二十話 京都(2) 施し
お忍びの京都観光を楽しむ気満々の私だったが、伏見稲荷大社に来る前に流し見た通り、相変わらず酷い有様だった。
それでも治安維持部隊が頑張ってくれているおかげで、死体や糞尿、瓦礫やゴミ等は大通りだけだが綺麗に片付けられていた。
しかし裏通りは汚れたり散らかり放題だし、京都の家々の傷みも酷い。住民たちも何処となく元気がないようだ。
「気が滅入りますね」
「もっ、申し訳ありません」
「桜さんの責任ではありません。これは時代が悪いのでしょう」
藁笠をかぶって顔を隠した私は、新人の若い巫女である桜さんと一緒に、特に目的もなく大通りを歩きながら町中を見渡していた。
伏見稲荷大社を出るまでは京都観光にウキウキだったが、今は少々気が重くなっていた。
しばらくの間、行く宛もなくぶらついていると、一人のみすぼらしい少女が、裏路地からよろめきながら近づいて来ることに気づいた。
陰ながら見守っていた護衛のお侍さんたちが反応しそうだったので、私が先に心配無用と手で制する。
すると、すぐ近くまでやって来た少女は、私の巫女服の袖を弱々しく引いて、か細い声で訴えてきた。
「巫女様、どうか施しを。ここ数日、水しか飲んでいません」
隣の桜さんが顔を青くしたまま、子供を引き剥がそうか、それとも私の命じた通りに動かないかで、心の中で葛藤している様子が伝わってくるが、それは一旦置いておく。
ちなみに護衛の皆さんは腕利きだけあり、契約はきちんと守るようで、こちらの制止を見て小さく頷いた後、いつでも動けるように油断なく様子を窺っている。
「それは可哀想に。では貴方にはこれを──」
そう言って私は、腰に下げた立派な巾着袋の紐を緩めて取り外して、中に入れてきた自分用のオヤツを分け与えようとしたところで、目の前の少女の様子が豹変した。
何と彼女は私の手から巾着袋を奪うために、それめがけて勢い良く両手を伸ばしてきたのだ。
「物取りとは、穏やかではありませんね」
だがしかし、狐っ娘の身体能力は人間を遥かに越えている。
少女がどれだけ素早く動いても、私にとっては見てから対処余裕でした! と、しかならない。
なので彼女が巾着袋に触れる寸前、サッと後ろに引いて隠してしまう。
そして空いている左手で、逃げられないように伸ばした腕をガッチリと掴んだ。
「うっ! 動けない!?」
私を狙ったのは、見た目的が豪華で紋様も美しい巾着袋を盗んで、中身と一緒に何処かで売り払うつもりだったからだろう。
京都の治安の悪さを考えれば、裏取引やら盗品販売などが普通にまかり通っていてもおかしくない。
ついでに言えば、私の見た目は十歳ほどの小柄な体型だ、近くには同じ伏見稲荷大社の巫女服を着た、先輩と思わしき若い巫女が一人しか居ない。
そして護衛は陰ながら見守っているため、存在には気づかないだろう。
つまり目の前の少女にとっては、近づいて不意を突いて幼児から巾着袋を奪い、素早く裏路地にでも逃げ込めば、まず捕まる心配はないと思い込んだのだ。
だが現実は、残念ながら彼女の予想通りにはいかなかった。
「はっ、離して!」
私の手から逃れようと、みすぼらしい服装の少女は、必死な形相で殴ったり蹴ったりしているが、ぶっちゃけ痛くも痒くもなかった。
水しか飲んでいないのに元気そうなのは良いが、やはり体つきは全体的に痩せ細っているので、お腹が空いてるのは間違いなさそうだ。
近くで見ている巫女さんや遠くから様子を窺うお侍さんたちは、私がいつブチ切れるかで戦々恐々しているのがわかる。
一方私は、内心では借り物の巫女服が汚れたり破れたりしたらどうしようと、別の心配をしていた。
しばらくは少女に暴れさせて、取りあえず気が済んで落ち着くのを待つつもりだ。
だがここは大通りではあり、通行人が足を止めて興味津々という顔で、私たちのやり取りを見物し始めているため、少々居心地が悪い。
