二十話 京都(5) 医者
京都に医療学校が建てられることに決まったものの、流石に今日明日というわけにはいかない。
なのでしばらくは仮宿の伏見稲荷大社だけでなく、他の稲荷系列の神社の空き部屋を病室に改築し、無料で利用させてもらうことになった。
私が盛大に巻き込んだ形になるが、終わりよければ全てよしだ。最後に民衆の信頼を勝ち取りさえすれば、プラマイゼロになるだろう。
なのでどうか、今だけは我慢して欲しい。
京都で怪我や病気で苦しんでいる人は大勢居るし、医者を志す人たちも最先端の医療技術を学べると続々と集まってくる。
だがはっきり言って、私は漫画の無免許医ではない。
なので期待されても困るのだが、狐っ娘の身体能力で練習を重ねれば、メスの腕前だけなら追いつけそうであった。
ちなみに新しく建てられる予定の医療学校の建設費用だが。松平、織田、武田、今川、斎藤に続き、稲荷関連の神社、さらには何故か朝廷や公家まで出してくれた。
他には、私が希望した医療器具や薬等の援助も同様である。
伏見稲荷大社の神主さん云わく朝廷や公家は貧乏で、内職に励まないと家の修繕をするお金も捻出できない程と言っていたので、少し不安になる。
しかし許可を得た上で彼らのホームである京都に建てるのだから、支援者として関わっていないと将来的に後ろ指をさされることになる。
必ず成功するという先見の明があるのが良いことだが、何だか無理をさせているようで申し訳ない。
だがここで資金援助をしただけでは、一時しのぎだ。
それでも彼らにとってはありがたいのだろうが、根本的な解決にはならないし、片方に負担を強いることになってしまう。
そのために私は、両者が得をする案を考えた後、朝廷や公家が見聞きしたあらゆる事象を書き記し、後世に残すという壮大な仕事を依頼した。
他には虫食いや朽ちる前に一語一句違わずに写本したり、顔の広い彼らに文化的価値の高い品々を収集させたりと、多岐に渡る。
私は未来で何でも鑑定する番組を視聴したことがあるので、こういった古い物には物凄い価値があると知っている。
なお何故こんな値段に? などとさっぱり理解できなかったが、とにかく高額な品なのだ。
数百年先に戦争が起きて空襲で燃えたり、外国に持ち去られたり、劣悪な環境で管理してたりと、色んな理由で紛失したりするだろうが、母数を増やすことに意味はある。
それに文化財の保存を今のうちからやっておくことで、未来を生きる人々に当時の私たちがどのような生活をして、どんな事件が起きたのか、または考古学的に価値の高い品を残したいのだ。
一人の人間ではなく多方面から書き記したり収集を行えば、効果はより高まるだろう。
朝廷の関係者や多くの公家さんを伏見稲荷大社に招き、このことを所々をぼかしながら説明すると、大変な感謝を受けて深々と頭まで下げられた。
内職だけでは厳しい生活環境らしく、私の提案は渡りに船とのこと。
松平さんにはあらかじめ話をつけておいたので買取は問題ないのだが、保存場所の確保はどうしたものかと考える。
そしていつもの場当たり的な判断で、江戸幕府を開いた後に正倉院を再現した建物を作り、未来の重要文化財はそこに保存することに決定した。
将来的に国家予算の一部をこういった保護に当てる予定だが、まだ絵に描いた餅ではあるが、相変わらず自転車操業は抜け出せない状況が続く。
それでも一応の見通しを示せたことには、多分意味があるはずだと、私は深く頷くのだった。
なお朝廷や公家の他に、資金援助してくれた勢力だが、私の医療技術を会得した者を優先的に引き抜く権利を得て、自国別に建てた医療学校の校長に就かせると聞いた。
生徒を教育して医療分野の底上げを図る等で、先行投資に余念がないことが伺える。
松平さんが言うには、稲荷神様が関わった企画は必ず大成します。なので、たとえ詳細が不明でも初手全額投資は基本です。とのことであった。
それはいわゆる、必ず当たる宝クジを買っているようなものかと、理屈はわかっても全く納得はできなかったのだ。
医療学校は一朝一夕で建てられるわけではなく、大勢の木工職人が頑張ってくれているが、完成は当分先になりそうだ。
なのでそれまでは伏見稲荷大社の一室を借りて、いい年したおじさんたちを相手に勉強会の毎日である。
その途中で判明したのだが、庶民は歯磨きの習慣がなく、身分の高い人は木の棒で磨くらしい。未来でも爪楊枝があるのだから一応は納得できた。
