二十三話　宣教師の扱い（２）　維新

　謁見の間の一段高い畳の上に敷かれた分厚い座布団に座った私は、犠牲を少なくするためには、悠長に治水工事などしている時間がないと、否が応でも察してしまう。

　その結果、知恵熱が出るまで考えて、ある結論に至ったのでポツリと口に出す。

「従来の治水工事のやり方では、駄目ですね」

　今の時代は人力が主なので、全国一斉の治水工事をするにしても時間がかかりすぎる。

　ならば井戸を掘って水を確保しようにも、長山村では狐っ娘の身体能力があったからこそ出来た早業だ。

　一応私が井戸を掘り歩くために全国各地を巡るという手があるものの、引き篭もり生活大好きな自分は、絶対にやりたくなかった。

「では、どうするのですか？」

　徳川さんが至極真っ当な疑問を上げたことで、私はその場でパッと思いついたことを口に出した。

「治水工事は長期に渡るので、一朝一夕には効果は見込めないでしょう。

　ならば代案として、井戸を掘っての水源確保するのです。

　どのような掘削方法であろうと、水脈に到達できれば──」

　全国一斉の治水工事は、とにかく時間がかかる。

　ならば代案としての井戸掘りだが、湧き水は地下の水圧で地上に吹き出している。

　たとえ湧いてこなくても、真空ポンプさえ実用化できれば地下深くから水を組み上げることは、一応は可能になるだろう。

　しかしそのためには、まず水脈に到達するまで掘り進まなければならず、従来のやり方では短期に目標を達成するのは不可能に近い。

「では、井戸掘りの技術開発を行うのですか？」

　徳川さんが尋ねてきたので、私はすぐに首を振って否定する。

「いえ、これは私たちが行う仕事ではありません」

「稲荷神様、それは何故ですか？」

　それに対して私は、勿体ぶることもなく直接返答する。

「全国の民衆に協力を要請するからです」

「「「えっ！？」」」

　未来の日本では普通に行われていることだ。

　しかし天下を統一して間もない今では、そういった発想が出るのは珍しいのはわかる。

　謁見の間に集まった者たちが驚きの声を上げるのも、無理のない話だ。

　とにかく急場しのぎでも打開策を閃いた私は、頭の中で整理しながら皆に説明していく。

「私たちがやらなければいけない仕事は膨大であり、人材は常に不足しています。

　ですので、一般民衆に協力者を募るのです」

「確かにそれが理想ですが、そう簡単にいくのでしょうか？」

　すかさず徳川さんから鋭いツッコミが入ったので、私は頭を悩ませながら少しだけ考えてから話す。

「江戸幕府の要請に応えた者には、褒美を与えるのはどうですか？」

　しかし徳川さんは考えることもなく、さらに深く尋ねてきた。

「褒美の内容にもよりますが、効果はありそうですね。

　ですが、そのための金品は何処から用意するのですか？」

　江戸幕府の大蔵省、ではなく財務省かと疑いたくなるほどの几帳面ぶりだ。

　こんなにしっかりしているなら、徳川埋蔵金の噂が後世に伝わってるのも無理のない話だ。

　それでもとにかく今は、追求を逃れるために足りない頭をフル回転させて、若干しどろもどろだが何とか口を動かす。

「稲荷大社の運営費を回しても良いのですが、宗教と政治は切り離したいです」

　征夷大将軍を稲荷神がやっている時点で酷い癒着だ。

　未来で宗教が幅を利かせている国は、割と頻繁にトラブルを起こしているイメージが強い。出来れば避けるに越したことはないだろう。

　なので私は、少しだけ時代を先取りさせてもらった。

「これから毎年税金を取りましょう」

「税金？　座や寺院の徴収金のようなものですか？」

　徳川さんはともかくとして、大名は米の取り引きが主である。

　商人組合のような金銭でのやり取りは、少し馴染みが薄いかも知れない。

　私はそれを踏まえて、謁見の間に集まっている各部署の代表に説明していく。

「年貢のように年収の一部を納めることで、その地域の安心安全を保証します。

　さらに江戸幕府から、特別融資を受けられるものとします」

　ぶっちゃけた話、やっていることは未来の日本の税金と殆ど同じだ。ただそこに貨幣がない場合は、物々交換にも対応するのが大きな違いだ。

　戦国時代は硬貨の流通以外にも、物の交換も普通に通用していたので何の問題もない。

　しかし計算が難しいのでマニュアルを作成して、何とか慣れてもらう。

　それに安心安全を保証するのは建前だが、ちゃんと災害派遣もするので大丈夫なはずである。

　ついでに私は、政治や経済の専門家ではないが、高校一年までの平均的な知識だけはある。

　とにかく順番に説明していくと、徳川さんが話の途中でふとした疑問を口に出した。

「では税金を納めなければ、どうなるのですか？」

「どうもなりません。何かあった時の優先順位が下がるだけです」

　税金を納めなければ、日本政府の保証対象から除外されたりと色々ある。

