二十二話 幕府を開く(3) 炊き出し
歓迎の宴は長い時間続き、やがて夜が明けた。
良く晴れた夏空の下で、お世話係や護衛に関東に連れてきた狼たちを犬ぞりに繋いでもらう。
今日は江戸に稲荷大社を建てるための工事を見学したり、可能性あれば手伝いをする予定だ。
ちなみに道中で、全国から押し寄せてきた難民たちを、一箇所に集めていると聞いた。
ならば先に寄るのはそちらだろうと、相変わらず深く考えることなく急きょ進路を変更する。
それとは関係ないが、北条領に来てからお供が増えた。
いくら征夷大将軍で稲荷神だとしても、自国の領内で見せたくないものもあるだろう。
そのための監視役兼護衛は、当然同行するだろうと考えていた。
しかしそこに、重臣である松田憲秀さんがくっついてくるとは、流石に思わなかった。
もしかしたら一応神様をもてなすのだから、家臣の中でも発言力と位の高い彼が、直々に付いて回らなければ駄目とか、そんな掟でもあるのだろうか。
それとも色々優秀だからか、腕が立つとかそんな感じなのか。何にせよ私からは何も言えないので、よろしくお願いしますねと、素直に承諾するのだった。
北条領の街道を北上して一刻ほど経った頃に、周囲を木製の低い柵で囲んだ野営地が見えてきた。
松田さんの話では、総勢千を越える難民たちが集まっているらしく、辺りには北条の兵士が絶えず巡回しており、怪しい者が近づかないように警戒を続けている。
犬ぞりを走らせながら目を凝らせば、柵の中で三河から派遣された輸送隊が、せっせと炊き出しの準備をしていることに気づく。
しかし忙しそうにしている割には、あまり作業が進んでいない。
と言うか物資や難民と職員の数が明らかに釣り合っていなかった。
「聞いていたよりも、難民の数が多いですね」
「申し訳ありませぬ。稲荷神様に文を送った後も増え続けまして。今では、ご覧の有様ですじゃ」
何処か掴みどころがない松田さんだが、馬を操りながらバツが悪そうに頭をかき、私への謝罪を口にする。
だが難民が増えたのは彼のせいではないので、今は至急何とかしなければと私は声をあげる。
「とにかく、急ぎますよ!」
「了解! 皆の者! 稲荷神様に続け!」
「「「おおー!!!」」」
乗りの良い護衛たちを引き連れて、私は犬ぞりを操って全速力で野営地に向かう。
三河の財政は相変わらず火の車であり、長い目で見れば大儲け間違いなしなのだが、溜まった先から先行投資を繰り返すので、借金状態からは未だに抜け出せていない。
だが、それよりも深刻なのは、人材の不足であった。
戦国時代らしく普通に統治するだけなら何の問題もない。
しかし、間違った常識に囚われることなく、私の教えを体現できる者は徐々に増えてはいるが、まだ数は少ない。
三河と尾張では学校がいくつも開かれ、教師が大勢の生徒たちに熱心に指導をしても、残念ながら一朝一夕で身につく知識や技術ではないのであった。
私たちは松田さんのおかげで、門番に止められることなく野営地の中に駆け込む。
そして支援部隊の元に真っ直ぐ向かった。難民がこちらに近寄らないようにと、護衛が壁になってくれたことに感謝する。
それでも私が噂の稲荷神様なのはバレバレなので、ありがたや~と祈りを捧げられたりしたが、まあいつものことなので、気にしないことにした。
とにかく今は、炊き出しのカマドの近くで犬ぞりを停めて地面に華麗に降りて、忙しく働いている輸送隊の者に声をかける。
「状況は?」
「稲荷神様! 現在炊き出しの粥の準備を進めております!
