三十話 天草四郎(3) 島原藩
寛永十四年の初夏、島原藩の港に到着した。
道中色々あったが、事故もなく目的地まで来れて本当に良かった。
各地で熱烈歓迎されるのは当たり前で、ちょっと観光もしていきませんかと何度もお誘いが来るのだ。
個人的にはかなり引かれる提案だ。
それでも噂の神の子が本物かどうかを確かめるのが本命である。
曖昧に笑って、丁寧にお断りした。
そのため、結局ゆっくり休めるのは船室だけという有様になってしまったのだった。
何はともあれ、旅の目的地である島原藩の陸地を踏みしめた。
そんな私に付き従い、家族の狼たちもお行儀よく一列に並んで、順番に下船していく。
狼が側に居ると、お忍びでの旅行の場合は一発でバレる。
なので今回のように観光しに行くよと先触れを出しておかないと、堂々と連れ歩けないのだ。
他にもお供の者たちが船から続々と下りてきているのを横目に、私は島原藩の大名である松倉勝家さんに顔を向ける。
部下らしきお侍たちも港の波止場に揃っており、出迎え準備は万端と言える。
そして代表の彼が一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「島原藩にようこそいらっしゃいました。稲荷神様」
「松倉さん、出迎えご苦労様です。ですが、島原藩には観光で来たのです。
あまり畏まられると緊張して楽しめませんし、もっと気を抜いて構いませんよ」
先触れでもそう伝えているし、表向きの理由も嘘ではない。
実際に私は神の子をこの目で見極めたあとは、島原藩の観光を楽しむ予定だ。
ここに来るまでは、唯一落ち着けるのは船室のみで退屈だった。
なのでいつの間にか、存分に羽根を伸ばすほうに重点を置くようになったが、それはある意味では仕方のないことであった。
「ははっ、それは助かります」
そんな私の本心には気づかず、若干表情を崩した松倉さんが続けて話しかけてきた。
「では待たせるのも悪いですし、私の部下に島原藩を案内させましょう。
当然精鋭もつけますが、大人数は必要なさそうですな」
松倉さんが私の背後に視線を向けると、側に控えている腕利きの護衛たちが一斉に頷いた。
それを見て肩をすくめる彼は、次に案内役と思われるまだ若い侍に声をかけた。
「ご案内させていただく役目を仰せつかりました。よろしくお願い致します」
私は日本の最高統治者なので、普通に観光すると地位の高い者か、身元がきちんと判明している者が割り当てられるのは、至極当然のことだ。
なのでこの人は重臣かそれに近い立場なのだろうが、身分的には私のほうが高いので、遠慮するだけ損だ。
恭しくお辞儀をする案内役に、堂々と声をかける。
「早速で申し訳ないのですが、よろしいですか?」
「構いません」
島原藩の名物料理を食べ歩くというのも捨てがたいが、やはり本来の目的を果たすことが肝心である。
そのため、行きたい場所を単刀直入に伝えた。
「噂の神の子の元まで、道案内をお願いします」
場の空気が一瞬で凍りついた。
私が神の子に興味津々なのは、島原藩の者にもバレバレだが、暗黙の了解であえて触れなかった。
だがまさか、真正面から突撃されるとは思わなかったらしい。
なお江戸幕府の護衛やお世話係は、慣れっこなので全く動じていない。
ちなみに私は、この反応も久しぶりだなーと、懐かしいものを感じていた。
いち早く硬直から立ち直った案内役が、恐る恐るこちらに声をかける。
「かっ、神の子で、ございますか?」
「島原藩が噂の元ですし、情報は掴んでいるのではありませんか?」
「ええまあ、確かに。噂の出処はうちでございますので」
私の発言に対して渋い表情なのは、案内役だけではなかった。大名や家臣たちも同じだ。
それを見て、やぶ蛇だったかなと感じてしまうが、自分の辞書にあるのは真っ向勝負だけだ。
なのでいつも通りに、単刀直入で行かせてもらった。
「何か話せない事情でも?」
「いっ! いえっ! そのようなことは、決してありません!」
案内役の動揺に呼応するように、家臣団にも不穏な空気が広がっていくのがわかったが、自分は一応稲荷神(偽)だ。
そんな高位の存在を前にして、嘘をついたり隠し事をするのは、余程の邪心がない限りは、ほぼありえないと言っていい。
あとは他に、無神論者や他宗教を信仰しているのならば、ありえるかも知れない。
だが今の日本は、殆どが狐色に染まっているのだ。
神道は稲荷神に寄っているし、仏教は比叡山延暦寺を焼き討ちしたことで大幅に弱体化している。
なので国内で私に物申すことができるのは、現状キリスト教ぐらいだ。
自分としては全く嬉しくないため、神の子にはぜひとも対抗馬として頑張ってもらいたい。
そのためにわざわざ、島原藩まで遠出したのだ。
なお松倉さんはキリスト教徒ではないので、当然正直に答えてくれそうなため、自分の地位に今だけは感謝するのだった。
港では、私たちの他にも大勢の目があった。
それにこれから話すことは、島原藩の恥部だと松倉さんは小声で語った。
なので私たちを島原城に招いて人払いをした謁見の間で、真面目な雰囲気で緊張気味に話をすることになったのだった。
私としては部外者なので割とお気楽だが、地元の恥を表に出すので、彼らにとっては心穏やかには過ごせない。
それとは別に、過去に北条さんの居城でもやったように座布団五段積みではなく、少し前に先触れを出しておいたので、やたらと豪華仕様の一品物の座布団に座るだけで済んだのは幸いだった。
