二十八話 オランダからの使者(2) 日本町
<織田信長>
最後の旅路に、南の果てへと向かった儂と猿だが、そこは日本から遠く離れた異国の地だった。
未開の地とは言わないが、日本と比べると文明は大きく遅れている。
なお彼女はオーストラリア大陸と呼んでいたので、儂らも自然とそれに習った。
第一陣であった外交使節団の話では、最初は警戒された。
しかし稲荷神様の木像、そして一糸乱れず整列して外国の言語までもを理解する狼たち。
おまけに日本の最高統治者が、狐の幼女であることを身振り手振りで説明すると、先住民の態度は急変する。
北海道と同じく、土着の精霊信仰との相性は抜群であった。
おかげで儂らが来る頃には、まだ北の海岸沿いだけだが日本人町がいくつもできて、かなりの発展を遂げていた。
さらには現地住民との仲も良好で、和気あいあいと交流を図っている。
ちなみに儂らが今留まっているのは、オーストラリア大陸の北の海岸に位置する、もっとも大きな日本人町だ。
今ではうちの先遣隊が初上陸した記念碑を、現地住民が町の中心部に立てており、神皇様に習って文化財として保護するつもりのようだ。
このような日本文化が溢れる地域は、現在オーストラリアの内陸部にも徐々に広まりつつある。
だが実際には、人口の殆どを先住民が占めていて、日本から来た者はほんの僅かしか居ない。
にも関わらず、一体何がそこまで彼らを駆り立てるのか、儂らには理解不能であった。
きっとこれも信仰の一つだろうが、彼女のことを神皇様よりも古い友人として接していた自分にとっては、きっと一生わからないだろう。
そのような事情はともかくとして、今の儂らは居酒屋ほろ酔い狐の店内に居た。
当然のように店主や従業員は全てオーストラリア人であり、彼らが経営している。
だが海を隔てた遠い外国にも関わらず、何故か和の心を感じさせる。
座敷には畳と座布団が敷かれており、材質は微妙に違ってはいるものの、まごうことなき日本文化である。
さらに表の立て看板やお品書きも、現地の言葉と日本語の両方で書かれていた。
儂や猿だけでなく、護衛として付いて来てくれた者たちにもわかりやすくて何よりだが、違和感は拭えない。
それでも通訳いらずなので、些細な問題だ。
取りあえずは畳を模した物の上で胡座をかき、共の者たちと店内を見回しながら何気なく呟く。
「荒海を越えて遥々異国までやって来たが、そのような感じはせぬな」
「然り、狐のお宿も日本風でしたからな」
正面に座った猿が、すかさず同意する。
護衛は立場の違いからすぐ隣の座敷に待機しているが、言葉は発っせずに皆も頷いていた。
ちなみに今日は、オーストラリア大陸に到着した初日である。
あくまでも老後の旅行なので長期宿泊する宿を決めて、そこの受付で日本の銭を支払った。
何故ここで使えるのかは不明だが、とにかく荷物を預けて町を散策することにした。
外交官から船旅の間に日本人町の様子は聞いていたが、それでも見るのと聞くのは大違いだ。
まさかここまで、うちの文化が浸透しているとは予想できるはずがなかった。
だがまあ驚いていてばかりはでは始まらないので、儂は気持ちの整理をつけてお品書きに目を通していく。
ぶらりと立ち寄った居酒屋で、何を頼むか決めた後、この店に入ってから、こちらを横目で窺っている料理人や従業員に声をかける。
「すまぬが──」
「ご注文は、お決まりデショウカ!」
日に焼けたのか黒い肌の若い女性の従業員が、待ってましたとばかりに片言な日本で元気よく対応する。
その際に、走るのではなくあくまでも速歩きでこちらにやって来る。
多分居酒屋の規則を守っているのだと感心はするし、それ程おかしくはない。
それでも何処となく違和感が拭えない事態に、儂は若干引き気味になる。
だがそれでも平静を保ち、従業員に注文を行う。
そもそも普段はこういったことは部下が全部やるのだが、老後の旅行ぐらいは一般人に成りきって楽しむのもいい。
「タコの唐揚げと枝豆、あとは清酒を頼む」
「自分は、季節の天ぷらとにごり酒で、よろしく頼むでござる」
猿も儂のすぐ後に、物怖じせずに堂々と頼む。
「ご注文を繰り返シマス! タコの唐揚げ、枝豆、清酒、季節の天ぷら、にごり酒、以上でゴザイマスネ!」
儂と猿は軽く頷いてその通りだと、店の従業員に告げる。
しかし、外国で言語が通じるのはありがたい。
念の為にと日本語を習得したオーストラリア人に、観光案内も兼ねて同行してもらっているが、今の所は頼らなくても快適に過ごせている。
そして待っている間に再びお品書きに目を通していると、あることを疑問に思った。
