため、この件に関しては最後までノーコメントを貫いたのだった。
そして坂本龍馬さんとその同士たちだが、将来的には明治政府やその関連企業への就職を希望しており、稲荷神様のために粉骨砕身働かせて欲しいでござる! と、書状が送られてきた。
ちゃっかりしてるなと思いながらも、私は全国を転々としている坂本さんや土佐勤皇党の関係者に向けて、少しばかりの支援金と一緒に口利きの文も送っておいた。
私には彼らがこれから何を成すのかは、想像しかできない。
しかし今は自分も各地の挨拶回りでとても多忙なため、割とすぐに記憶の彼方に飛んでいってしまったのだった。




