二十話 京都(11) 焼き討ち
戦国時代の高貴なお方への暴力的な表現があります。ご注意ください。
覚恕法親王の室内に襖を蹴破って堂々と押し入った私だったが、あいにく性行為の真っ最中だった。
おまけに同性のお相手らしく、そっちの意味でも腐っていた。
なお私はライトオタクで、一応男や女同士の絡みの知識はある。
そして現実のモノや男性の裸を間近で見るのは、今回が初めてではなかった。
そもそも戦国時代で肌を晒す行為や羞恥心というのは、未来の日本よりもかなり緩い。半裸で歩き回るのは珍しくないし、服も気軽に買えるものではないのか、薄着で露出も多い。
つまりはちょっとした弾みで、ポロリすることが良くあるのだ。
それに暇潰しの娯楽が少ないので、夜になると頻繁にギシアンしていたため、何と言うかそういった性的なモノに否が応でも慣れてしまった。
ついでに言っておくが、実は押し入る前から襖の向こうから喘ぎ声は狐耳に入っていた。
だがこれは狐っ娘の身体能力が異常に優れているからであり、幸いなことに外には漏れるほど大声ではなかったので安心である。
それはともかくとして、ラストバトルの雰囲気を壊したくなかったので、お口チャックで黙っていたが、もう我慢する必要はなくなったため、堂々と告げる。
「覚恕法親王! お話があります!」
「なっ! 何者だ!? ん? お前はまさか! 女狐か!」
これまで派手に暴れていたというのに、今頃その情報を知ったようで、流石に遅くない? と思った。
だが男同士でやっている間、良い雰囲気を邪魔しないように人払いしたのかも知れないと、一応納得する。
なおダイナミック入室したので、私が蹴破った入り口の襖の向こうには、騒ぎを聞きつけて集まってきた僧や難民が戦々恐々といった様子で遠巻きに様子を窺っていた。
だがまあ、恐れて邪魔をしなければ居ないのと同じなため、無視して話を進める。
「私は女狐ではなく稲荷神です。あと、いい加減前ぐらい隠しなさい」
「あっ! こっ…これは失礼!」
素直に謝罪したということは、たとえ延暦寺で女狐と呼んで馬鹿にしていようとも、今回は稲荷神として扱うらしい。
さっきはうっかり素が出てしまったのだろうが、本性はそんなものだと予想していたので、別に驚くこともなく納得であった。
近衛と一緒に気を使ってしばらく露骨に視線をそらしつつ、覚恕法親王とその愛人の着替えが終わるまで無言で待つ。
偉い人らしいので子孫を残すために妻も居るだろうが、寛容な奥さんでないと泣いちゃうだろうなと、ぼんやり思ったのだった。
時間にして多分数分ほど経って、もう良いぞという声がかかったので、私たちは再び正面に向き直る。
愛人を後ろに下がらせた彼が、気を取り直して真面目な表情を作り、コホンと咳払いをしたのを合図に、私的にはテイク2が始まる。
「覚恕法親王、貴方に聞きたいことがあります」
「何だ? これから納めるべき寄付金や物資についてか?」
出だしは失敗したものの、身分の高い僧衣を身にまとった覚恕法親王は、普段から身なりに気を使っているのか、なかなか似合っている。
農民や立場の弱い人が対峙したら、それだけで怯んでしまう威厳のようなものを放っていた。
だがそれはそれ、これはこれだ。
遠回しでも喧嘩を売ってきた以上、こっちとしては全力で買わせてもらう所存である。
なので戦国時代の身分や立場など知ったこっちゃない私は、若干の怒りを込めて彼に話しかける。
「延暦寺は、難民を保護していると聞きました」
「然り。御仏は迷える民を決して見捨てぬ。故に施しを行い、安全な寺院に匿っておる」
案内役の僧から大まかな事情を聞いた私としては、胸糞以外は何も感じない。
しかしまだそれが事実だと確定したわけではないので、続けて質問をする。
「では、その後の難民の扱いはどうしているのですか?」
「仏の教えを説いておる」
やはり、ほったらかしであった。薄々そうだとは思っていたが、組織の代表から聞かされたことで確信に変わった。
そしてあろうことか、彼はその後余計なことを呟いた。
「その際に、一部の者は寄付や、自ら体を差し出すのだ。
どんな時でも御仏への感謝を忘れぬとは、民の善意は本当に尊きものよのう」
その言葉を聞いた瞬間、私は完全にプッツンした。
表面上はあくまで冷静に振る舞っているが、怒りの衝動のままに体が勝手に動いた。
「このド外道がぁ!」
「きっ、急に何を!?」
怒声と共に覚恕法親王に真正面から飛びかかる。そして勢いのままに、強引に押し倒したのだ。
