二十九話 心機一転(2) 小公女
征夷大将軍も三代目となり、そんな家光さんと演劇を見物にしに行ったことで、家康さんとの死に別れからは完全に立ち直った。
これからは私が手を差し伸べた人々や友人の子孫たちを、お婆さんのように血の繋がっていない孫を見守っていこうと決意を固めたのだった。
だがしかし私が心機一転して早々に、ローマ法王にお手紙を認めなければいけないのか。これがわからなかった。
大体多くの場合、唯一神と多神教の相性は最悪で水と油だ。
それに私は稲荷神を自称しているものの、実際は神も仏も信じていない。
宣教師からありがたい教えを聞いても、馬の耳に念仏であった。
しかし何だかんだで海を隔てた文通は、今現在も続いている。
程々の距離感を保っていて、当たり障りのない内容だが、それでもローマ法王も苦労しているんだなと、察せられたのだった。
寛永元年の秋、私は森の奥深くにある小さな家の縁側に腰を下ろして、海の向こうから送られてきた手紙に、目を通していた。
「まさか外国の一神教が、稲荷神を認めるとは思わなかったよ」
稲荷大社から一歩外に出て、外堀の周囲をぐるっと回る早朝ジョギングを終えて、さらに朝食も食べた。
時刻は朝の八時になったばかりである。
なお、狼たちも私の後に続いてひとっ走りしたが、今は木陰や自分の側などの、思い思いの場所で横になったりアクビをしたりと、存分にくつろいでいる。
そんな家族であるワンコたちを微笑ましく眺めたり、狐耳を澄ませて聖域の森に吹く風の音を聞いたりしながら、外国からのお手紙を片手間で翻訳していく。
「ふむふむ、教会の上層部に狐っ娘萌えが流行して困っていると」
サン=フェリペ号が帰国してから、流行りそうだという兆候自体はあった。
そして実際にオランダと貿易するようになってから、ヨーロッパ各地に私の人形が恐ろしい速さで広まっていった。
細部まで拘った精密な人形であったり、球体関節や可動域の広いリアルドール、デフォルメフィギュア、ぬいぐるみタイプ、刺繍で独自の表現をしたりと、先進的なキャラクターグッズの大洪水であった。
そんな革新的で高度な技術で作られた品々は、珍しい物好きな収集家や芸術家、または権力やお金を持っている者たちを存分に焚きつけることになる。
その結果、メイドインジャパン製である高額な稲荷グッズを飾り、訪れた来客に自慢気に見せびらかすといった謎の流行が、ヨーロッパ各地で頻発することになったのだった。
日本では今さらなので気にしてないが、私はあまり露骨に持ち上げられるのは好きではない。
そのことに民衆も薄々気づいているので、暗黙の了解として外には昔ながらの木彫りの熊、……ではなく狐。
または古来より存在している本物のお稲荷さんの像を飾るなどして、それなりに気を使ってくれていた。
「ヨーロッパでは、どうなっていることやらだよ」
今のヨーロッパの流行の最先端は、狐っ娘人形になっている。
コレクション的な意味合いが強く、日本からの輸入品だけでなく、向こうの国でもパクリ……ではなくオマージュして、様々な品物が作られている。
きっと街を歩けば、至る所に私がたくさん存在することだろう。
「ローマ法王の公式発表では、稲荷神ではなくリトルプリンセス。つまり小公女ってことだけど。
私は普通の女の子なんだよね」
わざわざ小公女だと公式発言しているのは、神様であると認めることができないからだ。
日本の最高統治者は神を自称していても、朝廷のように実は人間で小公女だと主張している。
そのおかげで一神教の抗議活動やワッショイワッショイも起きずに、可愛い狐っ娘幼女のマスコットキャラとして、割とすんなり受け入れられているらしい。
さらに教会関係者でも堂々と稲荷グッズを収集したり、見せびらかすことができるようになった。