　しかし国外追放処分はないし、税金泥棒や不正を働かなければ逮捕はしない。初犯なら、注意喚起だけで済ませる温情も持ち合わせている。

　しかし徳川さんは渋い顔をして、私を真っ直ぐに見つめて声をかける。

「それはもはや、一種の脅迫なのでは？」

「いいえ、納税は日本国民の義務ですよ」

　未来では本当にそんな感じだ。日本に安心して住むためには、税金は必ず払わなければいけない。

　だが何処の国でも基本システムは大体同じだ。

　私も成人すれば、国民の義務に文句を言いながらも普通に受け入れていただろう。

「年貢や座の徴収金と同じように、じきに慣れますよ」

「そっ、そうでしょうか？」

　米ではなく銭を基本とした流れには、まだ今ひとつ実感がわかないようだ。

　徳川さんを始めとした家臣たちは、皆半信半疑といった表情であった。

　しかし今後の日本の改革を成すためには、米よりも銭のほうが断然使い勝手が良い。

　商人や職人からも取り立てるつもりだが、別に全て私が決める必要はない。詳しい役人か関係者に任せたほうが、的確に処理してくれるだろう。

　ただし不正にちょろまかしたら、相応の罰を与えるつもりであった。

　とにかく国の法律を大きく変更することになるのは確実であり、税金制度だけで終わらせるには勿体ない。

　そうと決まれば私は、引き続きこの場を借りて次の提案を口に出す。

「この際ですし、身分制度も改めましょう」

「身分制度ですか？　して、どのように？」

　私の年代では習わなかったが、歴史の先生の授業が脱線したときの内容を口に出した。

「士農工商です」

「なるほど、武士の次に農民ですか。不満をそらすには悪くない案ですね」

　徳川さんが賛成してくれたことで、一応の手応えを感じる。

　しかし武士だからと、身分に笠を着て好き勝手にさせるつもりはない。

　法律はしっかり遵守させるが、一番上であるという安心感は確かにあるのだ。

　それに人口比率は多分農民がもっとも多いため、彼らの怒りを買うのは極力避けたい。

　いつかは身分制度を撤廃するとしても、幕府を開いてすぐに反乱を起こされるわけにはいかない。

　幸い今なら朝廷から借りた征夷大将軍と稲荷神の御威光がある。

　そんなとんでもないゴリ押しで、自分の案を押し通すことができるのだ。

　なので税金と身分制度をぶっ込んでも、各地の大名からの反発は少ないはずだ。

　他にも大きな改革を行うなら、今が絶好の機会であると言える。

　何しろ自分がポックリ逝った後は、そういった権威の一切合切がなくなってしまうのだ。

　だがまあ、これも全ては日本を良くするためだ。

　きっと十年も経てば、日本国民は私の定めた法律を受け入れてくれるはずだと割り切る。

　なので留まることなく、大規模な改革をガンガン進めていく。

「全国一律の規格統一は当然として、戸籍登録や検地も行いましょう」

　北条家で披露した物差しや、他にも重さ、容量等だ。

　これまでは領地や身分で差があったが、ここで規格を統一しておかなければ、全国交流が活発になった時に、どんな不具合が起きるかわかったものではない。

　他にもと私が思案していると、あまりの急ぎ足に徳川さんが口を挟む。

「あの、一度に進めすぎでは？　明らかに手が足りていません。

　あまり強権を行使し過ぎると、人心が離れる恐れが──」

　彼の言うことはもっともである。

　しかし人口分布や住所、職種に所有する田畑の面積、納められる税金の把握は、とても重要なことだ。

　それに、天下泰平の世では人口は増える一方で減ることはない。

　まだ人の少ないうちに江戸幕府の地盤を築いておかないと、私たちが亡くなった後の二代目、三代目などの後任が、物凄く苦労する。

「確かに強権は行使し過ぎれば、人心が離れていくでしょう。

　しかし私が征夷大将軍に就いていれば、何の問題はありません。

　むしろ大規模改革は、後回しにするほうが大変ですよ？」

　今の日本国民は、稲荷神に対して多大な期待を抱いている。

　だからこそ一見理に適わず、人民に負担をかけるような制度の変更が、殆ど反発もなくすんなり通るのだ。

　統治が安定すると人は変革を嫌って現状維持に徹するものなので、私でも我を通すのが難しくなるかも知れない。

　それに日本の人口も増える一方だろうし、処理が面倒になる。

「早く日本を安定させて、肩の荷を下ろしたいものです」

「むむむっ！　どっ努力します！」

　彼らは私が本物の稲荷神だと信じているので、寿命でぽっくり逝くとは思っていないだろう。

　しかしそれをバラすと日本の屋台骨が崩壊してしまうため、秘密は墓まで持っていく。

　だから遠回しに、征夷大将軍は退位しないけど、いつまでも私に負担を強いるのではなく、皆さんが頑張って日本を早く安定させてくださいねと告げたのだ。

　これには徳川さんや役人たちも、渋々受け入れるしかなった。

　それに江戸幕府はまだ始まったばかりだ。

　そこで新体制ともなれば、日本国民も心構えが出来ているので比較的受け入れやすい。

