二十二話 幕府を開く(16) 刺身
現在進行系で板海苔を無性に食べたがっている私だが、詳しい加工方法は知らなかった。
なのでその際に紙漉き職人はどうかと考えついたのは、未来で普段食べていた海苔は、紙のように薄くてペラペラだからだ。
つまり資料映像として見た覚えのある、和紙の加工技術を活かせば、上手いこといくのでは? と、思い至った。
まあ失敗する可能性もあるが、食欲には勝てなかった。
もし無理だったら適当に誤魔化せばいいやと、楽観的に考えるのだった。
だがあいにく小さな漁村だったので、紙漉き職人は在住していなかった。
そのため湾岸沿いに半刻ほど西に走ったところにある、この辺りではもっとも大きな港町を目指すことになった。
そこには遠目ででもわかるほど立派な船着き場があり、未来では小型だが、戦国時代にしては大型の船が出入りしていた。
さらに近づくと人の往来も盛んで、先程の漁村よりも活気があるのがわかった。
「この町の紙漉き職人は──」
「先に食事にしましょう」
港町の中に入ったところで、同行者が紙漉き職人の元に案内するために口を開いた。
だが私は、時間切れになったお腹を押さえて待ったをかけた。
それを見た彼は、何かを察したように苦笑しつつ小さく頷いた。
「そう言えばうちも一日三食に変わったのでした」
実は今川領でも一日三食を取り入れているが、まだまだ浸透には程遠い。
そもそも食料自体が足りない戦国時代では、一日二食が多数派なのだ。
いわば何不自由なく三食ありつける私は、この時代における富裕層と言える。
自称神様と征夷大将軍なので当たり前なのだが、早く全ての日本人がお腹いっぱい食べられるようにしないと、美味しくご飯をいただけない。
そのため、ひっそりとそんなどうでもいい決意を固めたのだった。
なお、ご飯が食べたいと言ったのは良いが、案内役は港町の入り口で足を止めて、何やら考え込んでいる。
どうしたのだろうかと私が首を傾げたところで、こちらに顔を向けて質問してきた。
「稲荷神様は生魚と焼き魚、どちらが好みでしょうか?」
なるほど、確かにそれは悩んでも仕方ない。ちなみに私は両方いける派である。
だが彼が言うには、生魚と焼き魚の美味い店は別々である。
そういった理由もあって、今ここで決めなければいけないらしい。
なので私は自分の要望を、はっきり口に出した。
「今日は生魚の気分ですね」
これには迷う必要はなかった。
そもそもこの時代は衛生管理や保存技術が未発達なので、食材に火を通さなければ安心安全に食べられない。
だが生魚を料理として客に提供していると言うことは、割と清潔にしていて、腹を下す可能性はかなり低いはずだ。
まあ私は何を食べても元気いっぱいだが、お供も居ることだし、毒入りじゃないほうが良いに決まっている。
ゆえに、せっかく新鮮な海の魚が食べられる機会だ。これを逃すのは勿体ない。
という理由もあり、本場のお刺身を期待して、私は控えめな胸を高鳴らせて道案内を任せるのだった。
彼が案内してくれたのは港からほど近い場所にある、そこそこ銭を持った人御用達の高級店であった。
そこでは、醤油をつけたお刺身を出してくれた。
ただまあ、大豆ではなく魚から採ったほうなので、匂いもキツイし量産化が難しい。
だからこそお高いのだが、早く一般庶民も気楽に食べられる時代が来れば良いのにと思った。
あと気になったのが、生魚の他にもキジ、カモ、たけのこ、茸等の様々な食材が一緒に出されたことだ。
これは魚の安定供給が厳しい背景があるらしいが、造船や漁の技術が未熟なのでかさ増しも仕方がない。
少しの波でも裏返ってしまう手こぎボートで海に出るのが普通、殆どの船では沖まではいけないのが戦国時代なのだ。
命がいくつあっても足りないし、魚を一度に持ち帰れる量も少ない。そもそも網も耐久性が低そうだし、色々と課題は多そうだと感じた。
なお、生魚は獲れたてだったらしく、普通に美味しかった。
多分スズキかイワシだろうが、店主にお任せを頼んだので、正直何かの魚としかわからなかった。それでも味が良ければ全てヨシである。
そこでほんの気まぐれだが、店主にはお礼をすると同時に、ある仕事を頼むことに決めた。
話は変わるが、発酵食品の寿司は既にあるらしいが、京の都に滞在中に出してくれた鮒寿しは、私にとってのトラウマである。
なのできっとあと百年もすれば誰かが思いつくだろうが、酢飯に生魚を乗せた寿司を少しでも早く広めたかった。
普段はお酒を作っている醸造屋から入手した、酢を使った寿司である。あとは味醂や砂糖で甘くする必要があるが、水飴で何とか誤魔化して欲しい。
一応の見本品として私が試作の寿司を握ったので、素材とした使用した各種調味料は判明している。
これを誰もが日常的に買えるぐらい安くなれば良いが、自分がそれを見届けられるまで生きられるかは、微妙なところだ。
きっと志半ばで天寿を全うするだろう。
少しだけ黄昏はしたものの、やはり色気より食い気である。
酢飯タイプと言えば、箱寿司、ちらし寿司、いなり寿司、巻き寿司である。
やはり紙のようにペラッペラな海苔が必要なのは、明らかであった。
巻き寿司を再現するためにも、絶対に作らなければならない。
そして、美味しくいただくのである。
私は寿司以外にも、海苔を巻いた餅もいいなと思いながら、人心地ついている案内役に出発を告げる。
「寿司も伝授しましたし、そろそろ行きましょうか」
すると厨房の店主や料理人を含めた従業員が慌てて出てきて、姿勢を正して一列に並んだ。
「稲荷神様のまたのお越しを! 我々従業員一同! 心よりお待ち申し上げております!
次回来店時には、必ずやご満足いただけるお寿司を、提供致します!」
そう言って感極まった表情で深々と頭を下げる。
中には号泣している人も居たので、流石にちょっと引き気味になる。
「こちらこそ、お刺身美味しかったです。
今後は私の教えた寿司を庶民に、そして全国に広めてくださることを期待します」
私としてはいつでもお寿司が食べたいのが本音なので、せっかく教えたのに一つの店だけで秘匿されると困ってしまう。
なので創意工夫前の工程だけで良いので、隠さずに積極的に広めていって欲しい。
そうはっきりと伝えてから、最後に笑顔でごちそうさまでしたと告げて、入り口の暖簾をくぐる。
お刺身のお店から少し歩いて腹ごなしした後は、気持ちを切り替えて紙漉き職人の仕事場を目指す。
全ては板海苔を作るという目的のために、賑わう港町で注目を集めながらも、人混みをかき分けて進むのだった。




