二十話 京都(9) 比叡山
延暦寺と本願寺から送られてきた書状の内容は、やたらと格式高くて遠回しな表現が多用されていた。
だが予想通り、その殆どが私への苦情や罵詈雑言であり、内容を簡単にまとめると、大体こんな感じだ。
一つ、お前が直接出向いて土下座して詫びを入れれば、仏のお慈悲で許してやる。
二つ、民衆たちから不正に巻き上げた利益を、全て延暦寺と本願寺に寄付しろ。
三つ、今後は仏のために身を粉にして働き、それで得た銭や物資を寺院に供えれば、死後は極楽に逝けるであろう。
このような内容が、長々と回りくどく丁寧にこっちを立てて書かれていたのだ。
しかも二通ともほぼ同じであり、桜さんが読み上げたからまだマシだったが、黙って聞いていた私は何とも呆れてしまう。
それでも一言も喋らずに最後まで聞いたが、流石にちょっとイラッとした。
いくら私を高く評価して、物腰丁寧に書面で伝えても、結局のところは稲荷神が生み出す利益を寄付して、本願寺と延暦寺に従えだ。
相手は名のある高僧らしいが、この時代のことはさっぱりな自分には関係ない。
さらに言えば、そんな高名な人物に認められるという名誉では腹が膨れない。それこそ犬にでも食わせてしまえだ。
なのでお世話係の桜さんに、書状を二つともこっちに渡すように伝える。
恭しい姿勢の彼女から受け取ったあとは、間髪入れずにくしゃくしゃに丸めて宙に放り投げる。
そして、さっと右手を掲げて、そこから巨大な狐火を勢い良く飛ばした。
「破ぁ!!」
掛け声は完全にその場の勢いだ。
しかし、きたねえ花火だとばかりに呆気なく燃え尽きて灰になった二通の書状を見て、少しだけ気が晴れた。
だが喉の奥に引っかかった小骨のように、イライラはまだ解消されていないため、いつも通りの場当たり的な発言を、ついポロッと口に出す。
「決めました」
「何がでございますか?」
桜さんの質問に本当に何の深い考えもなく、自らの願望を口に出した。
「延暦寺と本願寺を焼き討ちしましょう」
「「「えっ!?」」」
私の発言に驚いたのは、桜さんや使者たちだけでなく周りの参拝者も同様だ。
それでも自分の中では焼き討ちは決定事項で、今さら取り消す気はない。
しかし流石は高僧だ。
心から仏を信じているのかは知らないが、腰抜けから気力で復帰したのか、慌てて立ち上がって待ったをかける。
「そっ、そのような非道な行い! 仏は決して許さぬぞ!」
「それが何か? 私は稲荷神ですよ? 何より、全ては日本の民を思ってのこと。
たとえ仏罰を受けてこの身が焼かれようと、歩みは決して止めません」
延暦寺や本願寺の評判については、今の京都の住民から聞いている。
そのアンケート結果を大まかにまとめると、未来の日本で不正を行う政治家のほうが遥かにマシという評価だった。
新たに台頭してきた表向きは清廉潔白な稲荷神に染まって、判断基準がおかしくなったことを差し引いても、元々そんな感じだったのだろう。
そう言った事情はともかくとして、今は全国的に食糧難だ。それどころか、あらゆる物資が足りてない。
だが、一部の権力者は全く気に留めることなく、私腹を肥やしている。
代わりに民衆の生活が圧迫され、最終的には多くの者が亡くなるのだが、富裕層にとっては痛くも痒くもない。
これだけでもイラつかせるのに、民衆を飢えや病気から救おうとする私の行いを非難するだけでなく、得られる利益を全部奪おうとする。
別に私は寄付金を募って贅沢をするつもりは毛頭ない。これらは全て、未来への投資だ。
今よりも機能が充実した施設や薬、または様々な道具などを開発して、民衆の生活を豊かにしていく。
ただでさえ三河は自転車操業の連続で、無理のしすぎで尻に火がついている。なので無駄に浪費する余裕など全くないのであった。
これらの事情から本願寺や比叡山延暦寺がやろうとしているのは、世紀末覇者に出てくるモヒカンが、か弱い老人から種籾を奪うような暴挙である。
