十二話 神輿(3) 食堂
算数勝負で生徒たちをギャフンを言わせたあと、ようやく授業開始とはいかなかった。
まだ凝りてないのか、あろうことか刀ならば負けぬとか言い出したのだ。
だがそうは問屋が卸さない。彼が挑発のつもりか刀の柄に手をかけた時点で、私は目にも留まらぬ早業で問題児の顔面を殴りつけた。
いくら本当に抜くつもりはなくても、凶器に手をかけるとは何事かと、問題児のおじさんを教室の壁まで吹き飛ばした。
幸いにして野盗相手に経験は積んでいるので、今度は命を奪うことはなかった。
見た目こそド派手で新築の校舎の壁がちょっとへこんだが、手加減はしている。
一時騒然としたものの、教室に居る武士たちよりも、私が強いことが証明された。
言うことを聞かせるなら、最初からこうしておけば良かったと思わなくもない。
だがやむを得ない事情があるならまだしも、教師が我が物顔で体罰を振るうのは、私はヨシとはしなかった。
結局その後は、私に逆らったら命すら危ういと皆が理解したのか、二度と授業を妨害することはなくなった。
なのでこれにて一件落着かと思いきや、先輩の聞き分けが良くなっただけに過ぎなかった。
この後も頻繁に新入生が入ってくるのだが、その人たちは相変わらず舐めた態度を取るのだ。
なので事あるごとに稲荷神が鉄拳制裁を行うのが、我が校の風物詩、もしくは伝説となって語り継がれるのだった。
そんな事情はさて置き、算数勝負が終わった頃には日が暮れかけていたので、本日はこれまでと授業を終えた。
そして一人場所を移動した私は、松平さんが海外から取り寄せてくれた各種香辛料を配合して、カレー粉の作成を行っていた。
何度も調整を重ねているが、まだ固形にはできないので粉タイプだ。
林檎と蜂蜜を加えれば完成というわけにもいかず、世の中そんなに甘くなかった。
未来の日本では市販の物しか使ったことがない。
裏の成分表示を見た覚えはあっても、香辛料の種類にはあまり詳しくないし、配合比率は謎のままだ。
なので心当たりがあるスパイスを調合しては試食し、私自身の舌で体験することで、少しずつ林檎と蜂蜜のカレーへと近づけていっている段階である。
ちなみに今さら言うまでもないが、カレーを作っている理由は私が食べたいからだ。
だが今回はここに、二番目の理由も生えてきた。
それは、学校の生徒や見張りの兵士の食事まで、用意する必要が出てきたことだ。
一応自分が教師だけでなく調理師を兼任する手段はあるが、それでは時間がいくらあっても足りない。
そこで専用の料理人を雇うことで、事態の解決を図るのだった。
そして開校初日の夕方に、私は新築されたばかりの学校内の食堂で、本日配属となった十人の料理担当者と対面していた。
生徒三十人に料理人が十人は明らかに過剰に思えるが、そこに見回りの兵士も含まれるとすれば、別におかしくはない。
あとは松平さんのことなので、私に料理人の育成も任せているのだろう。
まあそれはともかくとして、何事も最初が肝心だ。
私は小さく咳払いをしたあとに、躊躇うことなく堂々と言い放った。
「私の食事は、昼も含めて一日三食でお願いします」
「三食ですか? そっ、それは何故?」
「空腹は集中力や作業効率の低下を招きます」
実際に私が調べたわけではないが、お腹が空くと集中力が落ちるのだ。ついでに筋肉も落ちやすくなると聞いたが、その辺りのことは正直良くわからなかった。
今の時代の人間ではない私は、未来の習慣が根付いている。
なので朝昼晩と三回食事摂らないと、どうにもやる気が出ないのであった。
続けて私は、集められた料理人に向かって無慈悲な言葉を投げかける。
「毎日の献立は私が決めます。調理方法もこちらの指示に従ってもらいます。
貴方たちが修練によって身につけた料理技術は、一度全てを捨てなさい」
「そっ! そんな!?」
松平さんの話では、食堂に集められた人は岡崎城の副料理長、さらに名店の跡取り候補と呼ばれるぐらい優秀な人材らしい。
だがぶっちゃけ私からすれば、戦国時代の食事が美味しいとは思えない。
道具や食材や調味料の不足が主な理由だろうが、調理工程も未来とはかなり違うのだ。
武士や商人の食卓は拝見していないので、ひょっとしたら美食で溢れているかも知れないが、現状の私として半信半疑である。
「まずは、私の教えを全て受け入れるのです。
その後に一度捨てた調理技術を拾うなり、放置するなり各々の好きにしなさい」
「なっ! なるほど! そうでございましたか!」
まずは、私の教えを疑うことなく全て受け入れることが肝心だ。
しかしこれを、そのまま戦国時代の調理法に上書きしたら、どんな合体事故が起こるかわかったものではない。
だからこそ大前提として、未来の調理技術を下地にするのであった。
それでも武士階級とは違って、話が通じるから楽でいいと思いながら、まだまだ改善の余地ありのカレー粉の詰まった袋を取り出す。
「あの、それは何でございましょうか?」
「カレー粉です。まだ試作段階ですが、貴方たちを納得させるのに必要だと考えました」
相手が武士か一般人かは関係なく、まずはボコボコに叩きのめして心をへし折ってから、お話を聞いてもらうという、高町式説得術を使わせてもらう。
