三十話 天草四郎(1) 演舞
三十話 天草四郎の最中となります。ご了承ください。
寛永五年の春になり、私は紫衣事件で没収した布切れの使い方に悩んでいた。
事件の概要を簡単に説明すると、元々は高僧のみが着用を許される衣を朝廷や公家が小遣い稼ぎから発注し、高名な僧たちに与えてしまった。
江戸幕府に相談もなく行われたので、徳川家光さんは激怒した。
だがそこに間一髪で私が間に入り、神皇が一括で全て買い取ることで、双方に矛を収めてもらったのである。
なお当然私は無一文なので、全額稲荷大社に出してもらった。この後に、もし拗れて諍いになれば余計に出費がかさむため、必要経費ということで許してもらいたい。
話を戻すが、小春日和で温かな風が吹く良く晴れた日に、私は森の奥の家の縁側に腰を下ろして、何やら神妙な顔で考え込んでいた。
まだ未開封の新品である綺麗な紫色をした衣。
それが数にして十着以上が納められた大きな葛篭を目の前にして、これを一体どうしたものかと悩んでしまう。
「複雑な思惑から誤発注された紫衣を、倉庫の肥やしにするのもなぁ」
根が深そうな問題なので、事あるごとに紫衣はどうなりましたかと突っ込まれて、答えに窮する展開が予想される。
出来れば倉庫で埃を被るのではなく、何らかの形に活かすのが理想ではある。
だが高僧に与える高級な衣の使い方など、普通に着れば良いのでは? ぐらいしかパッとは出てこない。
狼たちが庭で楽しそうに遊んでいるのを微笑ましく見つめながら、このままでは埒が明かないので考え方を変える。
「この際だから逆に考えよう。高僧に着せるのは駄目。
だったらまあ別に、人間じゃなくてもいいかな?」
紫衣事件に興味がないし、相手が高僧だろうと物怖じしない。
だからこそ、珍しくて高級な紫色の布切れ程度の認識に留まっている。
別に人形の服に、高級素材を使ってはいけないという決まりはない。
高額で買い手は少ないしこれ以上発注するつもりはないので、数量限定で出せば問題はない。
そうと決まれば善は急げだ。
私は隣にある大きな葛篭を持ち、縁側から地面にピョンと飛び降りる。
そして早速今後の打ち合わせを行うべく、稲荷大社の本宮に向かったのだった。
時は流れて寛永五年の夏になった。
色々と関係各所を話し合って準備を整えた末に、とうとう稲荷人形の数量限定モデルが発売されたのである。
その際に、言い出しっぺの法則で私自らが宣伝を行う。
騒ぎを丸く収めるためとはいえ、買い取りを宣言して稲荷大社のお金を使ってしまったのだ。
おまけに限定稲荷人形の作成のために、わざわざ職人を呼び集めて作成を依頼した。
つまりは出来れば完売か、それが叶わなくても資金を使った分だけでも回収したい。
でなければ先走った行動をした私の立場が、色々と不味いことになりそうなのだ。
そのような事情もあり、私が内心焦っていると、あらかじめ告知されている開始時間の午前十時になった。
小氷河期で涼しいはずだが真夏の太陽が照りつけているので、緊張も重なり自分以外は若干汗ばんでいるのがわかる。
今日のために集めた関係者は、既に稲荷大社の特設舞台の上に立って整列していて、私はいつもの巫女服ではない。
限定人形に着せた紫衣とそっくりな物を身にまとい、手には錫杖と数珠を持っているのだ。
この姿になるのは初めてではなく、本番前に何度か試着したが、全然慣ないので今でも正直恥ずかしい。
それでもこの日のために必死に練習してきたので、ここで失敗するわけにはいかない。
ぶっちゃけ私は仏の教えなど信じていない。そもそも念仏で知っているのは、南無阿弥陀仏ぐらいである。
なので稲荷大社の関係者の中でも、芸能に秀でた者を私の後ろに整列させる。
彼らも練習に付き合ってもらったので、連携も取れるし実力は折り紙付きであった。
そんなこんなで、楽しみにしていたかはともかく、舞台の下からこっちを見ている大勢の観客を前に、代表として恐れることなく堂々と発言する。
「それでは演舞を始めます」
まずは呼吸を整えた後に、数珠を構えて姿勢を正す。
私が始まりを告げたことで、舞台の隅でこの日のために練習を重ねてきたこの時代のプロの楽団が、和楽器を中心にして激しい曲を奏でる。
一部外国から輸入した楽器を参考にして、未来知識で補った物も混じっているが、自分の知る曲はとても先進的だ。
なのである程度の音程を合わせるには、こうするしかなかった。
とにかくそれに合わせて、私は丸暗記している歌詞を大声で熱唱する。