なお他の藩にも稲荷神専用の座布団が用意されていて、大歓迎状態とのことだが、はっきり言ってそんな情報は知りたくはなかった。
思考が横道に逸れたが、私は意識を現実に戻して、謁見の間に家臣団が揃い踏みする中で、松倉さんが重々しく説明を始める。
取りあえず、狐耳を澄ませて真面目に聞く。
「まず神の子を語る男は、天草四郎と名乗っております」
名乗っているということは、本名ではないのだろうか。
そもそも自分だって稲荷神を自称しているし、今さら昔の名前を思い出したところで、わざわざそれを名乗ろうととは思わないので、まあどうでも良かった。
なので私は、もっとも重要な問題を直接尋ねた。
「天草四郎を名乗る者は、神の子か否か。私はそちらが気になりますね」
「そっ、それは! 現在調査中でございます!」
つまり現状では、何もわかっていないと言うことだ。
しかし徳川さんのように、島原藩主が偽装情報を流しているわけではない。
ならば自領でも、ここまで正体が掴めない天草四郎に、得体のしれない何かを感じる。
かつて三河の稲荷山に居を構えていた私も、周囲から見ればそんな風に思われていたのだろうか。
過去を懐かしく振り返りながらも、ふとあることに疑問を持ち、そっちも松倉さんに尋ねる。
「ところで、島原藩の恥部というのは?」
「大変申し上げにくいのですが──」
そして私は、真面目な顔をする松倉さんから説明を受けた。
なお内容を簡単にまとめると、島原藩の領内の問題にも関わらず、キリシタンの妨害を受けて全く状況を掴めていないどころか、もはや制御不能の暴走状態である。
これがもし稲荷神様か江戸幕府に知られれば、下手をすれば島原藩のお取り潰しや、一族郎党切腹を命じられて、首をすげ替えられるのも十分にありえる。
だからこそ公にはできずに、何とか隠蔽しつつ、島原藩だけで事態の解決を図ろうとしていた。
しかし時間切れとでも言うのか、噂は他の藩どころか遠い江戸にまで届いてしまい、あろうことか稲荷神様が直接乗り込んできた。
彼女は表向きは観光と言っているが、噂の神の子に興味を持っているのは想像に難しくないため、事が公になるのは、もはや避けられなくなった。
そして松倉さんと家臣団は、木の床ではなく最近張った畳に頭を擦りつけた。
何処からどう見ても、見事な土下座を披露している。
だが私にはまるで、沙汰を待つ罪人を目の前にしているかのような気分になってしまう。
「稲荷神様! どうかお慈悲を! この通りでございます!」
土下座中の松倉さんが、なおも言い訳というのか弁明を語る。
実は島原藩は元々、キリシタン大名である有馬晴信の所領だった。
しかし彼は岡本大八と争い、色々あって喧嘩両成敗とばかり賠償金やら領地を取り上げられたりと、散々な目に遭うが、命あっての物種なのでまだマシな方だ。
それはともかくとして、藩主が問題を起こして空白になった島原藩を、いつまでも放置するわけにはいかない。
そのような経緯があり、新たにやって来たのが今この場に居る松倉さんではなく、彼の父親だった。
初めてこの地にやって来たとき、他領よりもキリシタンが多いことに驚いていたが、別にそれだけだ。
特に何も思わずに、真っ当な領地運営をしていた。
状況が変わったのは、そんな先代の父親が亡くなる直前だ。
歳を取ればまともな統治が難しくなるが、彼は島原城とその城下町の新築、さらには独自に検地を実施した。
石高を過大に見積もり、領民に過重な年貢や労役を課したのだ。
島原城を全面白色に着色するなどして、他藩に自己の存在をアピールする狙いもあったらしいが、それに対して現地住民は大いに反発した。
さらには神の子である天草四郎を全面に押し出して、藩主と徹底抗戦の構えを見せたのだ。
やがてそんな先代が亡くなり、跡を継いだばかりの松倉さんは父のイエスマンだった家臣団を整理して、統治に尽力しようとした。
だが残念ながら、時既に遅しでお手上げ状態であった。
そこにホイホイやって来たのが、日本の最高統治者の稲荷神である。
島原藩の者にとっては私の機嫌一つで、天国か地獄かが決定してしまう。
なお自分の考えとしては、結果的に民衆を苦しめた先代藩主や、かつての重臣たちが悪いのは明白だ。
しかし外様大名で肩身が狭く、さらには周囲はキリシタンだらけだった。
跡を継がせる息子のためにも、少しでも領地を良くしたいという願いもあったのだろう。
だがこのままでは、松倉さんたちの処遇は、良くてお取り潰しによる島原藩主や家臣団の交代。
さらには罪を償うために、長期に渡る強制労働。
悪い場合は、一族郎党と家臣団は、揃って島流しか獄中に入れられるか、切腹もあり得る。
頭をすげ替えれば後腐れなく丸く収まるだろうが、現状では民衆と藩主の信頼関係は最悪の一言に尽きる。
なので次に藩主に就く人は、高確率で胃がやられるか、下手をすれば一揆を起こした領民に殺される。
もしくは途中で仕事を投げ出して、泣きながら脱藩する可能性がかなり高いと思われる。
私はこれらの事情を考え、もはやどのように舵取りをしても、事態を丸く収めることなど、ほぼ不可能だと結論づける。
そして現実で溜息を吐き、神の子なんてどうでもいいから、今すぐ家に帰りたくなってきた。そう内心で大いに愚痴をこぼすのだった。