なのでとにかく、今の自分は冷静にキレている自覚があった。
そもそもの話、元々この国や神仏のために身を粉にして働こうなどとは、これっぽっちも思っていない。
どうしても自分と相容れないと判断したら、あっさり見捨てて安住の地を求めて隠遁する気満々なのだ。
三河の稲荷山を拠点としていても、先祖代々の土地とかそんなわけではないし、たった数年しか住んでない。
お世話になった人たちには悪いと思うが、私も自分の身が一番可愛いのである。
だからこそ、出来れば選びたくない選択を強引に突きつけてきた延暦寺と本願寺は、どうしても許す気になれなかったのだった。
結局桜さんに命じて使者を追い返して、伏見稲荷大社の入り口に念入りに塩を撒かせた。
ちなみにうちにやって来た高僧たちは、本来の使者から僧として上なのを良いことに、書状を奪って勝手にやって来たとのこと。
本願寺や延暦寺が相当大きな組織なのは知っているが、まるで統制が取れていないことからも、肥大化と腐敗がかなり進んでいるようだ。
いくら丁寧な言葉遣いで要求したところで、回りくどいのが嫌いなので、ぶっちゃけ直接目で見て聞いた結論が全てだ。
それはともかくとして、連合軍の協力を得るための会議を開いたわけだが、参加している各々の代表の表情は、伏見稲荷大社の個室の座布団に腰を下ろしたまま、静かに怒る私を見て明らかに強張っている。
だが若干物怖じしたものの、特に問題なく会議は進み、まずは比叡山延暦寺、次に本願寺の焼き討ちは即日決定したのだった。
そして多少の時が流れて、永禄七年の秋の終わりになった。
ちなみにここまで時間が空いた理由は、念入りな根回しである。
何しろ延暦寺も本願寺も仏教の一大勢力であり、そこを攻めるとなると各勢力からの反発は必至だ。天下統一を目前にした今、周りが全て敵になるのは避けたいところだ。
だからこそ、一手間かけた根回しが重要になってくる。
もちろん周辺勢力にはこっちの目的はしっかり伝えているので、朝廷や公家も表向きは認めるわけにはいかないが、裏では許可をもらっている。
もし事が上手く進めば、正式に稲荷神様の焼き討ちは正しいと公言してくれるとのこと。
それはともかくとして、各勢力には五千の兵を出してもらい、合計二万五千の大軍勢で比叡山延暦寺を取り囲む。
だがしかし、包囲網は割と穴だらけであった。
僧兵は地の利を生かした戦術が得意なので、包囲されても打って出ない可能性は高い。
それに寺院には無関係な人を大勢匿っている、極悪非道な焼き討ちどころか、面と向かって攻めては来ないと、高をくくっているだろう。
しかし私は、嘘をつくのは嫌いだし、やると言ったら本当にやる。
なので当初は、一人で殴り込みをかけるつもりだった。
だがそんな無謀なことをさせられないと、各々の陣営が腕利きの武将や兵士を護衛としてつけてくれた。
合計二十人の決死隊。……別に死にに行くわけではないので、近衛みたいなものかも知れないが、急きょ結成したのだった。
色々あって秋の終わりの早朝、まだ朝靄が立ち込める中を、二十人の精鋭と一人の狐っ娘は、比叡山の参道を登山でもするようにのんびりと歩き、目的地である延暦寺に向かっていた。
だがしかし、その途中で木の上に登って身を潜めていた僧兵が、私めがけて矢を放ってきた。
「お返ししますね」
狐っ娘の人外の身体能力があってからこそ可能な、見てから対処余裕でしたで、中指と人差し指で矢をしっかりと掴む。
それだけではなく、相手に直接返すように手首を捻って放り投げる。
「なっ、何ぃ!? ……ぎゃああ!!!」
見様見真似で初めて使う技だったからか、狙いがズレて威力もおかしいことになってしまった。
僧兵が乗っていた大木の太い枝を、見事へし折る結果になった。
なので彼は悲鳴をあげながら落下し、頭を地面に強く打ち付けてあっさり気を失った。
色々と計算違いだが無力化には成功したので、取りあえずはヨシである。