やがて彼女も疲れて逃げられないと思ったのか、息を切らして泣きそうな表情に変わり、ヘナヘナと地面にへたり込む。
「私を、どうするつもりなの?」
「どうと言われても、施しを与えるのですが?」
私は彼女の質問に答えながら、借り物の巫女服に何処かほつれや破れた箇所はないかと確認する。
すると少し土埃がついた以外に異常はなかったので、思ったよりも頑丈だったことに安堵する。
「嘘よ! そんなこと言って、どうせ人買いに売り払うんでしょ!」
駄目だ! 会話にならない! とまではいかないが、精神的に追い詰められている少女が、自暴自棄になっていることはわかった。
なので私は、へたり込んで逃げる気をなくした彼女の手を離して、巾着袋の中身をさばくる。
そして一枚のお煎餅を取り出すと、絶望した表情を浮かべる少女の口を無理やり開けさせて、有無を言わさず突っ込んだ。
「むぐうっ!?」
「食べなさい。ただし落ち着いて、ゆっくりとです」
賞味期限は大雑把にしかわからないが、出発前に焼いてきた雑穀煎餅はまだギリギリ保つはずだ。……多分。
しかしカビこそ生えていないがそろそろ不味いかなと思った私は、狐っ娘なら万一当たってもどうせ腹は下さないので、本日のオヤツにするつもりだった。
だが実際には、今それを目の前の少女に無理やり食べさせていた。
場面としては涙目でへたり込んでいるみすぼらしい女の子の口に、幼女がお煎餅を強引に突っ込むと言う、はっきり言ってまるで意味がわからない何かだ。
しかし彼女は逆らっても無駄だと学習したのか、言われた通りに黙って咀嚼していく。
すると隣で成り行きを見守っていた巫女さんが、慌てて止める。
「あっ、あの、ええと! いっ、……お手が汚れてしまいます!」
一瞬稲荷神様と発言するところだったが、ギリギリで気づいたのか、彼女は慌てて考え直す。
そして正体がバレないように、要点だけを口にした。
「私は汚れないので大丈夫です。それに、彼女に手づかみで食べさせるほうが危険です」
今の時代の衛生管理は、ずさんの一言に尽きる。
何より、地面にへたり込んだ薄汚れた少女の手にそのまま持たせては、細菌による食中毒を起こす危険性がある。
まあ私が手にも雑菌やら何やらがついているかも知れないが、泥や糞尿に突っ込んでも汚れはおろか匂いもつかないため、多分大丈夫だろう。
賞味期限が危ういお煎餅を無理やり食べさせるという、そんな後ろめたさを誤魔化すための咄嗟の行動であった。
しばらく無心で雑穀煎餅を食べていた少女だが、途中で私の指を思いっきり噛んでしまう。
やっちまったとばかりに、彼女は恐る恐るという表情でこちらの様子を上目遣いに窺う。
「私のことは気にせず、最後まで食べきりなさい」
別にその程度痛くも痒くもないため、私は安心させるようにニッコリと微笑む。
しかし通行人の視線があるので、この姿勢もいい加減恥ずかしくなってきた。
なのでさっさと食べ終わるようにと、催促する。
すると先程まで絶望の表情をしていた少女は、小腹が膨れてほんの少しでも元気が出たようだ。
その後、時々竹の水筒で水を飲ませたり、続けて取り出した残り数枚のお煎餅を食べさせて、最後までペロリと平らげたのだった。
だがしかし、もうお煎餅は全て食べ終わったと言うのに、何故か彼女は私を放してくれず、口に入れた指を一心不乱に舐め続けていた。
この理解不能な行動に恐怖を感じた私は、反射的に指を引いて少女を慌てて止める。
(ペロリスト!? まさか遭遇するとは思わなかったけど、……ええ? 現実でもこんな感じなの?)
未来のネット用語のペロリストとは違う気がするが、初めての遭遇に若干引き気味になってしまう。
それでも歓喜の表情で私を見つめる彼女を見捨てるなど、自分には出来なかった。
きっと稲荷神のおみ足を舐めろと命令すれば、待ってましたとばかりに喜んでやりそうな雰囲気を漂わせる少女を前に、この色んな意味で危険な子は、これからどう扱ったものかと、今さらながら途方に暮れるのだった。