「悪霊退散! 悪霊退散!」
稲荷大社の特設舞台の上でやっているのは、ある界隈で有名な陰陽師の踊りである。
向こうで生きてきた私は、一時期そういった動画を閲覧するのにハマっていた。
なので振り付けから歌詞まで、しっかり覚えていたのだ。
だが今の時代では再現できない箇所は多く、全てがカメラに映っていたわけではない。
曖昧な部分はプロの役者と打ち合わせをして、独自の工夫で補っている。
この時代の演奏家や踊り子が優秀でやる気もあるおかげで、大変助かる。
後ろを気にせず自分の仕事に集中できるので、間に挟まる台詞も一語一句違えずに口に出す。
「辛いとき! 悲しいとき!」
練習の成果を発揮し、特に大きな失敗もなく全員揃って終盤に入るが、やはり自分以外は汗をかいて少し疲労が見える。
それでも何とかラストスパートに入ったので、私は持っていた数珠に狐火をまとわせると、空高く放り投げて両手で錫杖を構えて、照準を真上に向ける。
狙いは言うまでもなく、空高く舞い上がった数珠である。
ついでに言えば別に溜める必要などないが、そこはまあ演出の都合である。
真上に向けた錫杖の先端に青白い炎が生み出されて、後ろのダンサーと演奏が最終局面に近づくたびに、どんどん大きさを増していく。
「成仏しなさい!」
錫杖の先の青い炎が極太の光線へと姿を変え、空に向かって一斉に放たれる。
そして寸分違わずに、数珠を飲み込んだ。
太陽が出ている昼間だというのに、あまりの眩しさに集まった民衆が揃って目を閉じた。
その隙を逃さずに飛び上がり、落ちてきた数珠を空中で受け止め紫衣の中に隠して、華麗に着地する。
放った狐火は衝撃すら発しない幻で、現実に何の効果も及ぼさない。
あくまでも舞台演出として使っただけに過ぎない。
結果的に、未来の一部界隈で流行した踊りは無事に終わった。
集まった観客は大興奮であった。
「紫衣を着用した数量限定の人形は、江戸の稲荷大社で本日正午から販売開始です」
そう言って私と踊り子さんたち、さらに演奏家の皆さんが特設舞台の上に整列し、一緒に頭を下げる。
しかし自分が主役になって歌ったり踊ったりしたので、全てが終わって肩の力が抜けると、何とも言えない恥ずかしさを覚えた。
稲荷神として演説や説得ではなく、これではアイドルかマスコットキャラの立ち位置だ。
だがとにかく役目は終わったので、さっさと特設舞台を下りる。
顔を真っ赤にした私は、急いで本宮に逃げ込むのだった。
後日談となるが、稲荷神人形の限定モデルは大人気すぎて、一時間かからずに完売してしまった。
お一人様一つまでと制限をかけていたし、大人用の紫衣を何着も使って人形サイズをちまちま作るので、数量は百は越えていた。
それに使用している紫衣が高額なため、一般庶民ではちょっと躊躇うような値段設定である。
なので私は、一部の物好きな金持ちが買うことを前提にした場合、大々的に宣伝しても、在庫を捌き切るまで一ヶ月はかかると、大まかな予想を立てていた。
だが結果は即完売であり、わざわざ稲荷大社に来たのに買えなかった人たちは、紫衣稲荷人形の再販を求める抗議が殺到した。
元々自分が強引に仲介した末の副産物を処理するために、苦肉の策として限定モデルを出しただけだ。
朝廷と幕府の尻拭いが済んだ今、あとは好きにすればいいと、私はあっさり許可を出した。
しかし木工職人もなかなか考えているようで、初期版と差別化を図った。
二代目以降の紫衣モデルはポーズに少し変更を加えて、見た目をやや簡素にした。
紫衣ではなく、色は近いが少し安めな素材を使用する。
その結果、価格を初期モデルよりも抑えることに成功する。
これなら普通の人形よりは高いが、庶民も手が届きそうだ。
なお初期版には当然プレミアがついてしまうが、元々数量限定モデルとして公開されたので、今さら約束を違えることはできない。
なので購入者も渋々と言った感じで、一応の納得はしてくれた。
紫衣事件は二転三転したものの、こうして無事に幕を閉じたのだった。
さらに後日談となるが、今まで見たこともない楽器での演奏や演舞を披露したことが話題となり、過去に船旅で歌った以上に、芸能の神としてますます崇められることになる。
ついでに言えば音楽の発展の起爆剤となり、二千年代基準とは言わないが、それに近い様々な芸能分野が、雨後のたけのこのように次から次へと芽吹いてくる。
これによって常に世界をリードする音楽の聖地として、名の知られた作曲家たちからも信仰を集めることになるのであった。