料理人とは別にこっちに熱い視線を送っている従業人に向かって、儂は丁度良いので尋ねるみた。
「少々気になることがあるのだが、今良いか?」
「はっ、ハイ! どうぞ!」
そして儂はこの店のお品書きを従業員に見せて、一つの項目を指差す。
「この清酒は米が原料じゃろう? 輸入品か?」
「イエ、日本の人がコッチに移住シマシタ。彼はお米を食べたりお酒が飲みたいカラ、頑張って育ててイマス」
日本とオーストラリアは環境が異なるので、米がまともに育つのかと疑問に思ったが、並々ならぬ苦労があったようだ。
それでも故郷の味が忘れられないのか試行錯誤の末、今では大規模な米農家になったらしい。
品種が違うので粘りは弱いが米には違いないらしく、日本でも一般家庭で食べられるようになった炒飯やカレーには、よく合うそうだ。
しかし、なかなか面白いことが聞けた。
儂らの他にも異国の地に骨を埋めても良いと思った者が、いたのである。
「その米農家は、儂らと同じような老人か?」
「いえ、若いデス。今は二十代の男性……だったハズデス」
これは驚いた。若者が夢を持って、自らオーストラリアに永住することを選んだのだ。
となると、その理由にも大体想像がつく。
「この地に残った理由は夢の実現。もしくは、好いた女ができたのであろう?」
「ええー……まあ、ハイ。夢ではアリマセンが、一応……付き合っテル?」
どうにも煮え切らない答えだった。
妙だと思ったのは猿も同じようで、注文の品々が届いてちゃぶ台に並べられる中で、もう少し詳しく尋ねる。
すると従業員は、何か答えにくい事情があるようで。しばらく黙っていた。
だがやがて観念したのか、若干渋い顔をしながら口を開いた。
「実は最初は関係を迫っても上手くいかなカッタ。
痺れを切らした彼女は、お酒を飲ませて酔い潰れたトコロを、強引にブスリ──」
儂を含めて話を聞いていた者たちは、これはもう仕方がない。どうしようもないことだと思った。
「……是非に及ばず」
なおブスリという表現は、刺されて暗殺されたのではないことが、唯一の救いであった。
ここまで来たら最後まで聞きたくなったので、続けて尋ねる。
「それで、その後の関係は?」
「しばらくギクシャク、でも今は仲睦まじい夫婦になりマシタ」
どうやら日本の若者のことが本当に好きだったからこそ、酔った勢いで無理やりしたようだ。
この件は当事者同士が話し合って乗り越えることで、実際に幸せに暮らせているなら、儂らからは何とも言うことはない。
とにかく今は飲食に集中しようと、ちびちびと清酒を口に含む。日本とは少し味が違うが普通に美味かった。
気分も落ち着いたところで、従業員に次の質問をする。
「他には何か面白いことはないか?」
「ええと、あまり面白いことでは、ありまセンガ」
また言いにくそうに口をつぐむが、現地の面倒事は早めに知っておかないと、のんびり観光を楽しむどころではない。
しばらくすると、従業員が申し訳なさそうな表情で、ポツポツと言葉を発する。
「実は白人の方々が、最近あちこちで悪いことをシテマス」
海を渡る前に、一通りの情報は聞いていた。
外交官からは白人は少数居るものの、現地住民との間に諍いが起きることは稀であった。
「ふむ、それは何とも穏やかではないのう」
だがたった今聞いた現地住民の話では、事態はもっと深刻らしい。
儂には、どちらが嘘をついているとも考えにくいが、この場合は情報を入手した時期で情勢が変わったのかも知れない。
「理由に心当たりは?」
「ええと、日本人町で稲荷神様を信仰しているのが、気にいらないヨウデス」
その言葉で儂らは、すぐにピンと来た。
白人は唯一神というものを信仰しており、それを他国にも広めようとしているのは有名な話だ。
今回は彼らがオーストラリア大陸で熱心に布教を行っているときに、稲荷神という異物が入り込んできた。
しかも現地住民の受けが大変よろしいことから、このままでは不味いと危機感を持ったのだ。
つまりは、互いの宗教観の違いによる対立が、遠く離れた外国で起きてしまった。
儂は、面倒なことになったものだと内心で愚痴を吐く。
だが稲荷神様に受けた恩は、積み重なっていて返済困難だということを思い出す。
ならばこの際、最後の奉公としてまとめて返すのも良いかと、すぐに考えを切り替える。
なお猿や護衛も、異国の問題に首を突っ込む気満々な様子で挑戦的な笑みをしているので、問題はないだろう。
何だかんだで、ほろ酔い狐の飲食が終わった後は、オーストラリアにやって来た外交使節団と連絡を取りに行く。
儂は頭の中で順序立てて思考しながら、今後の対応策を練るのだった。