幸い彼は頭を床に打ち付けることなく、寝具である着物が衝撃を緩和してくれたが、私は構わず馬乗りになった。
「……へぶしっ!?」
そして馬乗りになるだけではなく、さらに顔面を一発ぶん殴った。
それでも心は冷静なおかげで、きちんと手加減が出来ていた。
でなければ今頃この部屋には巨大なクレーターが出来て、覚恕法親王は顔面どころか全身が、ミンチより酷えことになっていたのは間違いない。
「それでも仏の教えを説く者ですか!」
「とっ! 当然……ぐべっ!?」
生意気にも口答えしようとしたので、もう一発殴った。
拳を振るうのは、きちんと手加減できている。だが、音量は振り切れていた。
蹴破った襖の向こうから成り行きを見守っていた人たちだけでなく、新たな騒ぎを聞きつけて、続々と人が集まってきている。
だがしかし、二十人もの近衛が陣形を組んで守っているためか、それとも僧兵の殆どを殴り倒した私が恐ろしいのか、彼らは皆、遠巻きに見ていることしかできない。
「仏とは! 迷える民を地獄から救い上げる! 一筋の光ではないのですか!」
喋ると殴られるのを本能的に理解させられたのか、彼は怯えながらも私の話を黙って聞いていた。
「それが道を示さず! 終わることない生き地獄を味わわせるなど! 言語道断!」
難民を困窮から救うための案が、思い浮かばなかったと言い訳はできる。
それでも延暦寺の僧の半分以上は堕落しており、仏の教えを説く以外は何もせずに、その他の時間は悦楽に耽るなど、日々を無為に過ごしていた。
そもそも、延暦寺で一番偉い覚恕法親王が、昼間から仕事もせずに性行為をしている時点で、大問題である。
「人が死ねば仏になれるなど! 世迷い言を!」
「仏の教えを愚弄す……ぐへえっ!?」
口答えした罰として、間髪入れずに右の拳でぶん殴る。
私が知る仏の教えは、お墓参りをしたり、お盆に仏壇の前で線香をあげるぐらいだ。
なので実際には彼にとやかく言える立場ではない。それは良くわかっている。
だが私は小狐を庇って車に轢かれて死亡し、狐っ娘幼女に転生して戦国時代に飛ばされた。
未来の日本での快適で平穏に暮らしではなく、生き地獄のような世界に一人孤独に生み落とされたのだ。
彼らの言うように、死んだら仏になって天国で悠々自適に暮らせたら、どんなに良かったことか。
そして私は別に、覚恕法親王に恨みがあるわけではない。
しかし今の一言で、自分の境遇に理不尽な憤りを感じたのは確かであり、憂さ晴らしに取りあえず一発殴っておいた。
「まっ! まだ何も言って……理不尽っ!?」
それでもこっちに来た当初のことを懐かしむことで、戦国時代の殺伐とした雰囲気で荒んだ気持ちが、少しだけ軽くなった。
取りあえず話が終わったので押し倒していた彼から離れて、さらに怒りを鎮めて冷静になるために、大きく深呼吸をする。
そして当初の目的を果たすべく、口を開いて堂々と発言した。
「と言うことで、今から延暦寺を焼き討ちします」
「なっ! 何が! と言うことでなのだ! まるで意味がわからんぞ!」
ぶっちゃけ私は、いつも思いついたことをただ適当に喋っているだけなので、意味がないことも多い。
何より話し合いが決裂したら延暦寺を焼き討ちするのは、最初から決まっていた。
当然。覚恕法親王にも既に通告済みだ。
もっとも向こうは鼻で笑って全く信じていなかっただろうが、とにか今すぐ着火しても何も問題もないことになる。
私は右手を天に掲げて青白い狐火を生み出して、それを少しずつ大きくしていく。
「やっ、止め──」
覚恕法親王が制止しようと手を伸ばしたところで狐火は完成し、私は大声を発した。
「いいえ、止めません! ……狐火!」
その宣言と同時に、かなり大きくなった狐火があっという間に部屋中に広がる。
「みっ、皆の者! 心静かに! 念仏を唱えるのだ! さすれば御仏の御加護で女狐は滅し! 我らの死後は仏よ!」
火に焼かれては助からないと感じたのか、僧だけでなく難民たちも口々に念仏を唱え始める。
だがその程度で私の狐火が止まるわけもなく、まるで生きているかのように廊下へと広がり、扉の隙間から他の部屋に侵入したりと、急激に規模を拡大していき、やがて延暦寺を完全に覆い尽くしてしまう。
「「「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」」」
その頃には僧や難民たち総出の大合唱となり、延暦寺だけでなく比叡山の外にまで木霊するほどになったのだった。
しばらくの間、無心に念仏を唱えていた僧や難民たちだったが、最初こそ驚いたものの、青い炎に触れても全く熱くないことに気づき始める。
