二十二話 幕府を開く(15) 漁村
武田さんの奇病の問題が何とか目処がついたことで、私はようやく我が家に帰れると安堵した。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
今川さんは、行けたら行くわと約束したことを、忘れていなかったのだ。
彼は三河に戻る前に、ぜひうちに寄っていってくださいと猛プッシュしてきた。
最初は断ろうと考えたが、多分ここで行かないとずっと催促され続けるだろうなと察して、渋々重い腰を上げる。
武田さんの領地からひたすら南下して海に突き当たれば、そこはもう今川さんのホームである。
領地的にも松平さんのお隣なので、帰る直前にふらっと立ち寄って海鮮料理でも食べていくのも悪くないと、多少強引でも前向きに考えるのだった。
曲がりくねった街道を通り、山越え谷越え川越えて、やって来たのは海沿いに広がる今川さんの領地である。
ちなみにだが、戦国時代的には海産資源がある国は豊かという風潮があるらしい。
その割には武田さんは決して貧しいわけではなく、むしろブイブイいわせている。
だがそれは金山パワーのおかげでゴリ押しているからだ。
しかも金の産出量にも陰りが見えてきたので、稲荷神を名乗る私に相談しに来たということだ。
ついでにもし期待外れだったら、自分が上洛して天下を取るつもりらしく、そうなったら三河は通り道として彼と戦をしていたことになる。
結果だけを見れば、首の皮一枚で戦を回避できて何よりだが、あっけらかんと言い切るので武田さんは何とも豪胆であった。
だがまあ今重要なのは武田さんではなく、今川さんの領地経営についてだ。
こっちには奇病が起きていないので、気楽にやれる。
造船に木材が大量の必要だからか禿山が目立っているが、そこは今は気にしても仕方ない。
それに植林に関しては北条さんの所で指導したので、既にある程度マニュアル化されている。おかげで問題はなく仕事を終わらせられた。
今の私はのどかな漁村の大通りを、犬ぞりに乗って周囲を見回し、お供の者たちと微速前進中だ。
あとは三河まで、物見遊山で道中をのんびり楽しめばいいので気楽なものだ。
「そう言えば、この漁村の者はどのような仕事をしているのですか?」
特に深い意味はない質問だをしながら、犬ぞりをゆっくりと止める。
そしてすぐ近くの海岸で何かしている村人たちを眺めながら、今川さんが手配した者に質問する。
「我が領内の漁村では、大抵は塩作りや漁を生業としておりまする」
言われてみれば塩害や水の問題で、近場で米を育てるのはちょっと難しいかも知れないし、漁村の近くは禿山だらけなので、大雨が降ったら土砂崩れが発生する危険がある。
植林をしてもすぐに効果が出るわけではない。
個人的には今後の今川さんの領地経営を劇的に改善することはなく、かなり長い目で見る必要がある。
私は犬ぞりを止めて寄せては返す波を見ながら、向こうも植林以外も期待して呼んだのだろうし、どうしたものかと長考する。
だが普段から考えなしの私に、すぐ名案が思い浮かぶわけがない。
それでも、昼近くに海沿いの漁村を訪れて食欲が刺激されたためか、いつものようにパッと思いついたことを、そのまま口に出す。
「海苔を育てて増やしましょう」
「「「えっ!?」」」
戦国時代は海苔はまだ高級品で、朝廷に献上されるほど大人気である。
なので長山村では手に入らず、京都にいる時におすそ分けとして生海苔を少しわけてもらっただけだ。
見た目は未来の食卓のお供の、瓶詰めにされたご飯ですよに近い。
ふりかけもない時代にご飯のお供は貴重であり、天然物そのままは磯臭さがやっぱり違うなと、食べながらそう思ったのだった。
それはともかくとして、私はついでとばかりに海苔の製法にも物申した。
「この際ですし、生海苔ではなく板海苔にしましょう」
「「「えっ? ……えっ!?」」」
ご飯に乗せるタイプも良いのだが、おにぎりといえば板海苔があってこそだ。
さらにそこに調味料もくわえた味付け海苔と白米の組み合わせなら、それだけで何杯でもいける。
きっと戦国時代の日本人の舌にも合っているので、バカウケ間違いなしだろう。
だが実際には、狐っ娘の体は見た目相応の少食だ。きっと子供用のお茶碗山盛り一杯で腹いっぱいになってしまう。
しかし今はお昼近くなようで、空腹だからか無性に板海苔が食べたくなった。
「しっ、しかし、海苔は海の恵を受ける我が領内でも、高級食材ですぞ。
陸では五穀豊穣をもたらす稲荷神様でも、人の手で増やすのは難しいのでは?」
今川さんの部下に真っ当な指摘をされる。
そう言えば陸は長きに渡る積み重ねで、栽培技術がある程度確立されているので、土壌に植えれば大抵の物は増やせる。
だが海に関しては今の時代ではそれがないので、確かに簡単にはいかなさそうだと思い直す。
となると、いざ海苔の養殖を開始したところで収穫なしの大失敗になって、稲荷神の信頼が失墜する可能性が高い。
それに古来より海と陸の神は、互いの仲があまりよろしくないと聞く。
だからこそ役人の彼は、領地に何らかの祟りが起きる前にと、私を必死に止めてくれたのだろう。
稲荷様は陸の神様だが、今川領では海神の信仰が盛んだ。狐色に染まっていない彼の対応も納得でああった。
「確かに、貴方の言う通りですね」
私も別に海苔の養殖方法を一から十まで全部知っているわけではない。
何も考えずに突っ走っていたら、失敗は間違いなしである。
なので、忠告してくれた彼に感謝して深く頷く。
だが自分の食欲は未だに健在であり、そのための妥協案に切り替える。
「では生海苔ではなく、板海苔への加工はいかがでしょうか?」
「それならば、海神様の怒りを買うことはないでしょう。こちらこそ、どうかよろしくお願いし申す」
セーフ判定が出たので、私は心の中でよっしゃ! と、ガッツポーズを取る。
そして今川さんが送ってくれた案内役のお侍さんに、この村の紙漉き職人の元へと案内するようにと、頼み込むのだった。




