二十二話 幕府を開く(19) 養殖
養殖について話に浜辺の漁師小屋に向かった私だったが、立て付けの悪い引き戸を開けた先には、やたらとごつい海の男たちが勢揃いしていた。
だがまあ男所帯には慣れているので、別に驚きはしない。ただ少しただむさ苦しいだけだ。
それよりも自己紹介も程々にして、案内役の人が先に話をつけてくれていたので、海苔の養殖するのに必要な工程を一つずつ説明していった。
とは言え、別に難しいことではない。
第一に、海苔の生態を調べる。
第二に、海苔の胞子をヒビ網に付着させる。
第三に、海苔が育ちやすい環境にヒビ網を適時移動させ、収穫まで管理する。
海苔の養殖は、言葉にするとたったこれだけである。
しかし聞くとやるとは大違いなので、これからは互いの意見のすり合わせの時間だ。
「海苔がどのように増えているかなど、知らんのだが?」
「海の植物は水中に胞子を飛ばして増えます。
ですがそれは人の目では殆ど見えないほどに、小さいのです」
胞子以外にも色々飛んでいるかも知れないが、他にはパッと思いつかなかった。
なので取りあえず海苔もそうじゃないかなと、過去の学習と想像で補ったうえで発言する。
「さらに養殖の安定化を図るには、海苔の生育を理解することも大切です」
「なるほど、そうでなければ不作もやむなしか。これでは運ぐさと呼ばれても仕方ないな」
私的には海苔なのに運ぐさとは、これ如何にである。
だがまあ、時代によって色んな呼称があるのは珍しくないし、今はそんなことはどうでもいい。重要なことではなかった。
「他に海苔情報はありませんか?」
別の漁師さんが尋ねてきたので、私は少しだけ思案して答えを返す。
「ありません。陸と海では勝手が違います」
「なるほど」
そもそも陸に関しても知らないことだらけだが、海に関しては本当にさっぱりだ。未来で専門に勉強していたわけでもないし、大雑把にしかわからない。
だがまあ、それでも戦国時代の人よりは知っていることは多い。
なのでこの後に養殖場の下見に行ったり、海苔の生育についてあれこれ考察したりと、集まった人たちはかなり前向きに検討してくれたのだった。
なお、その後の海苔の養殖についてだが、胞子をヒビ網に付着させる場所を見つけるまでは、毎年収量が増減する不安定なものだった。
それでも天然の海苔を探して採るよりかは、断然効率が良かった。
数年ほど経ってかなり養殖についての理解が進んだ頃、春から夏までは海苔の姿を見かけないので、何処に居るのかと尋ねられた。
その時の私は多忙であり、武田さんの領地問題も同時に処理していた。
なのでふと例の巻き貝のことを思い出し、開いている貝の中にでも入っている可能性もありますね。そう冗談半分に答えたのだった。
だがそれを真に受けた今川さんは、領民に命じて一斉に調査を開始した。
すると貝にくっついている糸状のモノが海苔であったことが判明してしまい、そのものズバリで的中した形となったのだ。
おかげで江戸時代初期から庶民の食卓に並ぶほど、海苔の養殖が盛んになって値段も抑えられた。
しかし稲荷様は、海神のご加護もおありであると、やたらと持ち上げられたのだった。
余談だが板海苔が広く普及したことで、おにぎりには巻いて食べるのが主流となる。
これには上流階級だけでなく庶民に至るまで、とにかく幅広い日本の人々に親しまれるようになった。
また、板海苔の元祖は小さな紙漉き工房から始まった逸話はあまりにも有名だ。
そのせいで私が試作を兼ねて海苔を漉いている姿も、絵巻物として記録に残ってしまった。
ちなみに港町の全ての紙漉き職人は、とうとう資源の高騰で営業を続けるのが困難になり、頭を下げて若手の板海苔職人の傘下に入れさせてもらうことになった。
その一方で私は、海苔の養殖方法を伝授というか丸投げした後は、海の幸も食べて十分に満足した。
なので今川さんへの義理は果たしたと判断して、さっさと三河に戻っていた。
後のことは今川氏真さんの采配次第なので、後世の歴史家からの評価が良くなるように頑張ってくださいねと、帰る前に一言告げておいたのだった。
色々あったが、私は何とか永禄八年の冬が始まる直前に、懐かしい我が家に帰って来られた。
もし雪が降り始めたら、私はともかくお供の人たちが危ないので、移動速度は非常にゆっくりになる。最悪春になるまで、何処かの町村で足止めされるのもあり得る。
街道整備も進んでいない今の時代では、自然を舐めると火傷では済まないのだ。
まあそれはともかくとして、稲荷山の参道入口に毎年恒例の冬山登山禁止の立て札を出しておく。
その後、私は久しぶりに我が家に引き篭もれた。
冬は学校も閉めるので、小さな社務所の居間の囲炉裏で、狼たちと一緒に暖まる。
「あー……もうすぐ引っ越さないと」
来年には江戸の稲荷大社が完成予定ので、今後はそちらに移ることになる。
振り返れば永禄三年の夏に戦国時代に来たのだ。
つまり、かれこれ五年以上もこの家で暮らしたことになる。
未来の記憶は頑固に残ったままだが、未練を断ち切るように家族や友人関係が軒並みさっぱりなため、あっちのホームシックにかかることはない。
だがそれでも少しだけ寂しさを感じるが、今では私の故郷はこっちの日本になったのだ。
けれど未来の日本での、快適で平穏な暮らしが懐かしいのは変わらない。
やはり辛くて不便で飯が不味い戦国時代は嫌であり、そちらに帰りたい気持ちはまだ残ってはいた。
「帰還の手段は見つかる気がしないし。
やっぱり、自分で快適で平穏な暮らしを実現させるしかないかな」
戦国時代で少しでも暮らしやすくするためにと、色々と頑張ってきた。
表向きは民衆のためと言っているが、裏を返せば結局自分のためだった。
それも食欲優先で願いを叶えようとしている。
だがある意味では、五穀豊穣の神という立場に上手く噛み合っていると言える。
失敗としては全ての技術をバランス良く発達させないと、農業や食品分野が大きく伸び悩むことだ。
これから江戸幕府が開かれて平和になれば、今よりもさらにできることが増えて、発展速度も加速するだろう。
富裕層だけではなく庶民の暮らしも豊かになるのは間違いない。
その分、自分の仕事も増えることになるが、戦乱の世を脱しても治安が良くなったわけではない。
稲荷神と征夷大将軍の権威で強引に抑え込んでいるだけであり、戦の気配がなくなるまでは、お飾りだろうと最高権力者として立たなければならないのだ。
だがもし叶うならば少し早く松平さんにバトンを渡して退位し、そして普通の女の子に戻りたいなと思う。
そんな稲荷山での最後の冬を、家族と一緒に心安らかに過ごすのだった。
戦国時代はこの話で終わります。
次回からは、江戸時代の番外編になります。