なので大合唱は次第に鳴りを潜めて、ざわめきや混乱のほうが大きくなっていった。
そして私は、頃合いを見て指パッチンで狐火を一斉に消して、再び彼らに語りかける。
「良い夢は見れましたか?」
「げっ、幻術だったのか?」
「いいえ、紛れもない本物の炎です」
その気になれば、いつでも延暦寺を焼き尽くせるが、私にはそこまでする気がなかった。
だがとにかく、覚恕法親王や多くの僧は、自分たちが火傷一つなく生きてることに、心底安堵したようだった。
しかし、難民たちは違った。
騒ぎを聞きつけて集まってきた来た一人の老人が、近衛に止められながらも強引に私に詰め寄り、大声で喚き散らしている。
「どうして死なせてくれなかったんじゃ! 死ねば仏になれるのだぞ!」
他の難民も彼と同意見の者が多く居るようで、怒りの表情を私に向けていることに気づいた。
確かにさっきの狐火は、ぬるま湯程の温度だ。どちらかと言えば苦痛よりも心地良いとさえ言えるため、そんな状態であの世に逝けて仏になれれば、最後ぐらいは良い思い出ができて願ったり叶ったりだろう。
だが、実際に人焼き殺そうとするならば、かなりの高温にしなければいけないので、一瞬でも苦痛を味わうことは避けられそうにない。
しかしそれを難民たちに説明しても、すんなり納得して引き下がってくれそうにないと感じた。
なので私はそっちは一旦置いておいて、たった今思いついた別の手段で、強引に煙に巻くことに決める。
「貴方たちは知らないでしょうが、人は死ななくても極楽に行けますよ」
「うっ、嘘じゃ! この世は生き地獄じゃ! そこから逃れる術など、あるはずない!」
確かに老人になるまでずっと苦難続きなら、絶望しても仕方ない。
それでも私は、たった今思いついたばかりの理論を、自信満々に説明していく。
「確かに人の身では、生き地獄からは逃れられないでしょう。しかし、稲荷神は別です。
なので私が天下を統一した暁には、貴方たちを極楽に連れていってあげます」
私はそう宣言すると、覚恕法親王に背を向けて、近衛に命じて帰り道を開けさせる。
その際に、未だに混乱から立ち直っていない僧と難民たちは、素直に退いてくれた。
しかし部屋から出る前に、言い忘れたことがあったことを思い出して、振り向いて口を開く。
「現世の楽園行きですが、誰一人逃すつもりはありません。どうかお覚悟を」
これで用件は終わりだとばかりに廊下に出た私だったが、そこでピタリと足が止まった。
正門までの帰り道を覚えていなかったのだ。
しかし私と覚恕法親王の最終決戦を窺っていたのか、廊下に整列して嬉しそうな表情をする僧たちを見つけた。
なので彼らに帰り道の案内を頼むことで、延暦寺の焼き討ちは一件落着となった。
ちなみに間を空けずに本願寺もキャンプファイヤーをするつもりだったが、私がやらかした噂が広まり、朝廷や公家も稲荷神様が全面的に正しいと公言してくれた。
だからなのか、海よりも深く反省したので焼き討ちだけはマジで勘弁してください! と、本願寺から謝罪の書状が送られてきた。
それに対して私は、今回は見逃しますが、次はありませんよ? と、返したのだった。
なお後日となるが、覚恕法親王が、やんごとなきお方と血の繋がりがあることを知った。
しかしあの場では勢いでぶん殴るのが個人的には最適な判断だったし、手加減したしいいよね? と、全く後悔も反省もしないまま、この件の記憶をあっさりと忘却の彼方に葬り去った。
それ以外にも、稲荷神派が裏で手を回して事前の根回しや工作を行ったことで、延暦寺と本願寺や各地の寺院は、この後の総入れ替えが頻繁に起きた。
だがそんなことは、私の預かり知らぬことだし、これで快適で平穏な暮らしが近づくのなら、心底どうでも良かったのであった。
なお本来なら悪人がそう簡単に改心するわけがなく、隙を見て過ちを繰り返す。
だが延暦寺は京都から目と鼻の先であり、その場に居る者を全員恐怖のどん底に突き落とした私の監視の目がある。
そのため状況の改善が見られない場合は、朝廷や公家の大義名分を得て、もっと酷い目に遭わされるか、それとも今度こそ焼き討ちされるかの二択であった。
だからこそ私腹を肥やしていた僧たちは私に怯えて、もし逃げようとしたらいつの間にか手懐けた比叡山の狼たちに襲わせて、直ちにひっ捕らえて厳しく取り調べられた。
そのかいあって、難民の生活は徐々にだが改善していき、京都の外に新しい開拓村が、いくつも作られることになったのだった。