しかし、実際に働ける者が少なく──」
現在新しく石のカマドを組んでいる人をよく見たら、目の下にクマが出来ている。
きっと難民の数が多すぎて手が回らず、昨日からろくに眠れていないのだろう。
当然私たちも手伝うつもりだが、その程度の人数が加勢したところで、焼け石に水だ。
まあ何処かのゴリラの人みたいに、自分が三人分になるどころか百人力にもなれるだろうが、そもそも征夷大将軍がいつまでも難民の野営地に居るわけにはいかない。
となると別の手を考えなければいけないので、私は周囲を観察する。
何か良い策はないかと足りない頭で考えて、しばし思案すると、いつものように思いつきを口に出した。
「働かざる者食うべからずです」
そもそも難民にご飯を与えているだけでは、ジリ貧以外の何ものでもない。
別に過酷な肉体労働をしろとは言わないが、少しは役に立つところを見せてもらいたいところだ。
「まさか! 難民を働かせるおつもりか!?」
そんな私の意見に、松田憲秀さんが驚いた顔でこちらを見つめる。
だが、今の時代は物資は現地調達は基本らしいので、現地住民(仮)を有効に活用して何が悪いものか。
「そこまで申されるなら、難民の身元を審査致しましょう」
難民の中には、敵勢力の密偵が混じってたり、落ち武者が潜んでいて隙を見せれば背後からバッサリとか、色んな輩が居る。
松田さんが言いたいのは、多分そういうことだろう。
だが私としては、今はそんなことはどうでもいい。重要なことではないのだと、きっぱりと宣言する
「必要ありません」
難民は千人以上集まっているし、さらに増加中だ。
審査が全て終わるまで待っていたら、日が暮れてしまう。
「いっ、いや、稲荷神様! もし他国の密偵や刺客が紛れて込んでいれば、それこそ一大事ですぞ!」
松田さんが取り乱しながらも、説明してくれた。
だが私はいくら他国の者でも、敵勢力のど真ん中で荒事はしないだろうと楽観的に考えていた。
「たとえ密偵や刺客が紛れていようと、問題はありません」
「何故そう思うのでしょうか?」
松田さんだけでなく、護衛の人たちも興味津々といった感じで聞き耳を立てる。
だが正直そこまで期待されるほど、深い考えがあるわけではない。
「近々新たな幕府を開くからです」
その後、絶対に徳川家康に征夷大将軍の椅子を渡して、円満に退位してやると一層の決意を固める。
そして、説明を続きを松田さんたちに話す。
「今ごろ必死に情報を探ったり、要人を暗殺したところで、意味はないんですよ」
それに対して松田さんは今いち納得できないように、真面目な表情で私に尋ねてくる。
「敵国の内部工作を見逃すおつもりか?」
「敵国が今さらどう足掻いたところで、天下泰平の世が訪れるのは変えようがないので」
上洛する前は違ったが、既に幕府を開くまで秒読み段階に入っている。敵国が多少暴れたところで北条家がヒギイする以外は、大した問題はない。
遅かれ早かれ戦乱の世は終わり、日本は天下泰平となるのだ。
さらに私は、江戸幕府を開いたあとの計画を松田さんに伝える。
「それに幕府を開いた後には、全国の大名や役人に教育的指導を行います。
こちらの告知は順次行いますが、利があるとわかっていながら敵になるほど、愚か者でもないでしょう」
私の考案した道具や未来の知識は、それに至るまでの下地が整って、初めて効果を発揮するものだ。なので指導を簡略するための教科書を、現在作成中である。
こちらは近々文を出して、各地の大名にあらかじめ告知しておく予定だ。
これには松田さんも納得したのか、清々しい顔で深く頷いた後、口元をニヤリと緩めて私に尋ねてくる。
「稲荷神様のお考えを理解し申した。だがこれはあくまで民衆を納得させるための、表向きの理由でありましょう」
「えっ?」
表向きも何も、今のが私の考えの全てだ。
しかし、こっちが言葉を失っていることにも気づかずに、松田さんは自信満々という顔で何やら説明を始める。
「稲荷神様の真の狙い。
それは周辺諸国の密偵や間者をわざと潜り込ませること」
私の考えのように語っているが、内心で、そうなの? と、当人は首を傾げていた。
「そして、彼らが持ち帰った情報で全国の大名たちがどう動くか。それを見極めるための策であろう?」
ドヤ顔の松田さんを見ていると、違いますとは言い辛い。なので良心の呵責に負けて、私はポツリと口に出した。
「……ご想像にお任せします」
ぶっちゃけ、そこまで深くは考えてなかった。
だが松田さんの解答を聞いて、そういうのもあるのかと思えた。
私は嘘だけはつきたくはないので、それ以上口には出さずにニッコリと微笑んで曖昧に誤魔化した。
しかし正解を言い当てたと勘違いした松田さんは、何を思ったのか、さらに熱く語り出してしまう。
私的にはもう勘弁してくださいと言いたいが、今さら間違いですとは言い出せないので、黙って聞いているだけだ。
「圧倒的な技術格差を見せつけ、稲荷神様に逆らうことの愚かさを教え!
服従すればお咎めなし! 末永く繁栄を確約す!
ここまでされれば、もはや貴女に歯向かう愚か者は、日の本の国にはおりますまい!」
露骨に視線をそらして、ひたすらワッショイワッショイに耐える。だが正直羞恥で顔が赤くなり始めたところで、あることを思い出した。
「そっ、そこまでにしてください!」
「稲荷神様! 急に、どっ、どうなされた!?」
私は慌てて、熱弁を振るう松田さんに強引に横槍を入れた。
急に大声を出されたので、彼だけではなく、周りの者たちも一緒に驚く。
「炊き出しの準備を手伝うつもりでしたが、先程から殆ど進んでいません!」
「そうでござった!」
これを聞いた松田さんは合点がいったのか、自分の頭をポンと叩く。
だが一つの物事に集中すると他がおろそかになるのは、割と良くある。
なので私は彼を許して、すぐに働くだけの余力のある難民を選りすぐる。
そしてまずは体を綺麗に洗って清潔にしてから、炊き出しの準備に参加してもらうことを、正式に決定したのだった。