　なので大変だからと後回しにはせずに、今のうちに全部片付けたほうが良いという結論となった。

　暦も未来の日本と同じ十二ヶ月に設定し、一日を刻ではなく二十四時間に改める。

　時計の普及は現段階では難しいが、カレンダーなら幕府か稲荷大社が作って、各地に配布することができる。

　ただしこれらの設定を弄ると、江戸幕府や稲荷大社の関係者は残らずデスマーチに突入する。

　多分血反吐を吐くことになるため、一日八時間労働制を早速破ることになりそうだ。

　しかし後に回すほどに後任の仕事が雪だるま式に増加し、さらに大変になるとわかっている。

　なので、この場に居る皆に私は真面目顔で口を開く。

「当分家には帰れなくなりますので、家族や身内に事情を説明しておきなさい。

　それでは、明日からよろしくお願いしますね」

　そう宣告し、急きょ役人の募集と、紙や墨と筆の大量発注をかける。

　こうして本日の会議は、皆が重い表情で締めくくったのだった。

　後日談として、戸籍や検地、時間と月日の設定、その他にも日本全国で様々な規格の変更や統一、意識改革が行われた。

　古くて腐りかけていた国の大樹を植え替えられ、まるで世界樹かと思えるほどの成長と日本をあまねく照らす輝きを放つ存在になったのだ。

　なお、これらの大改革は稲荷維新と呼称された。

　さらに日本の規格は、西暦二千年になっても一切変更は行われていない。

　長さ、重さ、容量などは稲荷維新によって定められたのだと、後世の歴史書にも大々的に記されることになる。

　また、年貢においても四公六民に統一して、さらに大名だけでなく商人や職人からも、税金と呼ばれる国家予算を取り立てる制度を導入した。

　反対意見は殆ど出なかった。

　だがこれは、年貢や税金以上を帳消しにするぐらいの恩恵を、江戸幕府ではなく稲荷神様がもたらしてくれるという期待感の表れである。

　なのでもし舵取りに失敗すれば、その時点で全国規模で反乱が勃発する。治安は瞬く間に悪化して、戦乱の世に逆戻りしてもおかしくなかった。

　だが二千年を過ぎても日本は変わらず平和を謳歌しているため、つまりはそういうことであった。

　また。治水工事を円滑にすすめるために、江戸幕府は全国の民衆の協力者を募った。

　その褒美として日本勲章と、十貫を与えることを宣言した。

　さらに士農工商の身分のくくりがあろうと、各々の功績はきちんと評価すると、稲荷神の名の下に保証した。

　これにより、日本国民全員のやる気が急上昇した。

　結果、告知し終わってから一ヶ月という短期間で、多くの民衆の知恵と努力と技術とその他諸々により、コンクリートと、井戸の上総掘りを生み出した。

　私の与えた教科書があってこそ、ここまで早期に実現できたのだと思う。

　ともかく、長くなるので詳しい説明は省くが、技術を開発したのは農民と職人である。

　国に貢献した証として日本勲章を与える時、目の下に大きなくまが出来ていたので、寝る間も惜しんで凄く頑張ってくれたんだろうなと、容易に察することができた。

　だが彼らの働きのおかげで、日本全国の治水工事はこれまでとは比較にならない速さで進むことになった。

　とは言え人力が主なので、未来と比べればまだまだ遅いし、難易度の高いことはできない。

　だがまあ何事も捉え方次第であり、水生生物の環境を保護できたのだと、前向きに考えることにした。

　なお、武田さんが治水工事が得意だと聞いたので急ぎ協力を要請し、その間に上総掘りの井戸を増やす形となる。

　水が不足している集落に、これまでよりも遥かに短い時間で井戸を掘れるようになったので、治水工事が完了するまでの繋ぎになる。

　飢えや脱水症状で死亡する者の数を大きく減らすことに成功する。

　さらにはあちこちに溜池を掘ったり、未来と比べると小さいながらもコンクリートの水門を作り、水量の安定化も図ったのだから、殆ど丸投げした私としては、予想以上の効果に驚きっぱなしであった。

　だが川の水を一時的にせき止めているせいで、鰻や魚が上流に登ってこれなくなった。

　そのため、もし余裕ができたらで構いませんので、緩い傾斜もダムの横に作っておくようにと、慌てて追加で指示を出すのだった。

　なお、これも全ては稲荷神様のご采配あっての賜物だと、またもや信仰心が高まってしまう。

　だが当人は、退位するまでの我慢だと割り切って、羞恥に耐え続けるしかなかった。

　何しろ今は国民の期待を叶えているから、権威にかこつけて強硬策を打って許され、素直に従ってくれているのだ。

　信頼を裏切ったその瞬間に、全国で反乱が勃発、江戸幕府の崩壊で戦乱の世に逆戻りなのは、りんごが木から落ちるのと同じぐらい、当たり前の流れであった。

　なので戦国時代に来てからずっと失敗の許されない綱渡りを強要されるのには、いい加減辟易していた。

　願わくば少しでも早く隠居して普通の女の子に戻りたいと、強くそう思ったのだった。