(未来の調理方法の説明が面倒だからね。まずは無条件に受け入れるぐらい叩きのめさないと)
私はプロの料理人と違って、下積み時代はない。
母の背中や料理本、ネットの記事を参考にして何となくで作っていただけだ。
結果的に美味しい物ができたから良いが、その調理工程の一つ一つにどのような意味があるのかは、詳しくはわからない。
もし尋ねられてもはっきりとは答えられず、後々間違いだとバレたら大変だ。
なので、考えるな。感じろで済ませてしまうのが一番簡単であった。
取りあえず圧倒的強者を演じて、質問は受け付けないスタイルを維持する。
自身で試行錯誤したり考えて身につけることが、各々の成長に繋がるのだ。とか、何かそれっぽいこと言って、煙に巻く作戦である。
「最初は私が作りますので、良く見て覚えてください」
「はっ、はい! ご教授宜しくお願い致します!」
ついでに言えば、用意したのはカレーだけではない。ご飯の代わりにナンで、ダメ押しとばかりにタンドリーチキンとラッシーも揃えた。
子供から大人まで皆が大好きな欲張りカレーセットである。
全てが未完成で原材料や調理工程は微妙に違うし、味が何か変なのは今さら言うまでもない。
だがこれまでの常識があてにならない未知の料理を出して、戦国時代の調理師に、参りましたと言わせれば私の勝ちである。
これが古い習慣を廃して、新しい常識を広める一歩になるのだ。
私はカレーの調理工程を一通り済ませ、カマドに取り付けた大鍋にたっぷり入った茶色い液体を、薪の火でグツグツ煮込む。
そして次はナンを作るために、小麦なのか大麦なのか不明な粉を、水を加えながら丁寧にこねていく。
「ところで本多さんや他の生徒は、何故調理場に?」
「芳しい香りに誘われましてな!」
「右に同じでございます!」
本多さん以外に生徒も大勢居るが、食事の準備が整って誰かが呼びに行くまで、教室か寮で待っているようにようにと告げたはずだ。
けれど彼ら三十と一人は、現に食堂にやって来ており、カレーが出来上がるのを待ちわびている。
(まあ、気持ちはわかるけど)
茶色く濁ったドロリとしたスープは、料理人たちが間近に見て、うわぁ……と引き気味になるほど不味そうに見える。
しかし、その排泄物のような見た目とは裏腹に、食欲を誘う香りは強烈だ。
その証拠に私が各々に味見をさせると、ものの見事にあっさり陥落した。
「カレーだけではなく、ナンの作り方も覚えてくださいね。
私は初回だけで、次からは貴方たち料理人が作るのですよ」
「「「はい!!! 稲荷神様!!!」」」
変われば変わるもので、最初は不満気な態度で渋々従っていたのに、今は生徒たちと同じくとても従順である。
こっちとしては言い訳のゴリ押しが通用するのはありがたいが、彼らの熱い手のひら返しに内心引き気味であった。
(けどこれ、初回は必ず私が作るってことだよね。体が丈夫で良かったよ)
もし私が見た目通りの十歳のか弱い幼女なら、とてもではないが新作料理を用意できなかった。
疲れ知らずの狐っ娘だからこそ可能な、脳筋ゴリ押しによる調理方法である。
そうこうしているうちにナンが焼けたので、カレーの味見と同じく料理人たちに試食してもらう。
「むっ、麦や米とはまるで違います! それに! 中に入っている黄色い物は一体!」
「それはチーズです。ヤギの乳を発酵させた物ですね」
本当は牛が良かったのだが、戦国時代の日本には乳牛は居なかった。
なので代用としてヤギを使ったのだが、採れる量が少ないので貴重品である。
(初回だからと大盤振る舞いしたけど。ちょっと勿体なかったかも)
ヤギ乳の量が少なく、発酵させるのは時間がかかる。賞味期限も未来ほど長持ちしない。
それにカレーを作るための材料も次はいつ手に入るか未定で、一つ一つが高額だ。
松平さんには本当に頭が上がらない。
何だか色々と世知辛いが、千里の道も一歩からである。
日本で生産できるようになれば、きっと安く手軽に買えるはずだ。
「カレーと違ってナンを人数分作るには、私一人では手が足りません。お願いできますか?」
「「「はいっ!!! 喜んで!!!」」」
何処かの居酒屋よろしく、料理人たちは声を揃えて了承した。
他のカマドを使って、私が時々指導しながら皆は真剣な表情でナンを焼いていく。
戦国時代の料理法は殆ど役に立たないのだが、それでも表情は明るくやる気に満ち溢れていた。
ただ問題は、お腹を空かせた生徒たちが、もう待ちきれないとばかりに食堂の椅子に座り、物欲しそうな顔でこちらを見ているのは、とても邪魔に感じるのだった。
結局、初めての料理で手探りなのもあって、思った以上に時間がかかってしまった。
夜の食事時間をかなり過ぎてカレーセットが完成すると、生徒たちと本多さんは、まるで飢えた狼のように一斉に群がった。
ナンも休むことなく追加で焼き続けたし、一晩寝かして朝カレーにしようと余分に作ったはずの大鍋も空っぽになる。
調理人や見張りの兵士を含めて、不満など一切ない大満足な笑顔で食事を終えてくれたのは、最良の結果と言える。
しかし、開校初日から献立を狂わせるのは勘弁してもらいたかった。
これからも新作料理を作るたびに、献立の変更が度々起こるのだろうなと否応なしに察した私は、空っぽのカレー鍋を見ながら、心の中で大きな溜息を吐くのだった。