だが、日本国内では稲荷神なのは変わらない。
なので相変わらず、キリスト教からの改宗嘆願書が送られてくる。
「しかし、ローマ法王も苦労人っぽいね」
少し前にこの世を去った家康さんは、頻繁に胃薬を飲んでいた。
殆どが私のせいなのだが、ローマ法王も同様に迷惑をかけていることが、文句こそ言ってこないが手紙の内容から伺い知れた。
「実は人間を守護するためにこっそり地上に残り、力を失った大天使の一柱が稲荷神。
そう主張してもいいですか? と、提案された時は驚いたなぁ」
私の存在を取り込んでしまうのが、混乱を騒ぎを静めるのが手っ取り早い。きっとそう考えたのだろう。
手紙で確認を取ったのは、事後承諾で行動して私が拒否すると関係がこじれて、余計に混沌としてしまうからだ。
「自分の一存でキリスト教の解釈を捻じ曲げるのも、ちょっとね」
なのでローマ法王の提案は、きっぱりと断らせてもらった。
それにここで案に乗った場合、私と日本の両方がヨーロッパと関係を持つことになるし、大天使を自称している以上、ローマ法王や民衆に無茶振りされる可能性が非常に高いのだ。
せっかく日本が天下泰平になって割と平穏に暮らせているというのに、遠く離れたヨーロッパのゴタゴタに首を突っ込むなど、断固として拒否する案件であった。
「今は沖縄や北海道、千島列島や樺太まで治めないといけなくなったし、これ以上手を広げたくないよ」
勝手に子分になった沖縄はともかく、北海道は柔和政策で最初から取り込むつもりだった。
ただ、そこに千島列島と樺太がくっついて来るとは思わなかった。
未来ではあそこの領土がどうなっていたかは、記憶が曖昧でよくわからない。
だがロシアと揉めていたことだけは、はっきりと覚えていた。
「どの辺りまでが日本の領土かは覚えてないけど、大陸と揉めるのは嫌だなぁ」
北海道と隣接しているので、日本への帰化の希望は断りにくい。
そして、うちの一部になれて地域住民は喜んでいると、報告が入っている。
さらに各部族の代表と稲荷大社で謁見したが、私の姿を見た瞬間に、謎の祈りを捧げていた。
これからきちんと税金か物資を納めるので、日本の一部として面倒を見たり五穀豊穣をお願いします! といった感じであった。
「北海道はもう過ぎたことだからいいけど、オーストラリアも問題なんだよね」
老いてますます盛んな織田さんが、散々暴れまわったオーストラリアのほうが、ある意味ではヤバかった。
別に武力を使って占領したわけでもないのに、何故か日本の関係者がトップに立ち、いつの間にか大陸を統一していたのだ。
この件については現地住民は納得済みであり、言うなれば文化的侵略であった。
稲荷神を信仰することで、知識や道具といった様々な情報を得ていった。
するといつの間にか現地の文化が上書きされたり混ざりあって、第二の日本へと変貌してしまったのだ。
私としては、オーストラリアは親日国であると公式発言をして、取りあえず敵に回らないような適切な距離を保つつもりだ。
だが向こうの住人は何故か、稲荷様大好きに染まっている。
これも全部織田さんがやり過ぎたせいだと思うが、何とも得体が知れなさ過ぎて、何か裏があるのではないかと、若干恐怖を感じてしまう。
しかも日本に帰化したいと直々にお願いまでされるので、もはや言葉もなかった。
ぶっちゃけ、こっちは極東の小さな島国だ。
どう考えても広大なオーストラリア大陸を管理しきれるわけがないし、帰化したいと頼むなら普通はこちらからだ。
なので当然断ったが、ここ最近は国外が色々騒がしくて困る。
「できることなら森の奥の我が家に引き篭もって、平穏に暮らしていきたいよ」
そう呟きつつ、家の縁側に腰を下ろしてのんびりとくつろぐ。
そして広大な庭で遊ぶ狼たちを、孫を見るお婆さんのように微笑ましく眺めるのだった。




