二十三話 宣教師の扱い(8) かるた
永禄十年の冬になった。
今の日本は小氷河期なので、全国的に厳しい寒さが続いている。なので春が来るまでは、それぞれ家の中に閉じ籠もって過ごすことが多い。
当然私も引き篭もりたいのだが、残念なことに年末になっても忙しいままだった。
一応土日はちゃんと休めているが、稲荷大社と我が家を往復する日が、冬になっても途切れることなく続いていた。
そんな仕事漬けの毎日で、精神的なストレスが溜まっていたのだろう。
今は謁見の間の一段高い畳の上に、前かがみで足を崩して座っている。
本日の仕事が片付いた後の、ちょっとした息抜きだ。
室内には陶器製の七輪が置かれており、炭を燃やすことで謁見の間の温度と湿度を保っている。
そして金網の中央には、お湯の入ったヤカンと干し芋やらあんころ餅などの温めると美味しくなる甘味が、割と適当に並べられていた。
最初は稲荷芋と呼称されていたが、私は命令で薩摩芋にした。
それを切り干ししたモノが、目の前の七輪の炭火で焼かれて柔らかくなったことを確認し、手にとって小さな口に咥える。
役人たちが勤務時間ギリギリまで仕事に追われる中で、私は冬のお菓子を味わう。
さらに前もって頼んで用意してもらっていた小さな木板に、墨と筆で丁寧に絵を描いていく。
そこに珍しく謁見の間に来ていた徳川さんが、正座しながら机の上で書類仕事をしつつ、こちらの行動を興味深そうな表情で観察していた。
「稲荷神様、何をされているのですか?」
私は絵描きをしながら彼をチラ見しつつ、質問に答える。
「かるたに絵を描いているのです」
「かるた? 確かポルトガルに、似た言葉がありましたね」
ポルトガルうんぬんは知らないが、多分元になった何かだろうと察する。
その辺りに突っ込むとややこしいことになりそうなので、無視して続きを話す。
「百人一首でも良かったのですが、私は詳しくないので」
「ふむ、百人一首とはどのような物なのですか?」
犬も歩けば棒に当たるの絵を木板に描きながら、私は足りない頭を働かせて、徳川さんの質問に答えていく。
かなり古い遊びなので、てっきりメジャーになってると思ったが、まだそうなっていないらしい。
「ええと、百人の和歌と絵が描かれているのですが──」
正月番組で百人一首の大会や、漫画で見たことがある程度なので。私も詳しく知っているわけではない。
それでも身振り手振りで徳川さんに伝えていると、周りで話を聞いていた役人が、何かを思い出したかのように会話に混ざってきた。
「貝歌に似ておりますな」
「貝歌?」
「はい、宮中や諸大名の大奥で行われている遊びで、貝の形をした札が上下合わせて二百枚あるのです」
役人が言うには、貝の札の上の句を読んで下の句の貝を取るというルールらしい。
少し未来とは違う気がするが、それでも私の知っている百人一首にかなり近い。
ただ宮中の一部で行われているだけなので、そこまで広まってはいない。
それでも平和な時代になれば、こういった娯楽が普及するものだ。
この際だからリバーシやトランプも作ろうかなと思いつく。
何となくだが花札や囲碁や将棋は既にある気がするし、そもそも私自身がルールをよく知らないので完全ノータッチである。
百人一首の説明が一通り終わったあと、徳川さんが続けて尋ねてきた。
「百人一首はわかりました。では、かるたと言うのは?」
私は思考を切り替えて、頭で考えたことをそのまま口に出していく。
「ひらがなを覚えさせるための遊びです」
「ふむ、教育ですか?」
言われてみれば、情操教育というものかも知れない。
「ことわざの意味と文字を、遊びながら覚えさせる。
確かに言われてみれば、子供向けの教材に近いですね」
犬も歩けば棒に当たるや、鬼に金棒など、絵と文字でわかりやすく子供に教えるのだ。
既に全国に学校が建てられているので、義務教育も始まっている。
本来の歴史でもお寺で勉強している気がするので、このぐらい大した影響はないだろう。
それに子供は風の子で、寒風が吹いていても戸外を駆け回って遊ぶため、真面目に授業を受けさせるのは一苦労だ。
だが遊びながら学べば、割とすんなり頭の中に入ってくる。現に私は雑学は覚えているが、真面目に勉強しようとするとすぐに集中力が切れてしまう。
「稲荷神様はやはり、母性が強いですね」
「えっ?」
母性が強いとはどういうことだ。
私はただ子供たちが少しでも楽しく遊びながら学べるように、かるたを作っているだけだ。
「慈愛に溢れていると、言い直したほうが良いですか?」
過去の実績からそのような評価を受けたのかも知れないが、慈愛に溢れていると言い直されても、まるで実感が沸かなかった。
私がはてと首を傾げていると、徳川さん顔を少し赤くしながら声をかけてきた。
「このかるたは、版画職人に依頼して増産します。よろしいですか?」
「私一人で絵を描いていては時間が足りませんし、あとはお任せします」
そう言えば前に私が描いた紙芝居も、増産して今は日本中に広まっている。
そのため、桃太郎や花咲かじいさん、ごん狐や泣いた赤鬼などの、日本昔話の作と絵が稲荷神になってしまった。
私は全く困らないが、今の時代の画風とは完全に逸脱している。
さらに昔話の原作者さんたちがどうなるかと考えると、何となく申し訳なくなる。
しかし、そんなことをいちいち気にしていたら、自身が望む快適で平穏な暮らしは遠ざかる一方だ。
それどころか、余計な気苦労を背負い込んで、二進も三進もいかなくなる。
なので私は引き続き、記憶が怪しいところは詳しい人に逐一尋ねて修正入れつつ、今はかるたを描いて気分転換に没頭するのだった。
後日談となるが、私が発案した様々な娯楽は、まずは江戸の稲荷大社から売り出されることになる。
だが、うちが全てを取り仕切っているわけではない。あくまでも売り場がそこであり、製造は全く別の場所で行っている。
よくある東京名物が他県で作られているとか、そんな感じだ。
それはともかくとして、江戸は流行の最先端で民衆も多く集まるので、当然の流れであっという間に売り切れた。
その結果、増産に次ぐ増産の流れになり、凄まじい速さで日本全国に広まっていった。
ちなみに初動こそ江戸だが地方にも稲荷大社があるので、そちらを窓口にして販売を順次開始している。
当然各地も仕事に追われて私に泣きついてきたので、臨時の神職を雇いなさいと返答しておいた。
そもそも未来の日本では、正月などの忙しい時期には、アルバイトを募集している神社仏閣も普通にある。
今の時代でも人質をまとめて雇っていることだし、そのぐらい許されるはずだ。
その結果、稲荷神の公言を聞いた全国の神社仏閣の関係者は、臨時雇い? そういうのもあるのか! と、宗教に対する意識が少しだけ緩くなった。
さらには、仕事の忙しさを多少なりとも緩和することができたのであった。