その後も何度も待ち伏せからの奇襲を受けたので、私はいちいち対処するのが面倒になり、常に狐耳を澄ませて索敵を行い、先手を打って潰すことにした。
殺さずの侍漫画に出てきた亀の人ではないが、人間の体は常に音を発しているので、一切口を開かなくても何処に居るかぐらいはわかる。
「前方の茂みに十五、後方に十八です。弓矢に気をつけてください」
「ちいっ! 気づかれ……ぐわああっ!!!」
私は見敵必殺を行い、少しでも怪しい素振りがあれば、一瞬で距離を詰めて手加減してヤクザキックをぶちかます。
そもそも格闘技はド素人なので、華麗に敵を倒すのはとても難しい。
たまに加減を誤って骨の一本や二本を容易くへし折るものの、特に問題はなく次々と再起不能にしていった。
「近づかれる前に射殺せ! 女狐に矢の雨を浴びせろ!」
また、接近戦は不利と悟ったのか、四方八方から弓矢で射殺そうとする。
ならばこっちは狐火を全方位に飛ばして、炎の熱で焼き尽くすまでだと思ったが、途中でそれは不味いことに気づいて、ただ勢い良く放出するだけに留めた。
結果、強風にでも煽られたかのように矢の勢いはみるみる衰えて、私たちに届く前に全てが地面に落下する。
最初は鏃まで一瞬で焼き尽くせばいいかなと考えたが、ここは比叡山で周りには木々や落ち葉だらけだ。
そんなことすれば山火事間違いなしで、私はともかく近衛が無事では済まない。
確かに焼き討ちは確定しているが、自分たちまで燃えては本末転倒である。
なので咄嗟に低温の狐火を勢い良く放出したが、思いの外上手く言って良かった。
未だにこれがどんな力なのか把握しきれていないが、私が想像した通りに周囲の物を吹き飛ばすことも可能だと、また一つの機能が明らかになったのだった。
その後は何度か襲撃があったが、悠々と距離を詰めて相手の弓をポッキリ折ったり、薙刀を握り潰したりした。
そして自分は当たっても傷一つつかないが、護衛が怪我をするので止めなさいと、優しく丁寧に言い聞かせる。
私に同行している二十名は、もう稲荷様だけでいいんじゃないかなといった、何とも言えない表情が浮かんでいた。
心の中で、だから護衛は要らないって言ったのにと大きな溜息を吐きながら参道を登っていくと、寺院にしては場違いなほどに巨大な門が目の前に現れた。
普段は開けっ放しなのだろうが、今日に限っては蟻一匹通さないぞとばかりに、完全に締め切られていた。
「閉まっているでござるな」
「問題ありません」
同行している本多さんが、どうするつもりかと声をかけたので、私は口で説明するより見せたほうが早いと判断する。
なので、巨大な門の前まで無防備に歩み寄る。
矢が飛んでこなかったことから、逃げ帰った僧兵が撃っても無駄だと学習して、上司に報告したのかも知れない。
しかし自分は、寺院の門を閉じられたからといって、これは敵わんと諦めて帰るつもりは毛頭ない。
巨大な木製の門まで到達した私は、静かに両手を当てて、少しずつ力を込めていった。
幼女の体重では、どれだけ押しても足が後ろに下がってしまい、ろくに力をかけられないが、どういう理屈か、私が込めた力がそのまま門に伝わるようだ。
やっぱり狐っ娘は普通ではないと再確認している間に、正面の扉が徐々に軋んでいく。
そして、やがて何かが裂けて折れる音が周囲に響き渡った。
「ぎゃああっ! 助けてくれー!」
「妖怪じゃ! 妖怪が攻めてきおったぞ!」
「仏よ! 我らをお守りください! 悪霊退散ーっ!」
どうやら屈強な大人が複数人で持ち上げて、正門にはめ込んでいた巨木の閂がへし折れてしまったようだ。
正門の隙間から見える逃げ惑う人たちの足元に、もはや完全に使い物にならなくなった長く分厚い木の板が転がっていることから、そう判断した。
とにかくこれで障害はなくなったので、私は少々立て付けが悪くなった山門を軽く押して大きく開け放ったあと、延暦寺の境内に堂々と侵入するのだった。