だが続けて聞かされた新事実に、完全に言葉を失う。何と、虫歯治療は神仏に祈るのである。確かにギュイーンと回転して歯を削る、お子様にとっては拷問器具に近いアレがないのだ。
私が対処するにしても、神経に到達したら引っこ抜くしかなさそうなので、適切な予防の重要性が際立つ。
他には、鉛入りの白粉を顔に塗りたくるのが上流階級の嗜みなのも知った。
未来を知る私からすれば、そんな悪しき習慣が当たり前に受け入れられている現状に、色んな意味で怖くなって寒気がした。
これは何としても未来の衛生管理を広めなければならない。
京の都に多く存在するヤブ医者を弾いたり、美にこだわる女性の執着は凄いので白粉の代用品を用意するのは容易ではないが、千里の道も一歩からで、今はとにかく手探りでもやるしかない。
理由は、漢方治療の他は自然治癒力に頼るのが主な医学では、病人に適切な治療を施すことは、ほぼ不可能だからだ。
やれることと言えば、各々の生活習慣を改めさせ、怪我や病気の予防に努めるぐらいであった。
そんなある日の私は伏見稲荷大社の一室にて、風邪を引いた患者の口を看護師見習いの花子さんに開けさせて、いい年したお医者さんたちを前に、真面目な顔で実習を行っていた。
「体が熱を出すのは免疫反応の一つであり、体内に侵入したウイルス。あーいえ、病原菌? ……これも違いますね。
ええと、ようは目に見えないほど小さな病魔を殺すための発熱現象です」
続いて炎症の説明をするが、私は本当に基本的なことしか知らない。
白く染まった舌を見せたあとは、あまり長く口を開けさせると患者の病状が悪化しそうなので、花子さんに合図を送って手を離してもらう。
そして大勢のおじさんの前で、布団に横になっている今回の実験体、もとい若い女性患者の熱を測る。
体温計がないのではっきりとはわからないが、狐っ娘が決して変わらぬ平熱だとすれば、やはり高めだ。
そのことを戦国時代の人にもわかるように気をつけて説明するが、途中で生徒の一人が手を上げて質問してきた。
「稲荷神様、病魔は熱に弱いのですか?」
私は診察を一時中断して、どう答えたものかと思案する。
「発熱は体が病魔に抵抗している証拠です。
くしゃみや咳、発汗などの現象は、目に見えない小さな侵入者を体外に追い出すための、正常な反応なのです」
私の一挙手一投足に注目する生徒たちは、なるほどと納得しているが、実際の医療現場で何処まで役に立つのかはわからない。
「あくまでも患者の体が熱を生み出すことに意味があり、外部から直接熱するのは、多くの場合肉体的な負担が大きすぎて逆効果になります。
衣服や布団で寒さから身を守り、体熱を維持する程度に留めると良いでしょう」
最後に、常々気をつけるようにと伝えて、私は口を閉じる。
しかしこの説明も気を使う。
何しろ今の時代に合わせて伝えることが必須となるのだ。
未来の日本の原文そのままでは説明できないし、薬や医療器具も殆どが存在していない。
信じるに足る根拠は稲荷神(偽)である私の言葉だけだ。あとは経過を見るか成果を出して、各々が納得してもらうしかないのであった。
その割には、神医や無病息災の御加護を与える稲荷神様の噂が京都中に広まっていて、しかも信憑性が急激に高まってきている。
まだ成果は殆ど出ていない状況で、過大評価にも程がある。
そもそもの話、私は医療や衛生に関しては、高校一年の基礎分野しか学べていないのだ。
重い病気や怪我の治療は、その他の分野の知識で予測を行い、さらに医者を題材にした娯楽作品の知識を重ねて、出たとこ勝負で対処するしかない。
大麻が医療用麻薬だというのも漫画で知ったので、探して見つけたあとは厳重に管理しつつ、罪人や志願者を募って人体実験で試す。
あとは何度も試行錯誤を続けて、地道に医療を発展させていくしかない。
野球ゲームの博士ではないが、医学の発展に犠牲はつきものなのだ。
そんな私は表情こそ冷静だが、頭の中では周囲からのワッショイワッショイに悲鳴をあげながら、患者の診察をしていた。
取りあえず説明が一区切りしたので、スックと立ち上がる。
たとえ自分の評価が過大だとしても、平穏な暮らしを送るためには否定している暇はない。
次の授業内容は、今朝亡くなったばかりの罪人の死体を解体して、あらかじめ作成していた人体の図面を片手に、基本的な仕組みと働きを教えることだ。
なので私は、生徒たちに付いて来るようにと伝えて、伏見稲荷大社の裏庭に早足で向かうのだった。




