二十二話 幕府を開く(17) 紙漉き職人
港町の漁師から今川さんの名前を出して生海苔を買い取る。そしてそれを持って紙漉き職人の仕事場に向かう。
何でも大勢の弟子を雇っているという話だが、今は姿が見えないことが若干気になった。
それでも施設はかなり大きいので噂通りなのだろうと、納得しつつ交渉を開始する。
ちなみにお相手は白髪が特徴的な厳格そうな親方と、お茶を出して歓迎してくれた中年の奥さんだった。
私はそんな二人と、仕事場ではなく奥の個室の木の床の上で対面し、話し合いを進めている。
だがこれが、なかなかに手強かった。
「紙と食い物を一緒にできるわけねえだろ!」
「そこを何とか、お願いします」
まだ食品の加工に紙漉き工房を使わせてくださいとして言っていないが、暖簾に腕押し糠に釘である。
「駄目だ! 俺の仕事場が磯臭くなっちまう!」
本当に取り付く島もないが、紙漉き職人の親方が言うことはもっともだ。
普通に考えれば、間違っているのは私のほうである。
これは戦国時代とは関係なく、常識的としてかしいので、大反対されるのも当然であった。
(うーん、埒が明かないし諦めようかな)
まだ少ししか話してないが、まるで聞く耳を持たないならば仕方ない。説得には骨が折れそうだし、大きな港町なので他にも紙漉き職人は居るだろう。
ならばそちらと改めて交渉したほうが、スムーズに事が運ぶはずだ。
ここで権威を振りかざして我を通すのは可能だが、非常事態以外はやりたくない。
出来る限りは互いに利益があり、平和的に解決するのが一番だと思っているからこそ、私は早々に諦めて次の手を打った。
「わかりました。埒が明きませんし、別の工房に頼みます。改めて道案内を頼みます」
何よりお供の人たちは皆青筋を立てていて、あと少しで刀に手をかけそうだった。
そういった意味で、結構ギリギリだったのだ。
「稲荷神様っ! 汚名返上の機会を与えていただき! 感謝致します!」
今川さんの使者が深々と頭を下げる。
そして紙漉き工房の親方も、自分が斬られるとわかっていただろう。それでも信念を曲げなかったので、きっと立派な人なのだと思った。
だがまあそれはとにかくとして、これでさようならである。
特に案内役の人は、港町の大手の紙漉き職人がここまで融通がきかないとは思っていなかったのか、鬼のような怖い表情を浮かべていた。
私が抑えるようにと言っているので手出ししないだけで、あと少し刺激すれば容易に爆発してしまいそうだ。
つまりは紙漉き工房や職人を守るために、ここで身を引くのが一番賢い選択なのだ。
「まっ待て! まさか、本当に別の紙漉き職人に頼みに行くつもりか!」
「はい、そのつもりですが?」
私が畳から立ち上がると、先程まで強気だった親方が急に声を荒らげてこちらを静止する。
それだけではなく何やら挙動不審な様子であり、取りあえず落ち着ついてくださいとばかりに、奥さんまでもが新しいお茶とお菓子を慌てて用意し始める。
「あーいや、……そのだな! 条件次第で譲歩してやらんこともないぞ?」
「……は?」
私はさっぱり状況が掴めないのだが、これを聞いた案内役は何かを察したよう。
すぐこちらにこっそり耳打ちしてくれた。
その内容をまとめて簡単に説明すると、港町の周囲は禿山だらけだ。
当然木材資源も枯渇しており、新しく手に入れようとするなら、多少値段が高くても他所から取り寄せるしかない。
ここの親方も多くの弟子を雇っていて、港町で一番大きな紙漉き職人として、かつてはその名を馳せていた。
だがここ最近は斜陽となり、経営を維持するどころか弟子たちを養うのも難しくなっている。
なので私との交渉は渡りに船であり、本来なら一も二もなく飛びつくのだが、この際だから少しでも良い条件を引き出そうとした結果が、ゴネまくりということであった。
ある意味では今の自分は親方日の丸なので、彼は金に糸目をつけないと睨んでいた。
さらに相手は狐の耳と尻尾を生やしているが、見た目は幼い女子であり、交渉には不向きなはず。
状況が不利になると提案を通すために、あっさり値を吊り上げるはずだ。親方はそう考えていた。
意外と鋭い案内役から事情を聞いた私は、何だかなと思ってしまう。
結局のところは、板海苔を食べたいがために、紙漉き職人の元までやって来たのだ。
それなのにいざ対面したら、日々の生活を維持するためには仕方ないとはいえ、ケツの毛まで毟り取ろうと考えている守銭奴が交渉相手である。
これには呆れて物が言えなくなり、何だかもう色んな意味で真面目に話すのが馬鹿らしくなってきた。
正直これ以上この場に留まる気はなくなったが、親方がまだ話したがっているようだ。
なので最後に聞くだけ聞いてみるかと、私は続きを促す。
「貴方の言う条件とは何ですか?」
「条件は、製造方法をうちの独占に──」
「話になりません。それなら私は別の職人に依頼して、日本中に広めてもらうでしょう」
そもそも最初から海苔の独占販売を考えているなら、自分だけで計画を進めていた。
そして私は、日本全国の食生活を豊かにしたい。
なので大手の紙漉き職人に製造方法を伝えて、ある程度確立したら寿司と同じく一般公開してもらう。
特定の職人が利益を独占するのではなく、未来のように様々な種類の板海苔が生まれることを望んでいる。
それぞれが地方で独自の強みを出して切磋琢磨するほうが、色んな味が楽しめる。
さらに価格も抑えられるので、庶民も手を出しやすくなるだろう。
だがまあ、親方の気持ちもわからなくはない。
町一番の紙漉き職人として大勢の弟子を養わなければいけないし、経営者的にはかなり危うい状況だ。
しかしもはや私は、交渉の席から立ち上がってしまった。
ならばこの後に及んで新たな条件を出すより、そっちが頭を下げて譲歩するのが筋ではないのか。
「私は日本全国に新しい食文化を広げたいのです」
「町一番の紙漉き職人はこの俺だ! 弟子も大勢居る!」
つまりは自分の弟子たちを全国に派遣して、板海苔職人として活動させるのか。
未来で言うチェーン店みたいなものだろうか。
「そちらの目的とも合致するではないか!」
私は口元に手を当てて、少しの間思案する。
確かに未来の日本では珍しくない。
だがそれでは、何処までいっても本店の二番煎じのレッテルは剥がせない。
もし日本のハンバーガーがマック、コンビニがセブンしかなければ、それはとても寂しく思えた。
「行きましょうか」
「ご案内致します!」
だが親方にそれを説明しても、到底理解できるものではないし、そもそも耳を貸さないだろう。
それどころか、何とか利益を掠め取れないかと、またゴネられかねない。
板海苔を作るのは完全に私のわがままなので、権威を使う気にはなれない。
なので私は細く小さなおみ足に、泣きながらすがりついてくる親方を強引に引っ剥がしてから、別の紙漉き職人の工房へと早歩きで向かうのだった。




